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2004年2月

2004年2月 5日 (木)

怒りネット通信 第4号

怒りネット通信 第4号
2004年2月5日発行
怒っているぞ!支援費制度障害者ネットワ-ク
 ■もくじ
   ・国は障害者が地域で生きる生存権を保障せよ!
   ・生活保護他人介護料の福祉事務所交渉の報告
   ・2・18厚生労働省交渉の質問状
   ・なぜ?支援費制度や介護保険に反対するのか(小山正義)
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2月18日、福祉きりすて反対!ストップ・ザ支援費制度集会実行委の厚生労働省交渉(14:30~)にあつまろう!
     13:30第二衆議院議員会館ロビ-結集
国は障害者が地域で生きる生存権を保障せよ
      支援費制度撤回、そして介護保険反対!撤廃せよ!
●本来の改良すべき措置制度にもどせ!
 私たち障害者はこれまで、隔離収容施設でとじこめられたり、あるいは家族の中にだけ隔離されて生活を強いられてきました。そうしたきびしい状況のなかでも、まさに決死の思いで、人としてあたりまえの欲求である「地域社会で普通に生活したい」という希望のもと、障害者たちの自立生活ははじまりました。それは30年以上におよぶ血のにじむような歴史の蓄積です。70年代初頭、この生活をささえる制度は皆無にひとしい状況でした。そうした状況をきりひらくべく、健常者と横のつながりをつくりつつ保障制度を国に求めていったのです。そのことの意味は、地域社会を具体的に変えていくとりくみでもあったし、健常者と障害者との関係を変革するものだったのです。
●障害者運動のめざすべきもの
 そういった方途の一つとして、われわれが求めていったものは、憲法25条にもとづく国による地域での生存権の保障です。したがってそれは、措置制度の改良でした。そしてそれらの考えを背景にしながら求めていった制度の一つに、全身性障害者介護人派遣制度があります。この制度は、全国統一的なものではなく、各地方自治体の裁量権にゆだねられたものでした。全国統一的なものとしては生活保護の中の他人介助料制度があります。ほかにもホームヘルプサービスもあります。前者の二つは利点として、障害者本人が介助者を選べて、その介助者は国家認定資格などなくても介助者となれるというよさがありました。つまり障害者と健常者が信頼関係のもとに健常者が介助者となりこれを行政が公的に保障する制度なのです。障害者本人がこのようなかたちで、介助者を集められない場合は、公的制度としてホームヘルプサービスがありました。現実の障害者の地域における自立生活は、慢性的な介助者不足に悩まされています。したがってみずからの力で集めた介助者だけでなく、公的ヘルパーも使う形でかろうじて地域生活が維持されてきたのです。
 障害者は、毎月、毎月、介助者をあつめつづけます。しかし介助者は、それを定職化できません。なぜならば賃金が安いからです。そして身分保障も十分ではないのです。本来ならば、この原点的な問題に対して充実・拡充を求め、障害者運動の重要な課題として運動化すべきなのです。そしてそれは近年にいたるまではそうした方向だったと思います。それは命がけの運動でした。
●支援費制度は撤回せよ!
 ところが2003年4月からはじまった障害者に対する支援費制度は、この運動の一定の成果や実績をゼロにもどすものとしてあらわれてきました。この支援費制度は、問題点として国の公的責任の放棄がまずあります。その責任をヘルパーと事業所におしつける形です。今まで介助者は資格無しでも介助労働が可能でしたが、しかしこの制度によって何らかの資格が強制されます。そうなると誰でも介助ができなくなることを意味し、閉鎖的な関係になります。事業所に登録しなければ介助労働が出来なくなり、それノより介助者はより管理される対象となります。介助労働は介助メニューという時間割介助となり、その内容は「身体介護」「家事援助」「移動介護」という日常生活を分断したかたちで生活時間帯を編成しなければならないのです。つまり朝9時に身体介護のためのヘルパーが来ているとします。そのヘルパーは60分の契約だとすると、その時間内にトイレ、着替えなどを手早くすまさなければなりません。そのあとに来るヘルパーが家事援助だけのヘルパーだとすると、なおのこと急いでこの60分内に身体介護はおこなわざるをえないのです。こういう息苦しさは今までの制度ではなかったものです。つまり介助メニュー時間帯によって、障害者の生活が振り回されてしまうのです。これではまるで収容施設の生活と同じなのです。もうすでにこれは支援費がはじまってからは日常化しつつあります。さらには健常者と障害者の関係においても、介助メニューを中心に展開されるので、機械的・表面的でとても寂しい関係しか残りません。その時間帯が過ぎれば、短時間でヘルパーは去っていきます。つまり介助者も隔離されるのです。
 他方、全身性障害者に関しては「日常生活支援」というメニューがあります。内容は「身体介護」「見守り」「家事援助」が一体化したものであり、長時間介助を必要とする障害者にとっては、日常生活が分断化されない利点があります。ただ問題点としては時給単価が他のメニューにくらべて低いことがあります。したがってヘルパー派遣会社の事業所はこの安い単価では経営ができないので、ひきうける事業所は全国統計でも、実施している地方自治体の10%に過ぎません。私自身も障害者であり、支援費を使い生活していますが、日常生活支援だけではなく身体介護をふくむ移動という介助メニューの組み合わせによって、1日8時間のヘルパー派遣をうけています。つまり前者のメニューだけでは単価が安く、事業所をよびこむことはできません。身体介護や身体介護をともなう移動介助メニューを加味することによって、事業所をよびこみ、ヘルパー派遣を保障させているのです。
●身体介護メニューの単価切り下げの問題
 今回、2003年12月中旬にだされた厚生労働省の担当課長レベルの発言によれば、「身体介護の介助メニューが90分をこえた段階で日常生活介助メニューに同等額に下げる」といった考えをうちだしました。これによって予想される事態は、長時間介助を必要とする障害者は、そうした単価ではひきうける事業所がなくなる可能性があります。このことは、障害者の生死にかかわる問題です。おわかかりでしょうが、障害者は介助者なしでは生きてはゆけません。それにふれる大問題なのです。そしてこの課長は「言い方がまずかった。じっくり説得していく」ということで、決して白紙撤回はしていません。抗議行動を起こした障害者団体に対して、あるいは厚生省が主催している検討会に対しても説得していくつもりなのです。
●障害者に対して介護保険が適用されたらどうなる!?
 さらに状況としては悪い方向を厚生労働省はもくろんでます。それは介護保険へ障害者をくみこもうとしているのです。この動きはかなり急速であり、厚労省は来年には法案を国会に提出しようとしています。介護保険では、介助保障だけで限度いっぱいまでつかったとしても1日4時間程度しか保障されません。これは去年の1月に厚生労働省がうちだした上限枠と同じものです。しかも社会参加のための介助は認められません。さらに利用料は応益負担のため大幅に増加します。
●高齢者とも連帯し、介護保険に反対し撤廃させよう!
 先行実施されている高齢者に対する介護保険なのですが、当初から予想されたとおり在宅介助保障は貧しすぎる状態で、かかえた家族や高齢者たちの共倒れや自殺がたええません。しかも介護保険とは、介助を必要とする者が保障の充実を求めれば、ただちに保険料の増額に直結し、結局は利用者の要求がおさえこまれる制度でしかないのです。したがって介護保険や支援費は認めることができません。これでは地域で生活しつつも、この制度をうけている者にとっては、在宅隔離収容施設にいるようなものです。十分な介助もうけられません。ヘルパーも資格者しか来られません。閉鎖的な人間関係なのです。介助メニューによって人間関係が支配され管理されます。それは繰り返しますが、介護保険と支援費の共通した問題なのです。さらに十分な介助時間すら満たされないわけで、それが1日4時間なのですから在宅隔離収容施設のなかですら生きてゆけなくなります。マスコミ報道は、この問題意識の視点で報道していません。つまり介護が必要な在宅の高齢者が自殺したり、あるいは家族が共倒れしている実情に対して、その現象のみをとりあげ背景としてある公的保障の後退である介護保険の貧しさは報道しません。ある一部の報道によれば東京都内では1年間に老人の孤独死は200人にのぼります。
 これはなんとしてでも介護保険と支援費制度は撤回させるべきです。
●知的障害者、精神障害者の地域で生きるための保障をかちとろう!
 知的障害者と精神障害者は、近年まで国レベルでの介助保障の対象とされてきませんでした。したがって身体障害者にくらべて不利な状況におかれています。
 支援費制度の支給決定の状況をみても、知的障害者の支給量は、低い水準におさえこまれています。自治体の状況にしても身体障害者については、全国の3分の2が実施しているのに対して、知的障害者の場合は3分の1しかおこなっていません。そもそも厚労省自身は知的障害者に対して、地域で自立生活を保障する対象とは考えていないということが交渉などをとうしてあきらかになっています。
 さらに不利な状況におかれているのが精神障害者であり、はじめから契約制度による福祉サービスしか受けられず、それもきわめて不十分なものです。
 こうした差別的なあり方をゆるさず、精神障害者や知的障害者と共に地域で生きていくための保障をかちとりましょう。
 いまこそ全国の障害者の力を結集し、昨年1月をもこえる闘いをつくりだしましょう。そして自薦ヘルパー方式など70年代以来の成果にもとづく措置制度を、すべての障害者を対象に実施させましょう。
 国は地域で生きる生存権保障の原点に帰れ! 本来の改良すべき措置制度にもどせ!
           福祉きりすて反対!ストップ・ザ支援費制度集会実行委員会
(なおこの実行委員会は、“怒りネット”の呼びかけで昨年10・26集会実行委として結成されたものです)
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・千葉市花見川区福祉事務所交渉の報告・
 他人介護料大臣基準の申請をうけつけて!
                          古賀 典夫
 1月15日、岡田潔さんと和子さん(脳性麻痺者の夫妻)の依頼で花見川福祉事務所の交渉に参加しましたので、その様子を報告します。
 岡田さんの話によると、これまで岡田和子さんがうけていた他人介護料大臣基準について、花見川福祉事務所長から来年度の申請はうけつけないと言ってきたとのことです。「生活保護の補足性の原則から他法他施策優先のため、支援費制度が活用できるから」というのがその理由だそうです。岡田さんが「厚労省からそういう通達がでているのなら見せてくれ。ダメだという根拠を教えてほしい」と言ったところ「特別の文書はない」と花見川区は話し合いをうちきってきました。千葉市は話し合いをすると言ったけど、区から要請がないと市の方から求めることはできないと言っています。今の福祉事務所長は、すごくワンマンで、小山正義さんや僕が抗議の電話をしたら「岡田さんはもう納得している」とウソを言ったほどです。
■「言語障害などの理由はもやは通用しない」と言う福祉事務所長
 和子さんは、支援費制度以前は1日2.5時間のホ-ムヘルプと他人介護料で介助体制を維持してきました。支援費制度になって和子さんは(身体、家事、移動をあわせ)1日9.5時間、夫の潔さんは家事援助が月30時間になりました。和子さんには通院だけに二人介助の移動介助が認められていますが、それ以外の移動は認められていません。
 和子さんの介助の支援費の部分は、主に以前から介助に入ってきた人たちが資格を取り、事業者に登録して介助に入っています。それで足りない部分を民間業者のヘルパ-でうめています。しかし、後述するようにこの事業者からのヘルパーがあてにならない状況もあるのです。
 千葉市は、みなしによるヘルパー資格の付与さえ行っておらず、そのため自薦介助者は資格をとらないと介助をつづけられませんでした。他人介護料の部分は、自分でみつけた介助者から従来どおり介助がうけられています。他人介護料がなくなると、そうした自薦介助者との関係が断ち切られてしまいます。金額だけなら支援費制度の方が以前より高くなります。でも「障害者にとって大事なのは金額だけではない。所長は自薦ヘルパ-の意義がわかっていない」と岡田さんは批判してきました。
 岡田さんの希望は、自薦介助者とこれまでつくってきた人間関係を壊されることが一番困るので、少なくとも他人介護料という制度があるうちはそれを継続したいということです。
 僕が電話で抗議したところ、花見川福祉事務所長は「言語障害などの理由で他人介護料を認めるという論理はもはや通用しない。実際に事業所からヘルパー派遣を受けているのだから」と言いました。しかし、その実体の大部分は前述したように自薦介助者なのです。あるいは、「潔さんが通院しなければならず和子さんの介護ができないと言うから、支援費の支給量を増やしたんだ。しかし潔さんは今は通院していないから支援費で充分やっていける」潔さんは実際には通院しており、福祉事務所はその医療扶助を出しているのです。このような嘘とデマをも駆使しながら論理を構築しているのです。
 昨年6月、政府は法改悪も含めた生活保護の全面的な切り捨て方針を固めました。こうした中で、他人介護加算打ち切りの動きが強められているのではないでしょうか。またそれは、高齢者がそうされたように、「障害者」への介護保険適用と共に他人介護加算を打ち切るという方向とも連動しているのかもしれません。
■3時間半におよぶ交渉のすえ、福祉事務所がようやく申請の受理を約束
 当日は岡田夫妻とその介助者、そして私たち支援者をふくめ総勢12人でした。対応したのは、係長と課長補佐でした。所長はいるにもかかわらず、対応しようとしません。潔さんが呼びにゆくと「警察を呼ぶぞ」の連発。結局、3時間半以上のやりとりをその場でおこない「他人介護加算の申請を4月に受け付ける」との書類を出させました。そして岡田さんの介助保障について話し合いを今後おこなうことを約束させました。
 同福祉事務所は、みなしヘルパ-のことも全く知りませんでした。また岡田さんからはコムスンからのヘルパ-が8回にわたって予定をすっぽかしていることが話されました。同福祉事務所の支援費担当の課長もまじえてコムスンと、そのようなすっぽかしをおこなわないように確認した次の日も、すっぽかされたそうです。したがって岡田さん夫妻の支援費制度に対する不信感がいっそう強烈なものになっています。しかし福祉事務所は少数の人だけで行くと、訴えを真剣に聞いてこなかったそうです。今後の話し合いについても極力、支援者がゆけるようにしたいと思います。
  
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2・18 厚生労働省交渉の要請質問事項
  福祉きりすて反対!ストップ・ザ支援費制度集会実行委員会
■要請事項
1、介護保険への障害者施策の統合をおこなわないこと。そして必要な人には1日24時
 間の介助体制を国が責任をもって保障すること。
2、支援費制度について
(1)障害者があらたに選んだ人を介助者として認めヘルパー資格を強制しないこと。
(2)支援費制度の施行以降、介助時間など引き下がりがおきていることに対し(町田市など)厚労省の責任において改善し、少なくとも03年3月の水準を回復すること。
(3)1月にだしたホームヘルプ予算の国庫補助基準を白紙撤回すること。
   あらたに支援費の申請をおこなった障害者に対して、上記の基準内で支給決定がおこなわれる例が多くみられる。このような不当な措置をすみやかに是正すること。
(4)知的障害者に対する差別的なとり扱いをただちにやめ、少なくとも全身性障害者程度に改善すること。
(5)介助者の自治体への直接登録制度を全国的に確立すること。
(6)ホームヘルプの4類型、別単価方式をただちに廃止すること。
3、生活保護他人介護加算について
(1)障害者に対する介助保障が不十分にしかおこなわれていない現状のなかで他人介護加算の廃止をおこわないこと。
(2)常時介助が必要な障害者に対して24時間介助が保障されていないにもかかわらず支援費制度施行を理由に他人介護加算の申請をうけつけない自治体がでていることについて厚労省が責任をもって指導し改善すること。
■要請にともなう質問事項
【項目1について】
 厚労省は1月8日に介護制度改革本部を発足させました。マスコミによると、ここにおいて障害者への介護保険適用が検討されると報道されています。こうした方向については、やはり検討会でも提示されていません。
(1)介護保険の給付水準を障害者に適用した場合、介助保障の大幅な引き下がりがおこります。これは、全国の障害者が03年1月のホームヘルプの国庫補助基準に対して抱いた危機感と同じものを感じるものです。この点について厚労省としては現在どう考えているか示してください。
(2)介護保険には、社会参加のための移動介護などはありません。この点をどう考えるか示してください。
(3)介護保険での給付を受ける場合には、自己負担は応益負担となっています。この負担が高齢者のサービス利用をはばんでいる実態がありますが、障害者にとってはいっそうサービスが利用できない状況になってしまいます。この点についてどう考えているか示してください。
(4)介護保険施行にともない高齢者については、生活保護の他人介護加算が適用されなくなりました。障害者についても、同じ措置がとられるのではないかとの懸念があります。この点について現時点での考えをあきらかにしてください。
【項目2について】
(1)今年度の支援費関連の国庫補助予算について、大幅に不足することが報道されました。「(厚生労働省は)今月に入って都道府県に対し、02年度に交付した補助金に相当する分は全額だすものの、03年度から利用時間がふえた分や新規の申請分については補助額が2分の1を下回る可能性があることを伝えた」(『朝日新聞』03年11月14日)と報道されました。その後、坂口大臣は12月5日の記者会見などで厚労省の内部調整で必要な予算を確保したとの趣旨の発言をされました。この大臣の発言は、03年度の増加分や新規の申請分についても、国庫補助のための必要な予算を確保したということですか?
(2)検討会は、昨年1月の厚生労働省のホームヘルプ予算の国庫補助の上限問題をきっかけにつくられたはずです。にもかかわらず中間のまとめにいたるも、このことが議論されないというのは不自然きわまりないと思います。厚労省としての見解をうかがいたいと思います。
(3)坂口厚生労働大臣は国会答弁(平成15年1月27日の阿部知子議員への答弁および同年2月28日の石毛瑛子議員への答弁など)において、本件事業にかかるあらたな国庫補助基準は「市町村に予算を配分するための基準である」旨の答弁をしています。しかし市町村への補助金の配分については、支援費制度導入以前にもおこなわれていたのであり、補助率も支援費制度導入前後でかわっていません。にもかかわらずあらたな国庫補助基準をつくる必要がなぜあっスのか、その理由を支援費制度導入以前の国庫補助基準と比較しつつ示してください。
(4)この国庫補助基準とともに厚労省は、同基準により算定した国庫補助金の額が従前の額を下回ることとなる市町村に対しては、移行時において、原則として従前の額を確保するための経過措置をもうけました。しかしこの経過措置も来年度には見直す意向を厚労省は示しています。どのような見直しをおこなうのか、現時点で考えている方向をあきらかにしてください。
(5)12月12日厚労省は、突如ホームヘルプとグループホームの単価引き下げ案を示しました。この日には「あり方検討会」がひらかれており、その場においてはこのことについて何も提示されていません。なぜこのような提示の仕方をしたのか、お答えください。
 また、17日には、高原障害福祉課長はこの案を撤回したとのことですが、「ひきつづき障害者に対するサービス量を確保するために運営上の工夫を検討したい」(12月17日付『毎日新聞』)とも発言しています。今回の案もふくめてどのような案を検討しているのか、示してください。
(6)12月12日のホームヘルプ単価の引き下げ案では、身体介護つきの移動をなくし日常生活支援での移動に変え、身体介護についても1時間30分をこえた場合にはほとんど日常生活支援に等しい単価となるものです。しかし全国の事業所では、日常生活支援でのサービスをおこなう事業所が圧倒的に少なく、10%程度ではないかとも言われます。これでは介助が保障されない事態になってしまいます。このことについて厚労省はどう考えるのか示してください。
 厚労省は、全国で日常生活支援をおこなう事業所がどのくらいあるのか、その実数と事業所全体のなかの割合を示してください。また地域的な分布も示してください。
(7)グループホームは、現在でも自治体の独自の補助がなければ、利用者は10万円以上を支払わなければなりません。そのうえで厚労省の単価引き下げ案のようなことが実行されれば、ますます利用者の負担増などが懸念されます。厚労省としては、2割単価を削減した場合の影響をどのように試算していたのか示してください。
 その場合、支援費制度のもとで(自治体の独自補助がなかった場合)利用者の自己負担(家賃をも含めて)がどのくらいの額になっているのか、そこで働く世話人の収入はいくらか、運営費はどのくらいになるか、などの現状を示したうえで、単価が下がると、その数字がどの程度に変化するかを示してください。
(8)デイサービスを利用している障害者が病気によりやむをえず通所を休まざるをえなくなった場合に、事業所の方から契約の解除をせまられる事態がおこっています。
 このように事業所がサービスを提供するということのもつ根本的な矛盾がおこっていますが、このことについての見解を示してください。
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  なぜ? 支援費制度や介護保険に反対するか
                  小山正義
 はじめに介護保険法や支援費制度の問題のみにとどまらず、日本やインド、あるいは互酬制にもとづいた共同体において、西洋法を適用しうるかどうか、という点に関する根本的な疑問です。というのは以下のことを考えると、西洋法に対してその運営に疑問をもたざるをえないのです。
 まず西洋社会のようなカトリックの尋問モデルを基礎においた社会。そのなかではお互いが罪人として互いに無罪の釈明する社会関係がむすばれています。そのような西洋社会と日本とインドの(そして現在ではレヴィ=ストロースのネタと化した) 互酬制社会とではあまりにも違いがあると思います。そのようなあまりにも違いすぎる運営をされている社会に、ある制度を移植することはかなりの無理が生じます。
 もともと互酬制で運営されている社会は、以下のように運営されています。まず共同体のなかの理念や価値、倫理や規範などが共同体成員にほぼ一様にゆきわたっていることが前提となっています。そのことによって共同体全員の共通了解になっていることが共同体内のあらゆる社会関係の前提となっているのです。
 そのなかでは暴力的関係、そこまではいかなくても利害の対立や、成員同士の葛藤は共同体の運営には仮定されていません。したってホッブスの言ったような成員全員の暴力の委任や、契約などは何ら意味をもちえません。
 そのような互酬制を前提とする日本のような社会で、契約など何の意味をもちうるのでしょうか?
 介護保険や支援費制度の利用と支払いにしても、その意味内実は互酬制社会の文脈ではかのマルクスが言った市場経済の相対価値形態や、市場のホッブス状態にあたる一般価値形態ではありえません。
 それは表面上債権債務の決済の形をとってはいるモノの本質は贈答品の交換です。つまり共同体のなかの等価な価値のモノ同士の儀礼的な返礼の交換であるということです。
 これらは外見上は商取引の形態はとっています。しかしこの共同体内のあらゆる商取引の内実がすべて儀礼の交換であったとしたら、この商取引と名づけられた社会行為はいったい契約関係と言えるモノなのでしょうか?
 共同体内のすべての商行為がみんな儀礼の交換と解釈される社会生活のなかで契約という行為は存立可能なモノなのでしょうか? 私にはとても疑問に思えます。
 またおなじ観点から、自己責任と言われるモノのまやかしもみえてきます。主体に対する責任概念もニーチェやフーコーの指摘するとおり、西洋の尋問モデルの産物です。
 尋問モデルの述べるところによれば、人間の相互の関係は犯罪者同士、もっと正確に言うといついかなる時でも犯罪を犯しうる人間同士の関係です。そのなかで生活するためには、自身が犯罪行為をしていないとつねに釈明する義務が、社会成員の各人に課せられています。主体に対する責任概念はこのような内容のモノなのです。
 したがって互酬制のなかの、お互いに同じ価値観を共有していることを前提とした社会を考えると、この責任主体という考え自体、成立しようはずがありません。理由は以下のとおりです。もし共同体のなかの構成員のお互いが罪人同士であるという、あるいは犯罪をつねに犯しうるモノが社会の成員であるという状態のなかでは、共通の価値観をもっと正確にいうと儀礼的な交換が可能な共通の価値観を共有するという仮定自体が、存立不可能と考えるのが自然のことと思えるからです。
 日本やインドのような人類学的対象になりうる社会では、主体に対する責任という概念が社会的に成立しえないわけです。
 だからこのように構成されて、しかも人類学的な正当性をもった社会学人類学上の正当行為である『天下り』、学術的には『渡来王』の機能を真面目にはたしている、誰に恥じ入ることもない厚生労働省の高級官僚がやましい事なしに、あるいは後ろ暗い事なしには『自己責任』などという言葉をはけないと考えるのは当然の帰結です(バブル崩壊後の法人の個人に対する無理な貸し付けや投資相談に対する財務省の高級官僚の言葉も悪意以外の何者でもありません)。
 なぜなら自己責任という概念は、かれらの業績や社会的地位、さらに言えば彼らの存在そのものを否定する言葉、モノの考え方だからです。
 当人たちが精神的に疲労した状態でないと仮定すれば、みずからを「恥知らず」と公言することはあまり考えられる状況ではありません。まして社会的地位をもつモノならなおさらです。したがってそのような言葉をあえて口にするということは、彼らは詐欺を働いてい驍フです。そのような言葉を信用できる訳がありません。
 またさらに言えば、彼らが言うところの自由、自由、この場合はサービス選択の自由ととってつけたような限定がついているけど、その自由という概念自体にも問題をはらんでいます。と言うのは先にあげた責任主体や自己責任と自由や自由意志というのは双対的な概念だからです。責任と意志の自由は 2つがあたかも組概念でもあるかのように密接な関係を持っています。
 意志の自由というモノもやはり西洋の尋問モデル産物で、人を裁こうとする価値観のあらわれでもあります。あるいはあらゆる人間が罪人として疑わしい存在であるという人間観の表明であるとも言えます。たとえば彼が右手を挙げていたとします。そのとき意志の自由の教説によると、つねに左手の方を挙げることもできたはずだという命題を言外に表明しているのです。これはまさにニーチェの指摘したカトリックの祭司の尋問的世界観人間観以外何者でありましょうか?!
 したがって介護保険の利用者の自由な選択による対等な契約関係などということは、西洋とインドや日本のような互酬制社会をくらべた場合、どのように機能するかは明らかだと思われます。それは一つには自由を手に入れることによる利用者に対する一方的責任関係。そしてもう一つには互酬制社会のなかに契約関係をもちこむことによる、利用者に対する国権の一方的な行使。互酬制社会のなかで自由な選択と対等な契約なるモノはそのような機能しか期待できないのです。
 それゆえ互酬制の社会関係でこのような対人不信の表明をするということは、つまり彼ら高級官僚たちが、なにか問題がおこった時はすべて利用者が悪いと意図的に表明しているのです。介護保険以外の選択肢をとりあげておきながら「介護保険の利用そのもを利用する行為そのものが、利用者の誤った選択である」と制度をつくった当人たちが制度の施行時から利用者に宣告しているのです。もはや介護保険や支援費制度の出発点からすべての問題は、すべてが利用者がひきおこすと宣言しているのです。こんな無茶無茶な制度は世界広しと言えども珍しいのではないでしょうか?
 以上は介護保険法や支援費制度の問題のみにとどまらず、日本やインド、あるいは互酬制にもとづいた共同体における西洋法の適用にかんする根本的な疑問です。

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