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2008年8月 8日 (金)

弁証法

先日、雑誌の取材で若者が分会長をしている労働組合員に話を聞く機会があった。一応結論までを書いた原稿をもとに、そのなかにインタビューを当てはめていくという手法だ。しかし、話を聞いていると、いかに自分が型どおりの発想をしているかを思い知った。結論として型どおりに労働組合が頑張っているという話を作ってしまっていたのだ。これが弁証法というものかなと思った。現実の彼らは型どおりには行かない困難と闘っている。いや闘う道を探している。

福祉労働者にとっても問題は同じだろう。あらかじめの結論などはない。闘いに参加するなかで道を見つけるしかない。

ぜひ僕らと繋がっていってほしい。

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コメント

最近、「鉄条網に咲いたツルバラ」と言う本を読みました。民主労総に先行する時代の韓国女性労働運動活動家の生い立ちから、現役活動家時代、そして現在に致までが、聞き書きで綴られています。それは、決して華やかなものではなく、権力・資本からの弾圧と苦渋に満ちた内容です。高見闘争や関トラ闘争が、そうである様に…私達は民主労総のゼネストの記録を見聞きすると、労働者としての高揚感を掻き立てられます。しかし、その華やかな闘いの礎となった、知られざる無数の活動家の存在と、その闘いを知ったとき、私達労働者は、民主労総の闘いを自らの存在と重ねあわせることができ、立体感を持って感じる事ができます。

投稿:  | 2008年8月 8日 (金) 19時49分

まだ民主労総が出来ていないころかあっても萌芽的な時期の労働運動を描いた韓国のインディーズ形の映画を何本も見たことがあります。十三の怪しげなところにある15席ぐらいの映画館でした。そこではインディーズ系の映画を上映していて、僕は韓国労働運動のものや韓国の社会派の映画を何本か見ました。学生運動活動家が工場に潜入して組織化を図っているという事が背景にあったようでそういう場面も出てきました。突然食堂のテーブルに飛び上がってアジ演説を始め、職制に暴力的にたたき出されるところとかが印象に残っています。チョンテイルの決起で学生活動家が問題はそこにあると気付いて入っていくという流れだと理解しました。労働者が人間として自己主張していくというストーリーのものが多かったと思います。派手ではない、華々しいところもない一人一人の労働者の決起、それはストーリーにもならないものかもしれません、てもそういう一人一人の決起の中から民主労総もできていったのでしょう。
「鉄条網に咲いたツルバラ」という本には、そういうストーリーにならない実相が書かれているのでしょうか。お互いに知り合うという意味でも貴重な話ではないかと想像します。

投稿: ゲン | 2008年8月 8日 (金) 23時05分

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