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2008年8月10日 (日)

今日もまた

今日も行動にいけなかった。今日は「『慰安婦』決議に応え 今こそ真の解決を!」と題した軍隊「慰安婦」に関する集会があった。どういう中身なのかは一切聞いていなかったので分かりません。僕は女性団体の方から勧められて前売り券を購入していました。集会自体は午前10時から午後4時までというロングランなので僕は午後から行こうとしていました。

またしてもうつ気分が襲いました。どういう説明をすると「健常」な人にわかるのか?ただなんとなく行く気が失せるのですね。別にひどいときのように布団にうずくまるわけではなく、普通にテレビを見ていて、パソコンをしていて、外出する行程を考えるとそんなに元気はない自分に気付くのです。元気ではないということが基調にあります。今日のようにあまり知らない人たちのなかに出かけていくのには普通以上の元気の素が必要です。

昨日のコメントにあるように「健常」な人の側からは「『障害者』が地を這って参加するのはすばらしい、」という価値観があります。ところで「健常者」という人は一体何人くらいいるものなのでしょうね。何らかの病を抱えていたり、病との線上にいる人が多いのでは?差別関係にないという意味で「健常者」という言葉を使うようにします。

僕は「障害者」としての価値観の重要性を唱えています。万能ではありませんからまちがいもします。しかし、「障害者」が生きていくうえで妨げになる価値観を排撃し、生きていくための価値観を「健常者」に強いていくことを考えています。

まああまり観念世界のことに縛られないで現実の生きていくうえでの必要を主張しているのです。

「頑張っている『障害者』」という落とし穴にはまらないように、十分に気をつけていきたいところです。

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コメント

鬱病の労働者は、就労可能な者は、生活の必要上、自分が鬱病である事を隠して就労しています。それは、自らが、鬱病である事をカミング・アウトする事によって被る社会的不利益が大きいからです。職場では、「健常者」と同じ様に働き、家に帰れば、横の物を縦にするのも、しんどい生活を送っています。こうした「障害」を持った労働者へ無理解が、自殺者の増大を招いています。他者への無理解に、ほおかむりして労働者の自己解放は、存在するのでしょうか?

投稿:  | 2008年8月12日 (火) 07時08分

僕は病気休職をしていたものだから隠しようもなく、オープンでした。しかし、管理職のみならず周りの労働者のなかにも、一般並みの労働を要求していました。体を動かすにも苦痛があり、仕事は遅くなっていたのですが、周りの労働者は連帯感を示すことはありませんでした。自分より若い者が突っかかってくるのが一番の苦痛でした。

こういうことがなければもう少し長く働くことが出来たかもしれません。

投稿: ゲン | 2008年8月12日 (火) 08時53分

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