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2008年8月 9日 (土)

受け入れること

昨夜は、釜ヶ崎の刑事弾圧に反対する集会があり、行くつもりだったのだけれど、結局行けずじまいでした。ちょっとうつが強かったためです。つらいことです。悔しいことです。でもそういう自分を受け止めるしかありません。受け入れることです。これが簡単なようでなかなか難しいところなのです。「病気」の自分を受け入れることと等しいと思います。それでも、行けなかった事への後悔の念はやはりあります。

「病気」であることを悔いたことはありませんが、その結果について悔いるという気持ちがあることをどう受け入れたらよいのでしょうか。「開き直っていない」ことになるのでしょうか。悔いることは悪いことなのでしょうか。これが二つのスケジュールが重なってどちらかを止めた場合だとしたらどうでしょう。その時にも悔いるでしょうか。

「病気」の自分を受け入れるということは出来てるつもりです。「病気」であることを公開してもいます。その結果として人に迷惑を掛けた場合の開き直りが出来ないということです。人生は難しいものです。

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コメント

健常者によって、「這ってでも、闘争に参加した!」と言う美談が、作られた所に問題が、在るのではないでしょうか!?故・坂田弘子さんの死の問題も、もう健常者の人達は忘れてしまったのでしょうか?

投稿:  | 2008年8月10日 (日) 08時35分

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