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2008年8月 6日 (水)

ヒロシマ

08862 今日はヒロシマに行ってきました。被爆者の体験報告と原発の問題などが話されました。被爆者の体験を生の声で直接聞いたのはおそらくはじめてではないかと思います。もちろんテレビ・新聞・本などでは聞いていたり読んでいたりするので被爆の実態を知らなかったわけではありません。特別番組などは積極的に見ていましたし、資料館も学生のころに行っています。

お話は淡々と話され、その情景が浮かんできました。

今日のヒロシマは暑く、被爆当日もそうだったのだろうと思いました。これは写真などでは伝わってこないことです。08861 被爆者でも、比較的に爆心から離れたところにいた人は「ぴかドン」といい、爆心近くの人は「ぴか」というそうです。ぴかっと光ってからドンと爆風が来る、爆心の人はそれが同時に来たという違いだそうです。講演の米澤さんはいくつもの幸運が重なって命を落とすことがなかったとおっしゃっていました。被爆して幸運というのも変ですが。いくつもの運と不運があったことでしょう。

話は朝鮮人被曝者に及びました。35万人の被爆者の仲には5万人の朝鮮人がいました。植民地支配の中で強制的にあるいは本国では生きていけずに日本に来ていた人たちです。子ども達が疎開するなか、朝鮮人の子供は天皇の役に立てという思想で疎開されなかったそうです。だから被爆した子供たちは多かったし、被爆後も逃げるところがなく被爆地にとどまり、3万人が亡くなっているということでした。1905年の日露戦争で朝鮮を強奪して以来40年にわたる植民地支配の実相がここに現れています。

ヒロシマでの闘いの組織者の話になり、下からの運動ということを重視したので運動が歪められることなく続いたということでした。これは僕たちの運動の組織化にとってとても重要な提起だと思います。

今夜も仕事があったので、金はかかったけど新幹線で行きました。青春18切符というものにも挑戦してみたいものです。それだと10分の一のお金でいけるのです。「病者」というものは何かと金のかかる存在ですね。

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コメント

広島の被曝者運動を組織した方は松江さんというそうです。運動は下から作るものだという事が信条で、広島の運動は大衆の力によって作られていきました。上部団体から運動を捻じ曲げようという試みは何回かあったようです。社会党系と共産党系が合同するという話が上部で進み広島に押し付けられそうになったことがあるそうです。原発を容認することが条件でした。それを跳ね返したのは広島の運動の力でした。僕らの運動にも当てはまることです。上部が誤った方針を出したときに正せる運動でないと、敗北の道に踏み込んでしまいます。胆に銘じたいところです。

投稿: ゲン | 2008年8月 7日 (木) 10時06分

最近、読んだ本に共生に関して、こんな記述がありました:
(今日)求められる共生は「差異あるもの、異質なものへの社会的に平等な、文化的に非排他的な日常生活での関係」にほかなりません。したがって「今日の共生の第一課題は多数者が少数者の文化や生活習慣を排除したり、同化吸収するのではなく、多文化主義に立脚する市民・民衆関係を作り出すことにある。多文化主義は、先住民の権利回復や移民などの国境を越える民衆移動の増大によって必要となってきた社会統合の理念であるが、これからの共生の思想としては、さらにそれを越えて文化の相互浸透、相互影響を歓迎する倫理と思想を醸成することが求められている」と

投稿:  | 2008年8月 8日 (金) 12時43分

つまり、「労働者」「健常者」「一般民」等などの側からの譲歩と歩み寄りが必要だということですね。そこが本気で改革をやるかどうかの分かれ目ですね。労働者の側からの譲歩がないと被差別の人々はなかなか階級的闘いに参加も出来ないものですからね。車椅子の人と話すときには立ったまま見下ろすのではなく、同じ視線になるようにかがみこむという基本もあります。同じ視線になるには労働者が譲るしかない。被差別に歩み寄れと要求するのとの根本的違いですね。

投稿: ゲン | 2008年8月 8日 (金) 17時50分

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