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2008年11月 6日 (木)

怒りネット通信第37号

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怒りネット通信
2008年10月23日 第37号
<怒っているぞ!障害者きりすて全国ネットワーク>

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■もくじ
・「契約」から地域生活を保障する「措置」へ
・「障害者差別禁止法」に対する意見書
・障害者職業センタ-の職員の対応
・大田区・移動介護32時間削減問題の近況報告
・鈴木さんの東京都への申し入れ行動報告

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●もうやめようよ!障害者自立支援法 10・31 全国大フォ-ラム に集まろう!
 10月31日(金)12時 日比谷野外音楽堂
 ◎怒りネットは、11時クレオ(霞が関の弁護士会館)ロビ-集合

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「契約」から地域生活を保障する「措置」へ
古賀 典夫

 「支援法」成立から3年がたちました。現在、「支援法」の付則に明記された3年後の見直し時期になっており、政府はこの秋にも改定案を示すとしています。「支援法」の実体が分かれば分かるほど「撤廃しよう」の声は、ますます障害者の間で広がってきています。今年は10月31日に日比谷公園で「もうやめようよ!障害者自立支援法、全国大フォ-ラム」が行われます。ここにみんなで集まって「支援法」への怒りを国にぶっつけてゆきましょう!

●「支援法」のもとで障害者は生きてゆけない!

 応益負担を課すこの制度は、障害が重く介助が必要な人ほどお金が取られます。政府は「就労を促進することで所得保障をする」と言いますが、重度の障害者ほど働くことは困難です。それでも厚労省は、「福祉でも買うことが当然。だから1割負担は当たり前」と言います。買えない人がいてもかまわないとの姿勢を示しました。
 地域での介助制度には、どんなに重度の障害者でも国は数時間の介助保障しか行わない国庫負担基準を決めており、家族などの介助を前提としているのです。その結果、家族も働くことは困難となります。
 「重度訪問介護」など、長時間の介助を必要とする障害者の介助制度については、報酬単価が低く抑えられたため、引き受ける事業所が極めて少ない状態になっています。事実上利用できなくなっています。そこで働くヘルパーの賃金も低くなり、辞めていくヘルパーもあり、ますます困難な状況が強まっています。

 また「支援法」は、ヘルパーの中にも分断を行い、「3級ヘルパー」やこれまでの介助実績によってヘルパーとして働く人の介助には、報酬を30%削減する政策を採っています。市町村が認可する小さな事業所についても、15%報酬を削減しています。そのため、これまでの介助者を失いかねない危機があります。
 この資格制度は、障害者が介助者を得ることを困難にしています。また、お仕着せの講習の内容を、障害者の個性や意向を無視して押し付ける結果ともなっています。
 相談事業、移動の介助、コミュニケーションの支援など多くの福祉がますます財政的に不安定な制度におかれてしまっています。
 報酬単価や補助金を極力削減する政策の中で、福祉労働者の生活もますます苦しくなっています。

 さらに「支援法」は就労の推進に力を入れる、ということを掲げてきました。そのため、一般就労を目指す者、福祉制度の中で雇用契約を結ぶ者、福祉的就労、それ以外、と能力別に選別する制度を作っています。法外の小規模作業所もこうした分断体制の中に組み込もうとしており、地域の人間関係がばらばらにされようとしています。一般就労は、不安定雇用、低賃金が多く、短期間で辞める人も多いのが現状です。

●「支援法」をどう変えることが必要なのか
                                    
 「支援法」が成立する中で、次々と心中や子殺しが起こりました。福祉制度を利用できなくなる人もでました。3年後見直しにあたって、いま何をどのように変えることが求められているのでしょうか。もちろん「支援法」の撤廃です。ただ、その中身が問題です。衆議院選挙が近づくなかで民主党の議員も「支援法」の見直しではなく廃止をかかげはじめました。「障害者権利条約の批准をみとおし、障害者が大半を占める審議会で新たな福祉法を検討する」「総合的福祉法を制定する」というのがその内容です。しかし介護保険制度に賛成し、今も介護保険は廃止しようとしていない民主党のことですから「新たな福祉法」や「総合的福祉法」が同じ契約制度のレ-ルの上で構想されている可能性は大きいと思われます。
 でも必要なのは、契約制度の廃止なのではないでしょうか。「支援法」の悪い所をあげれば山ほどありますが、なんと言っても一番悪いのは「措置から契約へ」の制度の転換の中で、福祉を国が保障するものから、金で買うものに変えてしまったことです。買った人が支払うのは当然、払えるような所得は働いて稼げというこの制度の考え方です。障害者の生活を保障する国の責任は放棄され、すべては自己責任にされてしまいました。「支援法」の様々な問題点は、この契約制度という制度の根幹にもとづいています。「支援法」の廃止とは、契約制度の廃止でなくてはならないと思うのです。
 国は「措置から契約へ」を掲げて契約制度を導入する時に、それが「施設から地域へ」でもあるかのようなことを言ってきました。「支援法」が障害者が安心して地域で暮らせる制度だと宣伝してきました。でも「支援法」が成立してからの3年間に明らかになった実態は、それがウソだったことを示しています。
 そもそも障害者は30年におよぶ地域自立生活運動をとうして、国に障害者政策の「施設から地域へ」の転換を迫り、措置制度を障害者を隔離する制度から、地域で生きることを保障する制度へと改革してきたのです。そのなかで「全身性介護人派遣制度」や生活保護他人介護料、とくに大臣基準の広汎な適用などが勝ち取られてきました。こうした改革の途中で措置制度そのものが廃止され、契約制度に変えられてしまいました。しかし全身性介護人派遣制度のような「地域自立生活を保障する措置制度」を「身体障害者」「知的障害者」「精神障害者」をはじめすべての障害者にひろげ、必要な人に必要な介助がゆきわたるようにすることが求められています。
 必要なのは「契約から措置へ」の転換です。そして措置制度を地域生活を保障する制度へと改革を進めてゆくことです。「支援法」撤廃の中身を、そういうものとして勝ち取ってゆきましょう。

●民衆の生活を保障しない政府はいらない!

 憲法では、政府などが民衆の生活を保障し、社会保障や福祉を増進させなければならないことが規定されています。にもかかわらず、実際に政府が行っていることは、社会保障や福祉を切り捨てることであり、ワーキングプアを拡大させることです。そして、「脳死」を人の死としていくことや「尊厳死・安楽死」を推進することなど、命の切り捨てさえ推し進めています。どんな政党が政権につこうが、こんな政策を推し進めるのであれば、そんな政府はいりません。
 こうした政策を新自由主義の下で、進める政府や政治家、財界関係者は、さらに改憲をも狙っています。自衛隊を正式に日本軍として、軍備増強と海外派兵をいっそう推進める一方で、そうした政策のために一切の人権を抑圧する内容に憲法を変えようとしているのです。法的には、再来年5月以降には改憲の発議ができるようになっています。だから、選挙では改憲や新自由主義を支持する立候補者は絶対に落とさなければなりません。国益を強調して、侵略のための給油をはじめ、あらゆる海外派兵を正当化する人々の当選も阻止しましょう。

  障害者自立支援法の撤廃をかちとろう!
  共に地域で生きあえる保障をかちとろう!
  10月31日に日比谷に結集しよう!

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「障害者差別禁止法」に対する意見書

政策研「障害者差別禁止法」作業チーム 様

日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会
会長 金子和弘

 今回政策研作業チームがつくった「障害者差別禁止法案」をDPIが国会に出す事について、その努力には敬意を払います。しかし全国青い芝の会として長年運動を行ってきた立場から、疑問と危惧を感じておることも事実です。
 それは、まず私たち全国青い芝の会としての差別の捉え方の問題があります。 障害者なら誰もが差別を受けたくないし、したくはないと思うのは当然です。私たち脳性マヒ者は幼い時から「本来あってはならない存在」とされ、社会的にも親兄弟からさえも一人の人間として扱われず、「可哀想な者」「そこに居ては困る者」という両方が矛盾する表裏一体の健全者意識の中で、様々な制限を加えられた「配慮」を強いられ、人間らしく生きる事を奪われ、多くの仲間が親の手によって殺されるというような酷い差別を受け、それと闘い続けてきましたが、その中で感じる事は、差別は単に社会状況から生まれるものではなく、人間が生まれながらにして本能的に持っているものであり、それを人類の歴史の中で何の疑いも無く当然であるかのように人々は受け入れ、差別構造社会が形成され、今の優生思想や能力主義が蔓延する社会が出来上がってきているのだと考えます。

 そういう現実において、おそらく今の日本の中で「自分は差別をしています」なんて言う人はあまりいませんし、大多数は無関心な人だけです。
 このような社会の中で、国に国連の権利条約を受け入れさせる法整備の一環として、「障害者差別禁止法」を成立させようとしていますが、どんなに立派に「障害者差別禁止法(市民案)」を作ってみても、国会の修正協議の過程で、形を変えられ、権利条約の中にある「合理的配慮」が逆に利用され、たとえ私たちから見て差別だと思えるものであっても「不合理的」な主張であると見なされてしまう危険性が大いにあります。そして、もし国会を通る事になれば、法律である以上、法的に制度的に「してはいけない差別」と「しても良い差別」が作り出されると考えるのが当然です。それを役所や役人が決めていく事になると思うのです。だから優生思想の差別性がどこにも記されていない事についても危険性を
感じます。
 その結果、どういう事が起こるのかというと、障害者に競争の原理を根付かせ、社会に役に立つ者だけを受け入れ、そうでない者を合理的配慮の名の下に社会から排除し重度障害者の自立生活は妨げられ、尊厳死や安楽死の法制化につながるという形ができあがってしまうのではないでしょうか。
 つまり「差別禁止法」を作ることは、差別の合理化を図る事だと考えるし、「自立支援法」などが有る限り当然そのような状況にならざるをえないでしょう。
 アメリカのADA法が作られて10年、今、アメリカの障害者たちは本当に喜んでいるでしょうか。安楽死や尊厳死が強要され、多くの障害者が殺されていっています。そして生活に困難していると聞きます。やはりあのADA法は「傷痍軍人」に市民権を与えるためだけのものだったというしかないように思えます。その流れを汲む差別禁止法であるならば、私たち全国青い芝の会は大きな危惧を感じざるをえません。
 今、私たち障害者自身がやるべきことは、差別から逃れようとせず、差別を受けている現実を社会や国に訴えていく事であり、多くの市民一人一人に障害者への差別性を語りかけていくことではないのでしょうか。
 以上の理由をもって、この「差別禁止法」を国会に出すのは慎重に慎重を期すべきであると考えます。
 これは長年にわたり障害者差別と闘ってきた本会としての忠告と受け取っていただきたいと思います。
2008年9 月28日

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厚生労働省の外郭団体『障害者職業センタ-』の職員の対応

 2003年・平成15年秋、私はパートで勤務していた東京都にある大手スーパーの店内にあるスーパーの完全子会社、A株式会社で労災に遭いました。この会社には障害を隠して就労していました。障害者職業センターで私を受け持っていた職員のBさんにお電話で、何回か相談したら、「会社が労災と認めてくれていれば、それで何も問題ないじゃないでしょうか?」で片づけられ、しかも労災で仕事が出来ない期間中に貰える可能性がある、『休業補償』について何もB職員は教えてくれなかった。仕事が出来なくて休んでいる間に、今後の会社内で人間関係や置かれた立場や『休業補書』について不安になり、助言を受けたくて、障害者職業センターに、まずは『休業補償』について教えて欲しくて「社会保険いて詳しく教えて欲しい。社会保険労務士を紹介して下さい」と、お電話でお願いしたが、突き放すように「センターとしてそれは出来ない。会社が労災を認めてくれているから、それだけで良いと思います」で片づけられた。労災で通院したのはC病院です。
 酷い会社で、仕事が出来なくて休んでいる間は、休業補償はおろか有給休暇も取れなかった。
 会社はパートに対して、2003年・平成15年秋頃から無理なシフトを組んで、いつも1日1時間を超えるサービス早出出勤を強制。いつもサービス残業も当たり前。4、5時間働いても3時間分の給料しか出さない。その労働環境をB職員は「今は障害者求人が少ないから、新しい仕事を見付けるのは難しいから、仕方がない。今の会社で適応できているから今の会社で働きなさい」という意味の発言。B職員は障害者の酷い労働環境を平然と黙認。この勤務先には居づらくなり、2004年・平成16年2月一杯で退職。 2004年・平成16年3月、障害者職業センターが発行する『センター判定・知的障害』を利用して、D産業にパート従業員として障害者雇用で入社。週5日勤務で拘束時間は9:30から17:30、休憩時間は60分と15分が2回で計90分。拘束時間から休憩時間を差し引きすると、週の所定労働時間は32.5時間になりますが、いつまでも健康保険や厚生年金に入れてくれませんでした。
 人間関係や仕事で悩んだことがあっても、B職員は、「センターとしてはそちらの就労には関わっていませんから」と言われ、相談に乗ってくれませんでした。
 在庫過剰により仕事が少なくなり、私も含めた多数のパート従業員に対する2004年・平成16年12月2日から翌年1月17日に渡って行われた『一時帰休』か『一時解雇』(この時、会社が行ったのが『一時帰休』か『一時解雇』かのどちらかについては記憶が曖昧)が行われ、不安になりB職員に相談したら、「会社が決めたことだから、仕方がない」で片づけられてしまいました。なお、B職員は、『一時帰休』と『一時解雇』との違いや制度によって適用される労働法や社会保険制度が異なることも全くご存じでは無いようでした。D産業は、2005年平成17年2月で退職。
 2005年・平成17年春頃、障害者職業センタ-で受付の前にあるロビーでB職員さんにお目にかかったら、「(D産業よりも)前のAで働いていた方が良かったと思いますよ」と、不可解な発言。AやAに限らず、私の勤務先の待遇や勤務先で置かれた状態についてきちんと実体把握をなさる意志能力が欠落されていたことが言動で読みとれた。

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大田区 障害者移動介護32時間削減問題 近況報告
鈴木敬治

 東京・大田区で移動介護を利用して暮らす全ての障害者が、移動介護を全員一律32時間に削減されたのは、4年前の4月のことです。
 私、鈴木敬治は、大田区で生まれ56年間大田区で暮らしてきた重度の脳性麻痺者です。
 04年の3月までは月124時間の移動介護を使い生活していました。障害者自立生活運動に飛び込み独り暮らしを始めて26年になります。
 04年の4月に、私ももれなく移動介護を32時間に削減されました。大田区は一方的に32時間に削減した支給量決定通知書を自宅に送りつけてきました。
 こんなこと絶対に許せないと思い、大田区ととことん闘う決意を固めたのです。
 それから4年半以上経つ現在も闘いは続いています。大田区がなんら変わろうとせず、実際なんにも変わっちゃいないからです。
 僕の闘いは、大田区の障害者仲間だけでなく、全都全国の障害者・支援者の仲間に支えられてきました。
 僕は、そのことに深く感謝しています。皆さん本当にありがとうございます。
 支援して下さった皆さんに、最近の状況を以下にご報告いたします。
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 06年11月29日に東京地裁で実質勝訴の判決が出た後、大田区は、判決逃れのために、昨年1月12日に移動介護 月90時間の決定を、勝手に送りつけてきました。
やはり大田区はこちらには何の相談もしませんでした。
 僕はもちろん、移動を(90時間なんかではなく)元の124時間に戻せと言い続けてきました。大田区は判決後、姑息な事に、06年12月28日「移動介護要綱を32時間上限から32時間標準に書き直す予定である」と報道に発表しました。僕はその事を翌日の新聞で知りました。
 07年4月には大田区役所前で、この移動介護削減問題の解決を要求する集会を、全国の障害者の賛同のもとやりました。しかし、大田区はこれを無視しました。
更に07年7月には新区長との直接交渉を求める要望書提出をやりました。しかし、新区長はこれをも無視しました。
 一方、僕の暮らす地域を担当する大田区北センター長との話し合いは続けられました。
 僕は「判決逃れの大田区32時間要綱の『標準』への言葉だけの書き換えなんか認めない」と言い続けてきました。さて、この交渉の中で北センター長は、「移動32時間標準の要綱」については、大田区本庁の障害福祉課長を同席させ、見直しの為の話し合いの場を作ると「約束」しました。しかし注文が多く、僕が東京都に行った、大田区の移動介護削減処分に対する不服審査請求を取り下げて欲しいと言ってきました。さらに見直すのは重度(障害者)訪問介護だけで、視覚障害者、知的障害者の移動介護については見直すつもりはないとも釘を刺してきました。
 ところがおかしな事に、この「約束」は未だに果たされる気配がありません。
何故なんでしょうか。実は、この大田区の「要綱見直し約束」が始まりもしない08年4月22日に、今度は東京都が、これまでの4年分の溜まりに溜まった不服審査請求の全てを全面的に却下したのです。それは東京地裁の判決内容をも踏み越える代物でした。大田区の下した判断と処分は妥当だったとして、鈴木の不服は認めないと却下したのです。これで、お墨付きを得た大田区は形勢逆転と考えたか、その後「約束」の話し合いを始めるそぶりすら見せないのです。全く困った奴らです。

 しかし東京都も本当にくせ者です。4年分の僕の不服審査請求をずっと放置しておきながら、機を見計らって一気に不服を却下したのです。これに対しては、もちろん黙っているわけにはいきません。東京都へは、7月24日に、大田区の障害者仲間のみならず全都の仲間の応援も得て、抗議申し入れ行動を行いました。
この不服却下の理由を読むと、東京都は、当事者である私達大田区障害者の話は一切聞かずに、大田区の話だけを聞き取り、しかも大田区の説明するデタラメな誤った事実に基づいて裁決を下した事が分かります。
 東京都は、大田区障害者の移動介護量削減という不当な大田区の処分を追認し、そして私の不服審査請求を却下したのです。こんなこと絶対許せないので、私たちは抗議の声をあげ、東京都に対し申し入れ行動を行ったのです。
 この7月24日の申し入れに対応した東京都の障害者自立支援課課長の弁明は、大田区の肩を持つものでした。分かってはいましたが、やはり正直あきれかえってしまいました。
 もし、この東京都の弁明が、まかり通ってしまうならば、東京都内の全てで同じように介護量削減がなされても認められることになってしまいます。これは何としても許すわけにはいきません。
 今や、大田区に始まった移動介護削減問題は、全都全国での介量削減をも容認させかねない重大な局面をむかえていると思うのです。
 僕は、これらの現状を踏まえ、この先、まだまだ闘い続けます。
 障害者が当たり前に地域で生きていく為には、こちらから、当たり前の要求をたて、闘いを進めていかなければダメだと思います。闘わなければ悪くなるばかりで何も変わりません。これからも僕は、地域で共に生きる障害者と一緒になって闘い続けます。そして全都・全国各地の仲間と力を合わせて、共に闘い続けます。
 皆さん、どうか、これからも、僕の闘いへの注目と支援をよろしくお願いします。

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大田区の鈴木さんの東京都への申し入れ行動報告
渡辺 博

 大田区の鈴木敬治さんの移動支援削減との闘いは、06年11月の「介助時間の急激な削減は違法」という実質勝利といえる判決を勝ち取りました。この判決を受けて大田区は鈴木さんの移動時間を月32時間から90時間へと増やす決定をしました。しかし、鈴木さんが一貫して要求している、原状回復(月124時間)はあくまでも認めようとしない態度に終始しています。鈴木さんはこの大田区の決定を不服とする東京都への不服審査請求を行いました。

 この不服審査請求は、今年の4月22日に不当にも却下されました。しかも、この却下の理由がまったく許しがたいものなのです。鈴木さんは、一貫して、月32時間に減らされた移動介助を月124時間の元の支給量に原状回復せよと求めてきました。行政訴訟の判決でも「大田区による移動時間削減は違法」と指摘されました。この判決を受けて大田区は昨年1月に移動介助を90時間とするという決定を一方的に通告してきたのです。その後も、大田区との間で、124時間に原状回復するよう交渉を続けてきたのですが、大田区は、いっこうに解決しようとしません。このような大田区の態度の違法性を不服審査として都に訴えたのです。ところが、都の審査委員会は、「32時間から90時間への変更は本人に対する不利益な変更ではない。したがって、不服審査請求の条件にはあたらない」として却下決定を行いました。でも、これは絶対におかしい!こんな論理が通用するなら、自治体が介助をはじめとした障害者支援を削減したいと思えば、たとえば、50時間の介助時間を20時間にいったん減らした上で今度は25時間に増やす。現実には、支給量が半分に減らされたのに行政は、20時間から25時間に増やしたのだから障害者の不利益ではないとして支給量の削減に歯止めがかからない事態を「合法なもの」にしてしまいます。東京都が鈴木さんに対して行った今回の却下決定がまかり通れば、今でさえ、障害者の側がほとんど勝利することのない不服審査制度自体がまったく意味のないものになってしまいます。そうした事態を招かないよう徹底した反撃が必要だと思います。
 今回の却下決定のもうひとつの問題は、事実にもとづかない判断がされているということです。大田区は、06年の行政訴訟判決で違法性が確定した移動支援上限月32時間という規定を変更しようとしていません。ところが、都の聴取には「希望者には32時間を超えて移動支援を見とめている」とウソの回答をしたのです。都は、わざとかうっかりか、これを鵜呑みにして大田区は障害者の要求にきちんと対応しているから鈴木さんの訴えには根拠がないと言っているのです。しかし、現実には、32時間を超えた支給を求めている視覚障害者の申請をことごとくはねつけているのです。
 こんな決定を絶対に許してはなりません。
 「取り戻す会」は、この東京都の決定に対して、7月24日、10月9日の2度にわたって都庁に赴き、申し入れと交渉を行いましたが「不服審査決定についてはお答えできません」の一点張りです。そのあげく、10月9日の話し合いでは「決定に不服があるのなら裁判で争えばよいでしょう」と開き直る始末です。
 今鈴木さんは、大田区とこの東京都の却下決定に対して、第2次の行政訴訟を闘う決意を固めています。10月22日、東京地裁に訴えを起こす準備を進めています。この闘いを支援し勝利しましょう。

●ちょっと一言

 さて、話はまったく変わりますが、「差別禁止法」の制定を要求する動きに対して、さまざまな疑問や批判が、この通信紙上も含めて論じられています。私は、あらためて「障害者差別」についてどのように考え、とらえたらよいのだろうかと考えさせられました。
 一方では「障害者と健常者が交流を積み重ね、理解が深まれば差別は自然になくなる」と考え、実際にもそうした試みを続けている人たちがいます。他方では「誰かを差別するという感情は人間の本能であり、どんなに努力しても、時代が変わってもなくならない」と考える人たちもまた多いのではないかと思います。差別の現実を厳しくとらえ、深く問いなおそうとする障害者のなかに後者の意見が多いように私には思えますし、その姿勢に強い共感を感じます。そのうえで、私の考えを少し書きたいと思います。

 結論から言えば、障害者差別に限らず、部落差別や女性差別、在日朝鮮人などあらゆる差別は今の資本主義社会の下で新たに生み出され、労働者民衆を分断し、対立させ資本家による人民支配を維持するためにことあるごとに持ち出され、煽り立てられてきたと思います。もっともわかりやすい例は、精神障害者の起こした犯罪をことさらに取り上げてマスコミなどを使って「精神障害者は危険で怖い」という差別意識を繰り返し煽動している事実を考えれば明らかです。もちろん、差別は資本主義が生まれる前からありました。しかし、資本主義が発展するにしたがって資本主義以前とは比べものにならないくらい差別は激しくなり、ついにはナチスによる障害者の大量虐殺にまでいきついたのだと思うのです。こんな事態は資本主義以前には想像することもできないことでした。「戦後は、世界が民主化されて障害者抹殺など考えられない」と考える人たちもいるようですが、それは絶対に間違っています。「脳死」、「尊厳死」や出生前診断などはナチスの優生思想と同じ発想にもとづいていることは間違いありません。

 では、差別は絶対になくすことはできないのかと言えば、そうではないと思います。人間は、本質的にお互いに協力し、助け合って生きている存在です。ところが、資本主義の下では資本家のためにどれだけ利益を生み出すことができるかで人間の価値が決まり、したがって、利益を生み出さない障害者は資本家にとっては人間としては認められないのです。だから、差別が生み出され、抹殺の対象とされるのです。私は、障害者の解放にとって、この間違った社会を土台からひっくり返すことが一番大事だと思います。資本主義以前もふくめ数千年の歴史をもつ差別が、一瞬になくなるとは言えませんが、支配する人も支配される人もいない、人間があるがままの姿で生きていける社会を作り出すことによって差別の土台をなくし、そして差別そのものをなくすことができるのではないかと考えて
います。
 この、差別のとらえ方にはいろいろな意見があると思います。折にふれて意見交換しながら、もっともっと深めていきたいと思います。

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