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2010年2月

2010年2月28日 (日)

三里塚裁判傍聴記 

反対同盟と弁護団は最後まであきらめなかった。まず仲戸川の忌避申し立てを行なった。忌避を民事3部にかけたところ仲戸川自身が5部に引き取ってただちに却下。理由も言わずに忌避申し立ての濫用だというのだ。

10時52分、裁判が開始されるとすぐに葉山弁護士をはじめとしてすべての弁護士が口頭弁論再開を求めて意見陳述。北原事務局長も陳述を行った。

 8.9坪も対象を拡大しながら弁論を拒否することの不当性。井戸を残すことは石橋との間で確約したことだ。建物とは別個の権利がある。反論の保障がないままの結審は納得できない。木造の建物は家屋番号の付いた登記された建物だ。その木造の建物は現存している。現場検証をすれば明らかになる。石橋への反対尋問を何度も求めているのに与えられない。嘘の陳述が判決の根拠となる。

 裁判官が裁判を破壊している。空港闘争の破壊のために起こされた裁判だ。司法の独立といえるのか。公平らしさと言えるのか。訴訟指揮権の濫用だ。国策をこの場で宣言するだけで裁判とはいえない。弁論再開の申し立てに応答せよ。地裁前のデモ行進の声を聞け。

 北原反対同盟事務局長が陳述。何回も現地調べをお願いした。なぜ現地調べをしないのか。一方的裁判で裁判といえるのか。片寄った判決としか言えない。これは裁判とはいえない。現地調べからやり直してください。真実は一つです。裁判をやり直してください。

 仲戸川ら裁判官は暫時合議するといって後ろに消えた。20秒もたたないうちに戻ってきて、合議の結果弁論を再開しないという。10秒足らずの間に合議したというのか。

 判決主文を読み上げる。怒号のために良く聞き取れない。「一切を明け渡せ」という判決だ。市東さんが仲戸川につかみかからんがばかりに抗議。法廷は怒号につつまれた。

しばらくみんなその場に留まった。仮執行があれば抗議するためだ。衛視が裁判は終わったから出てくれと繰り返す。弁護士が傍聴席に「仮執行宣言は無し」と伝えた。それを聞いてみんな一安心して法廷を後にした。

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2010年2月26日 (金)

三里塚闘争千葉地裁判決

2月25日、千葉地裁で成田空港会社(NAA)が三里塚芝山連合空港反対同盟を相手に起こした、誘導路(航空機の地上通路)をへの字に曲げている空港敷地内の天神峰現闘本部の撤去を求める裁判で判決があった。反対同盟に「一切を明け渡せ」というもの。NAAが求めていた仮執行宣言はつかなかった。仮執行とは判決の確定を待たずに撤去する強権発動。1002251 1002252

判決では反対同盟が地権者と契約したという覚書などがないことなどが理由とされた。

しかし、もとからある木造の建物は、反対同盟の所有として登記されたものだ。NAAはその後に行なわれた外側を覆う工事で木造の建物は消滅したと主張した。反対同盟は外壁工事は木造建物を保護する目的で行なわれたのであり、木造建物は現存すると主張している。

普通の裁判ならここで現場検証が行なわれ、どちらの主張が正しいかを確定するところだ。ところが仲戸川隆人裁判長は反対同盟の要求する現場検証を拒否した。そのため、裁判官忌避が最高裁まで争われる事態になった。仲戸川裁判長の片寄った訴訟指揮は他にも、NAA側の証人に対する反対尋問を認めなかったり、NAAが結審間近になって、8、9坪も対象物を拡大したのに反論する機会を与えなかったりと、常軌を逸している。

航空政策と軍事目的なら、農民の生活を破壊してもよいとする成田空港問題の間違いを裁判という形式でも貫く国策裁判だ。反対同盟はただちに控訴した。

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この日反対同盟と支援は、平日昼間にも拘らず385人結集した。

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2010年2月23日 (火)

障害者の定義を「社会モデル」へ―制度改革推進会議 2月2日

内閣府は2月2日、「第2回障がい者制度改革推進会議」を開催し、障害者基本法の在り方について法改正を視野に議論した。

障害者の定義については、障害者が困難に直面する原因を個人の心身の機能に求める「医療モデル」ではなく、障壁を取り払うための努力を社会の側にも要請する「社会モデル」の考えなどを盛り込むことなどが指摘された。

 今回は障害者基本法について、▽基本的性格▽障害の定義▽差別の定義▽基本的人権の確認▽モニタリング▽障害者に関する基本的施策▽その他―の7項目に分けて議論した。

 障害者基本法の基本的な性格については委員から、障害者を保護される客体ではなく、権利の主体として位置付けるべきとの要望があったほか、障害があっても地域社会で差別を受けずに暮らせることが必要との意見が出た。

 大谷恭子委員(弁護士)は、法改正においては障害者基本法の基本理念を示し、障害者の権利を明示した「権利章典」としての性格を持たせることが不可欠とし、各政策に対する「親法」として、拘束力を持たせる必要があるとした。

 障害の定義については、「医療モデル」ではなく、「社会モデル」の考えを盛り込むといった意見が多く見られた。また、現在の定義が狭いことから、難病や発達障害などが障害として認められない「制度の谷間」があるとの指摘もあった。清原慶子委員(東京都三鷹市長)は「多様な障害のある方を包含できるような、包括性が求められると思う」と述べた。 

また、差別の定義については、障害者基本法の3条3項で「何人も、障害者に対して、障害を理由として、差別することその他の権利利益を侵害する行為をしてはならない」と差別の禁止はうたっているが、差別の定義はなく、法規範性があいまいとの指摘があった。 

法改正でも、差別を定義し、「直接差別」「間接差別」「合理的配慮を行わないこと」の差別の3類型が含まれることを明記すべきとの意見が出た。

 障害者権利条約の批准後、同条約の実施状況の監視などを行うモニタリング機関の設置案が、上部組織の「障がい者制度改革推進本部」で示されているが、人権機関設置のためのガイドラインである「パリ原則」がモデルになるといった指摘や、独立的な機関に人権の保護や促進のための調査権や勧告などの権限が付与される必要があるなどの意見もあった。

 次回会議は15日に開催され、「障がい者総合福祉法」(仮称)をはじめ、障害者自立支援法や障害者の雇用などについて話し合われる。今後は隔週のペースで開催される予定だ。

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障がい者制度、改革会議が初会合 障がい者や家族も参加 1月13日

障がい者制度、改革会議が初会合 障がい者や家族も参加
2010年1月13日0時36分

障がい者制度改革推進会議の初会合。障害のある人も参加して、新しい制度構築に向けた議論が始まった。

 障害者自らが制度作りに参加する政府の「障がい者制度改革推進会議」の初会合が12日開かれ、今夏をめどに制度改革案の骨格を示すことを決めた。障害者の差別を禁じた国連の障害者権利条約を批准するための国内法整備を目指す。政権交代で廃止が決まった障害者自立支援法にかわり、福祉サービスの利用者負担を決める制度の論議も本格的に始まった。

 改革推進会議のメンバー24人のうち14人は、障害のある人やその家族ら。福祉サービス利用の際に原則1割の自己負担を課す自立支援法などが当事者不在でつくられ、強く批判されたことから、障害者らが主体的に制度構築に参加する態勢とした。

 この日の会合では、障害者施策を担当する福島瑞穂・内閣府特命担当相が「改革の具体的な検討を進めていくための、いわばエンジン部隊」と会議を位置づけた。

 そのうえで福島氏は、障害者施策の基本理念を定めた障害者基本法の抜本改正▽障害者自立支援法に代わる障がい者総合福祉法(仮称)▽障害者差別禁止法制――の3点について、夏までに骨格を示す方針を提案した。いずれも障害者権利条約の批准に必要だとして障害者団体などが対応を求めていたものだ。

 最終的には会議の方針を踏まえ、全閣僚でつくる「障がい者制度改革推進本部」(本部長・鳩山由紀夫首相)を経て、基本方針を閣議決定する考えだ。同本部では、当面5年間を改革の集中期間として、関係省庁の施策の見直しを進めていく。

 同会議で議論すべき課題は山積している。この日は、事務局トップで障害がある東俊裕・同会議担当室長=内閣府参与=が大枠の論点を示した。その内容は、「障害」や「差別」の定義をどうするのかといった根本的な問題から、虐待の通報義務者の範囲など具体的なものまで約100に上るという。

 一方、障害者自立支援法を廃止した後の新制度のあり方では、同法の違憲訴訟の原告団らと厚生労働省が今月7日に合意した基本文書に論点が盛り込まれた。原告らの(1)市町村民税非課税世帯には利用者負担をさせない(2)介護保険の優先原則を廃止(3)実費負担の早急な見直し――などの指摘をもとに、厚労省が利用者負担のあり方などを検討することが明記された。ただ、厚労省で進める検討と推進会議の議論との役割分担は明確ではなく、今後の意見調整が課題だ。

 今後は月2回程度の協議を予定している。初会合は会場の都合で一般傍聴が認められずに障害者団体から批判が出たことから、毎回、会議の模様をインターネットで配信して公開していくことも確認した。

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2010年2月22日 (月)

~障がい者制度改革推進会議、第3回行われる~

「地域社会で生活する権利」を権利規定に盛り込むことを大方の委員の合意となった。

 2月15日(月)午後1時から3回目の「障がい者制度改革推進会議」が内閣府で行なわれた。

この日は障害者自立支援法に替わる総合福祉法制に関して活発な議論が交わされた。

障害の定義については社会モデルとしていき、ニーズに基づいてサービスを給付すべきだとの意見が大多数であった。ただ、社会モデルについて委員の間でイメージが一致していないのではないか、とする指摘もあった。また、聴覚障害関係の委員からは、基本法では社会モデルによる定義で行うべきであるが、総合福祉法においては数値的なものをおとしこむことにより、現実的なものとなってくるという意見もでた。

 さらに、自立の定義については自己決定という意味合いにしていく方向性の議論となったが、それは支援を前提とする自己決定であるというのが大方の意見の一致したところであった。一方、自分自身で行うことがいまだもって自立とされている社会的な意識の中で、自立という言い方をしなくてもいいのではないかという意見もあった。さらに自己決定を自己責任論と絡めた議論もあった。

他省庁が勝手に障害者関係のものを議論していく中にあって、この推進会議がどういう位置付けとなっているのかという質問もでた。それに対して福島大臣は「他省庁に目配せをさせながらやっていきたい」と発言した。それに対して目配りをするだけではなく、きちんと指示を出して欲しい、他施策、たとえば、女性の政策の中に障害という視点が盛り込めるようにして欲しいという意見がでた。

 支援決定プロセスについては本人中心で行うことがおおよその方向性となったが、それは「ケアマネジメント」というのか、「セルフマネジメント」というのかなどの概念の在り方については今後の議論となった。

地域生活移行への法定化についてはおおくの委員が賛成し、「施設がなぜ必要とされているのかという原因を探ることが重要。待機者がいるが、地域基盤がつくられればなくなっていく」という意見も出された。

精神障害者の社会的入院・地域移行を進めるにあたっては、精神障害者の保護者制度をなくさなければならない、とする発言も出された。

ニーズに基づくサービスがきちんと行われれば、たとえコストがかかっても、人々の納得を得られるという意見もでた。さらに、聴覚障害のコミュニケーション事業については広域・集団的派遣も必要で個別給付にはなじまないという意見も出された。

利用者負担のあり方については、応益で行うことにほとんどの委員が賛成ではないとした。

医療に関しては、医師が障害者についての知識が乏しすぎ、啓発の必要性が訴えられ、また精神科病院を大幅に少なくしていき、地域医療へと移行させていくことが何人かの委員から指摘された。

さらに、国庫負担基準をなくしていくことが、論点整理の中で出された。

この日の会議は、時間がなく、予定されていた「雇用」については、次回での議論となる。

緊急性の高いものについては、予定よりも早く部会を設置することとなり、総合福祉法の部会が設置されることとなり、部会員の選任については、議長団・政務三役・内閣府の東室長らで、調整されることとなった。

次回は3月1日(月)午後1時から。議題は、雇用、差別禁止法制、虐待防止法、政治参加など。

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2010年2月19日 (金)

バザーリアの改革【1】改

最近、イタリアのトリエステ県での精神医療改革を描いた本を読んだ。「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」というもので大熊一夫が書いている。岩波書店より昨年10月に発行されたものだ。大熊一夫といえば、1970年ごろに「ルポ精神病棟」を書いた元朝日新聞の記者だ。この本に対する評価は二分されていたのを思い出す。当時世間は知らないことになっていた精神病院の闇を明るみに出し、世間も知らないことには出来なくなった。と言っても「世間」の人はもともと精神病院が悲惨なところだということは知っていた。精神病院での患者殺しは時々には報道されていたからだ。しかし、「世間」は知らないことにすることで肩に荷を背負うことを免れていた。それを大熊の本は明るみに出して、「世間」も逃げ隠れできなくなったのだ。そういう積極的なことを正当に評価する人は多かった。

片方で、このルポは「アルコール中毒」を装って、中くらいに悪い(良い)精神病院に入院したことを書いたものなのだが、大熊は1週間しか入院に耐えられなかった。精神病院の環境がもともとなかった拘禁性の精神病をもたらすものであることがあり、大熊も一週間でこの限界点に達した。もしそれ以上入院していたら彼は本物の「精神病者」になっていたことだろう。大熊は命からがらそこから救出された。しかし、たった一週間で何がわかるかという批判があったことも事実だ。また、「健常者」だから「世間」が評価したのであり、もし「精神病者」が同じ本を書いてもそのような評価は受けなかっただろうという批判もある。

ルポ精神病棟はこのような評価を受けていた本なのだが、今回のイタリア精神病院のルポも評価は二分されている。といっても、評価の二分をもたらしているのは大熊の責任ではなく、イタリアの精神医療に対する評価が二分されていることの反映だ。

大熊の本の欠陥は、肝心要の「精神病者」の声が聞こえてこないことだ。「ルポ精神病棟」でもそうだったのだが、大熊にとっては「精神病者」は客体であり、お客さんであり、闘う主体とは捉えられていないのだ。

イタリアの精神医療改革とはなんだったのかからはじめよう。1970年を前後する全世界的な革命の嵐を背景として大きな精神医療改革のうねりがあった。そのなかでトリエステ県で精神保健政策のチーフとなったのがバザーリアという人物だ。

バザーリアはフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルを師と仰でいた。この本ではサルトルの思想については書かれていない。サルトルは人間の精神的存在は自由なものであり、何にも縛られないから、人生の選択もまた自由に行なわれていると考えた。「在るようにはなく、無い様にある」のが人間の精神存在であるかと考えた。ナチズムもまた人間によったになわれたのであり、ありうべき「人間性」という抽象存在はないと考えた。キリスト教的な抽象化された理想的な「人間性」という考えを真っ向から否定した。ナチズムも人間的であり人間性であるというように考えた。しかし、彼自身はそれを許した人類に対する批判の目を失ったわけではない。むしろ逆に人類は自由の刑に処せられており、人間は自分の選択したものになるのだから、自分が何者であるかの責任を背負わねばならないと考えた。そして現実の政治の中では誰よりも自由を希求したのだ。

バザーリアもまた誰よりも自由を希求し、自分が何ものになるかは自分の選択によると考えたであろう。当時の精神病院の地獄の番人になることを良しとしなかった。

バザーリアが赴任したときの精神病院は、日本のそれと同じ位悪い状態だった。患者に対する拘束は日常であり、拘束衣で縛られて日光浴をしている患者たちの写真が今でも残っている。鍵と鉄格子の閉鎖病棟で、一旦精神病院に入れられたら一生出られないといわれていた。それも今の日本の精神病院とかぶさる。

バザーリアはその現実を変えなければならないと思った。「自由こそ治療だ」というスローガンを掲げた。患者の自由は大幅に拡大された。患者たちは青い色の木馬を押し立ててトリエステの街中で無届デモンストレーションをおこなった。その木馬が精神病院から外に出るのに高い塀が邪魔だったのでバザーリアは率先してその塀を破壊した。楽しみが必要だというので一日航空機を借り受けて、患者に遊覧飛行を楽しませたりした。   (続く)

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2010年2月17日 (水)

バザーリアの改革【1】

最近、イタリアのトリエステ県での精神医療改革を描いた本を読んだ。「精神病院を捨てたイタリア、捨てない日本」というもので大熊一夫さんが書いている。岩波書店より昨年10月に発行されたものだ。

大熊一夫といえば、1970年ごろに「ルポ精神病棟」を書いた元朝日新聞の記者だ。この本に対する評価も二分されていたのを思い出す。当時世間は知らないことになっていた精神病院の闇を明るみに出し、世間も知らないことには出来なくなった。と言っても「世間」はもともと精神病院が悲惨なところだということは知っていた。精神病院での患者殺しは時々には報道されていたからだ。しかし、「世間」は知らないことにすることで肩に荷を背負うことを免れていた。それを大熊の本は明るみに出して、「世間」も逃げ隠れできなくなったのだ。そういう積極的なことを正当に評価する人は多かった。

片方で、このルポは「アルコール中毒」を装って、中くらいに悪い精神病院に入院したことを書いたものなのだが、大熊は1週間しか耐えられなかった。精神病院の環境がもともとなかった精神病をもたらすものであることがあり、大熊も一週間でこの限界点に達した。もしそれ以上入院していたら彼は本物の「精神病者」になっていたことだろう。しかし、たった一週間で何がわかるかという批判があったことも事実だ。また、「健常者」だから「世間」が評価したのであり、もし「精神病者」が同じ本を書いてもそのような評価は受けなかっただろうという批判もある。

ルポ精神病棟はこのような評価を受けていた本なのだが、今回のイタリア精神病院のルポも評価は二分されている。といっても、評価の二分をもたらしているのは大熊の責任ではなく、イタリアの精神医療に対する評価が二分されていることの反映だ。

イタリアの精神医療改革とはなんだったのかからはじめよう。1970年を前後する全世界的な革命の嵐を背景としている。イタリアのトリエステ県で精神保健政策のチーフとなったのがバザーリアという人物だ。バザーリアはフランスの哲学者ジャンポールサルトルを師と仰ぎ何よりも自由を希求していた。

この本ではサルトルの思想については書かれていない。サルトルは人間の存在は自由なものであり、何にも縛られないから、人生の選択もまた自由に行なわれていると考えた。ナチズムもまた人間によったになわれたのであり、「人間性」という抽象存在はないと考えた。ナチズムも人間的であるというように考えたのだが、それを許した人類に対する批判の目を失ったわけではない。むしろ逆に人類は自由の刑に処せられており、人間は自分の選択したものになるのだから、自分が何者であるかの責任を背負わねばならないと考えた。そして現実の政治の中では誰よりも自由を希求したのだ。バザーリアもまた誰よりも自由を希求し、自分が何ものであるかは自分の選択によると考えたであろう。当時の精神病院の地獄の番人になることを良しとしなかった。

バザーリアが赴任したときの精神病院は、日本のそれよりも悪い状態だった。患者に対する拘束は日常であり、拘束衣で縛られて日光浴をしている患者たちの写真が今でも残っている。鍵と鉄格子の閉鎖病棟で、一旦精神病院に入れられたら一生出られないといわれていた。それも今の日本の精神病院とかぶさる。

バザーリアはその現実を変えなければならないと思った。「自由こそ治療だ」ということがスローガンになった。患者の自由は大幅に拡大され、患者たちは青い色の木馬を押し立ててトリエステの街中で無届デモンストレーションをおこなった。一日航空機を借り受けて、患者に遊覧飛行を楽しませたりした。

そして、ついに広大な敷地を持つ精神病院を解体してしまった。精神病院の院長室は患者が日常を暮らす場に変えられた。患者たちは町で暮らすようになりそれを支援するための地域保健センターが各地に作られた。精神病院での閉鎖的医療が解体され地域精神医療に取って代わられた。

バサーリアの試みは完全に成功した。「精神病者」たちは地域で尊厳を持って暮らせる人たちであることが証明された。各地には日本で言うところのケアホーム・グループホームが作られた。もちろん単身による住まいもある。街で暮らすことが困難な人は解体された精神病院の院長室での生活が保障された。もちろん鍵も鉄格子もそこには存在しない。精神病院は博物館になってかつての姿を展示している。

バザーリアはそこに留まっていなかった。イタリア全土から精神病院をなくすための法律・バザーリア法が制定されて、単科精神病院は姿を消した。といっても根強く隔離収容を追及する精神科医は残っており、反バザーリアはとバザーリア派はいまでも争っている。バザーリア自身は急病で亡くなっているのだが、そのあとを継ぐ医師たちが頑張っている。

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2010年2月 7日 (日)

自殺対策という報道

「うつ」「ひきこもり」に対策法 総務相が制定提言

2010年2月5日22時33分朝日コム

 原口一博総務相は5日の自殺総合対策会議で、うつ基本法とひきもこり基本法の制定に向けて検討を始めるべきだと提案した。心のかぜとよばれるうつや、推計360万人ともされるひきこもりの問題に対し、鳩山政権として「しっかりと取り組んでいく」姿勢を示すのが狙いだ。

上記新聞記事を見て思うこと。

自殺者の9割は何らかの精神障害だといわれている。だからウツ対策と問題を立てるのは雨が降ったときに傘が濡れるからといって傘を絶えず乾いた布で拭いているというような構図になっていないか。雨が降ったら傘が濡れるということから傘が濡れることが雨降りの特徴だと言うと誰しもおかしなことを言うと思うだろう。

自殺者の9割が何らかの精神障害だということだが、それらには重複した理由が確認されている。 経済的理由、病気などなど。倒産・失業ということが大きな理由になっている。

自殺対策と言うならばそれらの第一次的原因に対する対策をおこなうべきであって、それらの理由から精神障害になった場合の対策と言うのはその次にこうじるべき問題だ。

引きこもりを問題にしているが、いじめ・迫害が原因ならば、それらの原因を取り除くことであって、引きこもりだから社会に強制的に連れ出すといった方法は、問題のなんら解決にはならない。かの戸塚ヨットスクールのようなものを各地に作ってどうすると言うのだ。

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2010年2月 4日 (木)

怒りネット関西交流会

怒りネット関西の交流会を2月6日土曜日午後2時から、尼崎市立小田公民館にて行います。

政府との合意によって違憲訴訟は終了します。基本合意では、低額所得者には介助は無料化され、障害者政策を障害当事者が入る形で作ること、今回一割負担のままとなった、自立支援医療を重点項目とすることなどが合意されました。

それを受けて、障がい者制度改革推進会議が内閣府の下に設けられ、障害者とその家族がメンバー24人の内14人を占めています。担当する福嶋瑞穂大臣は「改革の具体的検討をするエンジン部隊」と性格付けしています。

24人のメンバーの中には旧知の方も含まれています。私たちの意見を反映させることが出来る構図になっています。 私たちもただ単に無料化したらいいというのではなく、新制度をどういうものにしたらいいか知恵を出す必要があります。制度というよりは私たちは何を求めるのかということを明確にしていく必要があります。

そういう意味で今回の交流会はぜひそういう場としてもてれば良いなと思います。多くのメンバーのご参加よろしくお願いします。

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