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2010年4月17日 (土)

バザーリアの改革【3】

反バザーリア派との闘い

バザーリアはトリエステ県だけで満足しなかった。イタリア全土から精神病院をなくすための法律・バザーリア法の制定に尽力し、同法は成立、イタリアでは単科精神病院は姿を消した。といっても根強く隔離収容を追及する精神科医たちはたくさん残っており、バザーリア派と反バザーリア派はいまでも激しく争っている。バザーリア自身は急病で亡くなっているのだが、そのあとを継ぐ医師や医療従事者たちが頑張っている。

バザーリア法により単科の精神病院はすべて廃止されたが総合病院の精神科病床は残っている。また地域精神保健センターには小規模の入院施設がある。司法精神病院には約1000人が収容されている。反バザーリア派はそれらを閉鎖的な精神病床として活用している。

また地域精神医療センターを十分に生かさずに精神病院の閉鎖だけを行った地域もある。これでは「精神病者」はホームレスになってしまうしかないが、反バザーリア派の策謀だ。

地域精神医療センターを機能させずに患者を精神病院から追い出した先例としてアメリカのケネディ改革がある。ケネディは精神病院入院者の削減と地域精神保健を志していたのだが、入院者削減の方を成立させた後、地域保健制度を整備する前に殺されてしまった。後継の大統領はそういう志はなかったから、ただ単に患者を病院から追い出し、大量の「精神病者」のホームレスが生まれてしまった。後のレーガン改革でその反動は加速され、極めて多数の「精神病者」のホームレスがいるのが現実だ。

日本の惨状

外国のことばかりではなく、日本でもホームレスの6割以上が「精神病者」だ。

日本人は歴史的総括を苦手としている。例えば、日本では、ナチスの反省のような契機が欠落している。天皇制は人間性の否定という歴史的評価を経験していない。国体からしてそうなのだが、総括しない国民性はあらゆる面に現われている。

日本でも精神医療改革運動は、やはり1970年代の革命の嵐とともに存在していた。関東での精医連(東大精神科医師連合)や関西でのプシ共闘(精神科医全国共闘会議)という形で一定の大きな勢力をもっていた。しかし、時間とともに大多数の精神科医は体制側に転向してしまい、少数の医師たちが私たちと行動をともにしている状態だ。その消滅に何の総括もなかったから、今日の精神科医たちの惨状をもたらしているといって過言ではない。

日本では33万人の精神科病床入院者の内、社会が受け入れればいつでも退院できる症状の人が10万人いる。(厚労省の発表では6万人から7万人)。平均在院日数でも日本は諸外国と比して群を抜いて高い。さらに精神科医療からも弾き出された形でホームレスになった人が、ホームレスの内6割を占めている。地域保健サービスも無いに等しい。精神病院を追い出されてもホームレスになるしかないのでは、社会的入院の解消にはなりがたい。精神医療改革が何よりも求められる所以(ゆえん)だ。

一方で、60年代末頃から自主的・自立的な患者会が生まれて独自の文化をなしている。ひょうせいれんはその一つとして、自立的に運営されている。精神科医師たちの医療改革運動が患者会に介入した時期があり、また精神科医療従事者に支配されている患者会というものは今でもある。しかし、それでは自由を求める患者会とはなりがたい。あらゆる支配介入から自由となりながら、医師とも連携を取っているのが本来の患者会のありようだ。

国際的にも改革派と保守派が激しく争っている。日本でもまた、激しい抗争が闘われてきたし、今も闘われている。きちんとした歴史的総括の中から、闘いの方向性を見つけることもまた私たちの仕事であろう。

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