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2010年6月

2010年6月28日 (月)

推進会議第一次意見書、明日本部長へ

―障害者基本法改正論議に入る、第15回推進会議―





6月28日(月)の推進会議では、第一次意見書を明日(29日)の推進本部で、小川議長から本部長に手渡すことになったことが冒頭で明らかにされた。
 

その際、総合福祉部会の意見書も同時に手渡されるとされたため、関口委員から、「医療付きデイサービスについては、この推進会議では、『医療付き』を削除したはずなのに、総合福祉部会の意見書には残っているのは問題」と指摘した。
  7日の推進会議では、総合福祉部会の意見書も配布したので、「手続き上は問題はなかった」と東室長などは見解を示した。
  しかし、実質上議論する時間もなかったことは確かで、今後の反省点とした。


また、本部に提出する際にも「推進会議の意見と総合福祉部会の意見のそれぞれの性格の違いについて説明をするように」との意見が出された。


障害者基本法を改正するにあたり、今後検討を要する事項で、住宅については、「障害者を権利主体にした位置付けに改めるよう」意見が出された。
 文化・スポーツについては「一般のスポーツが文部科学省管轄で、障害者スポーツは厚生労働省管轄というのはおかしい」という意見が出された。
 発生予防については、難病に関する項目を他にもっていき、「削除したほうがよい」とする意見が多かった。
  ユニバーサルデザインについては、「法律面だけで対応できるのか」「できているものを検証する仕組みが必要」とする意見が出た。さらに、その他必要なこととして“計画策定や事業運営への参加”“権利擁護”“情報の収集と活用・公開”“ジェンダー的視点に立った項目”などなどが出された。

 この日出された意見で特徴的で多かったのが、「他省庁の審議会などの障害者施策の議論と推進会議との関係」についてである。精神医療分野に見られるように、他が先行して行われているとの指摘もあり、「それら省庁とのヒアリングをもっていくべきだ」との意見が多く出された。


それに対して東室長は、「受け止めていきたい」とした。


今後、推進会議は、障害者基本法改正問題を議論し、8月から9月にかけては差別禁止法部会を立ち上げるとのこと。



次回は7月12日(月)。

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2010年6月20日 (日)

自立支援法一部改正案と地域主権一括法案

地域主権一括法案に関する資料は重要なものと思います。 内閣府の地域主権戦略会議で「地域主権戦略大綱」の骨子案が出されました。PDFファイルということでそのまま掲示できませんが、「鳩山政権の一丁目一番地」とされている重要法案です。菅政権になっても所信表明の中で述べられています。同じ民主党政権なのですから、引き継がれていると見て間違いないと思います。

「一括交付金の対象・括り方(イメージ)」という資料のページには、一括交付金の対象として、
横軸に大きく社会保障、義務教育、その他と分け、
縦軸に経常と投資と分けて、経常としてその中をさらに三つに分けて、現金給付として生活保護、子ども手当て・・・、保険として高齢者医療、国保、介護・・・、サービスとして障害者福祉、母子保健・・・、大きく投資として医療施設、保育所・・・とされています。

それらを一括交付金の対象の整理をするとされ、一括交付金の括り方、として、縦軸に経常と投資に分けて、横軸にその中を大まかな政策分野別に、○○分野、△△分野、□□分野とくくるとされています。

生活保護や障害者福祉や介護保険が一括交付金の対象とされ、それらがいくつかの分野として一括でくくられるというイメージのようです。何と何を一括分野とするのかはここには書かれていませんが、障害者福祉と介護保険との統合の問題も浮上するかもしれませんね。原口プランという方も検討する必要がありそうですが、今のところそこまではできていません。

生活保護という国家による生存権保障の要の予算が、自治体の好きなように使える交付金化するというイメージのようであり、憲法の実質改憲が進むことになります。

各省庁のヒヤリングによる意見の整理という文書には、一括交付金に含まないものとして、「国が責任を持って取り組むべき重要な施策」「現金給付・保険は対象外としてはどうか」といったものがあります。しかし、障害者福祉についてはこれらには含まれません。

この法案が今秋以降の国会に出てきます。その時に充分に世論を喚起できるように今から準備を進める必要性があると思います。まずはいろいろな資料を読み込むことからはじめないといけませんね。

推進会議を亡き者とせんとするこの間の動きは、10月全国障害者集会とそれに連なる民主党政権の約束と、地域主権一括法案に関する民主党政権の思惑のせめぎあいの中で、民主党政権が沖縄を裏切った時期に後者の動きが勝ったものと見ると、つじつまが合います。防衛省・外務省の官僚が鳩山首相に対して勝ちを占めたのが沖縄の裏切りでした。地域主権一括法案の原口プランに連なる官僚層が、厚労省を構成していた民主党政治家に勝ったのが、障害者自立支援法の一部を改正する法案ではないか。今国会での民主党による障害者の裏切りだと見ると、障害者自立支援法改正案というものがなぜ急浮上したのかが解明できるような気がします。

これらが沖縄への裏切りと別個に存在しているわけではないと考えると、官僚が政治家に勝ったという今の民主党政権の特徴がはっきりするのではないでしょうか。秋に向けて今から資料の読み込みと、現場での組織化ですね。どちらか片方が抜けてもダメです。関西集会はそのように準備していきたいところです。

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2010年6月16日 (水)

自立支援法改正案は廃案

自立支援法改正案は今日廃案になりました。詳しくはまだ聞いていませんが、採決の場となる参議院本会議が開かれずに会期末を迎えたもののようです。

秋の臨時国会に再提出してくる可能性はあり、注意が必要です。とりあえず今日は祝杯を挙げましょう。

臨時国会か次の通常国会には地域主権一括法案の全体像が出てくる可能性があります。自立支援法一部改正案と共に障害者の闘いで迎え撃つ議論を始めなければなりません。

地域主権一括法案は、福祉、教育などと費目ごとに国の予算をまとめて地方に交付し、その費目のなかで何に使うかは地方自治体に一任されるというものです。障害者福祉に関心のある自治体と、赤字等で障害者に使うよりもほかに使いたい自治体とで大きな差が出来てくることになります。生活保護についても、負担感の大きな大阪市などが削る可能性もあります。

このような大きな変化にもかかわらず、マスコミはほとんど報じず、事態を知らない障害者のほうが多数を占めます。私たちとして障害者に知らせて、とんでもない事態が始まっているのだということを共有化していかねばならないと考えます。いまだ情報の共有化が出来ていない状態です。様々な媒体を使って、事実を知らせていきましょう。

今日は祝杯を挙げ、明日からは次の闘いに備える、ということで行きましょう。

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総合部会も緊急対策まとめ 予算要求事項を抽出

福祉新聞6月14日号

 推進会議の第1次意見書は制度改革の大枠を示すものだが、一方では障害者自立支援法下で「総合福祉法ができるのを待っていられない」という問題もある。このため、推進会議の下に設けられた総合福祉部会は7日、「総合福祉法の制定以前に早急に対応を要する課題の整理」をまとめた。

 特に政府の来年度予算概算要求に反映させたいこととしては▽応益負担廃止の積み残し課題となっている自立支援医療を、障害福祉サービスと同様に低所得者の自己負担を無料化すること▽手帳を所持しない発達障害、高次脳機能障害、軽度障害、難病、慢性疾患の人たちが必要な支援を受けられるよう申請に際しての必要な手続きを定めること──などを強調。

 また▽障害程度区分を支給決定量の上限としてはならないと自治体に周知徹底し、国庫負担基準を超える分の国から市町村への財政支援を強化すること▽地域移行に向けて施設入所者や入院患者の実態調査をすること──なども推した。

 部会は障害者、事業者、学識者など立場も様々な55人で構成するため、全員が要望事項を出し合うと膨大な量になったが、自立支援法違憲訴訟で国が訴訟団と締結した基本合意や生命にかかわることを基準に、来年度予算獲得を目指す重点事項を抽出した。

この整理は、推進会議の第1次意見書と一緒に、推進本部へ提出される。

 なお議員立法による自立支援法改正案が国会提出されたことに対して、総合福祉部会が1日に「議論をまとめている最中にもかかわらず、法改正が情報提供もなく進められたことに構成員一同は強い遺憾の意を表する」と決議したことを受け、推進会議も7日「同じ思いだ」と決議。推進会議と部会の議論が尊重されるよう求める要望書が小川榮一・推進会議長(日本障害フォーラム代表)から推進本部長である管直人・首相に提出される。

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推進会議の意見書まとまる

福祉新聞6月14日号より

障害者会議の意見書まとまる

■制度改革の大枠示す 基本法の抜本改正など柱

 障害者が参画する政府の障がい者制度改革推進会議は7日、制度改革の基本的な方向を示す第一次意見書を取りまとめた。障害者権利条約の批准に向けて、来年の通常国会で障害者基本法を抜本改正。制度の谷間を生まないよう障害の定義などを見直し、2013年には障害者差別禁止法案を通常国会に提出する──という大まかな改革の進め方を描いた。意見書は全閣僚で構成する障がい者制度改革推進本部に提出し、今月中にも政府の方針として閣議決定される予定だ。

 推進会議は、昨年の政権交代を機に内閣が障がい者制度改革推進本部を立ち上げ、本部の下に設置されたもの。構成員の過半数を障害者が占める推進会議は「改革のエンジン部隊」とされ、今年1月から計14回の会合を持ってきた。

 この推進会議が制度改革の工程作りをすることで「私たち向きに私たちのっことを決めないで」をスローガンに国連で障害者権利条約が作られたプロセスを日本でも実行し、権利条約の早期批准を目指す。

 第1次意見書は、障害者施策全般にかかわる横断的課題として①障害者基本法の抜本改正法案を11年の通常国会に提出する②障害を理由とする差別の禁止法を検討し、13年の通常国会に法案を提出する③障害者総合福祉法を検討し、12年の通常国会に法案提出、13年8月にまでに実施する──という三本柱を設定。

 いずれも「法の対象となる障害者とは誰か」が課題になるため、障害の定義については、制度の谷間を生まずサービスを必要とするすべての障害者を支援できるように見直す方針だ。障害とは単に心身の損傷を指すのではなく、社会的障壁によって作られるという考え方に転換する。

 第一次意見書の特徴は、労働・雇用、教育、医療、情報アクセス・コミュニケーション保障など11分野における基本的な見直し方向と今後の進め方(期限)も示したことだ。

 例えば教育は、インクルーシブな教育制度にするため、障害の有無に関わらずすべての子どもが地域の小・中学校に就学することを原則とする。本人・保護者が望む場合や、ろう者・難聴者・盲ろう者が適切な言語やコミュニケーション環境を必要とする場合は特別支援学校に就学することもできるようにする。

 制度の在り方については、10年度内に基本的方向性を検討し結論を得る。教員の確保など具体的方策については12年内をめどに結論を得る方針だ。

 これら関係省庁の検討が必要なことは、今月中にも閣議決定される予定。第1次意見書は制度改革の大枠を示すことに力点を置いているため、今回は議論しきれなかった点など残る課題は年内に第2次意見書として取りまとめる。

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2010年6月15日 (火)

推進会議が抗議声明

障がい者制度改革推進会議の構成員一同より、「障害者自立支援法の一部を改正する法案」の進め方に対して抗議声明が出されました。政府機関が別の政府機関に対して抗議を公にするというものです。推進会議無視で法が制定されようとしているという事態に対して、今まで外部からの抗議はたくさんありましたが、推進会議としては初めての意思表示です。強い遺憾の意を表明する同声明を政府与党はちゃんと聞いて法の廃案を進めるべきです。

議員運営委員長 西岡武夫 殿
   FAX 03-5512-2542

民主党 御中
   FAX 03-3595-9961

2010年6月11日
内閣総理大臣
障がい者制度改革推進本部長
菅  直人 殿

障がい者制度改革推進会議構成員一同



要望書



 障がい者制度改革推進会議のもとに設置された総合福祉部会において、「障害者総合福祉法(仮称)の実施(制定)以前に早急に対応を要する課題」について、4月の同部会立ち上げ以降、本日まで議論が進められてきました。

 しかし、そうした議論の最中にもかかわらず障害者自立支援法の一部改正が関係者への情報提供なく進められたことに対して、同部会構成員一同から強い遺憾の意の表明とともに、推進会議及び同部会の議論が尊重されるよう要望する旨の意見の提示がありました。

 推進会議構成員一同はこれと意見を同じくし、推進会議の議論が尊重されるよう要望するものです。

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2010年6月14日 (月)

関西障害者集会に向けて

今日関西で、10月に関西の障害者集会を開催しようということで第一回の実行委員会を開きました。そこに提出したレジュメを以下に貼り付けます。

10月3日に集会をもつことが確認されました。次回会議を8月1日に持つこと(会場は小田公民館)、それまでに7月中に賛同用紙を作り、賛同集めを開始すること、8月1日に集会名称などを決めること、その場で配布可能な資料を配布することなどが決められました。そこからチラシなどを作り、さらに本格的に賛同集めをします。また当面は6月16日までの国会審議へ向けての抗議行動を取り組むことも決められました。

以下レジュメ

10月関西障害者集会実行委員会へ向けて
2010・6・13  小田公民館にて
怒りネット関西事務局より

多くの方からの注文で今年の関西障害者集会は10月3日(日)にしたいところです。

「障害者抜きに障害者のことを決めるな」ということが大きな獲得目標になります。

理由。民主党の裏切り。地域主権一括法案。障害者自立支援法の一部を改正する法案。
民主党政府は、自立支援法違憲訴訟の和解のなかで、障害者代表の声を聞いて政策を決めると約束した。
障がい者制度改革推進会議を過半数の委員を障害者とその家族の代表とした。
推進会議は精力的に障害者の声を政策に反映させるべく努めてきた。
このまま順調に行くかに思えた時期もあった。

それを裏切る動きがこの間民主党政権によって進められている。
①厚生労働省政務官足立の発言。「精神保健福祉法、医療観察法は人権に配慮されており問題はない。観察法制定時に民主党が反対したが、(間違いだった)」
観察法について委員の半数が発言しすべて反対意見だったのを鎮静しようとして。

②推進会議に法的根拠を与えるという約束を反故にして、既存の審議会と合体させる。

③自立支援法一部改正案。イ)時限立法ではない。ロ)難病者の問題が先送りされている。ハ)自立支援医療が一割負担のまま。二)応能負担といいながら一割は負担させる。ホ)精福法を改悪して精神科救急という隔離政策を推進する。
自公案を丸のみ。派遣法との取引材料にされた。
自公案、民主党案を廃案にして委員長案を採択。
●推進会議には一切かけていない。

④民主党の改革の一丁目一番地とされる地域主権一括法案。
 地方分権を進めるが、福祉も「ひも付き」ではなくし、他の予算と一括して地方自治体に交付する。
福祉の最低限保障を国の義務と定めた憲法25条をなし崩しに。
先進的自治体と後進的なところとの格差が激しくなる。
赤字自治体は赤字を埋めることを優先する。
大阪市のように生活保護水準の切り下げを提案しているところがある。
厚生労働省政務官山井の発言「一括法案は福祉解体するもの」に対して閣僚から「政府方針に反対する政務官・副大臣は辞めさせろ」
むしろこの下で一部改正案が出てきたのではないか。

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2010年6月11日 (金)

Oさんからのメール 14日からの行動呼びかけ

6.8緊急大集会は、お蔭様で二千名の方々が参加してくださり、運動の弾みをつけることが出来ました。
どうもありがとうございました。

それにもかかわらず、自立支援法一部「改正」案、厳しい状況です。
後で、詳しくは、またご連絡すると思いますが、6.8緊急大集会を行った幅広い人々の参加による、国会行動を毎日行っていきたいと考えています。

14日(月)から基本的には毎日です。規模は小さくてもかまいません。
組織に属しているか、いないかは問いません。幅広い人たちの参加が重要です。

市民の手で間違った政治をただしていきましょう。

改正案は参議院本会議に16日(水)にかけられる可能性があるとの情報もあり、15日(火)、16日(水)とだんだん人が増えていくことがベストです。
基本的には1時から3時としますが、状況によって、その時間を越える場合もあると思いますが、お一人お一人の御都合に合わせて参加して下さい。

参議院会館の前に集まりたいと思います。

拡声機など用意できる団体はよろしくお願いします。
詳しいことはまたメールがあると思います。

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2010年6月 9日 (水)

成田で農民ら釈放

成田市三里塚で不当逮捕されていた農民2人と支援が8日までに全員釈放されました。全員不起訴です。多くの抗議等の御支援ありがとうございました。

市東さんは、道路交通法に違反したたて看板を撤去しただけですし、萩原さんは過剰警備に抗議していただけです。いずれも罪を構成するものではなく、はじめから起訴などできない代物だったのです。あわよくば農民を屈服させることが出来るのではないかと踏んだ不当逮捕でした。

市東さんと反対同盟は起訴するならしろ、そのほうが権力の不当性を明らかに出来ると考えていました。警察権力は鳴り止まない抗議電話と市民が直接成田署などに抗議に押しかけるという、人民の闘いに火をつけてしまった事態に怯えていたのです。

勝利の環は逮捕された農民と反対同盟と人民大衆が握っていました。現に不起訴釈放によって反対同盟はひとつも傷つかず、逆に大きな人民の支援の輪を実感することとなりました。警察権力は大きなダメージを受けています。この対比が勝利の環を誰が握っているのかを示しています。

この力を団結街道廃道化阻止、第三誘導路建設阻止に向けて、絞り上げていきたいところです。6月27日には全国集会が呼びかけられています。可能な方はぜひ現地に行ってください。

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2010年6月 7日 (月)

障害者自立支援法改悪案に反対する

こんな法律は、現状の改悪だ!
「障害者自立支援法」改悪案を直ちに廃案にせよ!
障害者、沖縄を裏切る民主党を許さない!

 現在、与党・民主党と自民・公明党は、「自立支援法」改悪案を国会で通過させようとしています。これは民主党の明確な公約違反です。

民主党は、障害者当事者の声に基づいて障害者政策を決定すると言い、総合福祉法を作り、「自立支援法」は廃止する、と語り続けてきました。

 ところが、そのために作られた「障がい者制度改革推進会議」があるにもかかわらず、「自立支援法」の改訂について、この推進会議に諮ることすらしていません。それどころか、衆院厚生労働委員会で75分、参院厚生労働委員会で25分しか質疑をせず、ただただ採決を強行してきました。現在、参院で審議中のこの法案には、「自立支援法」の廃止や総合福祉法を作る期限も書かれていません。

 公約を破り、障害者の声を無視し、民主主義さえ踏みにじるこのやり方に、わたしたちは、激しい憤りを持って抗議します。

そして、この改定案そのものが多くの問題点を持っているのです。

●応能負担と言いながら、1割までは利用料を徴収できる。

●難病を持つ人の福祉は行わない。

●全く不十分な国庫負担基準内に、福祉を抑制することにつながる条文が挿入されている。

●行政の立ち入り権限を事業所だけでなく、際限なく拡大する条文が作られており、利用者宅への踏み込みも起こりうる。こんな条文は介護保険法にもない。

問題を挙げれば、きりがありません。

民主党はこの5月以降、大きく姿勢を転換しました。「自立支援医療」の応益負担を解消すべき問題、「地域生活支援事業」の地域間格差や応益負担を解消させるべき課題についても、きわめて消極的な姿勢をとっています。それどころか、「地域主権一括法案」によって、憲法25条をなし崩しにして、福祉の国家責任を捨て去り、地域間格差を拡大しようとしています。「障がい者制度改革推進会議」の改組方針や今回の「自立支援法」改定案もこうした一連の流れの中にあるとしか考えられません。

●露骨な精神障害者差別感

5月10日に行われた「障がい者制度改革推進会議」において、足立厚生労働省政務官は、精神障害者やその家族、そして、国連からも批判されている日本の精神医療体制について、「人権に配慮されていて問題はない」と言い切りました。

他科よりも医療スタッフを少なくしていることも、世界でも飛びぬけた入院隔離主義も問題がないとするのです。

 民主党が野党時代に反対してきた医療観察法についても、すでにその対象とされた患者14人の自殺が起こっているのに、問題なしとするのです。そして、今回の「自立支援法」改悪案によって、「精神科救急」と称する隔離収容主義体制を強めようとしているのです。

■怒りのネットワークで闘おう

 わたしたち障害者へのこの民主党のやり方は、結局は沖縄の名護市に新基地を建設して沖縄に犠牲をますます集中させることに転換したそのやり方と一緒です。

 自民党の石破議員はテレビ番組で「沖縄は日本のために犠牲になってください」と発言しました。同じ人間とは思っていないから、このような発言が行われるのでしょうが、民主党も結局同じ穴の狢に転落したのです。

 沖縄の人々もわたしたち障害者も同じ人間と思っていたら、こんな裏切りはできないでしょう。いや、生活に苦しむ多くの民衆が同じ目に合わされるのではないでしょうか。

それならばわたしたちは、沖縄の人々と、多くの人々と連帯し、怒りのネットワークを作って闘います。障害者を裏切るのであれば、現政権は打倒の対象でしかなくなることを明言しておきます。

  怒っているぞ!障害者きりすて全国ネットワーク

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2010年6月 6日 (日)

障害者自立支援法の一部を改正する法案についての整理

 この間の「障害者自立支援法」改定案の浮上について、改めて整理したいと思います。そのことによって、改めて問題点を明らかにしたいと思います。古賀典夫


●「自立支援法」改定案をめぐる経過

 4月27日、自民党と公明党が「障害者自立支援法等の一部を改正する法律案」(衆第17号、以下、自民・公明案)を議員立法として国会に提出しました。これは、昨年の通常国会に提出されていた当時の政府(自民党と公明党)の案と同じようなものです。ただし、多少の手直しがされており、この点については、後で述べます。

 しかし、多くの人たちは「自立支援法」の廃止を掲げる現在の与党が多数を占めている限り、この自民・公明案が国会を通過することなどありえない、と思っていたのではないでしょうか。わたし自身がそうです。これまでの国会の慣習からして、議員立法は、政府提出案の後回しにされてしまうということもあります。
事実、厚生労働委員会には多くの政府提出案が提出されていました。

 ところが、5月24日になって、寝耳に水のニュースが飛び込んできます。この日付の「障害者自立支援法訴訟の基本合意の完全実現をめざす会ニュース」は次のように伝えています。

 「たいへん驚く政治の動きです。
自民・公明が4月27日に提出した「障害者自立支援法改正案」に対して、与党民主党が国会対策上、表面的な手直しをして、同調するという動きが急展開しています。」

 そして、めざす会と弁護団は緊急声明を発しています。
 このニュースでは、26日の衆議院厚生労働委員会で取り上げられる可能性が高い、と伝えています。とりあえずは、26日には取り上げられなかったのですが、28日の衆院厚労委員会で審議・採決が行われてしまったのです。
 
 わたしたちは、この動きへの対処に出遅れていました。しかし、27日に「新臓器移植法」をめぐる問題で、国会を回る中で、その深刻さを実感します。
 27日に判ったことは、以下のようなことです。
 28日の厚労委員会で、75分審議して、採決を行う。 この28日には、与党案も提出される。質疑の段階では、自民・公明案と共に、与党案も審議する。そして、質疑が終わった段階で、両案を取り下げる。そして、この2案の調整を行ったという形で、厚生労働委員長案を改めて、厚労委員会に提出して、審議はなくそのまま採決する。

 こんな筋書きだけでなく、この厚生労働委員長提案の文面も、すでに27日の段階で作られていたようです。

 以下、それぞれの案の特徴を法律名とその第1条の違いで、検討してみます。

 自民・公明案は、その第1条から、「自立自立支援法」のどこを変えるかについて述べています。
 与党案は、まず法律の名称が違います。「障害者自立支援法の廃止を含め障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律案」(衆第23号)。
 与党案はその第1条で次のように述べています。
 
 「第一条 この法律は、平成二十五年八月までに障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害者自立支援法の廃止を含め障害保健福祉施策を見直すまでの間において、障害者及び障害児の地域生活を支援するため、関係法律の整備について定めるものとする。」

 この条文の中の「平成二十五年八月までに」という文言は、社民党の阿部事務所の話によれば、阿部さんがかなり強く主張して入れさせた、とのことでした。

 厚生労働委員長提案の法案名は、次のとおりです。
 「障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において障害者等の地域生活を支援するための関係法律の整備に関する法律案」
 そして、第1条は次のようになっています。

 「第一条 この法律は、障がい者制度改革推進本部等における検討を踏まえて障害保健福祉施策を見直すまでの間において、障害者及び障害児の地域生活を支援するため、関係法律の整備について定めるものとする。」

 与党案と厚労委員長提案との間には、決定的な違いがあります。委員長提案には、「障害者自立支援法の廃止を含め」と「平成二十五年八月までに」という言葉が消されているのです。
 こんな決定的な違いがあるにもかかわらず、民主党は賛成しました。自民・公明ももちろんです。社民党は反対に回りました。共産党は反対です。
 
 27日に、わたしたちが民主党の議員事務所を回った範囲でも、法改訂には反対で、総合福祉法ができるまで予算措置でやっていけば良い、と言っていた議員もいました。

 5月28日は、日米共同声明が発表され、普天間基地移設は辺野古沖の埋め立て、と正式に打ち出された日です。これを閣議で拒否した福島みずほさんが罷免されました。このことは、報道されたことですが、その裏で、「障害者」に対する裏切りが行われていたのです。

 この民主党の裏切りデーに、抗議する「「障害者」関係者が傍聴も含め300人結集した、とめざす会のニュースは伝えています。

●衆議院から参議院へ

  衆議院の本会議については、31日にかけられました。この日の本会議には、自民党と公明党がいくつかの不信任決議案を出しており、また、中国の首相の訪問に伴うレセプションなどがあり、「自立支援法」改定案が採決されたのは、夜中の11時過ぎでした。質疑は全くなしです。

 怒りネットは、この日から正式に行動を開始しました。そこで判った事実もひどいものです。

 ここでも民衆の常識からすると不可解なことが進んでいました。
 まだ衆議院本会議で採決もされていないのに、翌日6月1日の参議院の厚生労働委員会にはこの「自立支援法」改定案がかけられることになっていたのです。
しかも、25分の質疑で採決する筋書きまで作られていました。
 厚生労働委員会は、10時から開かれ、「自立支援法」は、12時40分から25分質疑を行い、採決する、というものです。

 実際には、12時前後には質疑に入っていました。提案者として、民主党の園田議員が答弁していましたが、共産党の小池議員の質問については、ほとんど意味不明な回答をするしかありませんでした。
 ここでも、共産党と社民党が反対に回っただけで、可決されてしまいました。

 そして、翌日(6月2日)の参議院本会議で採決されることになっていました。
わずか10分の本会議で、いくつかの法案の採決がよていされており、その中の1つとして、質疑もなく採決される予定だったのです。
 ところが、2日朝の鳩山の総理大臣辞任によって、この本会議が流れます。その結果、いまだに「自立支援法」改定案が成立していないということなのです。

 31日には、わたしたちのビラまき以外に、難病関係の団体が多くの署名を携えて、議員への働きかけを行っています。わたしたちと顔をあわせて、「わたしたちも同じです。頑張りましょう」、「これから議員へ働きかけにいくところです」などと言葉を掛け合いました。
 6月1日は、わたしたちとめざす会が行動しており、100人が集まりました。
 翌日には、200人が集まったそうです。

 ●8日の行動に結集しましょう

 参議院会館が、どの階のフロアーも、「障害者」関係者で埋め尽くされるような状況を作っていくことだと思います。
 ぜひ、皆さんの結集をお願いします。


 

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2010年6月 5日 (土)

障害者会議 6月に意見書まとめへ

■差別禁止法の検討など盛り込む

 政府の障がい者制度改革推進会議は24日、制度改革の基本方針を示す第一次意見書をまとめる作業を始めた。同日の第12回会合では、障害の定義を見直す方針など、これまでに意見が一致した点を確認。2011年の通常国会で障害者基本法の抜本改正を目指すことや、障害者差別禁止法の制定を検討し12年度末までに結論を出すことなども書き込み、改革の道筋と時期にめどをつける。関係省庁と調整した後、政府としてすべきことを6月中に閣議決定する予定だ。

 同日の会合で示された素案によると、第一次意見書は、日本の障害者施策の経緯や国際動向、障害者権利条約について説明し、現状をどのように変えていくべきか制度改革の方向性を示す構成になっている。

 障害のとらえ方に関しては、権利条約にならって、心身の医学的な機能障害に着目しこれを克服すべきという考え方を転換し、障害者を受け入れようとしない社会との関係からとらえ直すべきだと提起。障害者施策の対象者を狭めることにもつながる障害の定義は見直し、サービスを必要とする障害者を広くカバーできるようにすることが重要との考えを示した。

 こうした観点から、障害者基本法は抜本的に見直す。具体的には、制度の谷間を生まない包括的な障害の定義とし、「合理的配慮を提供しないことは差別である」ことも含め差別を定義。障害があるために侵されやすい基本的人権などを総則で確認するとともに、個別政策の規定を見直す。施策の推進状況について関係大臣に勧告する権限などを持つ機関を設置することも盛り込む。11年の通常国会に改正法案を提出することを目指している。また、かねて障害者団体などが求めてきた障害者差別禁止法について制定を検討し、12年度末までには結論を得るとしている。夏ごろ新たに差別禁止部会を設け、基本法改正の議論と平行して検討を進める。

 障害者総合福祉法(仮称)の策定に関しても、制度の谷間を生まない障害の定義とする方針だ。医学的な判断に偏った障害程度区分を見直し、応益負担は廃止するなどの大枠を示す。新法については既に総合福祉部会で検討が始まっており、11年夏から秋をめどに結論を得て、政府は12年の通常国会に法案を提出。13年8月までに施行すべきとの工程を示した。

 このほか労働・雇用、所得保障、虐待防止など個別分野においてもそれぞれ改革の基本的方向と今後の進め方を書き込む。たとえば教育については、障害の有無に関わらずすべての子どもが地域の小・中学校に学籍を置くことを原則とし、本人・保護者が望む場合は特別支援学校に就学できる制度に改めるとしている。

 ただ、これらの整理は、障害当事者を中心とする構成員が出した意見をまとめたもので、各法制度を所管する省庁の意見とはズレもあるのが現状だ。推進会議で行った省庁ヒアリングでは、制度改正に消極的な省庁が大半だった。

 今後は、省庁との調整を行い全閣僚で構成する障がい者制度改革推進本部(本部長=鳩山由紀夫・首相)に意見書を提出、政府としてすべきことを6月中に閣議決定する予定だ。

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2010年6月 3日 (木)

一括交付金化 社会保障関係も広く対象に

■地域主権会議 基本的考え方了承

 政府は24日、地域主権戦略会議(議長=鳩山由紀夫・首相)の第5回会合を開き、国庫補助負担金の一括交付金化の基本的考え方を了承した。「一括交付金化する『ひも付き補助金』の対象範囲を最大限広くとる」との考え方に沿って、社会保障関係についても、全国画一的な保険・現金給付以外、一括交付金化の対象にする方針を確認した。

 同日の会合では、担当主査を務める神野直彦・東京大名誉教授が試案「一括交付金化の基本的な考え方」を提示。地域主権確立のために、国から地方への「ひも付き補助金」を廃止し、基本的に地方が自由に使える一括交付金にする考えを示した。

 一括交付金の原則としては「いかなる政策にどれだけの予算を投入し、どのような地域を目指すのかを、住民自身が考え、決めることができるよう、『地域が自己決定できる財源』としてデザインされなければならない」と提案。①一括交付金化する「ひも付き補助金」の対象範囲は最大限広くとる②「現金給付は国、サービス給付は地方」との原則に基づいて対象範囲を広く整理する──との基本的考え方を示した。

 社会保障・義務教育関係の国庫補助負担金については、民主党のマニフェストで「ひも付き補助金」から除くとされているが、これらについても「全国画一的な保険・現金給付に対するものに限定して一括交付金の対象外とする」との方針を示した。

 一括交付金化の実施手順としては、2011年度から段階的に実施する方針を提示。11年度は施設整備の補助金を対象とし、12年度には障害者福祉などのサービス給付の補助金を交付金化するとした。

 また、制度設計については「各府省の枠を超えてできる限り大きいブロックに括る」との方針を提案。施設整備に使える交付金は、最終的に一つの交付金に一本化するとし、サービス給付に使える交付金は、例えば社会保障や教育などのブロック(政策分野)ごとにまとめ、ブロック単位で自由に使えるようにするとした。

 鳩山首相は席上、「(自治体や事業ごとの補助金配分額を決める)国の個所付けを廃止する」と強調。地方の自由度を拡大する決意を示した。

◆各府省の移譲容認54%
 このほか同日の会合では、各府省が法令で都道府県に所管させている権限の市町村への移譲の取り組みについても議論。内閣府は、検討対象となっている384条項のうち、各府省が認めたのは207条項(54%)に上ったことを報告した。

 厚労省関係では①有料老人ホーム設置の届け出受理②育成医療費の支給認定③指定居宅サービス事業者の指定④未熟児の訪問指導──などについて権限移譲されることになった。

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怒りネット通信No.43

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 No.43
2010年6月5日発行

障害者運動の40年を語る

 3月22日に、「障害者運動の40年を語る」というテーマで、怒りネットの学習会を開催しました。金子・関根・天野という、30年、40年の運動経歴を持つ、障害者運動の大先輩を講師に、多くの問題提起がなされました。内輪の学習会という当初の予定が、会議室の机を全部片付けなければ入れないほどの参加者があり、熱気がみなぎる4時間半になりました。

【古賀】障害者運動の在り様とか、障害者が健常者と向き合う在り方とか、怒りネットの中でちゃんと話しておくべきという提起を受けて、本日の集まりを設けた。2月に打ち合わせをした際、共通に言われたことは、「色んなことが少しずつ整ってきたが、自分達が提起し目指したものと違っている」との問題意識である。
 では金子さん・関根さん・天野さんという順番でお願いしたい。

■戦後の障害者運動の流れ
【金子】青い芝の金子です。戦後、憲法が作られ、色んな権利擁護運動が大きくなった。障害者運動については、視覚障害者が頑張っていた戦前、僕ら脳性マヒ者は社会から閉ざされた生活を強いられてきた。戦後10年が経った頃、比較的障害の軽い脳性マヒの仲間が、「何とか働く場がないのか」との想いで、職業安定所に行き、全部断られ、その差別的対応を役所に相談に行った。そこで「あなた方にその気があるなら、団体作って運動やったらどうか」と言われ、いくつかの集団が集まった。それが青い芝の始まり。
 何年か経って茨城のマハラバ村に、脳性マヒ者の共同体、生活の場を作ろうとした。ここのボランティア、介護者に、オサラギという坊さんがいた。自分の考えた宗教観を持っていて、社会的に弱い立場の人のことを考えようと思っていた。
たまたまその和尚と考え方が合致したわけだ。「脳性マヒは、身体も悪いけど頭も悪い、全部悪いわけだから、今の社会では弱い立場になってしまう。この人たちを何とか社会に出していかねばならない」と和尚が勝手に思い立った。次第に仲間が集まってきた。横塚さん・横田さん・小山さんなど。あくまで僕らの共同体を作ろうと始まったのがマハラバ村の考え方だった。和尚さんの考えている深い意味はわからなかったが、ここで皆色んな勉強した。マハラバ村が崩壊した後、みんな神奈川に流れていった。和尚から学んだことが頭にあって、横浜の障害者殺しで「何で障害者が殺されることが当たり前なのか」と行動した。そこから青い芝が大きな広がりを開始した。各県に青い芝が作られた。それが集まって全国青い芝ができた。
 その後、優生保護法などに対する反対運動を行ってきて、養護学校義務化問題などが終わった段階で、全国青い芝の初代会長の横塚さんが、青い芝の運動をもっと大きくするには、当時色んな団体が各地に多数作られたが、それらをまとめて運動をやろうと提起して、全障連になった。私は全障連への移行には、時期尚早と反対した。内部が固まっていないし、青い芝の考えもまだ理解されていないので、青い芝が潰れてしまうとの理由で反対した。横塚会長と横塚宅で談判もした。横塚は「金子の言うことも分かるが、今はそこを超えなければ、介助者がいなくなるから枠を広げる」と言った。俺はあくまで反対したので除名された。
 何年か経って横塚さんが亡くなった段階で、俺の意思とは関わりなく、青い芝は全障連から脱退した。健常者とうまくやれない。全障連の中には色んな人やセクト(党派)がいて、障害者運動ではなくなってきた。みんなそれが分かった。
その段階で青い芝はバラバラになってしまった。1976年ころの話。
 その後、青い芝をもう一度頑張ろうと、横田さんが提起して、バラバラになった青い芝を立て直そうと思った。そのころ青い芝の流れは以前とは大きく変って、遺伝子組み替えとか着床前診断、脳死の問題などがテーマになっていた。人数が少ない中で、そういう問題を頑張ってきた。それが今の流れになっている。
 全体の障害者運動は、国際障害者年から大きく変ってきた。アメリカ・バークレーの自立生活運動の流れになっていった。中心テーマは介助保障の問題になった。CILの中西さんとか樋口恵子さんなどが主役。こうした中で、肝心のものが語られなくなってきたと思った。もっと根本的なことを考えていかないと今後の障害者の生活は変ってこない。そういう意味でこれからの若い人に期待している。
【関根】青い芝が青い芝の理念を持って、他の障害者団体をまとめてやって行こうとしたとき、障害者運動が政治党派の運動になってしまい、青い芝の行動綱領が受け入れられなくなった。軒先貸して母屋取られたようなもの。しかし多くの障害者は当時党派の人達に介助をしてもらっていたという問題があり、運動主体のあり様が問題になった。健常者と障害者の関係は昔からあまり変っていないような気がする。

■不便だったが自由、便利になったが不自由
【関根】金子さんがバークレーの自立生活運動を持ち込んだのが今の流れだと言ったがその通りだ。それまでの介助者の獲得方法は、来た者を離さないというやり方だった。来るものを全部捕まえて二度と離さないという根性のある障害者だけが、自分の生活を自分らしく送ることができた。横塚さんや横田さんなどは、「お前ら差別者か」というような攻撃を加えて、介助者を逃げられなくした。僕の場合も、約束の日に来なかった介助者宅に行き、帰宅を待って、「来なかったせいで大変だった」と脅して、介助者を確保していた。それでも、別れは必ず来るが、「月一回でも2ヶ月に一回でも」と言ってつないでいる。30年も続いている人もいる。
 しかし今のCIL運動の流れで、それほど苦労しなくても介助がある程度保障されるようになってきた。いいことではあると思うが、楽な方へ楽な方へ流れていく傾向は見過ごせない。昔は何としても介助者を獲得しなければならなかったため、ヘルパーと利用者という関係ではなくお互いの心に入りこめたが、それがなくなった。
 例えば、一人で駅に行った場合、昔は駅員が手伝わなかった。階段しかないのに、駅員は「俺は今仕事中だ」と断られた。利用者に手を貸すのは仕事ではないのか。そういう状況だった。でも周りの人に声をかけると、結構快く手を貸してくれる。階段の前で「この階段上がりたい」と叫べば、人が寄ってきてくれた。
場合によっては、改札の上を担ぎ上げてもくれた。駅員ではなく周りの一般の人がやった。
 今はエレベータがあってスロープができ、駅員の教育が徹底されていて、回りの人が手を貸そうとすれば、駅員がそれを払いのける。周りの人々との関係性が逆に閉ざされている。今では周りの人に声かけても「駅員呼んできます」という対応になってきた。保障されたがために、かえって健常者との間に大きな溝ができた。
 昔、僕のところには右翼のお兄ちゃんも来ていた。右や左の人がいるので時々大喧嘩になったが、「ストーップ、ここは俺の介助の場だ」と言って、外でやらせた。そういう時代だった。近所の人も雨が降ると洗濯物取り込もうかと気遣ってくれたり、また酒屋やラーメン屋に配達を頼んで、排泄物の始末頼んだりと、地域との密着度が高かった。
 ストレッチャーで四国から単独で東京に来た人もいる。また、あごで電動操作して、キヨスクのおばちゃんに酒飲ましてもらっていた人もいた。あるいは、マクドナルドのお姉ちゃんに、毎回一口大に切ってもらう間柄になることもできた。
そこで生きているという感覚が持てる。ところが今はヘルパーがべったりついているため、社会的な関係が分断されている気がする。地域に住んでいながら、地域という大きな施設に入っているようだ。
 何年も前になるが小笠原に行った。泊まるところを探して片っ端から電話した。
「車イスだが大丈夫か」と。昔は飛び込みで「泊」しようとすると、たまに「布団部屋しかないが、布団部屋でいいか」と泊めてもらったこともある。ところが今は断る名文句がある。「うちはバリアフリーになっていないから」と。「バリアはお前だろ」と思う。「バリアフリー」とはそういう言葉だったのかと初めて知った。
 確かに駅にはエレベータあった方がいいが、無くたっていい。周りの人が手を貸せばいい。手を借りる際には、様々なテクニックがある。アベックを狙うと、たいがい男は応じてくれる。一人じゃ無理だから、周りで見ている人たちも寄って来る。あるいは女高生に声かける。「困ったわ」という顔をしたらラッキーで、男たちがどっと来てくれたりする。楽しかったし面白かった。手を貸した人も車イスの重さを感じると思う。声を出せない人でも、周りの人のズボンやスカートをつかむ方法もある。「何か言いたいのか」と察してくれた。
 CILの流れになって良かったことは、無茶なことができない人のサポートも可能にした。それを繋ぎとめるために有料にした。ポリシーが無くても関われるようになったが、あまりにポリシーがなさ過ぎて、アルバイトになってしまい、何か問題があれば労基署へ飛び込まれてしまう。一人暮らしできる人が拡大したことは事実だが、どういうサポートが欲しいか選べるようになればいいと思う。北欧等へいくと、自分のニーズに合った介助者を募集できる。日本だとヘルパー2級資格を条件にするが、彼らは車の運転、機械いじり、スキーなどで募集する。
介助のテクニックは、学校で教わってきたことより、本人から伝えた方が伝わる。
だから資格なんか要らない。僕らが一番欲しいのは、ヘルパーではなく生活のアシスタント。まさに自立とは何なのか、みんなに問いたい。守られていくことが自立なのか。地域から分断される生活を本当に望んでいるのかと。
 僕は去年の11月でCILを辞めた。相談を受けて不本意にも市役所のワーカーが言うようなことを仲間に言わなくてはいけない。このままだと、自立という概念の大切な部分が崩れて、管理社会の中にどんどん組み込まれていってしまう。何度も言うが、不自由と不便は違うし、自由と便利は違う。昔は不便だが自由だった。今は便利だが不自由。
 昔は家族に障害者がいるとお金がかかったし、ウザい存在だった。今は逆にありがたい存在になった。東京の場合何もしなくても月々18万くらいお金が入ってくる。そのおかげで逆に自立できなくなってきた。昔は「このままだと殺されるかも知れない」という危機感もあり、「こんな家出てやる」と言って出た。若いうちに出ることが肝心、歳とって、家の人が介助できなくなったとか、家の風呂に入れなくなったとか、そんな理由で出るのでは遅い。結局そういう人は簡単に自宅に戻ってしまう。僕はせっかくこの道を掴んだのだから二度と離すかと思う。
施設なんかには絶対戻らない。
 もう一度初心に戻って見ようと思うし、今日のような外出にはできるだけ介助者つけないで出かけようと思っている。システム化された中に生きていて、自由になった、便利になったと思っているが、ちょっと考え直してみた方がいいかなと思った。

■場の共有が必要
【天野】健常者は就職できるが重度障害者は在宅放置、ほったらかしである。障害者と健常者の人生コースの違いを考えると、健常者の一般的な自立は、親元に育って、親元にいる間に就職し、自分で金を稼いで安定するにしたがって、親元を離れ自立生活する。しかし重度障害者は就職できない。多くは家族丸抱え。一部親元から飛び出して生活保護、あるいはCILの職員となって自立を目指す人もいる。そこに在宅のヘルパー制度が展開している。ヘルパーがかなり特別な労働として扱われている。
 いい問題提起をした人が過去にいる。そこに寝たきりの車イスに乗っている遠藤滋さんがその人。遠藤さんは、前は歩けていたがクビの骨がずれて、圧迫して脊髄症になって、今寝たきりの状態。遠藤さんは都内の大学を出て、1974年都内の養護学校に就職した。その当時の遠藤滋さんは下半身は健常者並みの強靭さで、山登りとか電車の駆け込み乗車もできた。しかし腕に重度の障害があった。したがって彼は介助者を必要とする身体障害者であることに間違いはなかった。養護学校の生徒は障害児ばかりだが、同時に教員の遠藤さんも介助を必要とする。教員の多くの主な労働内容は介助。介助しながら読み書き算数を教え、介助の仕方を通じて教育することが職務になっている。そこに遠藤さんのような障害者が就職すると、同僚同士で介助しなければならない。生徒への介助力総体が落ちるので嫌がられいじめられた。しかし、遠藤さんは次のように反論した。養護学校の生徒はやがて卒業し、地域社会へ船出していく。その地域社会は障害者にとって
易しい場所ではない。障害者の教師が地域から出てきて職場にいる。遠藤さんの教員生活を同僚が支えるということは、彼の地域生活も支えることになる。それ自体、擁護学校の生徒の進路保障、地域で生きていく力をつけていく問題提起となっていた。これは障害者運動の中では稀有の問題提起だと思う。障害者が就労することの意義、位置づけをキチンと展開していた。
 文脈がずれるかも知れないが、僕の個人的な体験を述べる。僕の通っていた大学は、静岡県の西部にセミナーハウスがあり、近くの大井川に、橋が架かっていた。その橋は縄でできたつり橋だった。その橋は底に板を敷いただけの簡単な縄のつり橋で、風が吹くだけでゆれる。僕は歩けないので健常者の学生に背負ってもらって渡っていた。背負われている僕は、怖くも面白くもない。なぜかというと、背負われているから健常者の膝・足首・腰などがクッションになって、適度にこの吊り橋の揺れやショックが吸い取られているからだった。したがって、僕はこの健常者学生の背中から下ろしてもらい、直接橋の上の板に立たせてもらった。そしたら怖い怖い、びびった。立っていること自体も至難の業で、落っこち
そうで、全部怖い。そのときひらめいた、これは完全に僕の身体の感じ方だと。
僕の歴史を感じた。僕自身の身体的世界だと思う。何を言いたいかというと、身体障害を丸ごと組み込んで、僕自身の存在だということ。
 この観点と問題意識は僕の重要なこだわりとなっていく。つまり、身体障害も含めて僕自身であり、決して切り離すことができない。その僕自身の身体障害を切り取っていくこと自体無理がある。何が頭にくるかと言うと、身体障害への介助を金に換えて、ヘルパーが介助労働として位置付いている。自分の身体を切り売りしているみたいでいやだ。介助とはもっと自然な人と人とのつながりの中でやることだろうと思っている。介助というのは職場を通じてもどこでも自然なもとして展開して定着して広げて行くべきだと思う。介助労働が特別なものになってしまうのは、多分健常者側の問題。あるべき労働の価値観があって、そこから福祉労働は特別なもの、余分なものと見てしまう。
 昔僕は介助者なしで生活していた。その時、僕は車を運転できるが、銀行に一人で運転して行って、誰もいなくて通行人に声かけてやってもらったり、あらかじめ銀行員に電話かけて駐車場で待っていてもらって、車イスをおろすのを手伝ってもらったり、そんな風に車で移動していたときは面白かった。地域で生きている醍醐味があった。しかし、それ以後は、介助者が徐々に必要となっていく。
それに伴って矛盾した思いも生じてくる。長く付き合って慣れてもらって、介助者として定着してもらいたいという思う一方、多くの健常者に関わってもらって障害者の存在を伝えていきたいという相矛盾した思いをもっていた。介助を通じて運動を広げていくことに精力を注いだ時期があった。70年代のころだった。
 次に、ヘルパー制度についての全体の構造について述べる。まず、お金の回り方について見てみる。税金という財源があって、厚労省がヘルパーの予算を出し、ヘルパー制度が回っている。
 ヘルパーと派遣労働者の問題を述べる。ヘルパーという仕事は、毎月の収入が不安定で、日雇い労働と等しい側面がある。解雇された派遣社員がヘルパー産業に来るかというと、彼らこそ安定雇用とか賃金とか雇用年月とかに敏感で、欠陥が分かるので、多分ヘルパー産業には来ない。
 障害者運動は、労働者とつながり、他の差別の問題と連結しないと視野が狭くなってしまう。単価等の目先の問題だけでなく、国の政策自体の限界と欠陥を突いていかなければならない。
 ニートとヘルパー資格の問題について。最近の若者は社会のシステムに乗らない者が多い。国民を支配する側からはとても気になる動きである。管理を強める動きは、福祉の分野にも貫徹している。東京都は、全身性障害者介護人派遣事業のとき代表者一人か二人を示せばあとは当事者任せで大雑把だった。それが今では一人ひとり身分を明かして、事業所に登録して市役所に報告させ、何をやったか報告させる。相当窮屈になっている。管理したがっているのだと思う。また資格導入によって、資格がなければできない難しい仕事と思わせる作用も大きい。
 最近の若者の資格に対する位置づけについて。資格に関係して、最近の若者はその場その場のステージにあわせて自分を器用に演出することを生き方のスタイルにしている傾向がある。ヘルパーの仕事をしている時は、そういう自分を作るが、仕事が終わった瞬間から全く福祉とは関係ない、極端な場合は差別者に衣替えする。このような報告を、知り合いの福祉現場の三カ所から受けている。これは多分競争社会の激しさが増して、自分の個性や本音を出せず、人間不信になって、資格という衣をまとわなければ自分を守れなくなっている。そういう深い意識構造から、資格導入は支持されてしまう。こうした若者の傾向について、教育改革運動を長年やってる人に聞いたら、「天野君当たり前だよ。小さいから競争させられっぱなしで、自分の本音なんか、失脚するし、足元取られるし、出せな
い。本当は友達欲しいし、かわいそうな存在」と言われた。
 もう一つ、以前は様々な社会問題への関わりの中から障害者の介助に関わってきた人たちが多かった。ところが今は、時給で釣られてくる人が増えている。完全に食いぶち。金目当てできている人は、介助に自分の気持ちが入っていず、長続きしない。
 あと関根さんも言っていたが、地域生活の運動の限界点が見えてきた。例えば僕が街の中で生活して、ヘルパー雇っていると、地域的な関わりがあまりない。
介助者と僕との関係で収束してしまっていて、地域に出たものの、多くの場合、地域の自立生活をしているつもりだが、このような介助者との関係だけに終わっている場合が多い中で、それはあたかも小さい社会的施設にいるようである。したがって、ヘルパー派遣だけを充足させてもまずいと思う。求められているのは「場の共有」。健常者との場の共有と介助者の充足という両方をワンセットでやらないとまずい。遠藤さんの例のように、職場の場を共有しながら介助を自然なものとして解消し、乗りこえて行くような。あるいは町内会なら町内会で、ヘルパー付きでも出て行くことによって人目にさらして、新しい関係を作っていく。
何でもいいから場を共有すべき。ヘルパーシステムだけが先行してしまっては、小さい隔離収容施設ができてしまう。システムだけ先行して、それに乗っかれば楽で便利だが自由がない。関係が広がらない。
 不便だけど自由だった時代がある。和光大の例。1976年車イスの学生が入学してきた。丘の上の大学で、階段だらけだったが、大学は、学外のヘルパーを自分で雇用して、階段等はそのヘルパーさんにやってもらうなら入学を認めると条件をつけた。誓約書まで書かされるというので、僕ら猛反発した。その人は、学内にバリアが張られたような感じで、とても嫌なので撤回して欲しいと言った。学生運動と合体して運動して、結局撤回させた。その結果、当時(70年代~80年代)、階段のあたりでは健常者の学生が自然に声をかける、そういう校風ができた。つまり一緒に存在していればこそできる。場を共有することによって共に認め合って支え合うような感じ。一緒にいる場を共有することが大事。ヘルパー派遣が保障されても、それだけではない共有する場が必要だと思う。
 次に、大きな日本の今までの価値観から見ていきたい。この問題は障害者だけの問題では止まることはないと思う。日本は今まで滅私奉公という価値観が根付いていた。会社に尽くす、家族のために頑張る。個人は関係なく、公に奉仕して生きがいを求めていく。こういうのを滅私奉公という。相手に身を預けて、考え方まで相手に任せていく。ということは、考える力が個人の中に全然育たない。
ところが最近は、その滅私奉公もなくなってきた。人間の価値が縮こまってしまっている。加えて現在は経済状態の悪化に伴って子育て専従者としての母親はその立場が維持できなくなってきている。夫婦共働きをしないと家族が成り立たなくなってきている。したがって子育てという問題が非常に不安定な状況に追い込まれている。そして、一見すると別の問題と思われるかもしれないが前述したように最近の若者たちも一人ひとり分断され追い込まれ、資格という小さな砦で自分を守らざるを得なくなってきている。この事態は昔よりもかなりかなり深刻だと思う。個人が追い込まれている。そういう中で障害者運動がどうやって横のつながりを作っていけるかというのが重要なキーポイントだと思う。

■有料化の誤算
【関根】「場の共有」と言う話が出ていた。支援費制度が始まって以来、自分で集めた介助者が使えないという状況になってきている。使うからにはヘルパー2級以上の資格を持っていなければダメといわれる。措置の頃の方がよっぽど自由だった。今は時間でヘルパーを換えられて、一日4~5時間しかない中で、掃除・洗濯等の時間しかなく会話をする時間がない。人と人との関係性を築けない。
 昔は人が居ないから介助者をクビにできなかった。今の障害者はすぐにクビにする。例えば、ワカメが増えること知らないで鍋をワカメで満杯にした奴。あるいは米を洗剤で洗って炊く奴。コロッケを炭にしてしまった奴など、そういうダメダメな介助者に付き合うことが楽しい。そうした中で相手も自分の悩みを語り出す。ところが今はそれがない。障害者は、介助者のちょっとした失敗で辞めさせてしまう。自分が努力して集めた介助者ではなく、事業所が派遣した介助者だからそれができる。自分が苦労して、街頭に立ち、ビラを撒いて関わってくれとお願いする。ワカメ大造君でも、決してクビにしなかった。今、利用者と介助者の間で人間関係が希薄になっている。場合によっては眠らず討論したことも何度
もある。介助者の問題も自分の問題になってくる。そうやって関係性ができていた。今では、介助を受けていてもつまらない、面白くない。施設にいるような錯覚に陥る。天野さんの話を聞いていて、介助を有料化したことは大きな誤算だったと思う。有料化したのは自分達の介助を守るためには、まず介助者の生活の安定化させなければいけないと思った。だから介助者が介助以外の仕事に行かなくても済むように、自分が見つけた介助者にお金を払っていきたい。そうすることによって自分の生活が安定するし、気心知れた人が介助者として定着できると思って有料化した。それによって、今まで不可能と思われていた最重度の人たちが街で暮らせるようになったことはいいことだが、一方で、関係性が失われてきた。
関係性ができていれば、どんな相手でも、ダメダメ介助者でも、ワカメ大造君でもいい。だけど関係性ができていないで、いきなり「2級ヘルパーを持っています」とか、「何でお前が受かったんだ」と思うような介護福祉士が来て、偉そうに「たまにはこうやって動かして、リハビリしたらどうか」などと余計なこと言われたりして腹が立つ。そこには上下関係があって仲良くなんかなれない。仲良くなるには、話す時間が必要。話していたら洗濯ができない、掃除ができない、色んなことができなくなってしまう。だから悪循環。
 僕らは有料化が必要だと思って始めた。介助者が介助をやっていてもちゃんと生活できるように始めた。これは僕らのポリシーがあって、自分の介助者にちゃんと介助やってもらいたいから、保障してくれとやってきた。そのことは間違いではなかったが、そこには誤算があった。事業所が間に立ち自分の意向が反映されていかなくなった。誤算のもう一つは、資格・資格ということによって、自由に人集めができなくなった。お金が介在することによって、金ありきになってきてしまった。どんどんアルバイト感覚になってしまった。
【金子】誤算というより、介護保険になって、ヘルパー制度の資格化など、介助
を一律に同じものとすることによって管理し易くした。
【関根】そこに障害者が努力せずに介助を受けられるようになった。要するにお膳立てされて、楽な方に乗っかって、あたかも自分が権力を持ったかのように錯覚した。行政の方が巧妙。行政に利用されたという意識がある。
【天野】ヘルパーがちょっと気に入らなかったり、ドジすると、辞めてもらって次を派遣してもらう、チェンジが気楽にできてしまうという感覚が若い障害者に芽生えている。ヘルパーは事業所が育てるべきだと思っている。事業所の責任を追及することが、権利だと思っている風潮に変ってきている。
【関根】それに加えて、ヘルパーも「労働者という意識」が高くなり、何か問題が起きると労基署へ飛び込む。障害者もダメならダメな介助者もはびこっている。
確かに重度心身障害者と言われている人達は絶対的な保障がないと地域で生活できない。それはそれで重要だと思うが、小1と高3が同じ給食を食べているようなもの。
 今、働ける障害者を作ろうと一生懸命だが、できるわけがない者もいる。それをどうするかという方が先決。昔は訓練施設で腕に技術を持てば社会に出られるということで、一生懸命励んだ。68年ころ荒木さんという人が無免許で運転した問題があった。彼は脳性マヒだったが、養護学校出た後、電気に詳しかったのでテレビの修理ができた。荒木さんはそれらを運ぶために、車の免許を取ろうとしたが、教習所で断られた。彼は3年間無免許で運転して、事故や交通違反を一度も起こさなかったが、たまたま検問でつかまった。裁判の中で、免許を取らせない方が悪いと主張した。欠格条項との日本で最初の闘いだと思う。
 そのように、昔の人達は無茶すれば自分で仕事できた。科学や文化が進んで、ここ十年で携帯も機能が高度になって訳が分からなくなった。個人で治せるという次元のものではなくなった。靴屋とか、印刷屋もある。印刷屋で昔は版に一個ずつ活字を入れていって名刺とか作ったが、今はワープロやパソコンの普及で必要なくなったし、名刺なんか自分で作れる。文化が進んだことによって、障害者はどんどん社会参加の場から追い出されてしまった。
【Aさん】必ずしもそう言えないのではないか。コンピュータと通信技術が発達したから、自宅にいて職場に通わなくても、自宅で会社から情報を貰って、就職できている人もいる。

■障害者雇用の実情
【関根】実際何人かそういう人を知っている。企業は雇用促進法によって障害者を何パーセントか雇わなければいけない。雇用促進法を使うとその企業には恩典がある。給料も6割が国から出たり、駐車場を確保できたり、トイレ等の改造費用が出たり、車まで買ってもらえる。そのような恩典が2年か3年ある。そうすると2~3年経つとだんだん居づらい環境にさせられて、新しい障害者に換える。
そうするとまた何億という雇用促進法が使える。前の人が使っていたコンピュータ等はそのままそこに残っている。
【Bさん】3年のスパンではなく3ヶ月。
【天野】しかも別棟を作る。健常者だけの職場を改造するのではなく、別棟を作ってそこに車イスの連中だけを送り込んで働かせる。
【関根】今は特定子会社というテーマがある。昔の特定子会社は、例えばトヨタの特定子会社の場合、トヨタの仕事を障害者だけが集められてしなければいけなかったが、今はそうじゃなくてトヨタの資本でパン屋さんやってもいいし、本屋さんやってもいい。そこに集められて、本社から出向された親分がいて仕事をさせてくれるのだが、それは雇用促進法に則ったものだから回転が速い。すぐ用済みポイ。新しい障害者入れるとまたお金がガバーと入る。
【天野】しかも、ヘタに障害者雇うと保険とか更生医療で大変。3ヶ月毎に入れ替えた方が楽。回転がいいし。無理させるとすぐ病気になって二次障害になっちゃうから、それよりも早期に回転させて職場を維持させるように仕向けているようだ。
【Bさん】天野さんが「場を作る」ことが重要と言った。コンピュータでは場ができるわけがない。私は今、知的障害者の作業所で働いている。国や行政は、就労させろ就労させろと言うが、疑問に思う。知的の場合は周りと話ができないなどで難しい。作業所のほうも、怠けたような人は企業に送れないから、キチンと上司のいうこと聞いて仕事こなすような人しか入所させない。そうじゃないと就労できない。だけど就労しても結局自分で辞めちゃう。作業所の職員と違って話なんか聞いてくれない、みんな忙しいから。
 今のところ一番成功したのは特定子会社。というのは、管理職は健全者、あとは障害者。つまり作業所とどこも変らない。それで、絶対本業やらない。車なんか作らせない。杉並に公民館に喫茶店あるのだが、これはアパレルがやっている。
経団連のホームページを見ると、作業所とは違って(特定子会社の場合)十万払っている、これに年金つけたら18万だから暮らせると書いてある。要するに障害者に対する保障を切り捨てていく、あるいは障害者が自立して納税者になるという意識を、障害者ではなく周りの人に思わせる効果を狙っている。テレビで頑張っている知的障害者の番組やる。そうすると実際に接していない人は素晴らしいと思う。作業所の職員によく行政が言ってくることは、遊ばせないでちゃんと就労させろと。作業所としては、就労率を上げるために、就労に乗らない障害者はお断りする。就労に乗らない障害者というのは、仕事できない障害者ではない。
例えばパニックを起こしてしまう人が作業所から弾かれている。障害者を知らない人はあたかも作業所で専門家がキチンとした訓練をすると、税金まで納めてくれるような人にできるのではないかと錯覚する。
【Cさん】感想。僕は学生のころ寮にいた。恒常的ではないが、身近な人の介助に関わったことがある。当時は言われたらまじめに受け止めて、「やらなければいかん」という感覚が強かった。その後、だんだん関わらなくなって、その間に制度が変って、ヘルパー制度も整えられた。今日のような話を聞くまでは、色々問題や意見もあるだろうが、少なくとも仕事として関わるヘルパーが増えた。これはいいことだと思っていた。皆さんも否定していないし、僕もそう思うが、でもやっぱりその上でというのが出されている。最近若いヘルパーさんとも交流があるが、単に仕事としてではなく、それなりの問題意識をもってやっている人も確実にいる。そういう中で僕ら何を目指していくのかをさらに考えて行きたい。

■養護学校の実態
【里内】僕は養護学校がどうなっているか聞きたい。今の肢体不自由児養護学校では、障害者は主張できなくなったし、欲求が弱くなった。
【関根】以前は、障害児だけの空間であったが、普通学校と中身は同じだった。
しかし今は、養護学校は変った。親が頑固に望めば力のある子は普通学校に行ける。養護学校にいる子は、重度どころか重症のような子が多くなっていて、養護学校自体が保育園の延長のようになっている。学業そのものはほとんどやっていない。一人か二人が特例的に集中教育を受け、大学に行く場合もある。お客様的扱いでもいいなら、僕らレベルの障害だと、普通校にいける。今は脳性マヒの早期発見で、手術を受け、相当良くなる時代になった。
【天野】「今なら、早期治療を受けると、天野君程度の障害では訓練で歩けるようになる」と言われる。里内さんの質問。要するに養護学校の生徒は重度心身障害児だけになっている。特別支援学校でどういう教育を受けているかというと、知的障害児の場合は、治安対策の対象物として扱われている。要するに集団に合わせる、盗みをしない、協調性を保つためだけに教育を注いでいる。その結果、自分の意志がない。ボランティアにくっ付いて、とぼとぼ下うつむいて歩くだけ。
自我が育っていないという問題も起きている。ただこれは前からの問題。
【関根】それは前から。レストランに連れて行かれても、例えば山に行けば山の物を食べ、海に行けば海の幸を食べるというのは、今となっては当たり前だが、海に行っても山に行っても、カレーライス。なぜかと言うと「自分のことは自分でやりなさい」という圧力がかかっていたから、スプーンで食べられるものはカレーライス。海の幸というのは食べるには骨や殻があったりしてややこしい。今の僕らは、「骨全部取って」と頼んだりして食べるようになったが、「自分のことは自分でしましょう」と強調されるために、頼んではいけないのだと思ってしまう。だからどこへ行ってもカレーライスだし、デパートでは金魚のうんこみたいにリーダーの後を付いて行く。
【天野】物を盗まないとか。それに力を注いでいて、本人達は自我が育たない。
養護学校の教員で進路指導をしていた友達がいるが、健常者もそうなのだが、「君はどう考えるの、君は何したいの」という自我を育てたり、自我に対する問いかけが、日本の教育にはないのだと。で、知的障害の子の場合なおのことそうで、自分が何をしていいかわからない。そして彼らには、集団を乱してはいけない、物を盗んではいけないと、協調性だけが求められる。だから暗い顔してとぼとぼ所属集団についていくだけとなる。
【関根】CILに20年位いて、相談業務を担当していて、本当に愕然としたことがあった。一人の子が「自立したい」と相談に来た。高校まで普通校の中を生きてきた。その後リハビリテーションセンターに入所するまで、自分のことをダメな人間だとずっと思っていた。ところがセンターに入って、車も運転できるし、自由に外へ出てもいいし、酒を飲んでもいいんだということを初めて知ったと。あれやっちゃダメ、これやっちゃダメと、明確な裏づけがないのに決め付けられていた。それを信じ込んでいた。これは普通校の中で、いかにお客さん的扱いだったかということだ。いわば障害を持っている子との逆の分断が行われていたということだ。
 普通校行っている子が放課後、色んな学校から学童保育なんかで集まってきたりすれば話は別だが、町田市の例でいえば、良くも悪くも送迎体制がしっかりしている。子供は授業中で社会性や人間関係が身につくわけではない。登下校の過程も重要。ところが送迎体制のおかげで、エスケープもできなければ、不登校もできない。普通校には先輩になりうる人がいない。
【Dさん】若い障害者が運動に参加してこないのはなぜ。
【関根】一つは、今の生活に不満を持っていない。要するに居るだけで金になる。
障害者の子供2人居るだけで、お母さん何もやらなくてもいい。居てくれるだけで食べていける。もう一つは、自分に恐怖を覚えない。親が確実に先に死ぬという危機意識が持てない。
【天野】今は社会資源がそろっている。また養護学校は今すっきり分かれている。
身体障害者だけとか、知的障害者だけとか、重度心身障害者だけとか。異質なものとのぶつかり合いの中で自分の立場を自覚したり、差別を感じたり、いざこざがある中でもまれて育って、自己意識が芽生えるのだが、そのきっかけすらうまくつかめなくなっている。

■「支える、支えられる」をどう超えていくか
【酒井】世田谷で基準該当の小さな事業所をやっている。全員が知的障害をもっている8人ほどの自立生活を応援している。そのうち4人は24時間体制で支援体制を組んでいる。今日の話は参考になり、教えられることもあった。当時は、この社会の中で生きていくために介助者を自分の力で集めなければならなかったし、介助者は、差別に反対し、共に闘う同志にもなった。介助者集めは、そういう人間関係を作ることと同じことだった。介助は労働であると共に同志的人間関係作っていくもの、そこは大事。
 介助は労働、仕事であるという位置づけが今の制度の中でできている。契約制度はそれ自体大きな矛盾があるのだが、少なくとも「介助は労働だ」ということが大きく社会的に位置づけられてきている。介助を保障せよと皆さんが闘ったのは、公的な保障がなかったからであり、やらざるを得なかった。制度がなく何の保障もなかったから、自分でやるしかなかった。今は、それほど苦労しなくても一定の保障が誰でも受けられる。まだ十分ではないが、仕事として確立してきた。
 大事なことは、この社会の中で、介助が必要な人は誰でも介助を受けて、当たり前に生活できるということである。自分で集められない人、自己主張できない人、主に知的な障害を持っている人達とも私たちはこの社会の中で対等に生活していける、介助を全面的に受けながら生活していける、そういう社会になるべきだという考えで、事業所をやっている。それほど努力しなくても当たり前に介助を受けられるという仕組みは必要。
 70年代当時、介助というのは「手足でいい」という考えの人もいた。そういう主張を読んだこともある。その人達が言っていたのは、関根さんや天野さんが言っていたこととは違って、介助はあくまで手足のように自分のやりたいことを受身的にやってくれる人で、そういう人を使って自分は社会に出て行くというもの。
 今私が思うに、やはり知的な障害を持っている人達の介助に入ってもらうためには、どうしてもしっかり介助できる人でなければならないと痛切に思う。そういうことを抜きにしてしまうと、その人の生活を支えられない。その上で、単に手足ではない対等な関係性をどう作るかというのは、難しい課題だと思った。
【天野】両方必要。人間関係・介護技術・労働条件の安定もすべて必要。でもなお、本来的には、人間関係で超えていって欲しい。自己表現ができず、通行人を捕まえることができない人は最低限命の保障が必要だから、システムを充実完備しなければならないが、同時に教育もする、身分も保障していく。将来的には自由選択にして、力のある人はそれに任せるという方向が良いと思う。
【関根】ニーズに合わせて、押し付けられるのではなく、選べるようにできればいい。介助者の方が働きかけなければ生活をつくっていくことのできない人もいれば、自己マネージメントができる人もいる。だからそれぞれが自分で選べるならだいぶ変ってくる。画一的な介助を押しつけられるのであれば、それはまさに施設にいるのと同じになってしまう。決め付けられるのは嫌だけど、自分で選べるようないくつかの素材を作ってもらうなら良いと思う。
 もう一点、これは前々から思っていたことだが、もし健全者がちゃんとポリシーを持ってこの仕事のプロになるのなら、健全者の運動として厚労省にも行って欲しい。要するに僕らが健全者の肩代わりをして運動している部分がある。ここまで高めてきたら健全者は健全者としての自尊心を持って闘うべきだと思う。自分が食うために、好きでこの仕事選んでいるわけだから、障害者運動ということだけではなく、自分の運動でもある。だからその辺をみんなが気づいてくれたらもっと強力な運動になっていくのではないかと思う。
 単なる介助で厚労省に行くのではなく、自分のこととして闘って欲しい。それを今まで肩代わりしてきたのがJILでありDPI。誰かがやらなければできなかったからやってきたが、地域にこれだけの障害者が生きていて、関わっている健全者は多数いるわけだから、障害者に頼らず、それぞれが主体性を持てば、いい共闘関係ができると思う。
【Eさん】職業的になっているという点。今の制度の中では、自立を目指すというのは知的の場合は、目指したくても目指せない。事業所に任せたのではもっとできない。結局(家族が)自分でやる方法も検討しなければならない。
【天野】個人が引き受けなければならないシステム自体がおかしい。知的障害は軽く見られてなおざりにされている。やはり身体障害の人がいかに繋がっていけるか。それはこちらの課題だと思う。

■代筆してくれない銀行
【Aさん】関根さんから便利と自由は違うという話があった。銀行の話が出たので一言。以前は名前も住所も銀行員が代筆して全部処理してくれた。最近は、一切代筆してくれなくなった。どこの銀行でも、同じ断り方をされてしまう。「できません。誰か他の人を連れてきてください」と。「できません」と言われると意地悪されているように感じる。ある銀行に行って、「あなたもきっと答えないのだろう」と、からかうつもりで聞いたら、その人はできない理由を教えてくれた。
「それをやるとクビになるかも知れない。警察が来て逮捕されるかも知れない」だから「勘弁して欲しい」という。金融庁の方からやらないようにというお達しがきているといわれた。ほとんどの行員は、その理由すら知らないまま対応しているのかも知れない。関根さんたちが言ったように、便利なようで不自由な世の中。どうやって打破するか僕も悩まされる。
【関根】セキュリティとかシステムが強化されればされるほど障害者は大変になってしまう。セキュリティを高めることは必要かもしれないが、ある意味、そこまでセキュリティを高めなければいけないというのは、人間関係の崩壊でもある。
【関根】今日は色んな問題が出た。こういう機会は定期的にやらないと磨耗してしまう。今日は一回目だから、多くの問題提起をした。ひとつずつ考える場というのが、なかなかなかった。障害者運動も衰退していく中で、こういう話をする機会というのは今後ますます必要になっていく。たまたま今回はこの3人で行ったが、別の提起者で、また集まる機会を持ちたい。

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