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2011年1月 9日 (日)

発達障害

下記記事によると、発達障害の出現率は5%とも6%とも言われているようだ。これを一つの障害と言えるのだろうか。ごく普通の在り様の一つに過ぎないのではないか。発達障害が注目されたのも事件がらみだった。それまでは専門家の貼るラベルに過ぎなかったものが、一般人の注目するところとなった。注目されそういう在り様が一つの障害であるとまでは良かった。それで救われた人も多かろう。ところが、事態はそれですまなかった。今度は発達障害児探しが始まった。今度は救済のためのラベリングではなく、発達障害児を支援学校、支援学級に送り他の児童から隔離するためのラベリングだ。5%もの児童を支援学級に送り込んで、子ども社会が成立するのか?あらかじめ選別されたのは95%の残りの児童だ。そして中学、高校と選別は進み、一生の値段が付けられる。児童はその始まりから「より普通の」「より望ましい」在り様でなければならないとされている。歳とともにその選別は進む。そして片方には「社会にとって不用の」子どもたちが作り出され、増えていく。派遣、非正規は子どものときから準備されている。

2011年1月7日 神戸新聞
 発達障害の疑い5% 兵庫県が支援策検討へ 

 兵庫県内の各自治体が実施した1歳6カ月児健診と3歳児健診で、注意欠陥・多動
性障害(ADHD)などの発達障害が疑われる乳幼児が、全体の約5%に上ることが
6日、県の調査で分かった。発達障害の出現率を示した調査は全国でも例が少ない。
県は2011年度にも各健診の項目、内容を検証し、さらに障害の早期把握や各市町への
支援ができるようにする方針だ。

 調査は、09年度に県内の市町(神戸市と姫路など中核市3市を除く)が実施した1
歳6カ月健診、3歳児健診の結果を精査した。受診した乳幼児数は両健診とも各約2
万1千人で、受診率はいずれも約95%。05年の発達障害者支援法施行後、早期発見の
ため県が作ったマニュアルなどを使い、異常の有無などを分類した。その結果、1歳
6カ月児健診で、言葉の遅れといった精神発達面の異常が見つかったのは4463人
(20・8%)。このうち、乳幼児の行動観察や母親の聞き取りから、発達障害が疑わ
れるのは1091人(5・1%)だった。3歳児も同様の診察で、精神面の異常が見つかっ
た2989人のうち、1207人(5・7%)が発達障害と見られた。県は11年度にも健診項
目、内容を検証。早期発見に結びつける方法や、その後の支援を検討することにして
いる。3歳以後に発達障害が見られる幼児や児童もいることから、フォローのあり方
なども見直すという。

 厚生労働省によると、発達障害の出現率を類推できる調査は、02年に文部科学省が
小中学校の教諭に学校での状況を聞き取り、6・3%とした全国調査のほかは、例が少
ないという。

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コメント

私はとあるアスペルガーしょうがいの私立大学既卒生です。
結論からいえば、私たちの世代に早期に支援学級に分別される制度があった方がありがたく、療育手帳を早めにいただき障害者枠就職した方がまだよかったと思います。
今までにしょうがい(自閉的)をもとにいじめられることもあり、それでもなんとか大学にいかせていただきましたが、面接のコミュニケーションにうまくいかず、就職に失敗しました。障害を持っている仲間の人で就職後の会社で早期退職は多いです。
また一般の人が簡単にできるバイトもなかなかできません。

やはり発達障害でそのしょうがいで生きていくのが困難な人には必要な道を作って欲しいです。

ただ発達障害全ての人が一般就労に就けないとは思いません。支援学級から普通学級、そして高等教育に偏見なしに移行できたり、逆も出来れば、よりよい発達障害の人の人生の指針になるかもしれないですね。

投稿: 哀しみの26 | 2013年1月 1日 (火) 22時59分

ちょっと違うかもしれませんが、選択の自由があるべきということでしょうか?今の社会のように他人が選別し、分けてしまうのはおかしいと思います。
今の社会が根底的にひっくりかえらないと無理かもしれませんが、能力によって分けられない社会、能力そのものが社会的に形作られるものであるという事実に基づき、能力によって選別され価値が決まってしまわない社会がめざされるべきではないでしょうか。そういう社会ならさまざまな障害を持った者が、その能力で分けられない、差別されないで自由にあのグループからこのグループにと移動しうるのではないかと思うのです。
能力は個人が実現した所有物だというのは間違った前提と思います。能力は、社会の中で獲得された社会有ともいうべきものだと思います。生まれついての差異はあるかもしれませんが、貧困の世代間連鎖と呼ばれるものがなぜあるのでしょうか。
発達障害というものがどうかは何とも言えません。しかし「精神障害者」が差別されるのはそれが個人的な問題、個人的に獲得されたありようと考えられているからではないでしょうか。社会的に形成されたものであり、一人の人のありようの一つだという事実が明らかになってもなお、差別が存在すると言えるかと考えます。AさんのありようとBさんのありようが違う程度にしか違わないなら、そこに差別が生まれるでしょうか。

投稿: ゲン | 2013年1月 2日 (水) 19時10分

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