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2011年9月

2011年9月30日 (金)

9・23集い後半

9/23集いには85人が参加。
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車椅子の障害者も多数参加した。
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集い後半は質疑・意見を出し合った。

★    (障害者)民主党は第2自民党ではないか?
★    (障害者)障害者権利条約で、障害者の自由と権利を国は保障すべきとなっている。民主党は無視している。
★    (古賀)地域で生きられるようにしようという人とは、誰とでも一緒にやる。権利条約だけでは何の力にもならない。イギリス・オランダで介助時間の削減があり、イギリスでは5月に8000人のデモがあった。命の切捨ては全世界で進んでいる。権利条約があっても闘いがないとダメ。障害者を始めとする闘いが力になる。

★    (脳性まひ障害者)今A市で一人暮らしをしている。一人暮らしをする時に市役所の障害福祉課、身障福祉センターの相談員は障害や体のことを聞かないで「家事援助削減しますんでそのように暮らしてください」と言った。それでは生活が出来ないので自分でパソコンで困ることを事細かに書いて市役所に出したら受け入れられた。相談員が話を聞いてくれないのは困った。

★    (ヘルパー)ヘルパーの側から「ヘルパーの数を増やせ」「時間数を増やせ」「給料を増やせ」と言いたい。福祉が出来上がらないうちに、国は潰そうとしている。ヘルパーは集会に行くときいや応無く付いているだけで良いのか?ヘルパーに対してもかけられている攻撃だ。ヘルパー同士の交流、当事者と一緒にやるなかで生まれてくる。介護する者、される者を越えて地域で共に生きていくことに、ヘルパーが先頭に立っていく。10・28全国フォーラムには事業所の車を借りて日比谷へ行く。

★    (精神障害者)強制入院、社会的入院はダメと推進会議、総合福祉部会は言っている。ところが、厚労省の官僚、日本精神病院協会の抵抗がある。日常のことで。ホ-ムヘルプを利用している。ヘルパーのほとんどは健常者の尺度で測って精神障害者への理解が無い。しかし、精神病のことを理解し励ましてくれる人もいる。ヘルパーと障害者は仲良くしたらダメと言われているそうだが、事業所に内緒でプライベートでも仲良くしてくれる人もいる。里美さんのことで。上司から性的暴行を受けた。障害者の弱みに付け込んだレイプそのもの。障害者、契約社員、女性と何重もの差別の構造がある。和解協議で会社も加害者も謝罪しなかったから不調となり、判決となった。11月4日が判決公判だ。判決までの大衆運動を。署名に協力を。

★    (視力障害者)違憲訴訟元原告72人の一人です。ヘルパーの世話になって2~30年。ほんの少数を除いて事務的・パート的な人が多い。健常者は自由に歩く。健常者は毎日買物に行く。行きたい時くらいは行かせろよ。財政難というところからしか検討しない。はらだたしい。車椅子も快くは押してくれないヘルパーもいる。この怒りをどこに持っていったらいいか。

★    (元市会議員・医師)介護保険の問題で議員に出た。介護という公的保障されなければならないものを個人の責任とし、民間に介護させる。税と社会保障の一体改革で改悪が進められようとしている。介護保険法の改悪案が6月15日に成立した。「介護予防」を作って介護から外した。公的枠を外して民間業者にやらせる。市場として大手が参入し金儲けさせようとしている。介護保険の利かないところは1時間2千円の自己負担だ。金が無ければ介護を受けられない。全面的な切捨てが進んでいる。官僚が進めている。民主党になっていい方向に向かうかと思ったが、まったく違う。野田内閣は、税と社会保障の一体改革という形で改悪を進めようとしている。

★    (障害者)自立支援法、介護保険に反対している。母親が10年前に右かた麻痺になった。リハビリを受けたいと訴えていたが、受けることなく先日亡くなった。官僚批判があった。「人間らしく生きられる」を官僚はどう考えるか?官僚なりに弱点があるのでは?ここが弱点と言うところを古賀さんに聞きたい。

★    (古賀)官僚の弱点は多くの人が集まること。地方自治体から来て明け方まで働かされている。労働運動は無いのか。良い人もいる。食い込むような言い方が必要。誰を仲間と思えるかを問うていくことが必要だ。

まとめ(平田)現場の思いを聞かせていただいた。今の状況と問題を変えていくという行動提起があった。現場の思いを語っていただいた中で、その両方、政治闘争と現場を変えて行くというベクトル。同時にやれることをやりながら行動して変えていくことだ。

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2011年9月24日 (土)

9・23集い報告

 障害者自立支援法撤廃・人間らしく生きられる新制度を求める集いを開きました。二回に分けて報告します。今日は基調講演した古賀典夫さんのお話の要約を掲載します。

講演要旨。はじめに

 8月30日、「障害者制度改革推進会議」の「総合福祉部会」が「骨格提言」を取りまとめた。そして、厚生労働省が「障害者自立支援法」に代わる総合福祉法(仮称)案の作成に入った。総合福祉法は、来年の通常国会に政府提出法案として上程される予定だ。この秋から来年にかけて「障害者」解放運動は、決戦の中に入っている。
 05年10月13日、当時の中村社会援護局長は、福祉は買うものであるとして、「電気やガスや水道や交通や、生活のもろもろの費用については購入せざるをえない。そういう世界の中で生きているということ」と発言した。現在、この人物が厚労省の社会保障改革の中心となっていると言われる。

障害者基本法をめぐって

自公・民主3党の合意として提出された案では、「可能な限り」という文言が6箇所入っている。この法案が衆院で6月に、参院で7月末に可決。
「可能な限り」という文言は、官僚の力で入れられたことが推測された。

総合福祉法をめぐって

 厚労省は、2月15日と6月23日に、総合福祉部会の打ち出している方向について、コメントを発表している。これが極めて悪質なもの
憲法よりも「地域主権戦略」が大事なのか。社会福祉や社会保障の増進の義務を国の責任とした憲法25条、法の下の平等を規定した憲法14条を否定する姿勢を示した。
「非常に多額の財源及び人材が必要となるため、国民の理解を得ながら検討する必要があります。財源や人材の制約を踏まえ、また、制度に係る費用を負担する国民の理解を得るためにも、他の代替手段の活用など、様々な地域資源の活用により総合的に対応することについても検討が必要と考えられます」としている。
8月30日、総合福祉部会が「骨格提言」を取りまとめた。その中から「障害者総合福祉法がめざすべき6つのポイント」を紹介する。
【1】障害のない市民との平等と公平
【2】谷間や空白の解消
【3】格差の是正
【4】放置できない社会問題の解決
 「わが国では依然として多くの精神障害者が「社会的入院」を続け、知的や重複の障害者等が地域での支援不足による長期施設入所を余儀なくされています。地域での支援体制を確立するとともに、効果的な地域移行プログラムを実施します。」
【5】本人のニーズにあった支援サービス
【6】安定した予算の確保
「当面の課題としては、OECD加盟国における平均並みを確保することです。」これによって、1兆円以上の追加予算が確保できることになる。

経過の総括

この「骨格提言」を法案化するのは改革に抵抗する官僚だ。しかし、この間の経験は、この官僚機構も含めて、政府を譲歩させる力を、「障害者」運動は持っていることを示している。そのもっとも強力な武器は、06年の日比谷の1万5千人のような大衆行動だ。
 また、民衆全体がこうした闘いを支持する状況が重要だ。小泉改革に苦しめられた民衆の中に明らかに「障害者」の闘いを支持する状況があった。教基法、沖縄の闘いなどがあった。

社会保障、福祉きりすての現局面

いま、民主党が進めている「社会保障と税制の一体改革」は、消費税の増税と社会保障・福祉のきりすてを進めるものだが、これは自民党の麻生政権時代に成立した、〇九年度税制改正法(〇九年二月三一日公布)の附則一〇四条に沿って進められている。裏には、自公・民主政権を貫き、それを推進してきた官僚が存在する。
5月12日、厚生労働省は「社会保障制度改革の方向性と具体策」を発表した。東日本大震災の影響により「社会保障制度改革と財政健全化を同時に実現することの重要性は、むしろ高まっていると考えられる」「そのため、これまで以上に、給付の重点化、 選択と集中、優先順位の明確化が求められる」と福祉切捨てを明言している。

結論

 強力な大衆行動を作り出そう。
 10月28日の日比谷に1万5千人を越える結集を作り出そう。
 厚労省コメントを許さない怒りネットの厚労省交渉を成功させよう。
 こうした立場で闘う人々との連帯を。
 要約、以上。 

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2011年9月21日 (水)

9・23は関西の障害者集会

9・23は関西の集会です。「障害者自立支援法撤廃、人間らしく生きられる新制度を求める集い」です。

午後1時半開場、2時開始。西宮勤労会館です。ぜひ多くのご参加をお待ちしています。

「障害者自立支援法」が「介助に金をとる」という極めて分かりやすい攻撃の構図だったのに比して、今の攻撃は極めて分かりにくい構図となっています。例えば、「障害者基本法改正案」では推進会議の報告の核心部分を解体するのに、政府は「可能な限り」という5文字を6ヵ所挿入したのです。よほど注意深く読まないと、核心部分が骨抜きになっていることは分かりません。総合福祉部会の総括的報告が8月末に出ましたが、それを法案化するのは厚労省の作業であり、大幅な後退が危惧されます。大衆運動の力によらなければ、厚労省によって押し切られてしまいます。
また、「障がい者制度改革推進会議」「総合福祉部会」「差別禁止部会」など、障害者のための審議をしている機関が複雑化していることも、事態を分かりにくくしています。「障害者基本法」というものも一般の障害者の間では存在感のない法律でした。理念法であるため、「障害者」の生活実感からは判りにくいものでした。それが改定されると言われても、一体何事が起きているのか一般の障害者には分かりにくいものでした。推進会議が実現しようとしている制度の背景にある「障害者権利条約」もまた、一般には分かりにくいものです。
このような中で、“推進会議まかせ”では、政府・厚労省の反動を押し返すことはできません。今一度、障害者を先頭とした、闘いのうねりをまきおこしていかなければなりません。今、分かりやすく「真実を知らせる」ことが必要なのです。
私たちは、毎年秋に「障害者自立支援法」の撤廃をもとめる集いを開催してきました。今年も上記のような反動を押し返す、大きなうねりを作りだすために、集いを開催します。今年の10・28全国集会に向けて、9・23の集いをひろく真実を知らせていく場としましょう。ぜひこの集いにご参加ください。

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2011年9月16日 (金)

小宮山厚労相「予算枠も協議」

■障害者新法の提言書公表

 厚生労働省は5日、「障害者総合福祉法の骨格に関する絵合福祉部会の提言」の確定版を公表した。障がい者制度改革推進会議の総合福祉部会(部会長=佐藤久夫・日本社会事業大教授)か8月30日、障害者自立支援法に代わる新法をどのような内容にすべきか議論を取りまとめたが、細かな文言の修正を残していた。取りまとめを受け小宮山洋子・厚労大臣は予算枠について協議する意向を示した。

 部会は、組合福祉法が目指すべきポイントを①障害のない市民との平等と公平②谷間や空白の解消③格差の是正④放置できない社会問題の解決⑤本人のニーズにあった支援サービス⑥安定した予算の確保──の六つに集約している。

 障害者権利条約と、障害者自立支援法違憲訴訟の原告団と国(厚労省)との基本合意文書を指針にした。

 例えば、谷間や空自の解消という視点では、制度の谷間をなくすことを検討。障害者の範囲を「身体障害、知的障害、精神障害(発達障害を含む)その他の心身の機能の障害がある者であって、障害および社会的障壁により継続的に日常生活または社会生活に相当な制限を受ける状態にあるものをいう」と整理し、「心身の機能の障害には、慢性疾患に伴う機能障害を含む」と念も押した。従来よりも広い範囲で支援の必要な人をカバーする考え。

 また、「放置できない社会問題」として社会的入院や長期施設入所、家族に介助の大部分を依存している状況を挙げ、これらを解決するために地域で支援体制を作ることに力を入れる。国が「地域基盤整備10カ年戦略」を策定し、地域移行を進めることを法定化するよう求めた。

 利用者負担については、障害に伴う必要な支援は原則無償にすべきとしたが、それだけでは国民の理解を得にくいと考え、高額所得者には収入に応じた負担を求めるとしている。

 こうした取りまとめを受け小宮山大臣は、6日の会見で、法案づくりに骨格提言をどこまで反映させる意向かについて「民主党政権になってから当事者を半分以上入れた中で協議しており、希望が盛り込まれた提言だと思う。ただ、全体の予算の枠があるので、これからしっかり協議していきたい」と発言した。

 なお、骨格提言は厚労省のホームページ(http://www.mhlw.go.jp/bunya/shougaihoken/sougoufukusi/index.html)に掲載されている。

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2011年9月11日 (日)

「精神病者は社会を告発する者」という捉え方

先日アップした文章を大幅に加筆修正しました。ぜひご意見を投稿して下さい。

「精神病者」運動

かつて、「精神病者」運動のなかで、「精神病者は社会を告発する者」という捉え方があった。提唱者ははっきりとは覚えていないが吉田オサミさんではなかったかと思う。吉田さんは1970年代に活躍した「精神病者」で、いろいろとそれまでには無かった観点を提起していて、学ぶべき点が多い。
 吉田さんの提起したものをそのまま再提起するには記憶が定かではない。そこで私が考えるところを述べる。「精神病」はなぜ生じるのか?社会の矛盾を一身に背負わされた結果ではないか?私を発病例として取り上げてみよう。
そもそも私はなぜ発病したのか?多くの「病者」同様、私の場合も少し複雑で、はっきりと病気になるのは、左翼党派内の虐めが原因だ。そこに至るまでに、子どものころからの親による虐待によって病的であり、高校時代に腎臓病で周りから孤立していたことも病気を進行させていたと思う。21歳くらいに左翼党派に参画するが、そこで激しい虐めに遭い、はっきりとした統合失調症の域になっていた。さらに27歳くらいに職業病で鬱になったことで働くことが出来なくなり、「精神病者」としての人生を歩むようになった。今の診断名は「統合失調症性の鬱」というものだ。
他の「病者」に聞いてもこういう複雑なケースは少なくない。子どものころに遠因があるケースを良く聞く。精神病院でも小児外来が有るところがある。思春期に発病する人も多い。それらのケースをそれぞれに検討すべきだが、私はその任に適当ではないので、自分のケースを掘り下げてみたい。

個人に病因を探す諸説

私の場合、親を含めた社会的原因で発病した。発病原因は社会の側にあるのであり、個人的資質の問題ではない。発病を個人的資質のせいにすると、病気であることは「病者」の中で自己完結してしまう。克服すべきは「病者」の資質であり、自己の中で努力すべきこととされる。自己否定にまで行き着く考え方だが、多くの学説が個人の側に原因を求めている。ストレスに原因があるという説でも、個人の側の受容性にも原因を求める説もある。厚生労働省が労働災害認定に使っているのはその説だ。「ストレス脆弱性」理論と呼ばれているもので、ストレスの強さと共に、個人の「脆弱性」の要素が発病の原因とされ、労災切りに使われる。
最近ではシナプスの異常が発見されたりしている。しかし、脳機能の障害を発見しても、他の要因で脳機能に障害が出ていることを否定は出来ない。まず始めには何があったのかを特定しうる説ではない。
より多くの「病者」の体験を総括すれば、社会的原因があることは、もっとはっきりするだろう。親子関係は個人が最初に出会う社会だ。

病気と障壁

発病した後働く場から追放されることによって、「病者」人生を歩むことになったのも、社会的障壁が原因だ。私の場合働けなくなったのは不眠症によって昼間起きていられなくなったためで、その後不眠症は改善したが今度は薬がきつくて働くどころではなくなった。それでも、社会的活動をしているわけで、それを労働ともみさないのは社会がそうなだけだ。社会的原因で発病し、社会的障壁によって隔離されるというのが「病者」の一般的在り様だ。
いま、広い意味での福祉によって生きているわけだが、今の福祉は「生かさず・殺さず」、低所得者が犯罪に走らないようするためであり、最低限生きていく額でしかない。
すると、生きていくこと自体が社会のあり方と矛盾することになっている。社会と矛盾しないと生きて行けない。「生かさず・殺さず」の中に安住することが出来るだろうか。最低限の人間らしさも否定されてはいないか。食べる・住むことは保障されているがそれ以上ではない。それだけで人間は生きていくのではない。趣味も金のかからないものしか持てない。私は今「病者」の俳句クラブに入っているが金が掛からないから続けられている。
「人間らしさ」を簡単には言えないが、労働できないということで社会から追放されるのは確かだ。福祉的労働というものがあるが、その場自体が社会から隔離されてはいないか。また、福祉的にでも労働できるのは少数者だ。労働できるか否かで「病者」間の分断もある。
人間とは何かという大きなテーマにも関わるが、人間は社会と関わり社会のなかで相互に働きかける関係で生きている。社会から全く孤立しては生きていけないし、それを「生きている」と言えるだろうか。引きこもりの場合でも、親との関係とか最低限の社会的紐帯はあるのでは無かろうか。無人島での生活を描いたロビンソンクルーソーの小説でも、彼は社会を作った。フライデーの存在なしには生きられなかったと描かれている。
「病者」の場合、そのような意味で最低限の社会的関係はあるとは言え、社会の側から拒絶されていると感じるのは考えすぎではなかろう。

開き直り

「身体障害者」の世界で、「障害は個性である」と開き直ったことは、画期的意味があった。それまで障害は努力して克服すべき現実であり、「哀れみと施し」の対象でしかなかったものを、障害は社会の側にあるのだ、「障害者」は権利主体だという大転換を果たした考え方だからだ。
「病者」の場合も障害が社会の側にあるというのは共通したことだ。しかも、発病には社会的原因がある。「病者」となって後に、自らを人間であると主張することも社会と激しくぶつからざるを得ない。「哀れみと施し」を極限まで進めると、差別抹殺となる。「病者」が事件を起こすとことさらに病気が強調され、社会の憎しみの対象とされる。「病者」は社会の敵ナンバー1とされている。そこで「敵で結構」と開き直ったのが、吉田オサミさんではなかったか。そこに彼の画期性があった。
「病者」も人間である、権利主体であると主張する時、社会と激しくぶつからざるを得ないのだ。病気であることを自己否定すれば自殺まで行き着く。病気であることを否定するのではなく、自己肯定し、「病者」も人間だと自己主張することは、社会と激しくぶつからざるを得ない。病気であること自体が社会の歪みに原因があるのだから、自己否定することは、社会に負けることだ。しかし、自己肯定にはリキがいる。自己肯定し社会の歪みを告発し、社会の歪みと対決する時こそ、患者会の存在意義があると言うべきだ。患者会で「病者」が生きていくリキをつけると考えた時、患者会は社会的な存在価値があるのではないか。患者会そのものが社会に物申し、社会を告発する時に、患者会に皆が集まるという意義が見出せるのではないか。ひょうせいれんはそうありたい。

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2011年9月 7日 (水)

社会保障改革 年内に大枠を決定

厚労省が社保審に報告

 厚生労働省は8月29日、社会保障審議会(会長=大森禰・東京大名誉教授)を開き、社会保障・税一体改革の検討スケジュールなどを報告した。児童、高齢者、障害者のいずれも年内に大きな枠組みが固まり、年明けから法案提出が順次進む見通しだ。一方、社会保障改革とセットとなる消費税率の引き上げなど、税制抜本改革には民主党内にも慎重論がある。財政規律を重視する野田佳彦・首相のもと、政府が与野党協議、国と地方の協議にどのように向き合うかが注目される。

 同日の主な議題は、6月30日に政府がまとめた社会保障・税一体改革成案だ。成案は与党の意向を踏まえ、「2010年代半ばまでに段階的に消費税率を10%まで引き上げる」と税率の引き上げ時期をあいまいにした。

 閣議決定も先送りされ、今後の議論の場は与野党協議に移る。ただ、09年度の税制改正法付則第104条は「消費税を含む税制抜本改革を行うため11年度までに必要な法制上の措置を講ずる」としており、法制化は避けて通れないというのが政府見解だ。

 社会保障改革についてはそれと併行して社保審の各部会などで議論を進め、年内に大枠を固める。8月12日に関係5大臣が「当面の作業スケジュール」を確認するなど、新しい内閣が着実に改革を進めるよう折に触れてクギを刺してきた。

 同日開かれた社保薯もその一環で、厚労省は8月12日発表の作業スケジュールを基に各部会、分科会の検討事項、その進ちょく状況、今後のスケジュールを詳しく説明した。

 社会保障改革の最優先課題は「現役支援」で、子ども・子育て新システムや就労支援がそれに当たる。新システムは消費税率の引き上げや子ども手当の減額を前提こ議論が進んできた。秋以降、年末まで費用負担の在り方などを議論することになっている。

 一方、社会保障給付の半分近くを占める医療・介護はマンパワーを増強して患者の在院日数を短縮し、病床や介護保険施設の伸びを抑えて在宅医療・介護に移すことが柱。25年度を目標に改革を進めた場合の医療・介護の給付費は、改革しない場合よりも4兆円上回るという。

 政府は改革により医療・介護の給付費は増やすものの、その中身を大胆に変える方針。病床の再編・整備計画などを規定する「基盤整備一括法」と、複数の機関が一体的にサービス提供することを評価する「診療報酬・介護報酬の体系的な見直し」を進める。

 いずれも年内に社保審の部会、分科会が基本的な方針を固める。介護保険の低所得者対策、高額療養費見直しと、それらの財源をねん出するための介護納付金の総報酬割、受診時定額負担なども12年以降、関係法案を提出する。

 ただ、成案には野党だけでなく与党内からも異論があるはか、地方側の警戒もまだ解けていない。

 全国知事会など地方6団体は、地方単独事業の財源として消費税が外されることを懸念し、成案の取りまとめの最終段階で強く反発。法制化された国と地方の協議の場に一体改革の分科会を設けることなどで折り合った経緯がある。

 厚労省は同日の社保審で、地方単独事業を含む社会保障給付の全体像と費用推計を整理する検討会を設けることを報告。10月までに3回程度開くと説明したが、知事会を代表する委員は成案の取りまとめに至るまでの政府の進め方に改めて苦言を呈した。

 地方側は障害者施策、子ども手当、生活保護についても政府に不信感を募らせている。財務大臣として成案作成に参画した野田首相は「ちゃぶ台返しをしてはならない」などと地方側に反論した立場でもあり、新しい内閣が与野党の協議、国と地方の協議にどう向き合うかが注目される。

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2011年9月 3日 (土)

「精神障害者は社会を告発する者」という捉え方

 知らない人が多いようだが、「精神病者」運動のなかで、「精神病者は社会を告発する者」という捉え方があった。提唱者ははっきりとは覚えていないが吉田オサミさんではなかったかと思う。吉田さんはいろいろとそれまでには無かった観点を提起した人で学ぶべき点が多い。
 吉田さんの提起したものをそのまま再提起するには記憶が定かではない。そこで私が考えるところを述べる。「精神病」はなぜ生じるのか?社会の矛盾を一身に背負わされた結果ではないか?私を発病例として取り上げてみよう。
そもそも私はなぜ発病したのか?私の場合も少し複雑で、はっきりと病気になるのは、革新党派内の虐めが原因だ。そこに至るまでに、子どものころからの親による虐待によって病的であり、高校時代に腎臓病で周りから孤立していたことも病気を進行させていたと思う。それらは発達障害の一種だったかもしれない。21歳くらいに革新党派に参画するが、そこで激しい虐めに遭い、はっきりとした統合失調症の域になっていた。さらに27歳くらいに職業病で鬱になったことで働くことが出来なくなり、「精神病者」としての人生を歩むようになった。今の診断名は「統合失調症性の鬱」というものだ。
他の「病者」に聞いてもこういう複雑なケースは少なくない。子どものころに遠因があるケースを良く聞く。精神病院でも小児外来が有るところがある。思春期に発病する人も多い。それらのケースをそれぞれに検討すべきだが、私はその任に適当ではないので、自分のケースを掘り下げてみたい。
私の場合、親を含めた社会的原因で発病したことが分かる。発病した後働く場から追放されることによって、「病者」人生を歩むことになったのも、社会的バリアーだ。私の場合働けなくなったのは不眠症によって昼間起きていられなくなったためで、その後不眠症は改善したが今度は薬がきつくて働くどころではなくなった。社会的原因で発病し、社会的バリアーで隔離されるというのが「病者」の一般的在り様だ。
いま、広い意味での福祉によって生きているわけだが、今の福祉は「生かさず・殺さず」、低所得者が犯罪に走らないようするためであり、最低限生きていく額でしかない。趣味も金のかからないものしか持てない。私の場合は、俳句とカメラだ。
すると、生きていくこと自体が社会のあり方と矛盾することになっている。社会と矛盾しないと生きて行けない。「生かさず・殺さず」の中に安住することが出来るだろうか。最低限の人間らしさも否定されてはいないか。食べる・住むことは保障されているがそれ以上ではない。それだけで人間は生きていくのではない。
「人間らしさ」を簡単には言えないが、労働できないということで社会から追放されるのは確かだ。福祉的労働というものがあるが、その場自体が社会から隔離されてはいないか。また、福祉的にでも労働できるのは少数者だ。
「身体障害者」の世界で、障害を個性であると開き直ったことは、画期的意味があった。それまで障害は克服すべき現実であり、「哀れみと施し」の対象でしかなかったものを、障害は社会の側にあるのだ、「障害者」は権利主体だという大転換を果たした考え方だからだ。「病者」の場合も障害が社会の側にあるというのは共通したことだ。しかも、発病には社会的原因がある。「病者」となって後に、自らを人間であると主張することも社会と激しくぶつからざるを得ない。「哀れみと施し」どころか、差別抹殺の対象でさえある。「病者」が事件を起こすとことさらに病気が強調され、社会の憎しみの対象とされる。「病者」は社会の敵ナンバー1となっている。それらの総体に対し、「病者」も人間である、権利主体であると主張する時、社会と激しくぶつからざるを得ないのだ。病気であることで自己否定するのではなく、「病者」も人間だと自己主張するとき、病気・障害は個性であるどころか、社会を告発し続けることによってしか、それはできない。「病者」の自己肯定は社会を告発するのだ。

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