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2011年9月 3日 (土)

「精神障害者は社会を告発する者」という捉え方

 知らない人が多いようだが、「精神病者」運動のなかで、「精神病者は社会を告発する者」という捉え方があった。提唱者ははっきりとは覚えていないが吉田オサミさんではなかったかと思う。吉田さんはいろいろとそれまでには無かった観点を提起した人で学ぶべき点が多い。
 吉田さんの提起したものをそのまま再提起するには記憶が定かではない。そこで私が考えるところを述べる。「精神病」はなぜ生じるのか?社会の矛盾を一身に背負わされた結果ではないか?私を発病例として取り上げてみよう。
そもそも私はなぜ発病したのか?私の場合も少し複雑で、はっきりと病気になるのは、革新党派内の虐めが原因だ。そこに至るまでに、子どものころからの親による虐待によって病的であり、高校時代に腎臓病で周りから孤立していたことも病気を進行させていたと思う。それらは発達障害の一種だったかもしれない。21歳くらいに革新党派に参画するが、そこで激しい虐めに遭い、はっきりとした統合失調症の域になっていた。さらに27歳くらいに職業病で鬱になったことで働くことが出来なくなり、「精神病者」としての人生を歩むようになった。今の診断名は「統合失調症性の鬱」というものだ。
他の「病者」に聞いてもこういう複雑なケースは少なくない。子どものころに遠因があるケースを良く聞く。精神病院でも小児外来が有るところがある。思春期に発病する人も多い。それらのケースをそれぞれに検討すべきだが、私はその任に適当ではないので、自分のケースを掘り下げてみたい。
私の場合、親を含めた社会的原因で発病したことが分かる。発病した後働く場から追放されることによって、「病者」人生を歩むことになったのも、社会的バリアーだ。私の場合働けなくなったのは不眠症によって昼間起きていられなくなったためで、その後不眠症は改善したが今度は薬がきつくて働くどころではなくなった。社会的原因で発病し、社会的バリアーで隔離されるというのが「病者」の一般的在り様だ。
いま、広い意味での福祉によって生きているわけだが、今の福祉は「生かさず・殺さず」、低所得者が犯罪に走らないようするためであり、最低限生きていく額でしかない。趣味も金のかからないものしか持てない。私の場合は、俳句とカメラだ。
すると、生きていくこと自体が社会のあり方と矛盾することになっている。社会と矛盾しないと生きて行けない。「生かさず・殺さず」の中に安住することが出来るだろうか。最低限の人間らしさも否定されてはいないか。食べる・住むことは保障されているがそれ以上ではない。それだけで人間は生きていくのではない。
「人間らしさ」を簡単には言えないが、労働できないということで社会から追放されるのは確かだ。福祉的労働というものがあるが、その場自体が社会から隔離されてはいないか。また、福祉的にでも労働できるのは少数者だ。
「身体障害者」の世界で、障害を個性であると開き直ったことは、画期的意味があった。それまで障害は克服すべき現実であり、「哀れみと施し」の対象でしかなかったものを、障害は社会の側にあるのだ、「障害者」は権利主体だという大転換を果たした考え方だからだ。「病者」の場合も障害が社会の側にあるというのは共通したことだ。しかも、発病には社会的原因がある。「病者」となって後に、自らを人間であると主張することも社会と激しくぶつからざるを得ない。「哀れみと施し」どころか、差別抹殺の対象でさえある。「病者」が事件を起こすとことさらに病気が強調され、社会の憎しみの対象とされる。「病者」は社会の敵ナンバー1となっている。それらの総体に対し、「病者」も人間である、権利主体であると主張する時、社会と激しくぶつからざるを得ないのだ。病気であることで自己否定するのではなく、「病者」も人間だと自己主張するとき、病気・障害は個性であるどころか、社会を告発し続けることによってしか、それはできない。「病者」の自己肯定は社会を告発するのだ。

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コメント

私も、本当の「発病」は、父子家庭から母子家庭に入れ替わる時だと思います。10歳の時です。
体がだるくやる気が無くなり、母は、キオーレオピンやQPコーワゴールドなどを飲ませようとしました。しばらく飲んだけど、うつ病にそんな「薬」は効くはずも無く、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。
本格的に「病者」としての人生を歩み始めるのは、職場で急に中国との取引が急成長して激務になり、ある時プツンと、糸が切れたように、今までの業務がこなせなくなってからです。
何度かの休職を繰り返す内に、もう普通に働けない、と判断せざるを得ず、障害年金をもらって生活するようになりました。
資本主義社会では「役立たず」です。「それがどうした」と思って堂々と生きています。

投稿: でっかいちゃん | 2011年9月 6日 (火) 00時22分

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