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2011年11月11日 (金)

 怒りネット通信№49

怒りネット通信
2011年11月22日発行 No.49

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誰もが地域で生きるために障害者制度・介護保険制度を根本的に変革せよ!

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沼尻好夫の65歳介護保険適用問題についての報告と御礼

 このたびは、夫である沼尻好夫の65歳介護保険適用問題について関係者のみなさんから多くの応援と励ましをいただき、ありがとうございました。おかげさまで好夫は障害者福祉サービス(自立支援法適応)の本決定を市役所から受け取り、9月1日からこれまでどおりの安定した生活に入ることができました。
 以下、簡単ではありますが、これまでの経過をご報告させていただき御礼にかえさせていただきます。
 
問題の根本は介護保険制度そのもの
 
 もともと2000年4月の介護保険制度導入の時から「障害者福祉施策の介護保険への一本化」の攻撃はありました。この「65歳をこえた障害者への介護保険適用」の問題もそのひとつです。
 長年、障害者福祉施策にもとづき自立生活をつくりあげてきた地域生活する障害者にとって、「介護保険への一本化」は利用者1割負担、介護時間の大幅削減、移動サービスの全面カットなど生活を直撃する大問題でした。わたしたち障害者がそれまでコツコツと積み上げた既得権が、長生きして65歳になったというだけで、いきなりサービスを取り上げられるのです。
 その一方、厚生労働省はあえて障害者の65歳問題を焦点にしないようにしながら、既成事実を重ねてきました。その根本には「障害者は長生きできない」という厚生労働省の差別的見解があったと思います。確かに、福祉サービスのあまりの貧しさや、日常使用する薬が体に負担が大きいなどの要因により、統計のうえでは障害者の寿命が健常者より短い傾向はあるともいえますが、その責任はなにより行政当局にあるはずです。

2009年秋から 県当局に申し入れ
 
 2009年秋にこの問題についてまず県当局に初めて申し入れをしました。その後、対県交渉の場で県担当者と市担当者に見解を求めました。この際に県担当者と市担当者の厚生労働省方針に対する対応に大きなずれがあることがわかりました。法律上の「タテマエ」と現場での運用に大きなすきまがあるということです。
 2010年6月、良心的関係者との接触に成功しました。これにより県内において「医療上の必要からの例外措置」が行われている事実が確認できました。その後、検討の上、沼尻好夫の件については「主に医療上の必要から障害者福祉サービスの必要性を行政に確認させる」方向で取り組むことを関係者で確認し、2006年に首の手術を執刀した担当外科医、市内のかかりつけ主治医、介護事業所責任者の3人から「医療上の必要から65歳を過ぎても障害者福祉サービスが提供される必要がある」との意見書をいただく方針を確認しました。そして2010年10月には3通の意見書をすべていただくことができました。
 2010年11月19日、毎年行われる、行政の「障害程度調査」に合わせて「65歳の誕生日を過ぎても障害者福祉サービスを選択する」ことを3通の意見書を添えて市窓口に通告しました。窓口では、3通の意見書について「こういうものは受け取った前例がない」と対応してきましたが、「本人の希望を示す参考資料」との位置づけで受け取らせることができました。その直後、2010年12月1日、市障害福祉課から2011年3月31日までの「サービス支給決定書」がとどきました。これは「今のところ、担当部局としてできるのはここまで」という意味で、ここから好夫の申請についての交渉は本格的な段階に入ります。
 ところがその後、市担当者は沼尻好夫の申請について取扱いを進めようとせず、追加で事情を聞くなどのことを行わず、時間が過ぎていきました。時間切れが迫る中で事態が進まず、好夫はストレスで体調を崩すなど大変な時期でした。
 2011年3月9日、市障害福祉課窓口で担当者に現状確認を行いました。その際市担当者から「市としては沼尻さんの意向にそってサービス支給決定を出したいが、厚生労働省と県の意向があり勝手に決定を出せない状況です。この件は県の担当者に伝えてあるのですが、返事がまだないので市としては困っている。」と返答されました。この回答を聞いたその足で高速道路に乗り県庁に行き、担当者に抗議したところ「県としては市の判断で障害者福祉サービスを行ってかまわないことは市障害福祉課に伝えてある」とのことで、その根拠になる厚生労働省の通達のコピーを渡してくれました。いったい市と県とどちらが言っていることが正しいのか、あるいは両方ただの責任逃れなのか、悩みました。
 
 震災と原発事故のなかで
 
 2011年3月11日、東日本大震災が起きました。私たちの済んでいる市も被害を受けました。翌日には福島第一原発が爆発しました。周囲には避難する人も出はじめました。私と好夫は話し合い「大変なことになってしまったけど、とにかくここで生きていくしかないので支援の人手が集まりしだい市の窓口に行く」と決めました。
 3月15日、周りのガソリンスタンドに車が長い行列をつくっている中、好夫は支援の人たちといっしょに改めて市障害福祉課窓口に出向きました。そこで65歳になっても障害福祉サービスを利用する意思を伝え、当局の回答を求めました。担当者が3月9日に言ったことについて「そんなことは言ってない」と居直ったので現場は混乱しましたが、結局当局に「沼尻さんについてはサービスの切れ目をつくらない。沼尻さんが障害者福祉サービスを希望していることは理解した。」と確認させました。その上で担当者は、「なぜ障害者福祉サービスが必要なのか改めて文書で提出してほしい」と注文をつけてきました。この2年の間いったい交渉の席上で何を聞いていたのか誠意を疑う発言ですが、手続きを進めるための文書ということで文書提出に同意しました。
 ところがその後、介護保険関係の通知文書がなんの前触れもなく自宅に郵送され。私たちは市のやり方にたいへん不信を持ちました。
 2011年4月20日、文書提出をかねて市と交渉し、本決定手続きが住むまでは暫定措置で障害者福祉サービスを保証することを確認しました。また「障害者福祉サービスの継続を前提に事務作業を行うこと、今後市は沼尻本人の同意なく介護保険の関連の文書を沼尻家に送らないこと」などを確認し、改めて事務手続きに必要な医師の意見書などの提出について確認しました。
 4月20日にこちらから出した文書は「障害者が自分の判断で体調に合わせた介助を状況に応じて自分で指示することの必要性」を具体的事例で示し、「サービス内容がケアマネージャーの判断の下ひと月単位で決められてしまう介護保険による身体介護の問題性」を指摘した画期的なものです。それまで市の担当者は「介護保険にも身体介護の項目があるのだからそれでいいのではないか」という程度の理解でしかありませんでした。この点の偏見をくつがえしたことで交渉は大きく前進しました。
 5月には知り合いの市議に間に入っていただき、最終的な事務調整を行いました。
 7月21日、市担当者との討論にふまえ執刀医師の意見書を改めて書いてもらいました。(その方面では人気の高い先生なので意見書を書いてもらうにも3ヶ月もかかるのです。)
 明けて7月22日、医師の意見書と改めての申請書を提出しました。今度は手続きがスムーズに進みました。好夫が字を書けないので私が申請書類の代筆をしたのですが、この2年間のいろいろなことが頭を行き来しました。しばらくして本決定通知の書類が郵送で届きました。
 そして9月1日、本決定による障害者福祉サービス(自立支援法)が開始され、私たち夫婦はこれまでどおりの穏やかな生活をしています。
 
幸運を引き寄せた好夫
 
 新しく「これまでどおりの生活」が始まり、今回のことを好夫と振り返ると「運が良かった」とつくづく思います。もちろん当事者の好夫はぎりぎりまでがんばりましたが、ただそれだけではここまでこられなかったと思います。前例のない「医師意見書」に応じていただき、再提出書類も快く書いてくださった医師のみなさん。地震と原発事故で自分のことでだけでも精一杯な状況のなかから、市交渉に一緒に行ってくれた支援者。交渉の大詰めで骨を折ってくださった市議会議員。私たちに貴重な情報を下さった関係者。そして私たちの切実な要求に対して、すぐには理解できなくとも、席を立たずに根気よく交渉につきあってくれた県と市の担当者。本当に周りの人たちに恵まれたと実感します。
  しかし、それらはどこかから降ってわいたものではなく、これまでの好夫の長い地道な地域活動が実ったものだと思います。
 ここに至る交渉は苦しいことの連続で、どこかでつまずいてもおかしくないことばかりでしたが、好夫は幸運を引き寄せました。それは一人の障害者としてあきらめない生き方を貫くということです。もともと好夫は性格が頑固なのですが、「65歳の誕生日が来て今のサービスがうち切られても、俺はあくまで障害者福祉サービスを要求する」言われてさすがに市窓口担当者もたじろいだと思います。
 私たち障害者は「ものわかりが悪い」といわれてもいいと思います。いまの社会はあまりに生きづらくて、とても笑って「ものわかり良く」なれません。
 今回、私たちの経験を書かせていただきました。つたない文でどこまで役に立つかはわかりませんが、少しでも、同じ悩みをかかえるみなさんの参考になればと思います。
  最後にあらためてお礼させていただきます。ありがとうございました。
 
 
※サービスの法的位置づけの経緯
 2011年4月29日までは自立支援法の本決定
 2011年4月30日から6月30日まで暫定措置
 2011年7月1日から8月31日まで再度の暫定措置
 2011年9月1日から自立支援法の本決定(ただし障害程度に関する書類はこれまでどおり毎年提出する)
 
※※編集者からのお願い
この沼尻さんからの投稿についてのご意見・ご質問等については『怒りネット通信』編集者までお願いします。
とくに、沼尻さん宅に直接問い合わせることはやめて下さい。ご理解の上、ご協力をお願いします。

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報告・怒りネット関西よびかけで集い(9月23日)
高見元博

 9月23日、兵庫県西宮市で、怒りネット関西がよびかけた実行委員会主催で、《障害者自立支援法撤廃 人間らしく生きられる新制度をもとめる集い》を開きました。参加者85人。
 毎年秋に関西の地で開催してきたこの集会も、今年で6回め。今回は、自立支援法撤廃・総合福祉法制定にむかう現在の局面が、推進会議や総合福祉部会の提言を骨抜きにしようとする政府・厚労省とのせめぎあいにあることをつかんで、今後のたたかいの基礎をつくろう、との趣旨で行いました。基調講演を古賀典夫さんにしていただきました。
 以下、古賀さんのお話の要約です。

〈はじめに〉
 8月30日、「障害者制度改革推進会議」の「総合福祉部会」が「骨格提言」を取りまとめた。そして、厚生労働省が「障害者自立支援法」に代わる総合福祉法(仮称)案の作成に入った。総合福祉法は、来年の通常国会に政府提出法案として上程される予定だ。この秋から来年にかけて「障害者」解放運動は、決戦の中に入っている。
 05年10月13日、当時の中村社会援護局長は、福祉は買うものであるとして、「電気やガスや水道や交通や、生活のもろもろの費用については購入せざるをえない。そういう世界の中で生きているということ」と発言した。現在、この人物が厚労省の社会保障改革の中心となっていると言われる。

〈障害者基本法の改正(2011年7月成立)をめぐって〉
 自民・公明・民主3党の合意として提出された案では、「可能な限り」という文言が6カ所入っている。この法案が衆院で6月に、参院で7月末に可決。「可能な限り」という文言は、官僚の力で入れられたことが推測された。

〈総合福祉法をめぐって〉
 厚労省は、2月15日と6月23日に、総合福祉部会の打ち出している方向について、コメントを発表している。これが極めて悪質なもの。憲法よりも「地域主権戦略」が大事なのか。社会福祉や社会保障の増進の義務を国の責任とした憲法25条、法の下の平等を規定した憲法14条を否定する姿勢を示した。
 「非常に多額の財源及び人材が必要となるため、国民の理解を得ながら検討する必要があります。財源や人材の制約を踏まえ、また、制度に係る費用を負担する国民の理解を得るためにも、他の代替手段の活用など、様々な地域資源の活用により総合的に対応することについても検討が必要と考えられます」としている。
 8月30日、総合福祉部会が「骨格提言」を取りまとめた。その中から「障害者総合福祉法がめざすべき6つのポイント」を紹介する。
【1】障害のない市民との平等と公平
【2】谷間や空白の解消
【3】格差の是正
【4】放置できない社会問題の解決
 「わが国では依然として多くの精神障害者が「社会的入院」を続け、知的や重複の障害者等が地域での支援不足による長期施設入所を余儀なくされています。地域での支援体制を確立するとともに、効果的な地域移行プログラムを実施します。」
【5】本人のニーズにあった支援サービス
【6】安定した予算の確保
 「当面の課題としては、OECD加盟国における平均並みを確保することです。」これによって、1兆円以上の追加予算が確保できることになる。

〈経過の総括〉
この「骨格提言」を法案化するのは改革に抵抗する官僚だ。しかし、この間の経験は、この官僚機構も含めて、政府に譲歩させる力を、「障害者」運動は持っていることを示している。そのもっとも強力な武器は、06年の日比谷の1万5千人のような大衆行動だ。
 また、民衆全体がこうした闘いを支持する状況が重要だ。小泉改革に苦しめられた民衆の中に明らかに「障害者」の闘いを支持する状況があった。教育基本法改悪との闘い、沖縄の闘いなどがあった。

〈社会保障、福祉切りすての現局面〉
 いま、民主党が進めている「社会保障と税制の一体改革」は、消費税の増税と社会保障・福祉のきりすてを進めるものだが、これは自民党の麻生政権時代に成立した、〇九年度税制改正法(〇九年二月三一日公布)の附則一〇四条に沿って進められている。裏には、自公政権・民主政権を貫き、それを推進してきた官僚が存在する。
 5月12日、厚生労働省は「社会保障制度改革の方向性と具体策」を発表した。東日本大震災の影響により「社会保障制度改革と財政健全化を同時に実現することの重要性は、むしろ高まっていると考えられる」「そのため、これまで以上に、給付の重点化、 選択と集中、優先順位の明確化が求められる」と福祉切りすてを明言している。

〈結論〉
 強力な大衆行動を作り出そう。10月28日の日比谷に1万5千人を越える結集を作り出そう。厚労省コメントを許さない怒りネットの厚労省交渉を成功させよう。こうした立場で闘う人々との連帯を。

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 以上のような古賀さんのお話を受けて、集い後半では、質疑・意見を出し合いました。
★(障害者)民主党は第2自民党ではないか?
★(障害者)障害者権利条約で、障害者の自由と権利を国は保障すべきとなっている。民主党は無視している。
★(古賀)地域で生きられるようにしようという人とは、誰とでも一緒にやる。権利条約だけでは何の力にもならない。イギリス・オランダで介助時間の削減があり、イギリスでは5月に8000人のデモがあった。命の切りすては全世界で進んでいる。権利条約があっても闘いがないとダメ。障害者を始めとする闘いが力になる。
★(脳性まひ障害者)今A市で一人暮らしをしている。一人暮らしをする時に市役所の障害福祉課、身障福祉センターの相談員は障害や体のことを聞かないで「家事援助削減しますんでそのように暮らしてください」と言った。それでは生活が出来ないので自分でパソコンで困ることを事細かに書いて市役所に出したら受け入れられた。相談員が話を聞いてくれないのは困った。
★(ヘルパー)ヘルパーの側から「ヘルパーの数を増やせ」「時間数を増やせ」「給料を増やせ」と言いたい。福祉が出来上がらないうちに、国は潰そうとしている。ヘルパーは集会に行くときいや応無く付いているだけで良いのか?ヘルパーに対してもかけられている攻撃だ。ヘルパー同士の交流、当事者と一緒にやるなかで生まれてくる。介護する者、される者を越えて地域で共に生きていくことに、ヘルパーが先頭に立っていく。10・28全国フォーラムには事業所の車を借りて日比谷へ行く。
★(精神障害者)強制入院、社会的入院はダメと推進会議、総合福祉部会は言っている。ところが、厚労省の官僚、日本精神病院協会の抵抗がある。ホ-ムヘルプを利用している。ヘルパーのほとんどは健常者の尺度で測って精神障害者への理解が無い。しかし、精神病のことを理解し励ましてくれる人もいる。ヘルパーと障害者は仲良くしたらダメと言われているそうだが、事業所に内緒でプライベートでも仲良くしてくれる人もいる。里美さんのことで。上司から性的暴行を受けた。障害者の弱みに付け込んだレイプそのもの。障害者、契約社員、女性と何重もの差別の構造がある。和解協議で会社も加害者も謝罪しなかったから不調となり、判決となった。11月4日が判決公判だ。判決までの大衆運動を。署名に協力を。
★(視覚障害者)違憲訴訟元原告72人の一人です。ヘルパーの世話になって2~30年。ほんの少数を除いて事務的・パート的な人が多い。健常者は自由に歩く。健常者は毎日買物に行く。買い物に行きたい時くらいは行かせろよ。財政難というところからしか検討しない。はらだたしい。車椅子も快くは押してくれないヘルパーもいる。この怒りをどこに持っていったらいいか。
★(元市会議員・医師)介護保険の問題で議員に出た。介護という公的保障されなければならないものを個人の責任とし、民間に介護させる。税と社会保障の一体改革で改悪が進められようとしている。介護保険法の改悪案が6月15日に成立した。「介護予防」を作って介護から外した。公的枠を外して民間業者にやらせる。市場として大手が参入し金儲けさせようとしている。介護保険の利かないところは1時間2千円の自己負担だ。金が無ければ介護を受けられない。全面的な切りすてが進んでいる。官僚が進めている。民主党になっていい方向に向かうかと思ったが、まったく違う。野田内閣は、税と社会保障の一体改革という形で改悪を進めようとしている。
★(障害者)自立支援法、介護保険に反対している。母親が10年前に片麻痺になった。リハビリを受けたいと訴えていたが、受けることなく先日亡くなった。官僚批判があった。「人間らしく生きられる」を官僚はどう考えるか?官僚なりに弱点があるのでは?ここが弱点と言うところを古賀さんに聞きたい。
★(古賀)官僚の弱点は多くの人が集まること。地方自治体から来て明け方まで働かされている。労働運動は無いのか。良い人もいる。食い込むような言い方が必要。誰を仲間と思えるかを問うていくことが必要だ。
まとめ(平田)現場の思いを聞かせていただいた。今の状況と問題を変えていくという行動提起があった。現場の思いを語っていただいた中で、その両方、政治闘争と現場を変えて行くというベクトル。同時にやれることをやりながら行動して変えていくことだ。

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この間の障害者制度改革の流れ

05年 
*自立支援法の成立までの課程で、国会前で全国で大きな反対の闘い
10/3 障害者自立支援法、国会で成立
06年
10/31 日比谷公犀に自立支援法反対で1万5千人
(その後も毎年10月末に6500~1万人規模の集会)
*12/1 国連で障害者複利条約 採択
  日本は同条約に07年に署名→批准のためには基本法改正、自立支援法の見直し、差別禁止条約制定が必要
08年
10/31 自立支援法違憲訴訟(第1次)29名が提訴
09年
4/1  自立支援法違憲訴訟(第2次)28名が提訴
9月 政権交代・民主党政権ヘ
長妻厚労相(当時)、自立支援法廃止を明言
12/8 内閣前に「障がい者制度改革推進本部」設置
12/14 地域主権戦略会議第1回会合
10年
1/7 違憲訴訟原告団・弁護団と国との和解合意
1/12 障がい者制度改革推進会議第1回会合 
4/27 総合福祉部会第1回会合
5月~ 自立支援法改正法案(議員立法)
6/7 障がい者制度改革推進会議第1次意見
自立支援法改止法案に対する抗議
10/29 日比谷に1万人
11/22 差別禁止部会第1回会合
12/3 自立支援法改正案 国会で成立
12/17 障がい者制度改革推進会議第2次意見(基本法改正に関する意見)
11年
1/25 第1期作業チーム報告
2/15 第1期作業チーム報告に対する厚労省からのコメント
6/23 第2期作業チーム報告
6/23 第2期作業チーム報告に対する厚労省からのコメント
基本法改定について、不十分として要求があがる一方、改定に賛同する団体も
6/30 社会保障・税-一体改革成案
7/29 障害者基本法改正 国会で成立(推進会議第2次意見の核心は反映されず…)
8/30 総合福祉法の骨格に関する提言
*今現在の攻防は、総合福祉部会の提言を総合福祉法の法案化(厚労省の官僚が!!)に反映させることができるか否か!
12年 通常国会で総合福祉法制定
13年 通常国会で差別禁止法制定

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障害者施策を行う政府機関の概略

■内閣府の下に

◆障がい者制度改革推進本部
首相を本部長に全閣僚で構成(閣議とは別の機関)。今後の障害者政策を決める
最高決定機関。最終決定はここで行い閣議にかけて法案化する

◆障がい者制度改革推進会議
・「障害者制度改革のエンジン機関」(当時の福島みずほ担当相)
・推進本部の下部機関
・構成員の過半数は障害者とその家族で構成。「障害者権利条約」の批准のために必要な法律を整備するのが目的。
※「障害者権利条約」は国際的な障害者団体の求めで国連で制定されたもの。数々の画期的内容がある。日本政府は批准の準備に入っている。
・今年7月に「障害者基本法改正案」を策定したが、政府・厚労省に骨抜きにさ れた。「可能な限り」という文言を6ヵ所に入れることによって。
 
*総合福祉部会
・推進会議の下部機関
・障害者自立支援法は廃止が決まっており、それに代わる新制度が出来る。その新制度を設計するための機関
・8月30日に「総合福祉法」(自立支援法にかわる新法)の法案の骨子を出した。

*差別禁止部会   
・推進会議の下部機関
・差別禁止法の策定を行っている。再来年に法制化の予定。差別禁止法は「障害者権利条約」の批准に必要な国内法。

■厚生労働省
・旧来からある障害者政策を決定する政府機関。障害者自立支援法(障害者が生きていくための介助に金をとる法律)はここで決まった。
・抵抗勢力はここにいる
・総合福祉法の制定過程では、総合福祉部会の報告に否定的な意見を述べていた。「予算の裏づけが無い」「国民の合意が得られない」などと主張し、ことごとくに反論した。
・総合福祉法の具体化(法律の形にまとめる作業)はここが行う。その為に、障害者自立支援法と変わらないものにしてしまうのではないかと危惧されている。

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