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2013年12月28日 (土)

狂気の肯定

西欧では中世ルネッサンス期には狂気は真実を語るものとされていた。決して悪とはされていなかった。その後、古典時代、精神病院には狂者と、当時の価値観に合わなかった家族の困り者、乞食らが収容された。当時悪とされた者たちの収容場所となっていた。ここに狂者イコール悪という時代が始まった。フランス革命期に「精神病者」以外は解放された。「精神病者」は医学の対象とされたが、ロボトミーなどの精神外科の対象ともなっていた。存在として悪とされたことに変わりがなかったからだ。

価値観としての「精神病者」イコール悪という考え方から解放されるのは、フーコーの登場を待たねばばらない。日本でいち早く狂気の肯定を唱えたのが吉田おさみ氏だ。価値観のコペルニクス的転換だった。私もその意味で彼の系譜にあるともいえる。彼の限界性を見据えることが次の展開にとって必要なことだろう。いつまでも総括ができないようでは発展性がない。

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