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2014年1月14日 (火)

階級社会と「精神病者」解放1、「病者」の歴史【2】

フーコーは次のように描写する。
「(狂気は)水面から浮かび上がり、文化的風景の中に何の困難もなく統合された。15世紀末というのは、たしかに、狂気が言語の本質的な力と、再び関係を結んだ時期の一つであろう。・・・無数の狂人の踊りや狂人の祭りが、ヨーロッパのルネッサンス期を通じて、好んで催された。・・・さらに狂人の文学というべきものがたくさん生まれた。エリザベス朝の演劇や、古典時代以前のフランス演劇に見られる精神錯乱の場面は、夢とか、少し後の告白場面などと同様に、演劇という構築の一部となっている。こうした場面は、劇を導いて錯覚から真実へ、偽の解決から真の決着へとみちびいて行く。つまり、これらはこのバロック時代の劇の本質的な原動力の一つというべきものなのである。・・・ルネッサンス末期におけるシェイクスピアとセルバンテス(ドン・キホーテの作者)は、この狂気の多いなる威信を証明している。・・・17世紀初頭のフランスには、有名な狂人たちがいて、公衆が、しかも教養ある公衆が、好んでもの狂人たちを相手に楽しんだ。・・・何人かの狂人たちは本を書き、それが出版され、狂気の作品として読まれた。1650年ごろまでは、西欧文化はこうした体験形態に対して、ふしぎに受容的であったのである。」(精神疾患と心理学・以下同じ)
このような蜜月は長続きはしなかった。重商主義の時代になり商業が盛んになると価値観の転換が起きた。それに伴って狂気は疎外されるに至る。
「17世紀半ばに、突然、変化がおこった。狂気の世界は疎外の世界となる。大きな収容施設がヨーロッパ全土につくられ・・・。肢体不自由の貧困者、困窮老人、乞食、頑固な怠け者、性病患者、各種の風俗壊乱者、家族の意向または王権により公の刑罰を加えるわけに行かない人、濫費家の父親、破目をはずしてさわぎまわる聖職者など。要するにすべて理性、道徳および社会の秩序に関して「変調」の徴候を示す人たちが閉じ込められた。」
収容施設はフランスでは「一般病院」と名付けられた。非理性としてくくられることで狂人もまたこの収容施設に入れられることになった。人口の1%にも及ぶ貧困層が収容されていた。そこは慈善事業の対象となると同時に、粗末な労働によって完結する経済体でもあった。
価値観の転換とは何であったか。宗教改革によって労働に対する考え方が変化した。労働は神聖な行為となった。すると貧困は救済すべき神聖なものと考える感性から、非難すべきものであり慈善事業は罪悪であるとみなす感性へと変化した。この感性によると、労働しないことは「神の力を試すこと」であり、最悪の反抗と見なされた。収容施設における労働は倫理的な意味をおびていた。
「商業の世界における最大の悪徳、とくべつの罪とはなんであるかが定義されたばかりであった。・・・怠惰にほかならなかった。収容施設に住むすべての人を一括する共通なカテゴリーとは(彼らの責任であろうと事故のためであろうと)富の生産、流通および蓄積に参加できない、ということであった。」
「道徳的・社会的に有罪なものと狂気とは、親類としての縁をむすぶことになり。・・・20世紀において、狂気自体の中心に、有罪性と攻撃性の原始的な核が発見されたことも、おどろくにあたらないことである。西欧史が300年来、狂気に対して行ってきたことの沈殿物に過ぎない。」
狂気は罰すべきものとなった。そして現代の精神病理学もまたこの価値観から自由ではない。狂気を正すべきものと考える考え方はこの時代から始まり今日に至っている。それは決してアプリオリなものではなく、時代を背景にした歴史的に形成されたものなのである。吉田おさみ氏は狂気を治療すべきものとは考えなかったが、それには根拠があったのだ。
しかしその時代も1世紀も続かない。経済の発展は工業化をもたらした。重商主義の時代は、生産者でも消費者でもない貧民は監禁すべきものであった。しかし市民社会の発展は新しい感性をもたらした。工業の発展は労働者を必要とした。貧民は閉じ込めていくべきものではなく工業の中に引き入れる必要が生じた。貧民にも労働させるべきである。収容施設は廃止すべきものとなった。
「隔離収容は・・・1世紀以上は大して維持されなかった。1789年以前、及びフランス革命の改革者たちは、隔離収容は古い圧制の象徴であるとして、これを廃止しようとし、また同時に、施療院による扶助というものは、困窮階級の存在をあらわすものとして、できる限りこれを制限しようとした。」
収容施設から貧者は解放されたが、「狂人」を解放するわけにはいかなかった。
「しかし、狂人は自由な身にもどされると、周囲の家族や集団にとって、危険な存在になりうる。彼らを拘束しておく必要と、「狂人や危険な動物」を放浪させておく者に対する刑罰は、ここから生じる。この問題を解決するために、革命時代と帝政時代に、昔の収容施設が、次第に狂人たちに充てられるようになった。この度は狂人専用である。」
ここに精神医学と呼ばれるものが始まる。それは医学が発展して新しい学問が花開いたというわけではなかった。収容を続ける必要があり、しかし、それまでのようなただの監禁というわけにはいかないという事情から考え出された「学問」だった。精神医学が発展して精神病院ができたのではない。まったく逆なのだ。精神病院ができたから精神医学ができたのだ。
そのことはまた神話になっている「精神医学による精神病者の解放」というのも大きな嘘だということを示している。たしかに鎖でつなぐことを止めたが、別の方法で縛りつづけたのだ。
「たしかに隔離収容ということは、当時において新しい意味をおびた。医学的性格を持った措置となったからである。・・・ピネル・・たちは隔離収容という古い習慣の鎖をほどいたのではない。かえってその鎖を。狂人たちのまわりにしめつけたのである。・・・彼を治癒させるということは、依存感情、罪の自覚、感謝の念など、すべて家庭生活の道徳的な枠組みをつくるものを、彼に再び教え込むことを意味する。これに成功するためには、おどかし、罰、食事制限、恥辱など、要するに、すべて狂人を幼児化させ、同時に罪あるものとなしうる手段を利用することになる。」
「19世紀の「慈善」は「解放」という偽善的なかたちのもとに、狂気を道徳的サディズムの中にとじこめたのだが、このサディズムがなかったなら、この心理学は全然存在しないであろう。」
精神医学の似非科学性はここに刻印された。科学の装いをすることで何かの地位を得た精神医学は、実は閉じ込めの別名だったのだ。この道徳的サディズムなしに精神医学は成立しない。それはこの始まりの時代に刻印されたことだが、今日の日本の状況を見れば歴史的に終わったことではない。精神医学があって閉じ込めがあるのではない。閉じ込める必要があるから精神医学があるのだ。始まりと終わりは一貫している。

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