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2014年1月29日 (水)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【2】

私の階級的立場に立った「病者」解放運動も、全く別の方向からだが吉田氏と同じ結論に至っている。しかし、違う点もある。この同じ点と、違うところを押さえることは、今日のわれわれの運動を考える上でとても重要なことのように思う。どのように運動を発展させるのかの方向性を指し示すことにつながるからだ。
吉田氏は、「狂気」を否定すべきものとはとらえず、人間存在の一つの在り方と捉えて肯定した。「病者」は「病者」であるがままに一人の人間であり尊重されるべきだ。それは価値判断として悪として否定されるべき状態を意味するのではない。「病者」であるがままに差別されない社会をめざし、労働運動との共闘を目指した。また「心神喪失」こそ「狂気」の実体であり否定されてはならないと捉えた。価値観のコペルニクス的転換だった。
吉田氏は主体性を、他者を害し自然界に害をなすものととらえ否定した。主体的であるということは他者に対しては抑圧的になることだと捉え、自然に対しても支配者としてそれを破壊するものと捉えた。この主体性論からマルクス主義と実存主義を否定する。そしてフォイエルバッハのある解釈による立場を肯定するとして「人間は能動的・主体的存在として自然を対象化し、客体化するばかりでなく、苦悩する存在として受動的・受苦的な存在として自然や他者との相互関係を作り上げる」と唱えた。この他者に対する関係性や、自然に対する関係性は、現在的には私の立場と近いものがある。当時のマルクス主義を「自然に対する人間中心主義、人間至上主義、人間絶対主義」として、自然を破壊する関係性において捉え、否定しているが、私もそのような古いマルクス派の立場は否定する。古いマルクス派とはちょうどその頃のソ連や日本共産党の原発肯定論にその姿を見出す。人間を絶対視し、科学で自然を支配できるというおごった自然観はその最たるものだ。それが2011年3.・11によって自然のしっぺ返しを受けたことで、共産党は主張を180度ひっくり返し、反原発を主張するようになる。あたかも過去からそう主張していたかのように。

吉田おさみ氏は「狂気」を肯定する立場から「治療」を否定した。私は、吉田氏と違い治療を否定する立場ではないが、治療しなければ社会的に価値がないという立場をとるものではない。吉田氏は病気であるがままに差別されない社会を目指したが、この立場は私と同じだ。この時代からそう主張していたことは、先駆者と言っていい。私は、治療はあくまで本人の苦痛を取り除くために行われるべきであり、「正気に戻して社会に戻す」のが目的では無いと考える。フーコーが精神医療を捉えたように、ある型にはめることで社会に適応させるというあり方にも反対である。

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