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2014年1月

2014年1月31日 (金)

障害者権利条約を批准

福祉新聞より

■実施状況が焦点に
 政府は20日、障害者権利条約を批准した。17日の閣議で、国会の承認が昨年12月に得られたので批准することを決定。批准書を1月20日にニューヨークにある国連へ寄託したことで、日本も正式に条約を結んだ国となった。条約が国内に法律として効力を発するのは、寄託してから30日目の2月19日。
 締約国になると、条約の実施状況を国連の専門委員会に報告する義務が生じる。4年ごと(最初は2年以内)にリポートを出さねばならず、それを審査して国連は、条約を守れていない実態や条約に反する法制度があれば勧告する。日本もこの仕組みに入り、条約が現実に生かされるかが焦点となりそうだ。
 権利条約は、障害のある人が他の人と同じょうに人権を持ち、教育や労働、交通機関や建物の利用などあらゆる面で差別されないことを定めている。
 また、その差を埋めるために、例えば段差をなくす、手話や字幕、点字などで情報を流す、といった「合理的配慮」を障害のある人に提供しないことも差別と規定。締約国は、法律や制度、慣行を条約の趣旨に合うよう見直さなければならない。
 権利条約は、2006年12月に国連総会で採択された。5年かかった条約案を作る過程では、各国政府が障害のある人たちを交えて会議に参加、当事者の意見を聞きながら議論したことが特長だ。
 世界では139カ国と欧州連合(EU)が批准している。日本は07年9月に署名したが、障害者基本法の改正や障害者差別解消法の制定など、批准する前に国内法の整備に取り阻んだため、締結が後れた。

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2014年1月30日 (木)

改稿/階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【1】

強制入院をなぜ嫌がるのか分からないという意見が付いたので、一部改稿しました。同【2】も変えましたが長くなるので【1】の途中からを掲載します。

③   「医療化」の時代。資本蓄積が更に進む。

向精神薬の開発が劇的変化を生んだ。それまでの拘束、ロボトミー・精神外科から主流を取って代わった。それをも背景として医療改革の流れが精神科にも及んだ。1960年代、70年代、精神神経学会をめぐる闘争がそれである。精神医療民主化闘争として東西で同時的に闘われた全共闘運動だった。西のプシ共闘、東大赤レンガという運動が闘われた。精神神経学会の民主化をめぐる闘争は激しいものだったが、民主化は中途半端なものに終わった。その総括をするのは私の任ではない。大多数の民間精神病院は手付かずのまま、「病者」を暴力で支配していた。東西の改革運動は各地に医師たちが分散する形で終息した。
この時代は、社会活動に参加できない者が対象になる時代だった。統合失調症や典型的うつが主な対象だった。社会の矛盾が生んだ「病者」に対して、病気の側面のみを問題にする体制はこの時期には出来上がっていた。社会活動に参加できない者が「病者」と見なされた。
また、不登校・ひきこもりが社会問題とされ、学校に行けない者が精神医療の対象にのせられた。社会の矛盾が学齢期の者にまで拡大したものだ。

1984年宇都宮病院での患者虐殺事件がおきた。国際的批判の高まりにより精神衛生法から精神保健法に変わり、拘禁の時代が終わるかに見えた。しかし、その後も何度かの大和川事件やいくつもの精神病院の不祥事が続くのだった。患者を「私的財産」と見なす精神病院の経営に何の変化も見られなかった。
宇都宮病院や他のいくつかの病院では公然化したが、表に現れない患者虐待は数限りない。兵庫県の播磨サナトリウムは警察ルートの患者を引き受ける専門的病院だったが、死体になるしか外に出られないと言われて収容患者に怖れられていた。患者は日常的に不合理な暴力で支配されていて、実際、頻繁に葬式が出されていた。懲罰目的の電気ショックや食事や水を与えないなどの虐待は日常だった。後にたまたま救出されたある患者は、他の病院で自発的に退院したがらない人がいることを信じられないと言っていた。この病院は今日も存続している。
このような病院は、決して例外的なものではなかった。精神衛生法時代は、拘束が一般的だったが、後の時代になってもその精神は引き継がれていて、患者を一人の人間として扱うことはなかった。懲罰目的の電気ショックは一般的に行われていたし、保護室というトイレの穴以外は水道もない隔離室が、騒いだ、逆らったなどの理由で懲罰目的に使われていた。
精神医療を、民間精神病院が支配した結果、金儲けが第一の目的となり、医療という目的は失われた。患者は病院にとっての財産であり、一旦抱え込んだら放さないという体制が出来上がった。超長期入院は当たり前になり、精神病院で一生を終える患者は少なくない。この体制は今日に至るも変わることはない。

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2014年1月29日 (水)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【2】

私の階級的立場に立った「病者」解放運動も、全く別の方向からだが吉田氏と同じ結論に至っている。しかし、違う点もある。この同じ点と、違うところを押さえることは、今日のわれわれの運動を考える上でとても重要なことのように思う。どのように運動を発展させるのかの方向性を指し示すことにつながるからだ。
吉田氏は、「狂気」を否定すべきものとはとらえず、人間存在の一つの在り方と捉えて肯定した。「病者」は「病者」であるがままに一人の人間であり尊重されるべきだ。それは価値判断として悪として否定されるべき状態を意味するのではない。「病者」であるがままに差別されない社会をめざし、労働運動との共闘を目指した。また「心神喪失」こそ「狂気」の実体であり否定されてはならないと捉えた。価値観のコペルニクス的転換だった。
吉田氏は主体性を、他者を害し自然界に害をなすものととらえ否定した。主体的であるということは他者に対しては抑圧的になることだと捉え、自然に対しても支配者としてそれを破壊するものと捉えた。この主体性論からマルクス主義と実存主義を否定する。そしてフォイエルバッハのある解釈による立場を肯定するとして「人間は能動的・主体的存在として自然を対象化し、客体化するばかりでなく、苦悩する存在として受動的・受苦的な存在として自然や他者との相互関係を作り上げる」と唱えた。この他者に対する関係性や、自然に対する関係性は、現在的には私の立場と近いものがある。当時のマルクス主義を「自然に対する人間中心主義、人間至上主義、人間絶対主義」として、自然を破壊する関係性において捉え、否定しているが、私もそのような古いマルクス派の立場は否定する。古いマルクス派とはちょうどその頃のソ連や日本共産党の原発肯定論にその姿を見出す。人間を絶対視し、科学で自然を支配できるというおごった自然観はその最たるものだ。それが2011年3.・11によって自然のしっぺ返しを受けたことで、共産党は主張を180度ひっくり返し、反原発を主張するようになる。あたかも過去からそう主張していたかのように。

吉田おさみ氏は「狂気」を肯定する立場から「治療」を否定した。私は、吉田氏と違い治療を否定する立場ではないが、治療しなければ社会的に価値がないという立場をとるものではない。吉田氏は病気であるがままに差別されない社会を目指したが、この立場は私と同じだ。この時代からそう主張していたことは、先駆者と言っていい。私は、治療はあくまで本人の苦痛を取り除くために行われるべきであり、「正気に戻して社会に戻す」のが目的では無いと考える。フーコーが精神医療を捉えたように、ある型にはめることで社会に適応させるというあり方にも反対である。

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2014年1月27日 (月)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【1】

人間解放の全体の動き、すなわち≪階級闘争≫と、「病者」解放の諸潮流の関係性はどうだったか。
高度成長期、疎外体と言えどスターリン主義圏を背景にした政党諸運動の存在は大きかった。吉田おさみ氏らの初期の「病者」解放運動家もまたこれらの影響下にあったのではないか。吉田おさみ氏は1931年生まれ。1984年に亡くなった。諸運動がそうであったように、「病者」解放運動も階級闘争との呼吸があり、限界性をはらみつつも発展していった時代だった。限界性とは、吉田氏は労働運動に連帯を呼びかけつつ、連帯の中身を作り出し得なかったことだ。
そのなかから≪階級的「病者」解放運動≫の潮流が生まれている。

この、吉田氏の時代は多かれ少なかれ階級闘争と離れたところでは「病者」解放を論じられない時代だったのではないか。当時の全共闘運動は社会全体を動かす現象だったからだし、全共闘を否定する共産党系や社会党系の運動にしろ、ソ連などの社会主義圏の存在が前提になって大きな影響力を保ちえたのである。精神科医の全共闘というべき、関西におけるプシ共闘、東京の東大赤レンガという共闘団体も小さからぬ存在だった。全共闘運動が、資本家側の攻撃とスターリン主義化した運動側の影響力によって衰退し、ソ連圏の崩壊によって社会主義への期待が大きく削がれるなかで社共もまた衰退していく。社会党の崩壊はそのエポックである。
全共闘の衰退は資本家側の攻撃を見据えられなかった運動側の弱さとともに、にも拘らず覇権を握ろうとする党派のスターリン主義が、反スターリン主義を是とした全共闘の学生らの拒絶感をもたらしたことにもあろう。党派運動的には核になる部分が残れば、いずれ運動は爆発的に拡大するというようなところがあったように思う。主流的党派の中で、「党内民主主義は運動を辞める自由によって保障されている」と言われるなかで、民主主義を行使する人が多数出たのは皮肉でも何でもない。

吉田氏の「狂気の肯定」は、彼の死後も多くの者に形を変えつつ引き継がれ、今日の「病者」解放運動の源流の一つをなしている。当時からの「病者」解放運動の流れは吉田氏自身によって紹介されているが、今日までそのままの形で引き続くものは少ない。その中で「虹の会」と呼ばれた階級的な立場を肯定する「病者」解放運動の流れがある。吉田氏とは違うところも少なくないが、「病者」をあるがままに差別から解放するという根本の思想では、当時の流れを引いていると言って間違いではない。

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2014年1月25日 (土)

階級社会と「精神病者」解放3、戦争と「精神病」【3】

ところでファノンの経験からは、すると「精神病」と自己解放性は矛盾するものかという疑問が生じる。自己解放すると「病者」は「病者」では無くなるのかという疑問だ。ファノンの経験は何を意味するのか。ファノンの経験が新たな「精神病者」が現れなかったという意味なら合点がいく。自己解放性に満ちた社会の一時代は、発病の原因が少なかったのだろうから、精神病が少なくしか現れないのはもっともなことだ。発病が減ることと病気が治ることは違う。
「精神病者」が自己解放性を発揮した時には、その症状にどういう変化が現れるものなのだろうか。私の経験の中では、自己解放性は症状の軽減をもたらすものだったのだが、治るということではなかった。抑圧の例として、短期間の投獄により心神喪失状態一歩手前まで行ったことがある。詳細を言うのはここの場にふさわしくないが、階級闘争の中での疎外のもたらした抑圧的な構造の中では、何度もの「心神喪失」を経験している。逆に、そのような抑圧構造を打倒した後の自己解放性の中ではそのような症状は現れていない。
また、ある癲癇症の人は、思い悩むことがある時に症状があらわれ、そうでないときは消えたと言っている。すると自己解放性は「心神喪失」や症状の表れと反対の概念であるのかもしれない。「心神喪失」などが現れないという症状の軽減は、病気が治るということを意味しない。「精神病」の範囲内での苦痛の軽減といったことである。

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2014年1月24日 (金)

階級社会と「精神病者」解放3、戦争と「精神病」【2】

これらは遺伝説を否定する意味ある統計であろう。「精神病は精神医学によってのみ解明できる」という考え方の傲慢さを示し、否定するものでもある。
戦争という極限的疎外が「精神病」の原因になっているという事実は、社会的関係性≒階級性としての精神病という本質を証明するものではないだろうか。今日の社会的関係性がまず第一に社会的疎外であり、疎外とは階級性の別名であるという点において。
戦争は別の手段による政治の延長であるという。階級諸関係の延長であるということだ。その苛烈さは言うを待たず、単純延長ではないとはいえ、社会的諸関係が精神病の発病の実体をなすことをこの経験は示している。精神病が遺伝であるのなら、このような変化は現れない。また精神病が頭の中だけで起きる変化に基づいているのだとしても、このような変化は説明できない。この事実を説明できるのは、外的変化が精神病の少なくとも一因になっているということであり、外的変化とは社会的関係性を表していることである。たしかにこのことからは、外的変化が原因のすべてとは言えない。同じ経験をしても発病する人と発病しない人がいるのも事実であるからだ。しかしそのことは、社会的諸関係が発病の原因であるという事実を否定するものではない。他の要素が、本人の感受性の問題なのかということは漠然と浮かぶが、断定することはできない。本人の考え方や心的脆弱性に原因を求めることにも明確な根拠は示されていない。むしろ、その方向を追求するのはあまり意味が無いように思える。それは社会的関係性を無罪化する試みのように見えるからだ。
多くは社会的関係性、すなわち階級的諸関係に起因するが家族的なものを含む、長期の抑圧を発病の原因と考えるのが自然だろう。家族は社会の全矛盾を背負うものであり、社会の縮図でもある。矛盾と抑圧は人生の最初には家族関係としてあらわれる。家族という共同体の中で、本来備わっていたはずの共同性は破壊されており、家族的寛容と家父長的抑圧を特徴とする疎外関係が取って代わっているからだ。
このように、社会的諸関係による長期の抑圧に発病の原因があると捉えることで、価値観を挟むとすれば、有罪性は「病者」にあるのではなく社会の側にあるということもまた証明されるのではないか。戦争が発病の大きな契機になっているという事実は、有罪性が結果としての「病者」の側ではなく、原因である戦争の方にあるということの、決定的な証明になっているのではないか。

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2014年1月23日 (木)

年金引き下げに抗して

2014年1月15日 しんぶん赤旗 日刊

 不服審査請求 6万人超  安倍政権の年金下げ  31日 全国一斉提出

 全日本年金者組合は14日、東京都内で記者会見し、年金切り下げに抗議する行政不服審査請求の請求人が6万人を超えた、と発表しました。集めた請求書は、31日に全国約70カ所の年金事務所または地方厚生局に提出します。当日は集会やデモ行進も計画し、削減の不当性を広くアピールしたいとしています。
 安倍政権は物価の下落を口実に、2015年までに年金を2・5%削減する計画の第1段階として、昨年10月分から1%削減しました。消費税が増税される4月にさらに1%、2015年4月に0・5%引き下げます。年金者組合はこうした動きに抗議して、全国いっせいで10万人規模の不服審査請求をと幅広く呼びかけました。請求人は、14日正午時点で6万112人に達しています。全日本年金者組合の冨田浩康委員長は会見で、「今回の不服審査請求運動を通じて、高齢者の生活実態を掌握しないまま、引き下げを上から押し付けることに対する怒りの強さを改めて感じた」と強調。「3000万人年金受給者を敵に回したら安倍政権の命はないと示すために、断固として10万人での請求をやり遂げたい」と決意を語りました。森口藤子副委員長は、2000年以降、数回にわたって年金が引き下げられる一方で、国民健康保険料や介護保険料などが引き上げられ、年金の手取り額は減っていると指摘。「組合員は、大雪の中でも一人ひとりのもとに足を運んで請求書を集めている。高齢者の生存権を奪う削減は不服だと意思表示をしたい」と話しました。

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2014年1月21日 (火)

階級社会と「精神病者」解放3、戦争と「精神病」【1】

精神病の社会的性格と特質。

精神病は社会の中で生まれる社会的関係性の病であることを、戦争の経験は鋭角的に証明しているのではないか。
沖縄における地上戦による精神病の多発の問題だ。周知のとおり、沖縄戦での死者数は、沖縄出身者が約122,000人、そのうち約94,000人が民間人だ。地上戦域外での、戦争マラリア死、餓死、住民虐殺、戦時遭難船舶、集団自決(強制死)等を加算した沖縄県出身者の死者数は15万人以上と推定されている。当時の沖縄の人口は約59万人であり4人に1人が死ぬという激しい地上戦と日本軍による沖縄県民の虐待があった。なお、一般に公表されているこの数字には、推定1万人を超える強制連行などによる朝鮮人の軍夫(戦場の人夫)、朝鮮人「軍隊慰安婦」の戦没者数が含まれていない。沖縄県民は天皇制擁護のための捨て石として、無用な死を強制された。この時期に軍部・天皇が戦争継続を決定したのは天皇制の延命のためである。この激しい地上戦の経験は、多数の「病者」を生み出した。
1959年コザ市での調査では「病者」49人中13人の発病原因が戦争に関連していた。1966年の精神衛生実態調査で沖縄の有病率は2.57%、当時の全国平均は1.29%。当時の全国平均の2倍の有病率だった。戦前の有病率に有意の差はなかった。戦争を前後して明らかな断層がある。当時沖縄精和病院院長の平安常敏氏は、直接的な戦争の影響、自分の子供や夫、同胞を失った間接的な影響、アメリカ統治下で基地化されたことからくる精神の不安・憤まんの影響を原因として挙げている。67年当時同病院入院患者240人中20%が戦争で肉親を失っており、29%が戦後の生活苦の中で肉親を失っていた。
沖縄協同病院医師の蟻塚亮二氏は2012年になって、直近の2年間に出会った100の事例を8分類し、①晩発性PTSD②命日反応型うつ病③匂いの記憶のフラッシュバック④パニック発作⑤身体表現性障がい⑥戦争記憶の世代間伝達⑦破局体験後の持続性人格変化・精神病エピソード⑧認知症に現れる戦争記憶の8タイプがあるとした。これ以外にも戦争の影響による統合失調症、てんかん、アルコール依存症、ドメスティックバイオレンスなどが多発し、それは世代間伝達によって今の世代にも精神的影響を与えていると言っている。
晩発性PTSDというのは、普通、PTSDが数か月のうちに現れるものであるのに、60年を経て現れているという特徴をあらわしたものだ。戦後の混乱の中を必死に生き抜き、一息ついた老後になってPTSD症状を現す。8つの症状のいずれも戦争の記憶がよみがえる中で前面化したものだ。戦争の記憶は決して一過性のものではない。
戦争体験の苛烈さと、その後も続く占領、フラッシュバックによるストレスがこれらの病をもたらしている。戦争直後にはPTSDや戦争神経症があったと伝えられている。(当時PTSDという概念はなく戦争神経症と呼ばれたものがこれにあたると考えられるが、この概念も民間人には適用されなかった。)
沖縄の精神病院入院者の半数は、占領と基地化を含む広い意味での沖縄戦関連と言われている。
一方で、加害者の側も病気になる。ベトナム、イラク、アフガンの米兵や、無人攻撃機のオペレーターが精神病になったことが報告されている。
逆の例で、アルジェリア人の精神科医フランツ・ファノンが報告している、アルジェリア民族解放戦争の中で「精神病者」の数が減っていたという事実がある。自己解放性が精神病の発生を減らしたと報告されている。

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2014年1月19日 (日)

基地反対派の勝利

稲嶺氏が再選 名護市長選
2014年1月19日 20:00沖縄タイムス

【名護市長選取材班】任期満了に伴う19日投開票の名護市長選挙は現職の稲嶺進氏(68)=無所属、社民、共産、社大、生活推薦=が1万9839票で、前県議で新人の末松文信氏(65)=無所属、自民推薦=の1万5684票を抑え、2期目の当選を決めた。
 稲嶺氏は、最大の争点となった米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設問題に「断固反対」し、保革を問わず幅広い支持層から票を集めた。

 基地受け入れに伴う再編交付金に頼らないまちづくりを訴え、受け入れられた。1996年に移設問題が浮上して以来、5度目の市長選。対立軸が鮮明になる初めての選挙で、移設反対派が勝利した。


 稲嶺進(いなみね・すすむ) 1945年7月生まれ。名護市三原出身。琉球大卒。72年に名護市役所入り。総務部長、収入役などを歴任。2004年から08年まで市教育長を務めた。10年1月の市長選に初当選。



 ▽名護市長選開票結果

当 19839稲嶺  進 無現

  15684末松 文信 無新

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2014年1月18日 (土)

階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【3】

⑤    国家主義の時代

では、その次に来るものは何か?国家を維持するということが精神医療の目的となる時代が来ようとしているのではないか。「反社会的人格」や、国のためにならない者を隔離・収容する時代だ。「アーリア人的でない」ものを排斥したのはナチス時代のドイツだ。ナチス時代も精神医学が政権の手先となり、「病者」の大量殺害に加担した。今、「反アメリカ的思想」を取り締まりの対象とするアメリカの国家主義がある。アメリカのグアンタナモ収容所では何の法的根拠もない収容と拷問が行われているが、社会問題化することはない。
日本では大きな支持率を持つ現安倍政権による国家主義の鼓吹が激しい。西の国家主義者・橋下は、人気は低下したとはいえ大きな支持率を持つ。すでに、安倍政権は教育の中立性を踏み破る国家主義的介入を行なおうとしている。これが医療に及ばないといったい誰が言えるだろうか。
「医療化」というと何か「病者」のためになるかのように装われるが、本当にそうだったか?
社会を維持するために「病者」を隔離するのが医療の果たした役割だったのではないか。「社会のためにならない者」、すなわち「社会に害をなす者」と「社会の利益にならない者」をターゲット化し、隔離の対象を拡大してきた。次々と「病気っぽい者」を社会の中からあぶりだす過程。これが「医療化」と呼ばれるものの歴史ではなかったか。職場・学校などでの労働者と子どもへの迫害は強められ、休んで回復するということができなくなり障がい化したのが「病気っぽい者」だった。「病気」がなんら固定的なものではなく、可変的なものだということを見てきた。その範囲は次々を広げられていったが、「病気っぽい者」を生み出す社会の矛盾が問われることはなかった。社会の矛盾が「病者」を生み出し、わずかに社会に適応できない者にまで対象を拡大してきた。このような医療化が国家を擁護の対象とし、国家からはみ出す者、国家に歯向かう者を対象とするというのに、何の内なる抵抗があろうか。「反社会的人格」、すなわち国家の意に沿わない者を精神医療が対象とすることまでは、ほんの一飛びだ。
日本では憲法にまで国家主義を貫こうとする改憲が準備されている。改憲とは明文改憲だけではなく、人権概念を否定する国家主義が実質的に貫かれる社会への変造を言うのだろう。人権概念を否定した国家にとって、国家のためにならない者を収容するのは必然であり、あるのは方法の問題に過ぎない。国家を維持するためには「反社会的人格」を許容できないまでに腐朽化した帝国主義の内部にあって、それを刑法体系によって収容・隔離するか、精神医療によって隔離・収容するかは、ただ単に選択の問題であるに過ぎない。問題は「反社会的人格」の芽を摘むことであって、整合性は後から付ければ良いのだ。秘密保護法によって刑法体系による収容に道を開き、共謀罪による収容が準備されている。医療の体系による収容にも道を開くのは時間の問題なのではないか。疾病・障がい概念の拡大によって「人格障がい」を精神医療の対象に含めることは既に行われている。「心神喪失者等医療観察法」という保安処分制度も存在する。観察法では、ある条件のもとでは人権を停止するということが既に実行されている。既に「病者」に対しては人権は停止されている。国家のためにならない者を精神医療の対象に当てはめるにはほんの一飛びが必要なだけだ。
最初は「精神病者」が、次に共産主義者が、次には社会民主主義者が、次にはユダヤ人が、最後に宗教者が収容・抹殺されたナチスドイツの前例を知らないわけではあるまい。スマート化し殺害という方法は取らないかもしれない。その分、隔離・拘禁という社会的抹殺の方法を取るのに、精神医療ほど都合の良い物は無い。医療と名付ければ社会の抵抗は少ないというのが「医療観察法」の教訓だ。疾病概念を広げ、「反社会的人格」や「国家のためにならない者」を隔離の対象とすることは、「医療化」の流れの中では小さな飛躍だ。
しかし、そのような社会をもたらすかどうかの選択肢は民衆の側が握っている。何の抵抗もしないのか、それともそれを帝国の滅亡に転化するのか。ナチスを許したのが民衆であったように、決めるのは民衆だ。

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2014年1月17日 (金)

階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【2】

④    新自由主義の時代
1990年代、バブル崩壊と軌を一にして、積極的に社会的活動を担えない者、担わない者に対象が拡大した。
うつ、不適応など、銀行員や高級公務員、きちんとした会社員たちが問題にされた。強度の適応性を求められる中での発症だが、社会が問われることはなく、矛盾は労働者において問われることになった。労働が極度に強化されたことが発病の新たな原因となったが、それが問われることはなかった。病気の範囲が拡大され、不適応という新たな範囲が生まれた。積極的には社会に適応できない者は「病者」と見なされ、医療の対象になるに至った。また、膨大な数のうつ病者が「発見」された。「うつは風邪のようなもの」という虚偽のイデオロギーが取り入れられ、流行したことも大きく影響した。それまでは社会の中に溶け込んで生活していたうつ病者が「発見」され、医療の対象とされるに至る。
これは当事者にしたら、適切な医療が施されるという面もあろうが、それまでの社会から切り離され、「悪」「罪」と規定される「病者」の仲間入りをすることをも意味していた。この価値規定を伴わないのであれば幸せなことだったかもしれないが、実際には価値規定を伴っているのであり、一人前の人間から脱落者と烙印を押されることだった。それまでの人間社会の一員から、罪世界の住民となることを意味していた。
この時期から、労災への「ストレス脆弱性理論」の適用が問題になる。精神病には外的ストレスと共に本人が持つ脆弱性が要因であるという説だ。当たり前のことを言っているようでありながら、脆弱性が何に起因するかと問うことがないところに特徴がある。結局、病気の背後にある社会の問題を問わないために考え出された似非理論だった。厚労省が労災適応の基準として取り入れた結果として、職業病が認められずに解雇になるケースが多発すことになった。
1993年大和川病院の患者殺しがおきた。大和側病院が問題を起こすのはこれが初めてではない。常習的に患者虐待が行われていた。しかし、それが反医療行為とはされなかった。大和川病院が閉鎖されたのは医療保険指定が取り消されたからだが、それは患者を虐待したことが理由ではなかった。保険の不正請求が理由だった。患者の命より、保険の金の方が重視されたのだ。
2003年制定、05年施行の「心神喪失者等医療観察法」が成立した。犯罪をした「病者」には特別な施設が必要だというものであり、将来の再犯予測によって収容するという点で保安処分そのものだった。国会審議の過程では、当時の坂口厚生労働大臣が「イギリスの医学教科書に予測は可能だと書いてある」と答弁したが、実際には「予測は極めて困難だ」と書いてあったことが暴露されるという一幕があり、法律の書き様は混乱したものとなった。法律の名に医療を冠するだけの実質的保安処分だった。しかし、医療を名乗ったことで反対者が減ったという絶大な効果があった。実際には長期の拘禁と多数の自殺者という結果を生み、医療で問題を解決するというわけにはいかなかった。施設開設の初期からの収容者がいることが指摘され、自殺者は入院者・通院者合せて36人にのぼる。日本の一般の自殺率が25なのに対して800という高率なのだ。医療のおごりが生んだ悲劇だ。
 この時代を開いた1987の中曽根政権による国鉄分割・民営化があり、総評解散(1989年)の攻撃があった。1996年には社会党も解散し社民党となり少数政党となった。これらを契機に、経団連の方針として非正規労働者が増加。労働者階級総体の力が低迷し、資本家階級の攻撃に対抗し得なくなった。連合は資本の手先となるしか延命の方法がないまでに弱体化していた。もはや労働者を率いて資本家に対抗するという気概も路線も持ち合わせなかった。労働代官というのがふさわしい。
非正規雇用が増加した若者にとって労働組合は企業そのものと何ら変わりのない既得権益擁護だけの存在に成り果てたように見えている。若者は自ら労働組合を組織する場合「ユニオン」と名乗ることで既存の労働組合と区別するようになる。
このことは、医療観察法、すなわち保安処分新設の攻撃に対しても、過去の保安処分新設の攻撃とは違い、労働者階級としての反撃が組織されないという結果をもたらし、労働者の「病者」に対する連帯の契機を失った。また労働運動は、労働者の内から「病者」が多数生まれるという事実に対しても何ら有効な反撃を組織しえないばかりか、労働運動の内から排除する有様だった。労災闘争はほとんどの場合、労組とは別の支援組織を求めざるを得なかった。社会活動を担えない者、担わない者は、労働運動の埒外に置かれる結果となったのである。それは、内に取り込めば資本と闘わないといけなくなるから、資本との闘いを回避したいがために、あらかじめ内から排除するのである。

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家族支援の新しい試み

2014年1月9日 東京新聞 朝刊

 英国流「家族支援」目指す 精神疾患の再発抑止に効果 専門チーム訪問、対処法助言

 精神障害者の家族を支える英国式の訪問支援を日本に導入しようと、精神障害者家族の全国組織、全国精神保健福祉会連合会(みんなねっと)が動き始めている。三月には、英国の専門家を招き、その支援法を学ぶ講演会を東京と京都で開く。
 昨春、英国バーミンガム市の家族支援を視察した、みんなねっと副理事長の木全義治さん(愛知県精神障害者家族会連合会会長)は「精神疾患の問題を本人と家族に押しつけず、社会で支える意思を感じた」と話す。英国は介護者支援が盛ん。患者と同列に家族が支援の対象になることが日本との大きな違い。日本の訪問看護などは原則、本人の支援が第一。家族の支援は本人の療養環境を整えるため行われることが多い。みんなねっとによると、バーミンガム市では、専門医らの判断で、メリデン・ファミリー・プログラムという研修機関で学んだ社会支援の専門職や看護師などの多職種チームが精神障害者の家庭を訪問する。チームは家族一人一人に「生活で困っていること」を聞き、その解決に取り組む。再発の兆候が出た際の対処法に不安があれば、対処法を一緒に考えたり、治療の見通しに不安があれば、一般的な治療の流れを説明したり、本人の服薬拒否があれば、自発的に服薬できるように指導したり。病気のために、あつれきが生じる家族も多い。そうした家族のために家族会議を開き、お互いの思いが伝わるように手助けをする。支援によって、家族や本人が、困った状況を自分たちで解決する力をつけていく。それでも解決しない状況には、さらにチームが関わり、困難の解消を手助けする。重い症状の人には、家族支援とは別のチームが関わる。英国の調査では、医師のカウンセリングを受けている患者で、家族支援を受けない人の九カ月後の再発率が44%なのに対し、受けた人では6%と激減。さらに月一回のペースで家族支援を受け続けた人の二年後の再発率が17%と、引き続き低率に抑えられたのに対し、支援を受けなかった人は83%が再発した。「支援の効果は高い。個々の家族に対する訪問支援を日本でも」と、みんなねっとの良田かおり理事は語る。
      ◇
 一方、日本では、家族支援が十分でないという。みんなねっとが全国の家族会員約四千五百人を対象に二〇〇九年に実施した調査では、患者の病状悪化時に、65%の人が恐怖心が強まり、59%が精神状態や身体の不調が生じた。患者の症状が出てから、家族が信頼できる専門家に相談できる体制ができるまでに、相当な時間がかかっていることも調査で明らかになっている。みんなねっとは、三月五日には京都市、七日に東京都内で、英国から研修機関の所長らを招き、家族支援をテーマに講演会を開く。その後、三年かけ英国から支援技術を学び、一七年には、支援者の支援技術を身に付けるための研修会を自前で開きたいという。将来は家族支援の制度化も国に求める。

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2014年1月16日 (木)

階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【1】

現状認識のために、日本における精神医療史を概観する。
一見すると医療化が進んだ「進歩の」歴史のように思われるかもしれないが、そうであったのか。「医療化」のもたらしたものはなんであったか。これから何をもたらすのか。
①    逸脱・規範に乗らないものが社会の中で暮らしていた時代。
宗教家、神がかりの人、「狂人」は社会の中で暮らし、受容されていた。
②    規範に乗らない者が収容の対象となった時代。
「狂人」・放浪者・乞食・「ろうあ者」・罪人を収容の対象とする。そのための道具(監獄・精神病院)と金が必要だった。資本蓄積が進んだ結果だ。
戦後精神衛生法の時代まで混沌とした収容が続いていたとはいえ、それは医療の名によって行われた。しかし、医療といっても、監禁・拘束とロボトミーや精神外科などの原始的なものだ。それは収容の延長上にあるものだった。
③    「医療化」の時代。資本蓄積が更に進む。
向精神薬の開発が劇的変化を生んだ。それまでの拘束、ロボトミー・精神外科から主流を取って代わった。それをも背景として医療改革の流れが精神科にも及んだ。1960年代、70年代、精神神経学会をめぐる闘争がそれである。精神医療民主化闘争として東西で同時的に闘われた全共闘運動だった。西のプシ共闘、東大赤レンガという運動が闘われた。精神神経学会の民主化をめぐる闘争は激しいものだったが、民主化は中途半端なものに終わった。その総括をするのは私の任ではない。大多数の民間精神病院は手付かずのまま、「病者」を暴力で支配していた。東西の改革運動は各地に医師たちが分散する形で終息した。
1984年宇都宮病院での患者虐殺事件がおきた。国際的批判の高まりにより精神衛生法から精神保健法に変わり、拘禁の時代が終わるかに見えた。しかし、その後も何度かの大和川事件やいくつもの精神病院の不祥事が続くのだった。患者を「私的財産」と見なす精神病院の経営に何の変化も見られなかった。
この時代は、社会活動に参加できない者が対象になる時代だった。統合失調症や典型的うつが主な対象だった。社会の矛盾が生んだ「病者」に対して、病気の側面のみを問題にする体制はこの時期には出来上がっていた。社会活動に参加できない者が「病者」と見なされた。
また、不登校・ひきこもりが社会問題とされ、学校に行けない者が精神医療の対象にのせられた。社会の矛盾が学齢期の者にまで拡大したものだ。

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国民年金:50歳未満に猶予拡大 厚労省が法改正案

2014年1月8日 毎日新聞 東京朝刊
 
 厚生労働省が通常国会に提出する国民年金法改正案の概要が7日、明らかになった。30歳未満の低所得者の保険料を猶予する「若年者納付猶予制度」について、対象年齢を50歳未満へ引き上げる。今年10月以降の施行を予定している。
 猶予制度の対象年齢拡大は、非正規雇用が中高年にも広がっていることに対応したもの。猶予期間は将来の年金額には反映されないものの、受給に必要な加入期間にはカウントされる。過去の未納分をさかのぼって払える期限(通常2年)は、2012年10月から15年9月までの3年に限り10年に延長されている。15年10月以降はさかのぼれる期間を5年に短縮したうえで、3年程度延長する。保険料全額免除の申請時、書類の準備が難しい場合は口頭での申請も受け付ける。

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2014年1月15日 (水)

階級社会と「精神病者」解放1「病者」の歴史【3】

もう一度概観すれば、ヨーロッパは17世紀以来の歴史の中で収容社会化する。労働の賛美と資本主義的生産様式の中では労働できない者、しない者の対比の中で、最貧困層はピネルによって解放されるまで収容されていた。この中に「狂者」も含まれていた。理性に反するものの一つとして、狂気は罪とされた。
ピネル以降に精神病という概念はできた。ちょうどこの時期に、大量の労働者が生まれ、その中から大量の「病者」が生まれた。労働とその強化は、休んでも回復しない病気を生み出し、大量の「精神病者」が生み出されることになった。これは工業化以降に起きたことである。初めから、精神病には極度の抑圧社会である資本主義の階級性が刻印されている。

日本ではどうであったか。「病者」は私宅監置されていた時代が長い。1900年精神病者監護法によって座敷牢を合法化した。現状の追認である。19年精神病院法によって私的監置から公的収容へと移行する。座敷牢の解消としての精神病院収容政策の中で、精神病院に2万人収容した。一方、大多数の監置に至らぬ「病者」は社会で暮らしていたのである。
戦後、本格的収容社会化する。精神衛生法(50年~88年)から、精神保健法、精神保健福祉法体制のもと33万人入院者という体制に移行した。背景には高度経済成長に伴う農村から都市への大量の人口の移動があった。大量の労働者が疲弊して入院することになる。戦前は結核が社会病であったが、戦後、精神病が中心になる。ライシャワーアメリカ駐日大使が「病者」によって負傷させられたという事件を契機に措置入院が増えたことも重なった。政府は私立病院に補助金を付けて精神病院建設を進めた。暴力的入院政策が取られたことを一つの契機として、33万人体制は出来上がったのだ。
ヨーロッパでは数世紀を掛けた変化が日本では短期間のうちに政策的に重なって進められた。労働が美徳であり怠惰は背徳であるという観念は、狂気を罪悪であるとみなす観念と共に、西欧化の流れの中で人為的に取り入れられた。資本の本源的蓄積過程で進められた工業化は戦後高度成長期に、影をなす膨大な「病者」の存在を前提としていたが、それらの者は暴力的収容政策の元、文字通りの暴力によって支配されていた。それは1970年代から始まる「病者」解放運動の時期まで続いたのである。

このように「病者」の歴史は資本主義社会によって規定されており、階級的性格を有している。それは歴史的存在であり、新たな歴史の中で変わるべき性格のものである。苦痛を取り除く医療は必要かもそれないが、「狂気」という存在様式を廃止する必要は必ずしも存在しない。「狂気」という存在を社会が再び認めることこそが、「病者」解放の目指すべき地点なのではあるまいか。「病者」が「病者」であるがままに差別から逃れる社会。差別されない一人の人間として生きられる社会は、歴史のひっくり返しとしてまったく可能なのだということを、歴史自身が示しているのだ。狂気がかつては差別の対象で無かったように、未来社会において差別されない在り様となることは可能なのだ。「病者」解放とは、「病者」ではなくなることではなく、「病者」であるがままに一人の人間として生きられる社会の実現のことなのではあるまいか。それは「病者」に対する価値観の転換であり、「狂気」の歴史的復権のことである。とすれば、「病者」解放とは「狂気」の復権のことなのだ。資本主義的工業化が、狂気を否定し罪としたのであるから、「狂気」の復権とは資本主義の否定であり、「病者」解放とは、資本主義的階級社会の否定であり引っくり返しのことなのだ。そこに、「狂気」の復権の根拠が存在する。「狂気」の歴史の考古学はそのことを示している。

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2014年1月14日 (火)

階級社会と「精神病者」解放1、「病者」の歴史【2】

フーコーは次のように描写する。
「(狂気は)水面から浮かび上がり、文化的風景の中に何の困難もなく統合された。15世紀末というのは、たしかに、狂気が言語の本質的な力と、再び関係を結んだ時期の一つであろう。・・・無数の狂人の踊りや狂人の祭りが、ヨーロッパのルネッサンス期を通じて、好んで催された。・・・さらに狂人の文学というべきものがたくさん生まれた。エリザベス朝の演劇や、古典時代以前のフランス演劇に見られる精神錯乱の場面は、夢とか、少し後の告白場面などと同様に、演劇という構築の一部となっている。こうした場面は、劇を導いて錯覚から真実へ、偽の解決から真の決着へとみちびいて行く。つまり、これらはこのバロック時代の劇の本質的な原動力の一つというべきものなのである。・・・ルネッサンス末期におけるシェイクスピアとセルバンテス(ドン・キホーテの作者)は、この狂気の多いなる威信を証明している。・・・17世紀初頭のフランスには、有名な狂人たちがいて、公衆が、しかも教養ある公衆が、好んでもの狂人たちを相手に楽しんだ。・・・何人かの狂人たちは本を書き、それが出版され、狂気の作品として読まれた。1650年ごろまでは、西欧文化はこうした体験形態に対して、ふしぎに受容的であったのである。」(精神疾患と心理学・以下同じ)
このような蜜月は長続きはしなかった。重商主義の時代になり商業が盛んになると価値観の転換が起きた。それに伴って狂気は疎外されるに至る。
「17世紀半ばに、突然、変化がおこった。狂気の世界は疎外の世界となる。大きな収容施設がヨーロッパ全土につくられ・・・。肢体不自由の貧困者、困窮老人、乞食、頑固な怠け者、性病患者、各種の風俗壊乱者、家族の意向または王権により公の刑罰を加えるわけに行かない人、濫費家の父親、破目をはずしてさわぎまわる聖職者など。要するにすべて理性、道徳および社会の秩序に関して「変調」の徴候を示す人たちが閉じ込められた。」
収容施設はフランスでは「一般病院」と名付けられた。非理性としてくくられることで狂人もまたこの収容施設に入れられることになった。人口の1%にも及ぶ貧困層が収容されていた。そこは慈善事業の対象となると同時に、粗末な労働によって完結する経済体でもあった。
価値観の転換とは何であったか。宗教改革によって労働に対する考え方が変化した。労働は神聖な行為となった。すると貧困は救済すべき神聖なものと考える感性から、非難すべきものであり慈善事業は罪悪であるとみなす感性へと変化した。この感性によると、労働しないことは「神の力を試すこと」であり、最悪の反抗と見なされた。収容施設における労働は倫理的な意味をおびていた。
「商業の世界における最大の悪徳、とくべつの罪とはなんであるかが定義されたばかりであった。・・・怠惰にほかならなかった。収容施設に住むすべての人を一括する共通なカテゴリーとは(彼らの責任であろうと事故のためであろうと)富の生産、流通および蓄積に参加できない、ということであった。」
「道徳的・社会的に有罪なものと狂気とは、親類としての縁をむすぶことになり。・・・20世紀において、狂気自体の中心に、有罪性と攻撃性の原始的な核が発見されたことも、おどろくにあたらないことである。西欧史が300年来、狂気に対して行ってきたことの沈殿物に過ぎない。」
狂気は罰すべきものとなった。そして現代の精神病理学もまたこの価値観から自由ではない。狂気を正すべきものと考える考え方はこの時代から始まり今日に至っている。それは決してアプリオリなものではなく、時代を背景にした歴史的に形成されたものなのである。吉田おさみ氏は狂気を治療すべきものとは考えなかったが、それには根拠があったのだ。
しかしその時代も1世紀も続かない。経済の発展は工業化をもたらした。重商主義の時代は、生産者でも消費者でもない貧民は監禁すべきものであった。しかし市民社会の発展は新しい感性をもたらした。工業の発展は労働者を必要とした。貧民は閉じ込めていくべきものではなく工業の中に引き入れる必要が生じた。貧民にも労働させるべきである。収容施設は廃止すべきものとなった。
「隔離収容は・・・1世紀以上は大して維持されなかった。1789年以前、及びフランス革命の改革者たちは、隔離収容は古い圧制の象徴であるとして、これを廃止しようとし、また同時に、施療院による扶助というものは、困窮階級の存在をあらわすものとして、できる限りこれを制限しようとした。」
収容施設から貧者は解放されたが、「狂人」を解放するわけにはいかなかった。
「しかし、狂人は自由な身にもどされると、周囲の家族や集団にとって、危険な存在になりうる。彼らを拘束しておく必要と、「狂人や危険な動物」を放浪させておく者に対する刑罰は、ここから生じる。この問題を解決するために、革命時代と帝政時代に、昔の収容施設が、次第に狂人たちに充てられるようになった。この度は狂人専用である。」
ここに精神医学と呼ばれるものが始まる。それは医学が発展して新しい学問が花開いたというわけではなかった。収容を続ける必要があり、しかし、それまでのようなただの監禁というわけにはいかないという事情から考え出された「学問」だった。精神医学が発展して精神病院ができたのではない。まったく逆なのだ。精神病院ができたから精神医学ができたのだ。
そのことはまた神話になっている「精神医学による精神病者の解放」というのも大きな嘘だということを示している。たしかに鎖でつなぐことを止めたが、別の方法で縛りつづけたのだ。
「たしかに隔離収容ということは、当時において新しい意味をおびた。医学的性格を持った措置となったからである。・・・ピネル・・たちは隔離収容という古い習慣の鎖をほどいたのではない。かえってその鎖を。狂人たちのまわりにしめつけたのである。・・・彼を治癒させるということは、依存感情、罪の自覚、感謝の念など、すべて家庭生活の道徳的な枠組みをつくるものを、彼に再び教え込むことを意味する。これに成功するためには、おどかし、罰、食事制限、恥辱など、要するに、すべて狂人を幼児化させ、同時に罪あるものとなしうる手段を利用することになる。」
「19世紀の「慈善」は「解放」という偽善的なかたちのもとに、狂気を道徳的サディズムの中にとじこめたのだが、このサディズムがなかったなら、この心理学は全然存在しないであろう。」
精神医学の似非科学性はここに刻印された。科学の装いをすることで何かの地位を得た精神医学は、実は閉じ込めの別名だったのだ。この道徳的サディズムなしに精神医学は成立しない。それはこの始まりの時代に刻印されたことだが、今日の日本の状況を見れば歴史的に終わったことではない。精神医学があって閉じ込めがあるのではない。閉じ込める必要があるから精神医学があるのだ。始まりと終わりは一貫している。

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2014年1月13日 (月)

階級社会と「精神病者」解放1「病者」の歴史【1】

部分的には公表してきたものだが、「階級社会と「精神病者」」という論考を順次公表していきます。何らかの媒体に公表したいと思っているが紙媒体ではまだどこにとは決まっていない。意見などあれば寄せていただきたい。その第一回。

階級社会と「精神病者」解放
「精神病者」解放とは何か?「精神病」とは何か?その階級的性格は?階級的「病者」解放運動の任務は?

目次
1「病者」の歴史
2「収容から「医療」へ」という視座から
3戦争と「精神病」
4階級闘争と「病者」解放の内的関連性
5精神医療の帝国主義的再編
6新自由主義
7「病者」解放の具体的道筋
8障害者権利条約とインティグリティ概念
9現実的道筋

1、「病者」の歴史。
資本主義社会の形成と「精神病」の階級的性格。
哲学者フーコーによる研究によって、図らずも狂気は復権された。フーコーは狂気の歴史を研究し、それが社会と取り結ぶ関係性は決して固定的なものではないことを証明した。今日常識と思われている狂気は悪という観念は歴史的に形成されたものであり、狂気はいつの時代も悪とされたわけではなかった。同時期に、1960年代から80年代にかけて活躍した日本の「病者」・吉田おさみ氏は、「狂気の肯定」という、価値観のコペルニクス的転換をなしたことによって、「病者」解放運動の一つのルーツとなった。
「狂気」という意識の在り方は古いが、社会が「受け入れなくなる」歴史は新しい。書かれた歴史の中では、プラトンは狂気は神憑りのような状態であり、神が人間の意識を訪れた徴と考えた。人間には理性で認識できない物を認識する眼が植えつけられていて、狂人はその目の働きが純粋な者と考えた。シェイクスピアの中の「病者」も、決して悪いようには書かれていない。それは「真実を語る者」として描かれている。狂人は社会の一成員であり、決して悪者ではなかった。

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2014年1月11日 (土)

障がい者権利条約とインチグリティ概念【3】

条約の精神は肯定できるものだ。問題はそれを実現することであり、中身を実際のものにする過程なのだ。すでに日本政府は、国連勧告に従う必要はないという閣議決定を別の条約に関連して行っている。条約を批准したからと言ってその中身が実現されるわけではない。国内における制度が、階級の要求となって多数派を占めなければ、骨を抜かれることを経験している。
 このような骨抜きを許さぬことは、現実の闘いでしか実現できない。
障がい者権利条約は「その中身を実現する運動を」追求するのではなく、「現実の運動の中身の後を権利条約が追ってくる」と考えた方が良いのではないか。権利条約の核心的中身のひとつは一七条の「インティグリティ概念」であると言われている。精神と身体への不可侵性とでも訳するのだろう。近年の人権概念の核心と言われているものだ。ところが政府はこの語を「心身の健全」と訳している。これでは何のことか分からない。意図的語訳だ。最近の朝鮮学校への「高校無償化」除外についての国連勧告や日本軍慰安婦問題についての国連勧告に対して、安倍内閣の閣議決定で「法的拘束力はない」と決定した。政府にやらせることの大変さをそれ自体で追求するのも一つの方法だが、現実の運動の後を権利条約が追ってくると考えた方が無駄な労力を使わないで済む。現実には権利条約にいいことが書いてあると現実から逃げる方法として使われていたりする。現実の運動の中で、「権利条約にはこう書いてあるではないか」と要求することで、権利条約の中身が実現されていくのだから、運動の方向性はそれでよいのではないか。

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2014年1月10日 (金)

生活保護「水際作戦」強化を懸念~支援者が要望

ourplanetTV 投稿日時: 木, 01/09/2014 - 10:22

生活保護問題に取り組む市民団体が9日、先の臨時国会で成立した「改正生活保護法」の運用に関して、厚生労働省に要請書を提出した。今後制定される政令などで、違法な水際作戦の合法化や扶養義務者の調査強化が行われないよう求めている。
 
申し入れを行ったのは、生活保護問題に取り組んでいる弁護士や支援者らでつくる全国ネットワーク「生活保護問題対策全国会議」のメンバーら。生活保護を申請する際、扶養義務の調査が強化される恐れが懸念されているが、これに対し、扶養義務は家族か関係が良好で、高額な収入を得て十分資力がある場合など、極めて限定的に運用するよう省令などに明記すべきだとしている。
 
また、生活保護の申請手続きについても、口頭による保護申請を省令として認めるなどの対応を求めた。まこのほか、今回の改正では、不正受給の罰金は従来の30万円以下から100万円以下に引き上げられたほか、不正が認定された場合、支給されている金額からの徴収できるとされている。しかし、高校生の子どもがアルバイトをしているケースなど不正受給と評価するには疑問があると主張。不正の意図が明確に認定される場合に限定するよう求めた。
 
自立生活サポートセンターもやいの稲葉剛理事長は記者会見で、昨年11月に大阪市が生活保護受給者に対する仕送り額の「めやす」を通達したことに触れ、「申請抑制がおこるおそれもある。名地方自治体が暴走し始めて、親子関係だけではなく兄弟姉妹の関係まで強く調べるおそれがでてくる。国会付帯決議で歯止めをかけたので、きちんと対応ほしい」と述べた。
 
また、生活保護受給者が後発医薬品(ジェネリック薬品)を使うよう法改正がされている点について、代表幹事の尾藤廣喜弁護士は「生活保護受給者が、健康保険とは別に取り扱われるのは医療の劣等処遇ではないか」と指摘した。

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2014年1月 9日 (木)

4月の生活保護費引き下げの具体例

年末の予算案についての厚労省発表資料では次の通りの説明。

生活扶助基準等の見直し

平成25 年8月から三段階で行う生活扶助基準等の適正化の二段階目に併せ、消費税率の引上げの影響を含む国民の消費動向など、最近の社会経済情勢等を総合的に勘案し、生活扶助基準等の改定を行う(平成26 年4月実施)。

(参考)平成26 年度生活扶助基準の改定率の具体例(都市部)

・ 夫婦と子(30 代夫婦と幼児) ▲0.6%
・ 高齢単身世帯(60 代単身) +2.0%
・ 単身世帯(20~40 歳) +0.1%

※ 生活扶助基準等の適正化の二段階目による改定率(年齢・世帯人員・地域差によって異なる)と、国民の消費動向などを総合的に勘案した改定率(2.9%)を合計したもの。(以上)

全く不当な数字だ。平均6.5%の引き下げが前提になっている。 生活扶助相当CPIの下落率4・78%の路線は堅持している。繰り返して言うが、この生活扶助相当CPIというのは厚労省がでっち上げたものだ。自民党の公約である生活保護費10%引き下げというのに合わせるために、でたらめに計算したのだ。確かに高齢単身世帯では引き下げ率は少ないが、0.9%も不当に下げられているのだ。決して少ない金額ではない。

金がないわけではない。政府予算が枯渇しているから誰かが我慢しなければならないというストーリーはでっち上げだ。年収1億円を超えると税率が下がり続け、100億超では14%しか税金を支払っていない。金持ち優遇税制なのだ。これを是正するだけで財源は充分にある。

自民党の選挙公約はこれを隠すために、年収150万くらいの生活保護受給者をいけにえの山羊として、庶民の怒りをすり替えたのだ。怒りの向けどころがどこにあるのかあまりに明らかだ。

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2014年1月 8日 (水)

障がい者権利条約とインティグリティ概念【2】

国際条約、国連というものに対する異議が出るのは承知している。国連は国際的強盗の同盟という面が第一にあることはたしかだ。しかしブルジョワ国家における法律や制度の制定運動と同様の面が国際条約にも存在することを指摘しておく。ブルジョワ国家における制度要求を否定する意見もあるが、それはブルジョワジーを巨大化して捉え、逆らっても無駄という敗北主義を組織している人たちと同じ人がやっている論理だ。障がい者の骨格提言は、障がい者をブルジョワジーのもとに縛り付けるための悪巧みだという立論をする人たちがいるが、それがいかに現実を踏まえていないか。骨格提言を実現するために闘うのではなく、闘ってはならないと扇動している党派のことだ。彼らはブルジョワジーと闘う現実の運動から逃げて、労働運動以外にはやってはならないと主張していた党派だということを指摘するだけで充分ではないか。ブルジョワ国家に対して労働者階級の要求を含んだ制度を作らせてきたように、国際連合に対してもそのような過程は可能なのだということを、この条約制定は示している。

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2014年1月 7日 (火)

障害者権利条約とインティグリティ概念【その1】

道筋と言われているものとして障害者権利条約のこと。
インティグリティ概念は「「自己決定の前提となる価値観や世界観を醸成する固有の場となる人間の身体と精神に対する不可侵性」(池原毅和)であり、20世紀後半から、人権の基本概念と見なされるようになった。 自由権規約は6条(生命に対する固有の権利)、7条(拷問、虐待、同意なき科学的・医学的実験の禁止)、8条(奴隷、強制労働の禁止)でintegrityへの権利を定めている。さらに、拷問等禁止条約において、障害を矯正する目的で不十分なインフォームドコンセントのもとで行われる医療行為は、拷問・虐待と見なされる。」山田嘉則・阪南中央病院
 このインティグリティは条約17条で定められている。「希望しない医療、強制的な監禁、または望まない身体的及び精神的な侵害を受けることから保護される権利。」(世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク編障がい者権利条約履行マミュアル・以下同)「この保障は、保健医療の専門家がインフォームドコンセントに基づいた自由な同意に基づいて医療を提供するという義務を定めた25条によってさらに強化されている。」12条では「私たちには私たち自身の人生を決める法的能力があるということを認知する。」「法的能力の概念は精神医療ユーザーとサバイバーを人として否定し、私たちが自分自身の人生を決める権利を私たちから奪うことに使われてきた。」15条は、「拷問および他の残虐な非人道的なあるいは品位を傷つける取扱い、または刑罰からの自由の権利を保証している。同意のない医学的または科学的な実験からの自由も含まれる。これらの条項の持つ効力が強制的な精神的治療の廃絶をもたらす。」「障がいに基づいた自由の剥奪は正当化できない。障害のある人も地域社会の中に生きる権利を持ち、どこに誰と住むか選択する権利を持っている。したがって、障がいに基づいた強制的な施設収容、または強制入院は禁止されている。」
 このような条項が書き込まれた背景を同書は細かに書き記している。世界精神医療ユーザー・サバイバー・ネットワーク(WNUSP)など様々な団体のユーザーとサバイバーが諸国から結集し、いくつかの政府代表団に入り、国際障がいコーカス(IDC)の設立に取り組み、その運営メンバーとなったこと。IDCが統一した意見書を出すための共同作業に加わったこと。「私たちの作業の重要な側面は、同盟を構築したこと、総意を創りだしたこと、そして様々な障がい者の人権活動との協働を学んだことだ。」「最後には、IDCは統一した論理的かつ力強い意見で、すべての障がいをもつ人の人権の尊重の促進を訴えた。」WNUSPは第1回の会議の前から参加し、12の非政府組織(NGO)の一つの代表として27の政府と1つの国内人権機関と共に作業部会に参加した。作業部会ではすべての参加者が平等の発言権を持ち、条約草案を創りだすために協力した。条約特別委員会での審議は、すべての政府と市民団体に提言の機会が与えられ、最終的にすべての人が受け入れられる条約が採択された。それはたやすい経緯ではなかったが、IDCの承認は追求され、必要とされていた。」などとあり、さらに困難な場面を乗り越えたことが記されている。
 これらのことから浮かんで来るのは、これから各国政府に、この条約の内容を強制する過程こそが、この条約の本番だということだ。何とか条約など無化したい日本政府にこの中身を強制することの困難さを思う時、条約制定過程の苦労を思うことは意味のあることであろう。

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2014年1月 6日 (月)

戦争と「精神病」

精神病の社会的性格と特質。
精神病は社会の中で生まれる。社会的関係性の病であることを戦争の経験は鋭角的に証明している。
沖縄。沖縄戦による精神病の多発の問題だ。1959年コザ市での調査では「病者」49人中13人の発病原因が戦争に関連していた。1966年の精神衛生実態調査で沖縄の有病率は2.57%、当時の全国平均は1.29%。戦前の有病率に有意の差はなかった。戦争を前後して断層がある。当時沖縄精和病院院長の平安常敏氏は、直接的な戦争の影響、自分の子供や夫、同胞を失った間接的な影響、アメリカ統治下で基地化されたことからくる精神の不安・憤まんの影響を原因として挙げている。67年当時同病院入院患者240人中20%が戦争で肉親を失っており、29%が戦後の生活苦の中で肉親を失っていた。
沖縄協同病院医師の蟻塚亮二氏は2012年になって、直近の2年間に出会った100の事例を8分類し、①晩発性PTSD②命日反応型うつ病③匂いの記憶のフラッシュバック④パニック発作⑤身体表現性障がい⑥戦争記憶の世代間伝達⑦破局体験後の持続性人格変化・精神病エピソード⑧認知症に現れる戦争記憶の8タイプがあるという。これ以外にも戦争の影響による統合失調症、てんかん、アルコール依存症、ドメスティックバイオレンスなどが多発し、それは世代間伝達によって今の世代にも精神的影響を与えていると言っている。晩発性PTSDというのは、普通、PTSDが数か月のうちに現れるものであるのに60年を経て現れるという特徴をあらわしたものだ。戦後の混乱の中必死に生き抜き、一息ついた老後になってPTSD症状を現す。いずれの症状も戦争の記憶がよみがえる中で前面化したものだ。戦争の記憶は決して一過性のものではない。
戦争体験の苛烈さと、その後も続く占領、フラッシュバックによるストレスがこれらの病をもたらしている。戦争直後のPTSDや戦争神経症(当時PTSDという概念はなく戦争神経症と呼ばれたものがこれにあたると考えられるが、この概念も民間人には適用されなかった。)の多発があった。
 沖縄の精神病院入院者の半数は広い意味での沖縄戦関連(占領と基地化を含む意味で)と言われている。
逆の例で、フランツ・ファノンが報告している、アルジェリア民族解放戦争の中で「精神病者」の数が減っていたという事実がある。自己解放性が精神病の発病を減らしたと報告されている。
一方で、加害者の側も病気になる。ベトナム、イラク、アフガンの米兵。無人攻撃機のオペレーターが「精神病」になることが報告されている。
これらは遺伝説を否定する意味ある統計であろう。「精神病は医学によってのみ解明できる」という考え方の否定でもある。
階級的、(多くは階級性に起因するが家族的なものを含む、)長期の抑圧が発病の原因と考えられている。家族は社会の全矛盾を背負うものであり、社会の縮図でもある。矛盾と抑圧は人生の最初には家族関係としてあらわれる。家族という共同体の中で、本来備わっていたはずの共同性は破壊されており、家族的寛容と家父長的抑圧を特徴とする疎外関係が取って代わっているからだ。
戦争という極限的疎外が「精神病」の原因になっているという事実は、社会的関係性≒階級性としての「精神病」という本質を証明するものではないだろうか。今日の社会的関係性がまず第一に社会的疎外であり、階級性とは疎外の別名であるという点において。
すると「精神病」と自己解放性は矛盾するものかという疑問が生じる。「精神病者」が自己解放性を発揮した時には、その症状にどういう変化が現れるものなのだろうか。筆者の経験の中では、自己解放性は症状の軽減をもたらすものだったのだが、治るということではなかった。逆に、長期間の投獄が、心神喪失状態一歩手前まで行ったことがある。自己解放性は心神喪失と反対の概念であるのかもしれない。しかし、統計とするには材料が足りない。ファノンの経験は何を意味するのか。ただ症状の軽減は病気が治るとか良くなるという意味ではない。「精神病」の範囲内での苦痛の軽減といったことである。苦痛の無い「狂気」がありうるかは大きな問題だ。

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2014年1月 4日 (土)

福祉新聞より

■医療・介護改革固まる
■提供体制を一体再編
■厚労省15年度から段階的に
 厚生労働省はこのほど、医療・介護改革の骨子をまとめた。12月19日の社会保障制度審議会医療部会、翌20日の同介護保険部会がそれぞれ意見書案を了承した。厚労省は2014年の通常国会に関連法案を提出し、15年度から段階的にサービスの提供体制を再編する方針。14年度からは省内の組織も改め、関係部局同士の連携を強化する。
 医療部会、介護保険部会とも民主党政権時代の10年にサービス提供体制改革の議論を開始。介護保険は11年に改正法が成立したが、小幅に終わった。医療法は06年に改正されたのが最後だ。
 社会保障制度改革の手順を示すプログラム法はすでに成立し、医療・介護改革の方向性は固まっている。
 両部会に共通する問題意識は、限りある資源をいかに有効活用するかということだ。
 医療部会の最大のポイントは病床機能の報告制度創設だ。人員配置が手厚い分、診察報酬の高い「急性期」の病床を適正数に絞り、「慢性期」への転換を促すことが狙いだ。
 病床機能の報告を受けた都道府県が将来の地域医療ビジョンを策定する。病院側の委員が強権的な病床再編を警戒し反発する一幕もあったが、19日の会合は拍手で終わった。
 関係者による「協議の場」と「新しい基金(904億円)」を設けることで、なだらかに病床再編を進める道筋が見えたからだ。
 報告制度は14年度中に開始し、地域医療ビジョンは15~16年度にかけて策定することを想定。しかし、軟着陸を第一に考え、いずれも時期は固定化せずに進める。
■地域格差に不安
 介護保険部会では提供体制改革としての「地域支援事業の見直し」が大きな論点となった。改正後、市町村と地域包括支援センターが大きな責任と権限を持つことになるのは必至だ。
 特に要支援者が利用する予防給付のうち、訪問介護と適所介護を地域支援事業に移行する案は、市町村格差が広がるとする不安が繰り返し指摘された。
 厚労省は「地域の実情にあった仕組み」を求めて市町村に委ねる半面、過度な格差を生じさせないようガイドラインを示す方針。改正の狙いと現実の間で折り合いをつけるにしても、分かりにくさが残った。
 特別養護老人ホームの入所要件を要介護3以上に限定する案、施設入所者の食費・居住費の補助対象者を厳格化する案、一部の利用者負担を2割に引き上げる案はいずれも市町村の事務負担が増える割に財政抑制効果はさほど大きくない。
 介護納付金の総報酬割など、結論に至らず引き続きの検討課題とされたものも多い。
 厚労省は14年度から医療・介護改革のための専任審議官を配置するほか、保険局に「医療介護連携企画課」を設ける。
 国会での法案審議に臨む態勢はおおむね整った格好だが、細部については法案成立後に詰めることになるため紆余曲折も予想される。

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2014年1月 1日 (水)

新年明けましておめでとうございます

みなさま

昨年中は大変お世話になりました。本年もよろしくお願いします。

病葉(わくらば)やそれでも先に立たんとす

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