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2014年1月30日 (木)

改稿/階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【1】

強制入院をなぜ嫌がるのか分からないという意見が付いたので、一部改稿しました。同【2】も変えましたが長くなるので【1】の途中からを掲載します。

③   「医療化」の時代。資本蓄積が更に進む。

向精神薬の開発が劇的変化を生んだ。それまでの拘束、ロボトミー・精神外科から主流を取って代わった。それをも背景として医療改革の流れが精神科にも及んだ。1960年代、70年代、精神神経学会をめぐる闘争がそれである。精神医療民主化闘争として東西で同時的に闘われた全共闘運動だった。西のプシ共闘、東大赤レンガという運動が闘われた。精神神経学会の民主化をめぐる闘争は激しいものだったが、民主化は中途半端なものに終わった。その総括をするのは私の任ではない。大多数の民間精神病院は手付かずのまま、「病者」を暴力で支配していた。東西の改革運動は各地に医師たちが分散する形で終息した。
この時代は、社会活動に参加できない者が対象になる時代だった。統合失調症や典型的うつが主な対象だった。社会の矛盾が生んだ「病者」に対して、病気の側面のみを問題にする体制はこの時期には出来上がっていた。社会活動に参加できない者が「病者」と見なされた。
また、不登校・ひきこもりが社会問題とされ、学校に行けない者が精神医療の対象にのせられた。社会の矛盾が学齢期の者にまで拡大したものだ。

1984年宇都宮病院での患者虐殺事件がおきた。国際的批判の高まりにより精神衛生法から精神保健法に変わり、拘禁の時代が終わるかに見えた。しかし、その後も何度かの大和川事件やいくつもの精神病院の不祥事が続くのだった。患者を「私的財産」と見なす精神病院の経営に何の変化も見られなかった。
宇都宮病院や他のいくつかの病院では公然化したが、表に現れない患者虐待は数限りない。兵庫県の播磨サナトリウムは警察ルートの患者を引き受ける専門的病院だったが、死体になるしか外に出られないと言われて収容患者に怖れられていた。患者は日常的に不合理な暴力で支配されていて、実際、頻繁に葬式が出されていた。懲罰目的の電気ショックや食事や水を与えないなどの虐待は日常だった。後にたまたま救出されたある患者は、他の病院で自発的に退院したがらない人がいることを信じられないと言っていた。この病院は今日も存続している。
このような病院は、決して例外的なものではなかった。精神衛生法時代は、拘束が一般的だったが、後の時代になってもその精神は引き継がれていて、患者を一人の人間として扱うことはなかった。懲罰目的の電気ショックは一般的に行われていたし、保護室というトイレの穴以外は水道もない隔離室が、騒いだ、逆らったなどの理由で懲罰目的に使われていた。
精神医療を、民間精神病院が支配した結果、金儲けが第一の目的となり、医療という目的は失われた。患者は病院にとっての財産であり、一旦抱え込んだら放さないという体制が出来上がった。超長期入院は当たり前になり、精神病院で一生を終える患者は少なくない。この体制は今日に至るも変わることはない。

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