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2014年1月17日 (金)

階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【2】

④    新自由主義の時代
1990年代、バブル崩壊と軌を一にして、積極的に社会的活動を担えない者、担わない者に対象が拡大した。
うつ、不適応など、銀行員や高級公務員、きちんとした会社員たちが問題にされた。強度の適応性を求められる中での発症だが、社会が問われることはなく、矛盾は労働者において問われることになった。労働が極度に強化されたことが発病の新たな原因となったが、それが問われることはなかった。病気の範囲が拡大され、不適応という新たな範囲が生まれた。積極的には社会に適応できない者は「病者」と見なされ、医療の対象になるに至った。また、膨大な数のうつ病者が「発見」された。「うつは風邪のようなもの」という虚偽のイデオロギーが取り入れられ、流行したことも大きく影響した。それまでは社会の中に溶け込んで生活していたうつ病者が「発見」され、医療の対象とされるに至る。
これは当事者にしたら、適切な医療が施されるという面もあろうが、それまでの社会から切り離され、「悪」「罪」と規定される「病者」の仲間入りをすることをも意味していた。この価値規定を伴わないのであれば幸せなことだったかもしれないが、実際には価値規定を伴っているのであり、一人前の人間から脱落者と烙印を押されることだった。それまでの人間社会の一員から、罪世界の住民となることを意味していた。
この時期から、労災への「ストレス脆弱性理論」の適用が問題になる。精神病には外的ストレスと共に本人が持つ脆弱性が要因であるという説だ。当たり前のことを言っているようでありながら、脆弱性が何に起因するかと問うことがないところに特徴がある。結局、病気の背後にある社会の問題を問わないために考え出された似非理論だった。厚労省が労災適応の基準として取り入れた結果として、職業病が認められずに解雇になるケースが多発すことになった。
1993年大和川病院の患者殺しがおきた。大和側病院が問題を起こすのはこれが初めてではない。常習的に患者虐待が行われていた。しかし、それが反医療行為とはされなかった。大和川病院が閉鎖されたのは医療保険指定が取り消されたからだが、それは患者を虐待したことが理由ではなかった。保険の不正請求が理由だった。患者の命より、保険の金の方が重視されたのだ。
2003年制定、05年施行の「心神喪失者等医療観察法」が成立した。犯罪をした「病者」には特別な施設が必要だというものであり、将来の再犯予測によって収容するという点で保安処分そのものだった。国会審議の過程では、当時の坂口厚生労働大臣が「イギリスの医学教科書に予測は可能だと書いてある」と答弁したが、実際には「予測は極めて困難だ」と書いてあったことが暴露されるという一幕があり、法律の書き様は混乱したものとなった。法律の名に医療を冠するだけの実質的保安処分だった。しかし、医療を名乗ったことで反対者が減ったという絶大な効果があった。実際には長期の拘禁と多数の自殺者という結果を生み、医療で問題を解決するというわけにはいかなかった。施設開設の初期からの収容者がいることが指摘され、自殺者は入院者・通院者合せて36人にのぼる。日本の一般の自殺率が25なのに対して800という高率なのだ。医療のおごりが生んだ悲劇だ。
 この時代を開いた1987の中曽根政権による国鉄分割・民営化があり、総評解散(1989年)の攻撃があった。1996年には社会党も解散し社民党となり少数政党となった。これらを契機に、経団連の方針として非正規労働者が増加。労働者階級総体の力が低迷し、資本家階級の攻撃に対抗し得なくなった。連合は資本の手先となるしか延命の方法がないまでに弱体化していた。もはや労働者を率いて資本家に対抗するという気概も路線も持ち合わせなかった。労働代官というのがふさわしい。
非正規雇用が増加した若者にとって労働組合は企業そのものと何ら変わりのない既得権益擁護だけの存在に成り果てたように見えている。若者は自ら労働組合を組織する場合「ユニオン」と名乗ることで既存の労働組合と区別するようになる。
このことは、医療観察法、すなわち保安処分新設の攻撃に対しても、過去の保安処分新設の攻撃とは違い、労働者階級としての反撃が組織されないという結果をもたらし、労働者の「病者」に対する連帯の契機を失った。また労働運動は、労働者の内から「病者」が多数生まれるという事実に対しても何ら有効な反撃を組織しえないばかりか、労働運動の内から排除する有様だった。労災闘争はほとんどの場合、労組とは別の支援組織を求めざるを得なかった。社会活動を担えない者、担わない者は、労働運動の埒外に置かれる結果となったのである。それは、内に取り込めば資本と闘わないといけなくなるから、資本との闘いを回避したいがために、あらかじめ内から排除するのである。

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