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2014年2月 5日 (水)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【4】

吉田氏は「心神喪失」に「狂気」の「病者」の姿があるとして肯定する。これは私とは少し認識が違う。「心神喪失」が「狂気」の実体であるならそうかもしれない。はたしてそうだろうか?「狂気」は「病者」の日常にあるのではないか。特別な状態である「心神喪失」だけにあるのではない。日常としての「狂気」こそが復権されなければならないのではないか。そうでなければ日常を暮す「病者」は復権されないではないか。
私は「心神喪失」を価値観として否定はしない。ただ、それは本人にとっては苦痛な状態であろうし、苦痛からは解放されるべきと思う。吉田氏は「心神喪失」を治すことが「病者」の解放ではなく、差別をなくすることが「病者」の解放であるという。これには上の「苦痛をなくすための治療は必要であるという」留保を付けるなら賛成できるが、吉田氏はこのような留保には反対であろうから、意見の分かれるとろろであろう。
私はあるでっち上げ事件で警察に23日間逮捕勾留されていた時に、もう少し勾留が長引けば「心神喪失」に陥りそうだということに直面したことがある。それは恐怖だったし、「心神喪失」状態がいかに苦痛に満ちているかを直視したら耐え難いことだった。たしかに価値観として「心神喪失」を否定すべきではないが、吉田氏のようにそれを「病者」のあるべき状態と肯定することは、実際の感性とは食い違う。そんな綺麗事で片付けられることではない。「心神喪失」は回避すべきだし、人をして陥らせてはならないというのが私の感覚だ。だからと言って、今の世間の価値観のように「心神喪失者」を人ならざる者として、この世の中から葬り去ろうとするあらゆる価値規定には絶対反対である。

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