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2014年2月 6日 (木)

改稿/階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【3】

以下改稿しました。何か極端なことを言ってるという受け止めがあったためです。私は一般原則のようなことを言いたいので。

吉田氏は病気であるがままに差別されない社会を目指したが、この立場は私と同じだ。この時代からそう主張していたことは、先駆者と言っていい。吉田氏は「狂気」を肯定する立場から「治療」を否定した。私は、吉田氏と違い治療を否定する立場ではない。しかし、治療しなければ社会的に価値がないという立場には絶対反対である。私は、治療はあくまで本人の苦痛を取り除くために行われるべきであり、「正気に戻して社会に戻す」のが目的では無いと考える。
「正気」とは何なのかさえはっきりしていないではないか。フーコーが精神医療を捉えたように、ある型にはめることで社会に適応させるが医療の目的とされている。召使は召使らしく、運転手は運転手らしく、営業マンは営業マンらしく、教師は教師らしく型にはめることで社会適応させる。病気ゆえに社会適応できない者は「病者」に留められ、人ならざる者とされる。社会適応が精神病と「正気」の境目となる。社会適応できない者は社会的に価値のない者とされる。如何にもそれらしい価値基準であることだ。社会適応できなければ人間としての価値がないと誰が決めたか。支配階級にとって都合の良い価値基準に過ぎないではないか。その価値観は絶対的なものではなく、支配階級が教育やメディアなどを通じて形成した価値観に過ぎないではないか。フーコーによって明らかにされたように「狂気」が否定されるのは一時代の定義に過ぎず、歴史的には確定したものではない。
何故に支配階級に都合よく生きなければならないのか。その価値観が社会の多数派だからと言って多数派に受け入れられなくても結構と言い返した途端に、その価値観の支配力は身に及ばないのだ。「病者」が社会的に価値のない者であるならば、それで結構、精神病で結構というものだ。社会適応できない病気が精神病の定義ならばそれで結構ではないか。この価値観は如何に強大に見えようと、それに従わないと宣言したとたんに崩壊する砂上の楼閣だ。張子の虎の威力はそれを見破った者には及ばない。「精神病者」と名付けることで、支配階級の価値観に従わせようという試みは、「精神病者」で結構、何が悪いと言い切ったとたんにその威力を失い、絶対性の仮象は剥がれ落ちる。
資本家は、「お前は社会の枠からこぼれ落ちていいのか」と言って迫ってくる。しかし、支配階級によって「精神病者」は一人の人間として認められることはない。支配階級による統合とはあくまで二級市民としてのものなのだ。多くの「病者」が大勢に従うことで、社会の枠からこぼれ落ちないように必死でしがみつく。しかし、それはあくまで二級市民としての価値規定に甘んずることでしかない。
人間ではない二級市民で良しとするのか。拒否する方法があるのだ。胸を張って「「精神病者」で結構、何が悪いか」と言い切ることだ。支配階級による価値規定を拒否するためには、社会の大勢に従わず、社会の枠からこぼれ落ちることをいとわず、「精神病者」も一人の人間だと宣言することだ。今の社会の価値規定からからはみ出し、支配階級からは二級市民としても統合しないと宣言される。それは完全なるアウトサイダーとなることだ。
しかし、腐敗した社会に統合されないで結構ではないか。生産力至上主義の社会にあっては、資本家のために生産することが唯一の価値基準であり、生産しない存在は価値がないとされる。そんな価値基準の方がおかしいのだ。資本家の側から、何も生産しない「病者」、生産力の低い「病者」は一人の人間としては扱わないとされて、それを認めるのかということだ。問題なのは資本主義の生産様式だし、その価値基準に過ぎないのだ。資本家に奉仕することにしか存在価値を見出さないという価値規定がおかしいのだ。
その時、連帯すべき相手が見えてくる。外側に立った時、他のアウトサイダーを見出す。同じように社会から拒絶され人間扱いされない者たちがいる。貧困者だ。支配階級から人間扱いされていない派遣などの非正規労働者であり、第三世界の住民だ。支配階級から二級市民としてしか扱われない民衆は大勢いることを見出す。精神病を受け入れる価値観とは彼らと連帯すべき根拠を生み出すことなのだ。
「精神病者」として生きるという中には人間主義の価値観が生まれている。それは新たな労働者階級的価値観に繋がるものだ。全ての人間には等しい価値がある。貧富の差も、所有関係も人間の価値を決めるものではなくなる時、それまで差別されていたあらゆる人たちが差別されなくなる根拠が生まれる。労働者は「病者」を隣にいる平等な人間として受け入れなくてはならない。それは労働者にも飛躍を要求する。今まで「病者」を差別してきたのは他ならぬ労働者階級であったからだ。だから労働者階級は差別を乗り越える飛躍をしなければ労働者的価値観に至れないのだ。飛躍を拒否する労働者は永遠に支配される側に留まらざるを得ない。
「病者」は「病者」であるがままに一人の人間としての価値があり差別されてはならない。人間が最も尊ばれる社会が生まれる。その時初めて医療はあくまで苦痛を取り除くためのものになり、社会の価値観の中に押し込める役割を終えるのだ。

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