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2014年2月

2014年2月28日 (金)

「生きづらさ」

吉田おさみ氏のことを書いたところ、普通の精神障がい者の生活と結ぶ線が必要なのではないかというご指摘を受けた。自分の範囲内での生活を守ることが第一の普通の精神障がい者と、それを支える人にとっては階級的「病者」解放論はすぐには結びつかないというのだ。結局昔から言われている「生きづらさ」の問題なのだろう。開き直りが必要だとは昔から言われていることだが、生きづらさも昔から言われていることだ。それを結びつける論理がいまだに見いだされていないということだろうか。薬を飲むだけで世間から違和感を持たれる「病者」にとって今の社会は生きづらい。精神病だなどと分かれば確実につま弾きにされる。社会の片隅でそれと分からぬように生きる「病者」。しかし「病者」であることは多かれ少なかれ近所に知られている。何かと生きづらい。

その中で「病者」解放運動は開き直りが必要だと言ってきた。これはずっと昔から言われてきたことだ。しかし浸透はしてこなかったこともまた一面だ。どう二つを結びつけるのか。あるいは結び付ける必要はないのか。答えを出しては来ていない。開き直りが生きづらさを解決する方法だと言ってきたが、果たして本当にそうなのか。いろいろな疑問に答えを出す必要がありそうだ。

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2014年2月27日 (木)

精神障がい者の意見陳述

2月14日に行われた口頭意見陳述で、怒りネット関係者のAさんが意見陳述を行いました。その発言を紹介します。精神障がい者にとっての生活保護費引き下げを論じたものです。働けど抜け出せない蛸壷にはまった状態である中で、引き下げが生活に及ぼす影響の大きさが語られています。

             陳述書
                                                                                                 
 大阪市在住のAと申します。よろしくお願いいたします。
 今回の生活保護削減には、たいへん怒っております。
 まず、単純に計算すると、一か月の新聞購読の費用が支出困難になりました。怠けているとか、遊んで暮らしているとか、偏見の目で見られております。社会から隔絶されているのです。情報を得るには、新聞が重要な媒体です。生活の知恵や、政治、社会の動向を知るのに欠かせないのが、新聞です。
 選挙のとき、どうすれば投票行動を決定すればいいのでしょうか。各候補者の公約を詳しく知るには、新聞を読む以外手段はありません。いわば、選挙権を奪われたのと同様です。どうお考えになるのでしょうか。
 生活保護を受けて、すぐに働きました。わたしは、精神障がい者で、家内も同じでたいへん困難でしたが、決意は固かったのです。賃金は低いので、当然、社会保険はわずかな金額です。社会保険などの控除は受けましたが、それでは、昼食代、飲み物代を支出すると、かえって損益を被るのです。コンビニ弁当の女性用の二百数十円、飲み物の百五十円円を払うと、控除額を上回りました。もともと生活保護から、抜け出す賃金をいただく仕事以外、保護費内で働くと控除額が少ないので、働く経費が賄えないのです。それは、ケースワーカーさんも、頷いて聞いておられた話です。
 今回の生活保護削減によって、働くのがますます困難になるのは、明らかです。自立を援助いただくどころか、生活保護を受給すると、まるで蛸壺に入ったのと同然です。
 明らかに、生活保護法第一章、第一条違反です。それを読み上げると「この法律は、日本国憲法第二十五条に規定する理念に基き、国が生活に困窮するすべての国民に対して、その困窮の程度に応じ、必要な保護を行い、その最低限度の生活を保障するとともに、その自立を助長することを目的とする」とあります。今回の生活保護削減によって、自立を助長するどころか、自立の妨げになることは明らかです。
わたしは憂いの中におります。これだと、この国は滅びます。
 申し上げたいことは、他にもありますが、他の方に譲ります。
 生活保護受給以来、鰻はもちろん、オムライスでさえ食べられない生活です。この窮状を訴え、意見陳述といたします。
 ご清聴ありがとうございます。

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2014年2月24日 (月)

生活保護世帯の生活実態

口頭意見陳述が大阪で行われました。

2月13日、14日大阪で、生活保護費引き下げに対する不服審査請求の一環として、口頭意見陳述がありました。私は14日に参加し傍聴しました。その中で聞かれた意見の一部です。生活保護世帯の生活実態の一部が明らかになったと思います。多くの方が、節約に節約を重ねており、引き下げに耐えられないと述べました。その実態として語られたことの一部を紹介します。明日以降、怒りネット関係で参加した障がい者の意見陳述を紹介します。(筆記メモですので文責は私にあります。)

☆スーパーの値段が安くなってから買いに行く。
☆心から笑えない。
☆10キロ3000円のコメを買う。糖尿病だから野菜中心の食生活にしないといけないが、野菜は高い。昼でも暗い部屋で照明を付けないといけない。電気代は高い。
☆電化製品を買うためのお金を貯めることができない。
☆3カ所のスーパーの値引きをチェックしている。クーラーは付けない。風呂は冬場の5回くらい。シャワーで済ませる。旅行や展覧会は行けない。
☆シングルマザー。2万円貯めていたが引き下げ後半年で1万円減った。息子の肌着1枚買うのもためらわれる。肌の柔い息子のための保湿クリームも買えない。蓄えがなくなると医療費の立て替え払いも出来なくなる。将来が不安。精神的に追い詰められている。
☆月に4~5日派遣で働いているが仕事がない。1日2食。おかず1品。スーパーの値下げを待つ。下着は100円ショップ。1か月でボロボロになる。風呂は入らず週1回のシャワー。
☆クーラーは節約し扇風機。寒がりなのでストーブ以外を節約している。文化的生活には程遠い。
☆牛肉、豚肉は高くて買えない。買いたくて買えない気持ちわかりますか。
☆ぬか、おからで食生活を送っている。
☆申請を5回断られた。歩いて50分のスーパーに行く。1品20円安いから。クーラーはできるだけ控えている。出来る限り節約している。
☆電化製品の値下がりが引下げに反映されているが電化製品など買えない。
☆風呂は壊れていて週2回シャワー。スーパーの半額になった時に買いに行っている。
☆服や装飾品は買えない。旅行は行けない。交際は疎遠になった。
☆心臓病で冷暖房は欠かせない。
☆住環境から冷房は必要。
☆風呂は壊れているが修理に50万円かかり無理。銭湯に通っている。文化的楽しみのための交通費のために節約している。
☆食料品は値上がりしている。不用品をもらって節約している。
☆今年の冬は寒いので手当では足りない。孫にお年玉をやれない。香典代がないので親戚や友人に何かあっても知らないことにしている。

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2014年2月23日 (日)

吉田おさみ氏のこと

昨日、全国「精神病」者集団の創設メンバーで、吉田おさみさんをよく知っているNさんとお話をした。もともとお話をする機会は多いのだが、最近のお話は俳句のことがもっぱらだった。この時代のお話をしたのは珍しい。最初文章そのものを書くにあたって、取材の意味でお話を伺ったことがあった。吉田さんの死は自殺であることなどを伺ったのだが、それは他に証拠がないために文章では採用しなかった。

このたび吉田さんの思い出を伺い、最初からの「病」者集団メンバーではなかったことを初めて知った。そう言えば彼の本には初めて運動に参加したのは1974年であったと書いてあったような気がする。有名な大野萌子氏も最初からのメンバーではなかったと知った。最初からのメンバーで生きておられるのはお一人らしい。吉田さんがなくなる前に二人で話をしたことを伺った。ちょうど赤堀闘争が終わり「病」者運動が目標を失ったころだったそうだ。「病」者運動の展望について話したが明確な展望を見つけることができなかった。それが彼の死の原因になったかもしれないと話された。

吉田氏は奈良の方で、当時大阪にあった「病」者集団事務所に通っておられたそうだ。私も知っている香川悟さんと親しくされていたそうだが、香川さんはマルクス主義の人だった。物象化と精神病という難しい本を書かれていた人だ。もっとも誰の物象化論に依拠しているのかと聞くと、明確な答えはなく、怪しげな論だなと思った思い出がある。香川さんも鬼籍に入られて久しい。生きておられたらいい討論相手になっていただいたろうに。運動世界では若くして亡くなられた方が多いことに改めて気付く。

Nさんが文章についての意見を寄せていただくるそうだ。論がさらに深まることを期待したい。

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2014年2月22日 (土)

朝日新聞声欄

今日の朝日新聞声欄に千葉県の20歳の女子大生の投稿があった。都知事選でタモガミに投票した若者の行動を援護するもので、失われた20年の不況で若者の働く場がないこと、若者はそれを作ると約束したタモガミを支持したというものだ。これはナチスを支持したドイツ人の心理と同じものだろう。働く場を作ると約束した中国侵略時の日本軍部とそれに結びついた政治家とも共通する。

問題はそれとの対決軸を作り出せない野党の体たらくだ。安倍政権は若者をより一層不安定雇用に導く派遣法改悪を行おうとしている。アメリカでは職のない若者を軍隊にリクルートする貧困対策が行われているが、日本でそれが再現されないと言えるだろうか。若者をより一層貧困においやり侵略の尖兵に仕立てていく。それへの有効な対決軸を打ち出せない野党。社民党や民主党が果たす役割があるとしたら、その対決軸になることだろう。そのためには労組だよりの政党から、労組からも見放された若者層に軸足を移す大胆な選択が必要だ。

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2014年2月21日 (金)

階級社会と「精神病者」解放 5、精神医療の帝国主義的再編【1】

a、今日の「精神病者」が暮らす社会の特徴はどのようなものか。

障がい者制度改革推進会議の下でまとめられた骨格提言とは裏腹に、2012年の税と社会保障の一体改革大綱で福祉解体の方向性が出された。大綱では露骨に、国の借金を増やすと金利が上がり国債がパンクするから、社会保障を考えることが必要だと言っている。国家財政の破綻を防ぐという論建てから社会保障を論じている。
12年3月30日閣議決定された工程表に基づいて、年金引下げ、生活保護基準の引き下げ、医療、介護など福祉削減は、いわば計画通りに進められている。
大綱に基づき12年8月社会保障制度改革推進法が制定された。その中で、家族相互、国民相互の助け合いの必要性が強調されている。自民党・公明党政権時代になると、自助を基本に共助・すなわち保険制度で補完する。公の助け・公助は例外的にしかしないと言っている。日本の社会保障は圧倒的に家族に依存している。介護保険が典型。子育てもそうだ。
法に基づき作られた社会保障制度改革国民会議報告ではさらに、「「1970 年代モデル」の社会保障から、「21 世紀(2025 年)日本モデル」の制度へ改革することが喫緊の課題」とされ、「日本の社会保障は、社会保険方式が基本。日本の社会保険には多くの公費が投入されているが、公費の投入は低所得者の負担軽減等に充てるべき」とされている。国が住民の生活を税金で保障するという社会保障の基本的在り方を止めてしまい、国民相互の助け合い、すなわち保険方式に全てをゆだねるとしている。これは既に社会保障とは呼べない代物だ。

b、経団連成長戦略

2010年の日本経団連の「豊かで活力ある国民生活を目指して~経団連 成長戦略 2010~ (2010年4月13日)」で露骨に語られているように、「税と社会保障の一体改革」には財政再建という目的があり、1000兆円におよぶ国の累積赤字を解消することが目的なのだ。いかにして社会保障を解体しながら税を上げるのかが財界の問題意識だ。「『将来の所得保障、病気や老いへの備えは、まずは自助努力が基本となるが、自助努力では賄いきれないリスクは公的な保険(共助)で対応し、保険原理を超えたリスクへの対応や世代間扶助については、国庫負担あるいは公費(公助)により対応する』ことを原則とすべきである。」とある。この文書では消費税は10%後半から20%台にすべきだとされている。
自民党改憲草案では、家族・国民相互の助け合いが強調されている一方で、人権は国家あっての人権と極めて後退した表現となっている。
これらに共通するのはもはや国家が生存権を保障することができないほど危機を深め、生存権保障という責任を放棄し、家族・国民に丸投げにする有様だ。生活保護という最後のセイフティネットさえ維持できなくなっているのが実態なのだ。

c、プログラム法案

 社会保障制度改革国民会議報告を利用して作られたプログラム法案(持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律案)が成立した。そこには「公助」という言葉は跡形もない。自助努力の強調のみが目立つ。「自助・自立のための環境整備」に社会保障を切り縮めている。社会保障制度の全面解体と考えてもおかしくない。なぜなら、そうなれば自助努力で生きる以外になくなるからだ。
医療法人・社会福祉法人の機能分化・連携を推し進めると言う。そのために法人間の合併や権利の移転等を速やかに行うことができる道を開くための制度改正をする。そのような制度を進めるには金融機関との連携が不可欠であり、そのためには医療や介護の営利化を進める以外にはなくなる。

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子どもたちを貧困が襲う

2月12日 日本経済新聞 電子版

 小中学生の就学援助率、12年度最高の15.64%

 経済的に困窮する家庭に学用品代などを補助する自治体の「就学援助制度」の支給対象となった小中学生の割合が、2012年度は15.64%で過去最高を更新したことが12日、文部科学省の調査で分かった。1995年度の調査開始以来、17年連続の上昇。同省は「家計が苦しい家庭はなお高水準にある」と指摘している。
 就学援助を受けられるのは、生活保護を受給する「要保護」世帯と、生活保護世帯に近い困窮状態にあると市区町村が認めた「準要保護」世帯。学用品代のほか、通学費や修学旅行費、学校給食費など計12品目が補助対象になる。12年度に支給を受けたのは155万2023人で、うち「要保護」の児童生徒数は15万2947人で前年度比887人増加。「準要保護」は139万9076人で1万6695人減った。少子化の影響で、対象者数は前年度より1万5808人減った。全児童・生徒数に占める就学援助対象者の割合は、都道府県別では大阪の26.65%が最も高く、山口24.77%、高知24.38%が続いた。最低は静岡の6.23%で援助率は自治体により20ポイントの差があった。就学援助制度を巡っては、自治体の財政事情によって「準要保護」世帯の認定基準や支給項目が異なり、制度の周知度にも差がある。学校関係者からは「援助が必要な世帯が対象から漏れないように統一的な基準を設けるべきだ」との声が上がっている。
 一方、政府は昨年8月から生活保護費の基準額を1.5%引き下げており、生活保護を基準とする就学援助制度への影響を懸念する声が出ている。文科省は支給水準を維持するよう各自治体に要請している。

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2014年2月20日 (木)

生活保護費引き下げに異論 初提訴へ

NHKニュース2月19日 15時45分

去年8月から始まった生活保護費の段階的な引き下げに対して、佐賀県内で生活保護を受けている人たちが、「憲法で保障された最低限度の生活ができなくなる」として、引き下げの取り消しを求める裁判を起こすことになりました。弁護団によりますと、生活保護費の引き下げの取り消しを求める裁判は全国で初めてだということです。
裁判を起こすのは、佐賀県内で生活保護を受けている12人です。生活保護費のうち、食費や光熱費などの生活費部分について、国は物価の下落などを理由に最大で10%減額することを決め、去年8月から3年かけて段階的な引き下げを行っています。
これについて12人は、「憲法で保障された最低限度の生活ができなくなる」などとして、住所がある佐賀市と伊万里市を相手に生活保護費の引き下げの取り消しを求める裁判を今月25日に佐賀地方裁判所に起こすことになりました。弁護団によりますと、全国で1万人以上が引き下げの取り消しを求めて、それぞれの都道府県に審査の請求を申し立てていますが、裁判を起こすのは今回が全国で初めてだということです。
生活保護を受けている人は、全国で216万人余りに上り、さらに増える傾向が続いています。

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2014年2月17日 (月)

性懲りもなく

2月7日 時事通信 官庁速報

精神障害、退院後の受け皿検討へ 入院の長期化解消に向け ―厚生労働省

 厚生労働省は、精神障害者が退院した後の受け皿づくりについて、有識者らから成る検討会を設置する方針を決めた。精神疾患で入院する患者は、一般病院の患者より入院が長引く傾向がある。そのため、入院患者を対象に退院を促し自立した生活が送れるようサポート体制を整備する考え。病院の敷地内に退院した患者向けの居住施設を建てることの可否など、具体的な改善策を話し合う。
 精神疾患による入院患者は、2011年時点で約32万人。うち約6万5000人が10年以上の長期入院患者だ。政府は04年、長期入院者が退院しやすいよう地域の支援体制を強化する方針を打ち出した。しかし、「当時と状況はほぼ変わらない」(担当者)のが現状。長期の入院患者は、退院しても家族や知り合いがおらず、退院に前向きになれないケースも多いという。一方、全体の入院患者数は人口減に伴い減少傾向にあり、ベッドに空きが出てきている。検討会では、これらの状況を勘案し、空き病棟を居住施設に転換するといった活用が可能かどうかを議論する。また、空き病棟だけでなく、病院の敷地内に居住施設を建設することの可否も話し合う。地域の関係事業者らをどう巻き込んでいくかや、精神障害者向けの地域の施設整備の在り方もテーマとする。病棟の転換などは、「なじみの医師たちが近くにいる場所で、地域の人の協力も得やすい状況をつくりつつ、最終的に地域に出ていくことを目指す形があってもいい」と前向きな意見がある。一方、「病院内の施設に移るのでは退院したとは言えず、単なる看板の掛け替えになってしまう」との反対もあり、検討会では慎重に議論を進める方針だ。

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2014年2月14日 (金)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【6】

この章は重要なところでした。この論全体の中でもきわめて重要でした。みなさまからのご意見ご批判をお願いします。章のタイトルと中身があっていないというご意見を伺っています。もっともなことだと思うので更なる公表時にはタイトルをを変えようと思います。最初につけていたタイトルと、吉田氏の検討が長くなったことによる中身の不一致が生じました。まだどういうタイトルがいいか考え付いていません。以下本文。

病気の苦痛を改善することと、病気が社会的に悪だと捉えることもイコールでは繋がらない。病気を改善してはならないというのでは実際の感性に反する。現実には精神病は改善することはあれ完全に治ることはめったにない。改善の結果として「治る」ということがあったとしたら、それはそれで結構だが、再発の問題もある。改善しようとすることが「病者」を否定することというのは、そのような現実に踏まえていない。病気の原因が社会の側にあると主張することは、価値判断をすれば、悪は社会の側だということを言っているのである。それと「病者」の存在が悪であるということはイコールの数式で結ばれることではない。「病者」を価値判断し悪と決めつける大多数の考え方に反対していることにかわりはない。
だから結論として、吉田氏が主張したことと違い「精神病」は社会が作り出したものだということが分かっても、それと「精神病者」が有罪であり悪であるという立場はイコールでは繋がらない。そういう立場もありうるが違う立場もありうる以上、吉田氏のイコールの数式は成立しない。
精神病は何ら否定されるべき不正常な状態を意味しない。一つの人間存在の形式であるに過ぎない。苦痛は最大限取り除くべきであるということは、苦痛の少ない精神病が存在しえないということを証明するものではない。苦痛が精神病の実体であるのだろうか。違うように思える。実際、苦痛の少ない精神病というものは存在している。実感として、苦痛は最大限取り除かれるべきだ。それは精神病を否定することと同義ではない。

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2014年2月13日 (木)

精神病床の転換案

福祉新聞より

精神病床の転換案
■『権利条約に合わぬ』

■障害者政策委で反発

 内閣府が3日に開いた障害者政策委員会(委員長=石川准・静岡県立大教授)で、「精神病床を居住系施設に転換することを検討してはどうか」との案が厚生労働省で出ていることが問題になった。
 厚労省の北島智子・精神・障害保健課長が出席し経緯を説明したが、政策委員会では「障害者権利条約に反する発想だ」と異論が相次ぎ、石川委員長は「結論を出す前に意見交換したい」とした。
 精神保健福祉法が昨年6月に改正され、厚労大臣が「良質かつ適切な精神障害者に対する医療の提供を確保するための指針」を定めることになったため、厚労省は昨年7~12月、医療、福祉などの関係者を集め指針案を検討した。
 入院期間を短くし、長期入院患者も地域生活に移行できるようにと議論した中で、「病院で死ぬことと病院内の敷地にある自分の部屋で死ぬことには違いがある」と病床転換案が浮上。賛否両論あったが「可否も含めて検討する」と昨年末に決着した経緯がある。
 北島課長は「地域移行の受け皿づくりを議論したい」と理解を求めたが、政策委員会の委員らは「敷地内で生活が完結するようでは地域移行と言えず、病院との違いはない」「精神障害者を二級市民扱いした考え方だ」などと強く反発した。
 政策委員会は、障害者制度改革の一環で障害者基本法改正時に規定された組織。権利条約の実施状況を監視する役割などを持つ。病床転換案は、条約が「どこで誰と暮らすか選択できる」「特定の施設で生活するよう義務付けられない」と地域で暮らす権利を定めていることと合わないとして問題視された。

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2014年2月12日 (水)

「脱法」水際作戦横行 生活保護法 見直しに便乗

2014年2月4日 東京新聞

 生活保護費の抑制を目的とする改正生活保護法が昨年末に成立したのと前後し、全国の自治体で申請を拒む「水際作戦」が強化されている。扶養は保護受給の要件ではないのに、あたかも要件であるかのような説明が横行。「法改正後も実態は変わらない」という厚生労働省の説明は早くも空証文となっている。 (上坂修子)
 改正法は一部を除き七月に実施される。自治体が扶養を断る扶養義務者に説明を求めたり、扶養義務者の収入や資産の状況に関し、勤務先などに調査することを可能にする。ただし、あくまで調査ができるだけで、扶養義務者が援助を断ってもこれまで通り、生活保護は受給できる。
 にもかかわらず、改正法の審議中に、全国の約三分の一に当たる四百三十六の福祉事務所が、申請の際に「扶養義務を果たさないと生活保護は受けられない」という誤った書面を扶養義務者に送っていたことが分かった。厚労省は該当する自治体に表現を改めるよう通知を出した。
 改正法成立直後には、大阪市が受給者を扶養する義務がある親族に援助を求める場合の金額の「目安」を公表。母子家庭に子ども(十四歳以下)の父親が援助する場合、年収六百万円なら最大月八万円。まず親族に受給者がいる市職員に援助するよう求め、七月以降は一般市民も対象にする。
 大阪市福祉局は「あくまで目安。強制ではない」と主張している。しかし、改正法成立や昨年八月から始まった生活保護費の切り下げなど、安倍政権の「生活保護バッシング」に便乗した感はぬぐえない。

 NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの稲葉剛理事長は「非常に脱法的だ。『基準』にすると法律に抵触するので『目安』として数字を出し、扶養義務者にプレッシャーをかける。姑息(こそく)な手段だ」と批判する。
 若者の生活相談などを行っているNPO法人「POSSE」が二〇一一年から三年間で受け付けた二百九十九件の生活保護申請に関する相談のうち、明確に違法と判断できるケースが全体の四分の一に当たる七十七件あったという。

 都内に住む五十代の男性は十年ほど前に胃がんになり、働けなくなった。何度も拒まれたが昨年三月、申請にこぎ着けた。だが、福祉事務所から長年会っていない兄に扶養できるか照会すると迫られた。男性は父親の遺産相続で兄と争っていた。住んでいた家が兄の名義で「何かあったら追い出される」と不安に思っていると説明したものの、取り合ってもらえないため申請を取り下げた。

 厚労省通知は「適当でない」と認められる場合は照会を差し控えるよう指導している。吉永純花園大教授(公的扶助論)は「国会での改正論議を踏まえ、付帯決議で確認された『扶養義務の履行は要件ではない。申請権は侵害してはならない』などの点を自治体は自ら点検し、しっかり法にのっとった運用をしなければならない」と話している。

<改正生活保護法> 昨年12月に成立。保護の申請時に、本人の資産や収入などを記した申請書と所定の書類の提出を義務付けるなど手続きを厳しくし、不正受給対策として罰金の上限を30万円から100万円に引き上げた。厚生労働省によると、全国の生活保護受給者は昨年10月時点で216万4338人と過去最多。

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2014年2月11日 (火)

年金引き下げに抗した闘い

2014年2月1日 毎日新聞 東京朝刊

 年金:減額取り消し求め11万人審査請求

 「特例水準」の解消による年金減額は不当として、受給者らでつくる「全日本年金者組合」は31日、減額取り消しを求める11万6795人分の審査請求を厚生労働省や各地方厚生局に一斉に提出したと発表した。厚労省によると、年金を含む社会保険の1年間の審査請求数は、これまで2012年度の9723件が最多だった。
 同組合は提出前に記者会見し「受給者の半数近くが月額10万円以下。4月に消費税も上がる中、年金を削減するのは高齢者いじめだ」と訴えた。地方厚生局で審査され、却下されれば再審査請求する方針。国民年金や厚生年金などの年金額は物価変動に応じ毎年度見直される。国は物価下落後も高齢者の生活に配慮し本来より高い水準(特例水準)を支給してきたが、昨年10月分から1%を減額。今年4月分からさらに0.7%減額し、来年4月にも0.5%の減額を予定している。

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2014年2月10日 (月)

窓口追い返し増 懸念

2014年1月27日 東京新聞 朝刊

 こちら特報部 生活保護法改正 現場に寒風(下) 窓口追い返し増 懸念 「過剰な運用 注視を」 不正受給 一部なのに

 生活保護を受けている人は過去最多の状態にある。受給者は昨年十月現在で、全人口の約1・6%、約二百十六万四千人(百五十九万五千世帯)。厚生労働省が今月八日に発表した。〇八年のリーマン・ショック以降、受給者が急増し、減った時期もあるが、じわじわ増え続ける。一三年度の保護費の総額は約三・八兆円と見込まれる。
 増え続ける生活保護に対し、昨年十二月、改正生活保護法が成立した。一九五〇年の施行後、本格的な改正は初めてのことだ。注目点は二つだ。福祉事務所は必要があれば、扶養義務のある親族に対し扶養できない理由の報告を求めることができるようになった。特別な事情がない限り、申請時に収入や資産を示す書類を提出しなければならなくなった。改正前は、受給後でも認められていた。小久保弁護士は「厚労省は従来通りの運用をすると説明しているが、法改正を口実に、水際作戦が増える恐れがある」と指摘する。そして、警察の家宅捜索が「水際作戦」を強化しかねない。警察は生活保護に直接関わらないが、暴力団組員らの不正受給防止のため、警察OBを福祉事務所が雇用するケースが増えており、福祉事務所との結びつきは強まっている。確かに、不正受給の摘発は今年に入ってからも目につく。兵庫県警は十五日、交通事故の保険金収入を隠していた男を不正受給の疑いで逮捕した。岐阜県警は二十三日、アパートの契約書類を偽造して不正受給をした容疑で、京都市の男らを逮捕した。厚労省によると、一一年度の不正受給は約三万五千五百件、約百七十三億円。多いとはいえ、不正受給は受給者全世帯の2・4%、保護費総額では0・5%にすぎない。一部が大きく取り上げられ、全体の問題にされているのが実情だ。静岡大の笹沼弘志教授(憲法学)は「受給世帯で子どもが内緒でアルバイトをしても不正受給として扱われる。警察が発表する悪質なケースが知られ、利用者全体の問題にされてしまっている。本当に生活に困っている人が生活保護を受けられない状況が問題なのだが」と指摘する。生活保護そのものが問題視されることに危機感を抱く。「今は豊かな人も、いつ貧しい境遇に陥るか誰にも分からない。憲法で保障された生存権を支えるのが生活保護だ。たたきやすい弱者をたたき続けるのが、良い社会だろうか」と疑問視する。「親族に言えない、頼れないから生活保護が必要なのに」という困窮者の声が支援団体には寄せられている。改正法の審議で、参院厚生労働委員会は「家族の扶養は前提条件ではないと明確にし、家族関係を悪化させないように」と付帯決議をしたが、生活状況を隠していた親族に福祉事務所から連絡が入れば、人間関係は悪くなりかねない。昨年末は、特定秘密保護法が大きな問題となり、世間の注目を集めないまま改正生活保護法は成立した。小久保弁護士は「もっと注目を集めてもよい内容の法改正だった」と残念がる。改正法の施行は大半が七月からだ。家賃に相当する「住宅扶助」を下げる方向での議論も厚労省の審議会で続いている。小久保弁護士は「生活保護の運用状況を注視していく」と話し、生活保護問題対策全国会議として厚労省に対し、水際作戦を禁じる省令制定など、行きすぎのないように求め続けていくという。

 デスクメモ

 「直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある」(民法八七七条)。だが、自分の家族で手いっぱいの人が多いだろう。兄弟姉妹の家族まで丸抱えで面倒をみられる人はそういない。生活の困窮は近しい人ほど知られたくないものだ。改正生活保護法は、そんな心理につけ込んでいるようにみえる。

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2014年2月 9日 (日)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【5】

吉田氏は「精神病は社会が作り出したものである」という見方に反対する。なぜ吉田氏がそう言うかというと、「すると『精神病者』は存在してはならない悪ということになるではないか」というのだ。ここには、根本的には「精神病」を治してはならないという吉田氏の立場と、病気は苦痛なのだから改善すべきだという私の立場との相違があるのかもしれない。私も「病者」は存在してはならない悪だとは思っていない。むしろ、「病者」の中に社会の真実がある。「病者」は「病者」であるがままで存在価値があると思っている。吉田氏は病気の原因を探すことは「病気を悪ととらえることになる」と考えた。しかし、私は「病気」は悪という価値判断をしないが、病気の原因を探ることには意味があると思っている。私は「精神病」は社会の矛盾を背負わされた結果、発病するものととらえている。では、社会の矛盾を解決することは、病気を価値観として否定することにつながるのか。吉田氏は、社会の矛盾を正すことすなわち自己解放は、「病者」を「病者」でなくすることとイコールと捉え、それは「病者」を価値判断として否定することと捉えたようだ。「社会の矛盾がなくなれば精神病は解決する」という立場は、たしかに吉田氏の言うように、「精神病」を価値観として存在してはならないもの、すなわち悪と決めてかかる立場かもしれない。それは、精神病は解決すべき状態であり、「病者」は不正常な者だから正常に戻すべきという価値観が背後に存在するからだ。
これは先ほどの自己解放を闘う「精神病者」の問題と共通した問題ではないか。自己解放したとたんに、自分が「病者」であるという立脚点が喪失するのだろうか。「狂気」を肯定しながら、自己解放すると「病者」ではなくなってしまうとしたら、ある種のパラドクスになってしまう。しかし、実際には「病気」の原因を探しても「病気」を治せるとは限らない。そこはイコールでは繋がらない。むしろ、精神病にはある種の不可逆性があり、難治性がある以上、原因を探すことが治すこととはならないのが今の現実だ。社会の矛盾が原因だ、戦争が原因だと分かったとして、それらをなくすることで解決するのは次の「病者」が現れないということであり、症状が悪化することを防ぐことであり、症状を改善することであっても、必ずしも「病者」が「病者」でなくなることを意味しないのではないか。原因が分かって、社会が解放され、自己解放されたとしても、症状を改善することはあっても、それで「病気」が治ると言えるのか。もし今の医学にできないことでも将来の医学ならできるというのなら、それこそ医学に対する幻想ではないのか。たしかに治る人がいる以上、難治性だけで論じることはできないし、「病者」でなくなることを覚悟して論じなければならないだろう。しかし、吉田氏の論建て自体が結果現象論なのではないのかという疑問がある。自己解放と「病者」でなくなることはイコールでは繋がらないということを指摘しておけば十分ではないかと思う。

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2014年2月 6日 (木)

改稿/階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【3】

以下改稿しました。何か極端なことを言ってるという受け止めがあったためです。私は一般原則のようなことを言いたいので。

吉田氏は病気であるがままに差別されない社会を目指したが、この立場は私と同じだ。この時代からそう主張していたことは、先駆者と言っていい。吉田氏は「狂気」を肯定する立場から「治療」を否定した。私は、吉田氏と違い治療を否定する立場ではない。しかし、治療しなければ社会的に価値がないという立場には絶対反対である。私は、治療はあくまで本人の苦痛を取り除くために行われるべきであり、「正気に戻して社会に戻す」のが目的では無いと考える。
「正気」とは何なのかさえはっきりしていないではないか。フーコーが精神医療を捉えたように、ある型にはめることで社会に適応させるが医療の目的とされている。召使は召使らしく、運転手は運転手らしく、営業マンは営業マンらしく、教師は教師らしく型にはめることで社会適応させる。病気ゆえに社会適応できない者は「病者」に留められ、人ならざる者とされる。社会適応が精神病と「正気」の境目となる。社会適応できない者は社会的に価値のない者とされる。如何にもそれらしい価値基準であることだ。社会適応できなければ人間としての価値がないと誰が決めたか。支配階級にとって都合の良い価値基準に過ぎないではないか。その価値観は絶対的なものではなく、支配階級が教育やメディアなどを通じて形成した価値観に過ぎないではないか。フーコーによって明らかにされたように「狂気」が否定されるのは一時代の定義に過ぎず、歴史的には確定したものではない。
何故に支配階級に都合よく生きなければならないのか。その価値観が社会の多数派だからと言って多数派に受け入れられなくても結構と言い返した途端に、その価値観の支配力は身に及ばないのだ。「病者」が社会的に価値のない者であるならば、それで結構、精神病で結構というものだ。社会適応できない病気が精神病の定義ならばそれで結構ではないか。この価値観は如何に強大に見えようと、それに従わないと宣言したとたんに崩壊する砂上の楼閣だ。張子の虎の威力はそれを見破った者には及ばない。「精神病者」と名付けることで、支配階級の価値観に従わせようという試みは、「精神病者」で結構、何が悪いと言い切ったとたんにその威力を失い、絶対性の仮象は剥がれ落ちる。
資本家は、「お前は社会の枠からこぼれ落ちていいのか」と言って迫ってくる。しかし、支配階級によって「精神病者」は一人の人間として認められることはない。支配階級による統合とはあくまで二級市民としてのものなのだ。多くの「病者」が大勢に従うことで、社会の枠からこぼれ落ちないように必死でしがみつく。しかし、それはあくまで二級市民としての価値規定に甘んずることでしかない。
人間ではない二級市民で良しとするのか。拒否する方法があるのだ。胸を張って「「精神病者」で結構、何が悪いか」と言い切ることだ。支配階級による価値規定を拒否するためには、社会の大勢に従わず、社会の枠からこぼれ落ちることをいとわず、「精神病者」も一人の人間だと宣言することだ。今の社会の価値規定からからはみ出し、支配階級からは二級市民としても統合しないと宣言される。それは完全なるアウトサイダーとなることだ。
しかし、腐敗した社会に統合されないで結構ではないか。生産力至上主義の社会にあっては、資本家のために生産することが唯一の価値基準であり、生産しない存在は価値がないとされる。そんな価値基準の方がおかしいのだ。資本家の側から、何も生産しない「病者」、生産力の低い「病者」は一人の人間としては扱わないとされて、それを認めるのかということだ。問題なのは資本主義の生産様式だし、その価値基準に過ぎないのだ。資本家に奉仕することにしか存在価値を見出さないという価値規定がおかしいのだ。
その時、連帯すべき相手が見えてくる。外側に立った時、他のアウトサイダーを見出す。同じように社会から拒絶され人間扱いされない者たちがいる。貧困者だ。支配階級から人間扱いされていない派遣などの非正規労働者であり、第三世界の住民だ。支配階級から二級市民としてしか扱われない民衆は大勢いることを見出す。精神病を受け入れる価値観とは彼らと連帯すべき根拠を生み出すことなのだ。
「精神病者」として生きるという中には人間主義の価値観が生まれている。それは新たな労働者階級的価値観に繋がるものだ。全ての人間には等しい価値がある。貧富の差も、所有関係も人間の価値を決めるものではなくなる時、それまで差別されていたあらゆる人たちが差別されなくなる根拠が生まれる。労働者は「病者」を隣にいる平等な人間として受け入れなくてはならない。それは労働者にも飛躍を要求する。今まで「病者」を差別してきたのは他ならぬ労働者階級であったからだ。だから労働者階級は差別を乗り越える飛躍をしなければ労働者的価値観に至れないのだ。飛躍を拒否する労働者は永遠に支配される側に留まらざるを得ない。
「病者」は「病者」であるがままに一人の人間としての価値があり差別されてはならない。人間が最も尊ばれる社会が生まれる。その時初めて医療はあくまで苦痛を取り除くためのものになり、社会の価値観の中に押し込める役割を終えるのだ。

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2014年2月 5日 (水)

階級社会と「精神病者」解放4、階級闘争と「病者」解放の内的関連性【4】

吉田氏は「心神喪失」に「狂気」の「病者」の姿があるとして肯定する。これは私とは少し認識が違う。「心神喪失」が「狂気」の実体であるならそうかもしれない。はたしてそうだろうか?「狂気」は「病者」の日常にあるのではないか。特別な状態である「心神喪失」だけにあるのではない。日常としての「狂気」こそが復権されなければならないのではないか。そうでなければ日常を暮す「病者」は復権されないではないか。
私は「心神喪失」を価値観として否定はしない。ただ、それは本人にとっては苦痛な状態であろうし、苦痛からは解放されるべきと思う。吉田氏は「心神喪失」を治すことが「病者」の解放ではなく、差別をなくすることが「病者」の解放であるという。これには上の「苦痛をなくすための治療は必要であるという」留保を付けるなら賛成できるが、吉田氏はこのような留保には反対であろうから、意見の分かれるとろろであろう。
私はあるでっち上げ事件で警察に23日間逮捕勾留されていた時に、もう少し勾留が長引けば「心神喪失」に陥りそうだということに直面したことがある。それは恐怖だったし、「心神喪失」状態がいかに苦痛に満ちているかを直視したら耐え難いことだった。たしかに価値観として「心神喪失」を否定すべきではないが、吉田氏のようにそれを「病者」のあるべき状態と肯定することは、実際の感性とは食い違う。そんな綺麗事で片付けられることではない。「心神喪失」は回避すべきだし、人をして陥らせてはならないというのが私の感覚だ。だからと言って、今の世間の価値観のように「心神喪失者」を人ならざる者として、この世の中から葬り去ろうとするあらゆる価値規定には絶対反対である。

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2014年2月 1日 (土)

改稿/階級社会と「精神病者」解放2、「収容から「医療」へ」という視座から【2】

引き続き、改稿を掲載します。今回の改稿はこれで終わりです。

④    新自由主義の時代

1990年代、バブル崩壊と軌を一にして、積極的に社会的活動を担えない者、担わない者に対象が拡大した。
うつ、不適応など、銀行員や高級公務員、きちんとした会社員たちが問題にされた。強度の適応性を求められる中での発症だが、社会が問われることはなく、矛盾は労働者において問われることになった。労働が極度に強化されたことが発病の新たな原因となったが、それが問われることはなかった。病気の範囲が拡大され、不適応という新たな範囲が生まれた。積極的には社会に適応できない者は「病者」と見なされ、医療の対象になるに至った。また、膨大な数のうつ病者が「発見」された。「うつは風邪のようなもの」という虚偽のイデオロギーが取り入れられ、流行したことも大きく影響した。それまでは社会の中に溶け込んで生活していたうつ病者が「発見」され、医療の対象とされるに至る。
これは当事者にしたら、適切な医療が施されるという面もあろうが、それまでの社会から切り離され、「悪」「罪」と規定される「病者」の仲間入りをすることをも意味していた。この価値規定を伴わないのであれば幸せなことだったかもしれないが、実際には価値規定を伴っているのであり、一人前の人間から脱落者と烙印を押されることだった。それまでの人間社会の一員から、罪世界の住民となることを意味していた。
この時期から、労災への「ストレス脆弱性理論」の適用が問題になる。精神病には外的ストレスと共に本人が持つ脆弱性が要因であるという説だ。当たり前のことを言っているようでありながら、脆弱性が何に起因するかと問うことがないところに特徴がある。結局、病気の背後にある社会の問題を問わないために考え出された似非理論だった。厚労省が労災適応の基準として取り入れた結果として、職業病が認められずに解雇になるケースが多発すことになった。

1993年大和川病院の患者殺しがおきた。大和側病院が問題を起こすのはこれが初めてではない。常習的に患者虐待が行われていた。しかし、それが反医療行為とはされなかった。大和川病院が閉鎖されたのは医療保険指定が取り消されたからだが、それは患者を虐待したことが理由ではなかった。保険の不正請求が理由だった。患者の命より、保険の金の方が重視されたのだ。
関東では精神科救急で運ばれた患者には必ず電気ショックがなされるという。患者虐待は何の反省もされずに繰り返されている。2002年2月1日読売新聞は、大阪箕面ヶ丘病院の、「ポチ」と呼ばれた患者のことを報じた。「「ポチ」と呼ばれていた男性(59)に会った。様々な人権侵害が明るみに出た大阪府箕面市の精神病院「箕面ヶ丘病院」に入院していた患者だ。大勢が出入りするデイルームの一角に、ひもでつながれたまま寝起きし、用を足すのもポータブル便器。そんな違法拘束を十年近く受け、昨年八月に府の抜き打ち調査で問題が発覚、ようやく転院した。」紐の長さはわずか2メートルだった。それは精神病院の実体を物語る一コマに過ぎない。
また、長期入院の実態は、2010年の調査で、30万以上の入院者中、5年以上の入院者が11万人以上、内10年から20年が3万6千人、20年以上は3万7千人だ。長期入院者の多くは社会的入院すなわち、症状からは入院している必要がないが退院する社会的資源がないために入院を継続しなければならない人や、長期入院の結果他の病気、障がいなどを発症して退院できない人たちだ。

2003年制定、05年施行の「心神喪失者等医療観察法」が成立した。犯罪をした「病者」には特別な施設が必要だというものであり、将来の再犯予測によって収容するという点で保安処分そのものだった。国会審議の過程では、当時の坂口厚生労働大臣が「イギリスの医学教科書に予測は可能だと書いてある」と答弁したが、実際には「予測は極めて困難だ」と書いてあったことが暴露されるという一幕があり、法律の書き様は混乱したものとなった。法律の名に医療を冠するだけの実質的保安処分だった。しかし、医療を名乗ったことで反対者が減ったという絶大な効果があった。実際には長期の拘禁と多数の自殺者という結果を生み、医療で問題を解決するというわけにはいかなかった。施設開設の初期からの収容者がいることが指摘され、自殺者は入院者・通院者合せて36人にのぼる。日本の一般の自殺率が25なのに対して800という高率なのだ。医療のおごりが生んだ悲劇だ。
 
この時代を開いた1987の中曽根政権による国鉄分割・民営化があり、総評解散(1989年)の攻撃があった。1996年には社会党も解散し社民党となり少数政党となった。これらを契機に、経団連の方針として非正規労働者が増加。労働者階級総体の力が低迷し、資本家階級の攻撃に対抗し得なくなった。連合は資本の手先となるしか延命の方法がないまでに弱体化していた。もはや労働者を率いて資本家に対抗するという気概も路線も持ち合わせなかった。労働代官というのがふさわしい。
非正規雇用が増加した若者にとって労働組合は企業そのものと何ら変わりのない既得権益擁護だけの存在に成り果てたように見えている。若者は自ら労働組合を組織する場合「ユニオン」と名乗ることで既存の労働組合と区別するようになる。

このことは、医療観察法、すなわち保安処分新設の攻撃に対しても、過去の保安処分新設の攻撃とは違い、労働者階級としての反撃が組織されないという結果をもたらし、労働者の「病者」に対する連帯の契機を失った。また労働運動は、労働者の内から「病者」が多数生まれるという事実に対しても何ら有効な反撃を組織しえないばかりか、労働運動の内から排除する有様だった。労災闘争はほとんどの場合、労組とは別の支援組織を求めざるを得なかった。社会活動を担えない者、担わない者は、労働運動の埒外に置かれる結果となったのである。それは、内に取り込めば資本と闘わないといけなくなるから、資本との闘いを回避したいがために、あらかじめ内から排除するのである。

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