« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »

2014年3月

2014年3月30日 (日)

怒りネット関西の学習会

今日、怒りネット関西の学習会があり内輪の会でしたが9人の参加がありました。高見と事務局のHさんとが報告し、活発な討議がありました。Hさんは医療・介護の改革をプログラム法案に沿って報告しました。高見は、生活保護と年金を担当しました。生活保護の方がメインでした。最近のバッシングから話しを始め、本来生活保護を受けるべき収入の人が1200万人から1400万人いること。無年金・低年金・ワーキングプアの問題。自民党の政策。富裕者に課税すれば財源はあること。どうすれば良い制度となるのか。どう闘うのか、といったことを話しました。高見のレジュメと資料は少し余っていますので、必要な方はメールをいただければ実費でお送りします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月27日 (木)

三里塚控訴審

3月26日東京高裁で三里塚の市東孝雄さんの農地取り上げの控訴審第1回があった。傍聴できなかったので詳細は分からないが、市東さんの冒頭陳述、各弁護士の意見陳述があった。新しい本を書いた鎌倉孝夫さんが傍聴されていた。新しい本は農業にこそ公共があり、それは空港建設などよりも優先すべきものだというものらしい。その論理性は弁論でも反映されたそうだ。

TPPで日本には農業はいらないと言わんばかりの政策がとられている。農民はその保守性から自民党の票田となっているが、資本家に必要なのは票であって実際の農業ではない。自民党の票田が都市部に移るに伴って利用価値もないと言わんばかり切りすてられようとしている。TPPで日本の農業は死ぬと言われる。工業のために農業を犠牲にするという資本主義の歴史がここでも再現される。成田空港のためには農民は犠牲にするという政策の中にTPPは先取されている。しかし、99%の民衆に必要なのは、1%の資本家が金儲けするための工業化や輸出ではない。生きるのに必要なのは、労働し生きる糧を得ること農産物を食することだ。糧とは農産物のことだ。農業にこそ99%の民衆の共通の利益がある。輸出や金儲けには99%の民衆の利益はない。99%の民衆に必要なのは市東孝雄さんの農地であって成田空港ではない。成田空港には公共性はなく市東さんの農地にこそ公共性がある。

報告集会で鎌倉さんは、資本主義の始まりには農地の暴力的取り上げがあった。市東さんの農地の暴力的取り上げは資本主義の終わりであると喝破された。農地法と言う農業を守るための法律を使って農業を破壊するというのはすでに脱法であり暴力だと指摘された。

正義があるということと裁判に勝つというのは別のことだ。正義が裁判で勝つには多くの民衆の監視があり、裁判官が法に従わなければ打倒されると感じ、無法なことはできないと思うような環境作りが必要だ。多くの傍聴はその一つとして有効な方法だ。それだけでなく、様々なメディアを使い宣伝をすることも必要だ。

新しい本を使った学習も深めたい。「とられてたまるか農地と命 成田空港の「公共性」を問う」という鎌倉さんと石原健二さんの編著によるもの。社会評論社から1800円で出ている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月22日 (土)

最低生活保障は多くの民衆の課題【3】

扶助費引き下げ

 このように見ていくと日本の生活保障費は引き上げるしかないはずだ。ところが日本では、実際には引き下げが行われている。
生活扶助費は2013年8月、14年4月、15年4月と3回に分けて引き下げられる。最終的な引き下げ額は夫婦と子供1人世帯で1.6万円、夫婦と子供2人世帯で2.0万円、70代以上夫婦6千円、70代以上単身3千円、60代単身2千円、41歳~59歳単身4千円、20歳~40歳単身7千円、母と子1人8千円だ。
この4月には消費税が3%上がる。これに対応して生活扶助費は2.9%上がることになっている。ところが平均6.5%、最大10%の引き下げの第2回目の引き下げ分が差引されるので実際にはそれだけ上がらない。
2014年4月の生活扶助基準の実際の改定率をいくつか例示する。(都市部)
・ 夫婦と子(30 代夫婦と幼児) -0.6%
・ 単身世帯(20~40 歳) +0.1%
・ 高齢単身世帯(60 代単身) +2.0%
(厚労省の試算による。年齢・世帯人員・地域差によって異なる。)
60代単身世帯では、実質0.9%の引き下げだ。夫婦と幼児の世帯では消費税分以上の引き下げとなる。
また、「アベノミクス」というインチキな経済政策の結果である円安で、物価は上がっているがそれは反映されない。

自公政権の政策

なぜこのようなことになるのか?自民党の政策である。
自民党の2012.2政策ビジョン。「自助、自立を基本とした~社会保障制度」「家族の助け合い、すなわち『家族力』の強化により『自助』を大事にする方向を目指す」「『自助』『自立』を第一とし、『共助』、さらには『公助』の順に従って政策を組み合わせ、負担の増大を極力抑制する中で真に必要とされる社会保障の提供を目指す」
2012・8社会保障制度改革推進法。「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意しつつ、国民が自立した生活を営むことができるよう、家族相互及び国民相互の助け合いの仕組みを通じてその実現を支援していく」
プログラム法。社会保障制度改革国民会議報告を利用して作られたプログラム法(持続可能な社会保障制度の確立を図るための改革の推進に関する法律)には「公助」という言葉は跡形もない。自助努力の強調のみが目立つ。「自助・自立のための環境整備」に社会保障を切り縮めている。社会保障制度の全面解体と考えてもおかしくない。なぜなら、そうなれば自助努力で生きる以外になくなるからだ。
さらに、2012.9.11報道ステーションでは自民党の衆院議員石原伸晃が、社会保障費抑制の具体策を述べるなかで尊厳死に言及している。
 
富裕者課税論

財源がないといわれるが本当か?
日本では累進課税で、高額所得者ほど税金をたくさん支払っていると思っている人が多いのではないか?
ところが所得税負担率は年収1億円くらいを境に下がっていき、100億円以上の収入の層の税率は14%なのだ。図を見ていただきたい。年収が多い人ほど税率が下がり、税金を支払っていないのだ。適切な累進課税をすれば財源はあるのだ。

 

140211zeiritu2



「生活保障法」案

 ではどうすれば良いのか?
一つの考え方として、日弁連「生活保護法改正要綱案『生活保障法』案」というものがある。2008年11月18日に発表されている。その中身は、
①    水際作戦を不可能にする制度的保障。
②   保護基準を国会で決める民主的コントロール。
③    権利の明確化。「保護」という言葉そのものがスティグマを生んでいる。
④    ワーキングプアに対する積極的支援。収入が最低生活費の1.3倍未満の人に対して、資産を問わず、住宅給付、医療給付、自立支援給付(現行の生業扶助にあたる)を支給する。
というもので、現行制度の歪みをできるだけ正し、権利としての福祉を法律化しようとするものだ。現行制度に対する対案として有効なのではないかと思う。ただ、保護基準を国会で決めるといっても、様々な差別感情を基盤にした今の国会では何も良いことはない。そもそもこの法案が通るような政治の改革が前提だ。

どう闘うか

 ではどう闘うのか?
①    不服審査請求第2弾。4月の引き下げに対する不服審査請求を再度取り組もう。3月に送られてくる保護決定通知書をなくさないようにしていただきたい。
②    調査団活動。現行制度の下での人権侵害を暴き出し、改善を求めるための活動だ。大阪で行われている。
③    集団違憲訴訟。先行して取り組まれているところもあるが、全国的にはこの夏に取り組まれる。大阪では5月12日と14日に事前説明会が行われる予定なので是非参加していただきたい。
④    捕捉率を上げるための運動
ワーキングプアで生活保護以下の賃金だと制度を利用できるはずだが実際には利用率は低い。これは制度を利用できることを知らなかったり、水際作戦やスティグマの存在が大きく影響している。同行支援などの支援が必要だ。また、スティグマを取り除く社会的運動が必要だ。実際には社会運動家、労働運動活動家が偏見を持っていてスティグマを作り出している面もある。意識改革はすぐに取り組まれなければならない。
 マスメディアも活用しながら、世論を変えていく努力で、社会を動かそう。国会を変える努力も必要だ。政治を変えなければならないが、そのためにはまず当事者が立ち上がって、支援者と一体で、世論を変える努力をしなければならない。

 (本稿執筆にあたり「生活保護から考える」稲葉剛著(岩波新書)、「間違いだらけの生活保護『改革』」生活保護問題対策全国会議編(明石書店)を参考にした。もし時間のある方は、原著に当たられたい。)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月21日 (金)

最低生活保障は多くの民衆の課題【2】

餓死者

 このような貧困問題の実態は餓死者数にも表れている。厚労省の「人口動態調査2012」によれば「栄養失調」「栄養欠乏」「食糧の不足」が死因とされる者の数は2011年で2053人にのぼる。実際には餓死でも、直接の死因が心筋梗塞や他の疾病とされた人の数を含めればもっと膨大になる。日雇い労働者やホームレスで餓死、凍死者は多いが、差別感情がそれらの問題を表面化させていない。大きな問題なのだ。

水際作戦・スティグマ

なぜ死に至ってしまうのか?なぜそれまでに生活保障を受けられなかったのか?複数の理由が考えられるが、生活保護を受けられなかった理由は、水際作戦や様々なスティグマの存在が考えられる。
水際作戦とは、低所得者が生活保護の窓口に行った時に、ケースワーカーが様々な難癖をつけて追い返してしまうやり方だ。申請用紙も渡さずに追い返す例が多く存在する。ケースワーカーの実務をするには公的資格が必要だが、資格がないにも関わらずケースワーカーの実務をしているケースも多く、最近では警察官OBのワーカーも多い。また一人の受け持ちが100人以上と多いことも新たな仕事を増やしたくないという心理を生む原因となっている。
スティグマというのは心理的な社会的障壁のことだ。他者や社会集団によって個人に押付けられた負のレッテルを意味し、元々の意味は「烙印」だ。福祉制度の利用がスティグマとされる。恥や後ろめたさといった考え方や、「国の世話にはなりたくない」といった考え方が含まれる。スティグマが生活保護利用の妨げになっているケースは数多く存在する。それは本人の問題でもあるが、社会が作っていしまった障壁と考えるべきだろう。マスコミが不正受給を大きく報道することも、スティグマを生む。不正受給は全体の0.5%に過ぎないのに、過大に報道されている。それで形成された世論は大きなスティグマだ。貧困世帯が保護世帯を非難することが多いのはこれらのマスメディアの報道によるものだが、低所得者対策を狭めて、結局自分の首を絞める結果となる。

日本の扶助費の低さ

それが日本の生活保護の利用率の低さにも表れている。捕捉率も低いが利用率(人口に対する生活扶助を受けている人の割合)も低い。日本の利用率は1.6%。スウェーデンは4.5%、ドイツは9.7%、フランスは5.7%、イギリスは9.27%である。
結果として日本の扶助費の総額も低い。各国の公的扶助費のGDPに占める割合は日本は0.6%だが、オーストラリア5.6%、イギリス5.0%、フランス4.1%、カナダ3.6%、ドイツ3.3%、アメリカ1.2%であり、OECD平均は2.0%である。福祉という意味では血も涙もない自由主義国家アメリカのさらに半分に過ぎないのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月20日 (木)

最低生活保障は多くの民衆の課題【1】

多くの民衆の問題である最低生活保障

 日本では憲法25条で生存権が保障されている。健康で文化的な最低限度の生活の保障だ。これは、日本の労働者民衆が歴史的に勝ち取ってきた権利だ。60年安保闘争と密接に関係した朝日訴訟などの民衆的闘いによって生活保障の実体は勝ち取られてきたからだ。
 最低生活保障を具現化するのが生活保護だ。この「保護」という言葉には問題がある。自治体労働者が「保護してやる」という立場に立ってしまう言葉だからだ。固有名詞として使う場合以外は「生活保障」という言葉の方が良い。

捕捉率
 
 日本では捕捉率が低いという問題がある。捕捉率とは、最低生活保障が必要な人の内、実際に生活保護を受けている人の割合だ。民間の研究では15.3%~18%と言われている。厚労省の資料では「国民生活基礎調査」で、所得のみを考慮すると15.3%、資産要件を考慮すると32.1%だと言っている。
 生活保護を受けている人は約216万人(世帯では約159万世帯)なので、最低生活ライン以下の低所得者の人数は1415万人と推計される。人口の10%を超える数字だ。生活保障が特殊な人の問題ではないことを示している。この中には、低年金・無年金者やワーキングプアが含まれる。
 外国と比較すると、スウェーデンの捕捉率は82%、ドイツは64.6%、フランスは91.6%、イギリスは制度が複数あり47~90%。日本の捕捉率がいかに低いかが分かる。
 生活保障はこの1400万人の問題であるだけではなく、生活保護費を基準にしている最低賃金、就学援助や住民税の減免や医療費の減免措置など、多くの低所得者に影響してくる問題なのだ。

無年金・低年金問題 

 日本では低年金、無年金者が多い。将来無年金者になる年金未納者・未加入者は400万人を超える。公的年金加入者の5.7%だ。よく言われている40%の未納率というのは、国民年金のみの加入者に対する割合のことだ。危機感をアジるために言われている数字なのだろう。経済的に苦しければ、手続きをすれば納付免除や先延ばし可能であり、そういう人は将来低年金となる。また国民年金のみの人はもともと低年金であり、他に所得や資産がなければ貧困世帯となる。免除や先延ばしの措置を受ける人は多く、2004年から05年にかけて納付率を3.3%アップさせたほどである。(割り算の分母が減るから率が上がる。)
国民年金のみの人は自営業者400万人、無業者700万人の他、パート・アルバイトなどの非正規雇用の労働者1200万人が含まれる。パート・アルバイトの女性の内24.6%が国民年金のみである。
 低年金の実態は、年金の人の内、男性では所得50万円未満が7.1%、50万~100万が17.3%、100万から150万が13.5%。女性では50万未満が26.8%、50万から100万が40.6%、100万から150万が17.0%である。他の所得や資産がある人もいるし世帯構成にもよるが、仮に100万以下の低年金者の割合を見ると男性で24.4%、女性では実に67.4%に達する。65歳以上の単身女性世帯の所得を見ると150万円以下の世帯は260万世帯であり、女性単身者に低所得者が多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月16日 (日)

生きづらさと言うことについて、その3

生きづらさの実体が症状にあるとしてもそのことで悩む必要はないこと、症状を症状として受け入れたら、少なくとも気が楽になり、悩みは少しは軽減する。それができるのは患者会の役割ではないかと思う。役割があるとしたら社会的に価値があるとしたらそのことだろう。
 最近も、てんかんでありながら妄想に苦しんでいる人と接する。てんかんでも妄想が生じるのだ。させられ体験、監視体験が主なものだ。自分でも理屈に合わないという感覚はあるらしいが、すべてが妄想だとは思えない。統合失調症の薬が効くらしく、それでも症状は取れない。妄想ではないという確信がある部分もある。こういう症状の人に対してどう接すればよいのか。生きづらさはそこに現にあるのだ。
統合失調症真最中で妄想の激しかった人にも出会ったことがある。宇宙人妄想に関する激しい妄想の世界に生きていた。インプラントという宇宙人の命令を伝える通信用の針を頭に植え付けられていると信じていた。しかし、もっともらしい宇宙人に関する本を書いて飯のタネにしている人もいて、本に書いてあるから本当だとゆずらなかった。話しているとこちらの精神が崩壊しそうになった人だった。この人の場合は妄想そのものでは本人は悩んでおらず、周りがそれを否定することが悩みの種だった。
ある「病者」は激しい躁うつ病だが、躁の時には気が大きくなり金を使いまくる。障がい年金なのであまり金は無いのに。経済的に困るのはうつ転した時だ。当然にも口うるさく言う家族との関係も悩みの種だ。
ある統合失調症の人は発病時や子どもの頃のことにこだわりがある。そこまでこだわらなくてもいいのではないかと客観的には思えるが、細かなことまで解決がされていないという。

このような場合、症状をそのまま受け入れる開き直りということが通用するのか?妄想は取れないままに症状として受け入れるということが可能なのか?
少なくとも人としての価値にかわりはないこと、「病者」も人間であるということが救いになりうるか?
これら症状の複数の人と話をし、とくに妄想が激しい人と話をした。患者会が「ここでしか語れない」場としてあるということだった。症状のことを他のところで言っても相手にしてくれないがここでなら聞いてくれるという。もっと症状の軽い時から症状について語る場だったことが今の激しい症状の中で救いとなっている。主催する側としてもうれしいことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月12日 (水)

学者8人が呼び掛け

改正生活保護省令案「修正要求をパブコメに」 学者8人が呼び掛け
2014年3月12日 東京新聞朝刊

 改正生活保護法の実務の指針になる厚生労働省令案に改正法の与野党による修正や厚労省側の国会答弁が反映されていない問題で、憲法学などの学者8人が省令案に反対する共同声明を発表した。声明は28日締め切りの厚労省パブリックコメント(意見公募)に省令案の修正を求める意見を寄せるように呼び掛けている。

 声明は「国会で(厚労省側は)『申請手続きを厳格化するものではない』『扶養義務者に対する圧力を強化するものではない』という答弁を繰り返し、法案の修正も行われた。ところが省令制定段階で背信的な骨抜きがもくろまれている」と批判。「パブコメに省令案批判の声を集めることで生活保護法改悪の実質化を阻止することが求められている」と、研究者らに協力を訴えた。

 声明を出した学者は次の通り。

 井上英夫金沢大名誉教授(社会保障法)、大門正克横浜国立大教授(歴史学)、木下秀雄大阪市立大教授(社会保障法)、後藤道夫都留文科大名誉教授(社会哲学・現代社会論)、布川日佐史法政大教授(社会保障論)、本田由紀東大教授(教育社会学)、三輪隆埼玉大名誉教授(憲法学)、森英樹名古屋大名誉教授(憲法学)=五十音順

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月11日 (火)

SWと法律家がタッグ貧困問題に立ち向かう

福祉新聞2014年03月10日号

シンポを合同開催

 大阪弁護士会、大阪医療ソーシャルワーカー協会、大阪精神保健福祉士協会が主催するシンポジウム「拡大する貧困に立ち向かう」が1日に大阪市内で開かれ、255人が参加した。3団体によると、ソーシャルワーカー(SW)と弁護士の職能団体が合同でイベントを開催するのは全国で初めて。今後、3団体は貧困問題の解決に向け、さまざまな場面で連携することを確認した。

 開会あいさつで丹羽雅雄・大阪弁護士会貧困・生活再建問題対策本部長代行は、近年社会に広がる貧困への危機感を示し「今日はSWと一緒に立ち向かう出発点にしたい」と語った。

 パネル討論には、藤田譲・大阪医療SW協会代表理事、柏木一惠・日本精神保健福祉士協会長、小久保哲郎・大阪弁護士会貧困・生活再建問題対策本部事務局長が登壇した。

 藤田氏は、長期療養が経済的に困難なケースなど、医療の現場でも貧困が拡大していると報告。「金の切れ目が生命の切れ目になりつつある」と述べ、社会構造を変える必要性を訴えた。

 柏木氏も精神障害者と貧困問題が密接であると説明した。解決にはさまざまな分野との協働が必要だとし「今の制度をそのまま相談者に当てはめる役割を担い続けるなら、SWとしての精神保健福祉士に明日はない」と強調した。

 一方、法律家として生活困窮者を支援している小久保氏は「事例を通じて感じる社会的矛盾をソーシャルアクションに結びつけたい」と語り、今後SWの職能団体とは相談会の開催や共同声明の発出などをしたい考えを表明。今後3団体は連携を深めることで一致した。

 このほか、伊藤周平・鹿児島大教授や、藤田孝典・ほっとプラス代表理事の講演会などもあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月10日 (月)

パブコメを

生活保護問題対策全国会議のブログから。

http://seikatuhogotaisaku.blog.fc2.com/blog-entry-198.html

田村厚労大臣がパブコメをみて政策を決めると異例の表明をしています。下記国会答弁。まさかこれも反故にする気ではあるまい。多くのパブコメを。

田村大臣:何度も申し上げて恐縮ではございますけど、この省令案自体ですね、いろんなご意見をいただいておるわけであります。言われるとおり、申請権がですね、これが邪魔されてはいけないわけでありますし、言われるとおり、決してですね、これ、口頭で申請する、言うなれば確かに基本は書面で申請でありますけども、書面で申請できない方が口頭で申請すること自体阻害されてはならないわけでございます。で、そのようなところも含めながら、いま、省令案に対してパブリックコメントをいただいておる最中でございますので、いろんなご心配の点もいただいておるわけでございますから、そのパブリックコメントのいただいたご意見、これにしっかりと対応させていただきたいと、このように考えております。

高橋議員:大いに意見を出してもらえれば、大臣は尊重してくれるんだと言うことを、いま考えました。で、もう一点、確認をしたいと思うんですが、扶養義務者に対する通知の問題、これは通知と報告の求めについても同じような書きぶりになっております。つまり、当該通知を行うことが適当でない場合が何かということで、①、②、③、という風に書いているわけですよね。で、保護の実施機関が当該扶養義務者に対して法第77条第1項の規定による費用の徴収を行う蓋然性が高くないと認めた場合と。ですから、答弁はですね、これまでの答弁は「極めて限定的なものだ」っていう表現をしているんですが、高くないと認めた場合というと、何か例外の方が多いっていうのは普通は考えにくい話ですよね。つまり、高くないっていったときには、普通は例外っていうものは少ない、これはこっちが通知しない人の方が例外な訳ですよね、この書きぶりは。それで、「高くない」っていうのはどういうことなんだろうかと。逆に、例外ではなく、絞られてくるんじゃないかと受け取られますが。ここだけ確認を。

田村大臣:逆に、高いと判断する場合というのは、ご承知のとおり、交際状況が良好でありますとか、それから、扶養手当を企業から受け取っておったりでありますとか、税法上の扶養控除等々を受けている場合、さらにはですね、十分に資力がある、このようなことが認められる場合でありまして、それじゃない場合がですね、まさに蓋然性が高くない場合ということであります。これはもう、いま仰られましたとおり24条の8項は「あらかじめ通知することが適当でない場合」と書いてあるもんでありますから、それに合った書きぶりをするとそのようにならざるを得ないということでありますが、これもご心配がありますので、いろんな工夫を考えさせていただきたいという風に思っております。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 9日 (日)

パブコメ

私は、生活保護法改悪に伴う省令案に対して下記のパブコメを送りました。参考にしてもらってもいいし、しなくてもいいですが、ぜひパブコメを送ってください。
私は生活保護よりは少しだけましな生活をしている年金生活者です。しかし、近い将来重篤な病気になって医療費が支払えなくなった時に、生活保護へ移行する可能性は大きくあります。それくらいのボーダーライン上に居ます。今回の政府案はその時に生活保護へ移行するのを著しく妨げるものです。国会答弁によって妨げは軽減されました。しかし今回の省令案はその妨げを復活させるものです。何故に政府答弁で従前と変わりなくやると約束したものを反故にするのですか。厚労省の役人は国会議員や答弁した大臣や政府当局者より偉いのですか。国会答弁をひっくり返すほど偉いというのですか。そうでないなら、こんな省令案は直ちに取り消すべきです。
国民の一人として、生活保護を受ける権利を当然にも有する一人として、今回の省令案を取消し、政府答弁に立ち戻ることを求めます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 7日 (金)

生きづらさ・患者会

先日来の「生きづらさ」。複数の精神科医に話を伺った。一方は生きづらさの実態は経済的なことよりも、症状にあり、その中でも統合失調症の了解不能性にあるとおっしゃる。人との関係が築けないことが生きづらさの実体だというのだ。鬱のメランコリータイプは了解可能であるという。自分の規則にこだわり行き過ぎることだが、なぜそこにこだわるかが分かるという。分からないのは統合失調症だという。核の部分でのこだわりが人からは理解できず、人との交通関係を阻害すると。疎外でもいい。疎外の核が了解不能性にある。これだと救いはどこにあるのか。了解不能が実体だとしたら分かり合えることがないのではないか。救いは差別を乗り越えようと努力する人たちが了解不能な部分があっても了解しようとすることか。

もう一方も似たようなことをおっしゃた。経済的なことで悩む人はいる。しかしそれは症状が比較的軽い人。そういう人もたくさんいるので、差別をなくそうとする努力は必要なこと。経済的な差別も含まれる。しかし症状の重い人は症状そのもので悩み経済的なことまで思い至らないという。症状の実体は何かという話までは至らなかったが、それは前のドクターと共通するのであろう。

私は主に差別が生きづらくさせるという論理で考えていた。しかし症状そのもので生きづらいとすると論理構造を変える必要がある。確かに私も症状そのもので生きづらいという時期が長くあった。不眠症がひどかった時期が長くあったのだ。私の不眠症はどんなにきつい薬を飲んでも72時間眠れなかったことがあるなどひどいものだった。きつい薬でフラフラになりながら昼夜逆転で暮らしていた。眠れないから日中もイライラしていた。結婚してからも妻に当たり散らしたりしていた。漢方薬が劇的に効果があって不眠は薬で眠れるまでに改善している。一時は薬なしでも眠れていたほどだ。こういうのを回復者と言うのだろうか。回復者という言葉には「病者」差別の響きがあるし、薬を飲み続けているのだから立派な「病者」なのだが。しかし薬を飲んでいれば薬の副作用で苦しいのを除けば日中起きて夜寝るという生活が成立している。それ以外には症状としてやたら怒りっぽいというのも薬で抑えられている。たまに薬を飲み忘れているとイライラしてくるので症状が消えたわけではなく薬で抑えているのだとわかる。薬の副作用でやたら喉が渇く。1日10リッターくらい水分を取る。腎臓の数値は悪くないので水中毒で治療が必要と言うわけではないが、喉の渇きを抑える薬を飲んだら、やたらと怒りっぽくなり元の薬の作用そのものを消してしまうことが分かり、止めた。

私も不眠症で苦しんでいた時期には確かに経済的なことでは悩まなかった。昼間喫茶店で涼みながら書き物をしていて、小さな紙片にメモをしているものだから店員に怪しまれ、明らかに「病者」に対する対応をされていたのだが、それは後で気が付いたことであり、その当時は気にならないほど症状の方が重かった。差別には傷ついていたが、怒りよりは諦めが支配していた。自死衝動があったのもこのころだ。

このような時期に医者以外の誰が救いになりうるのだろうか?私は孤独な時期が長く、のちに患者会に入りそこのメンバーと結婚することで孤独からは抜け出せた。だからと言って症状は消えなかったし苦しいままだった。患者会や結婚が救いだったのは孤独の面であり、苦しみを少しでも共有するという立場の人に出会えたことだ。患者会だからいろいろな人がいて、皆がそういう立場だったわけではないが、リーダーが苦しい人の立場に立つべきだという考え方だった。今はその人と会うことはめったにないが、結婚を勧めてくれたのもその人だった。患者会が救いだとしたらそこに存在価値があるだろう。その人は職場や労働組合も差別的だから気を許してはならず糾弾の対象だという考えで、私もそれを共有した。行き過ぎて闘う労組の組合員にまで労組を糾弾すべきと言って、批判されたりしていたこともあった。私は闘う労組だからと言って気を許す気もなかったので批判に批判的だった。

今は私が患者会を主宰する立場だから「病者」本位を心掛けている。開き直りを勧めたいが、それは受け入れる立場に立たないと強制になっては良くないとも思う。私は開き直りで楽になった。不眠症でも人間としての価値に変わりはないと考えることが身に染みると、自死衝動はなくなったと思う。「病者」にとって楽な患者会を目指しているが、特定の思想を求めるものではない。開き直りも強いて求めているわけではない。来て楽になり、あるいは電話相談で楽になり、それで良いと思っている。

生きづらさの実体が症状にあるとしてもそのことで悩む必要はないこと、症状を症状として受け入れたら、少なくとも気が楽になり、悩みは少しは軽減すること。それができるのは患者会の役割ではないかと思う。役割があるとしたら社会的に価値があることだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 6日 (木)

パブリックコメントに応募しよう

2月27日「改正」生活保護法の厚生労働省令案(概要)が発表され、パブリックコメントが求められています(意見募集締切日は3月28日)。
http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495130294&Mode=0

「申請手続を厳格化するものではなく口頭申請も従前どおり認められる」「扶養義務者への報告要求等は極めて限定的な場合に限る」という国会答弁や附帯決議の内容を反古にする法技術的な操作が行われており、極めて背信的な内容となっています。

実務に直接影響を与えるのは、省令や通達です。

パブリックコメントは数が勝負です。

「厚労省は国会答弁・附帯決議を守れ!」
など一言で良いので、是非、多くの個人・団体としてパブリックコメントを寄せてください。
(上記の厚労省HPに投稿要領やフォームがあります。)

以下東京新聞

弁護士ら修正要求声明 「生活保護 省令案は姑息」

2014年3月6日 朝刊
 改正生活保護法の厚生労働省令案に与野党による改正法の修正内容や政府の答弁が反映されていない問題に対し、弁護士らでつくる生活保護問題対策全国会議は五日、省令案の抜本的な修正を求める声明を発表した。
 声明は、省令案を「国会答弁をほごにする姑息(こそく)な操作が行われている」と批判。「この省令案がまかり通れば『申請手続きを厳格化するものではない』という国会答弁はペテンだったということになる」と強調し「国会答弁の内容を真摯(しんし)に反映させた案に修正するよう要求する」とした。
 意見書は省令案のパブリックコメント(意見公募)が二十八日まで行われていることを踏まえ、パブコメに修正を促す意見を寄せるよう呼び掛けた。
 全国会議は弁護士のほか司法書士や大学教授、NPO法人代表などでつくり、会員数は約四百人。
 自治体が窓口で申請を拒む「水際作戦」をやめるよう政府や自治体へ要請をしたり、貧困の実態に関する集会を開いたりしている。
 改正生活保護法の政府原案は申請時に申請書の提出を義務付けた。
 国会審議で野党が「これまで通り口頭申請も認めるべきだ」と反発したため、与野党で保護の決定までに提出すればよいと解釈できる表現に修正したが、省令案は政府原案に戻ってしまっている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 5日 (水)

政府答弁を反故に

生活保護の申請 「まず書面」に逆戻り?

2014年3月5日 東京新聞朝刊
 改正生活保護法を運用する際、実務の指針となる厚生労働省令案で、改正法の国会審議中に「政府案では窓口で申請を拒む『水際作戦』が助長される」として与野党が合意した修正や政府側の答弁が反映されないで、もとの政府案に「先祖返り」している部分があることが分かった。厚労省が先月二十七日から始めた意見公募(パブリックコメント)で明らかになった。支援者や有識者は、国民の代表である国会を軽んじる厚労省の対応に反発している。 (上坂修子)
 厚労省はパブコメを二十八日に締め切り、四月上旬に省令を公布する方針。
 政府は改正案を昨年五月に国会提出。与野党が修正で合意したが、昨夏の参院選前に廃案になった。政府は修正を踏まえた法案を昨秋の臨時国会に提出し、昨年十二月に成立した。
 政府案は、申請時に保護が必要な理由など細かな内容を書く欄がある申請書の提出を義務付けた。野党が「これまで通り口頭申請も認めるべきだ」と批判したため、保護するか決まるまでに提出すればよいと解釈できる表現に与野党で修正。しかし、省令案の表現は政府案に戻った。
 政府案は、自治体が扶養を断る扶養義務者に説明を求めたり、保護を始める時に扶養義務者に書面で通知したりする「扶養義務の強化」も盛り込んだ。国会審議で、野党が「利用しにくくなる」と追及したのに対し、厚労省は扶養義務を強化するのは極めて例外的な場合のみと答弁していた。
 だが、省令案は逆に扶養義務を強化しないケースを列挙。(1)扶養義務者から費用を徴収する可能性が低い(2)要保護者が配偶者から暴力を受けている-などの場合以外は原則として扶養義務を強化する内容で、政府答弁はほごにされた。
 NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの稲葉剛理事長は「法案修正は福祉事務所が勝手に申請を拒まないよう、解釈の余地をなくすためのもの。国会の意思を省令にも反映すべきだ」と指摘。生活保護問題対策全国会議事務局長の小久保哲郎弁護士は「実務に影響するのは省令。国会でいくら良いことを言っても、省令に反映しなければ、問題のある対応が広まる危険がある」と話す。
 厚労省の社会・援護局保護課は「申請手続きの運用は、これまでと何も変わらない。申請書は保護開始までに提出すればいい。扶養義務に関しても国会審議で示された懸念に応えるよう丁寧に運用する」と反論している。
 <省令> 各省の長である閣僚が定める命令。日本の法体系では優劣は(1)憲法(2)国会が制定する法律(3)内閣が定める政令(4)省令-の順。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 3日 (月)

生活保護世帯の生活実態

身体障がい者のBさんの意見陳述です。家賃問題について語られています。車椅子で動ける家を探すのは至難のことであり、改築できる家も極めて限られており、住宅扶助では補えず、持ち出しになっている中での引下げは生活破壊です。

意 見 陳 述 書
                平成26年2月14日
 私は、脳性麻痺の障がい者で、「生活保護制度」を利用しながら一人暮らしをしています。両親はすでに他界し、兄弟とも絶縁状態にあります。障害を持つ者にとって生活保護制度は、「自立生活」を送る上で欠かせない「制度」です。

ご存知のとおり、国・府・市は「障がい者」の施設から地域へという理念の下、これまで進めて来られたのではないでしょうか。しかしながら、現実は、最後のセイフティネットであるべき「生活保護制度」は、その理念とは離れたところで、着実に衰退していこうとしています。国は、3年かけて740億円の削減を打ち出しました。国はこの4月から消費税を8%に上げる事を決定してしまいました。以前から石油の高騰等に伴い物価は上がっています。この事をどう感じておられますか。この上、光熱費や「家賃」が上がれば、私たちは生活どころか、施設に入らなくてはならなくなります。ここに今一度確認します。憲法、第13条「すべての国民は個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他国政の上で、最大の尊重を必要とする。また、第25条では「すべての国民は、健康で文化的な最低限の生活を営む権利を有する➁国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。と定められています。そのうえで、四肢に障がいのある者、私の現状をここに書きます。私のような障がいを持つ者にとって住宅確保は容易ではありません。(公共施設でさえ未だにバリアフリー化していないところもあるのですから。)生活して行く上で制限が山積しているからです。まず、バリアフリーである事、車いすが乗れるエレベーターがある事、車いすの置場が確保出来る事、ベッドが置ける事、トイレが広い事、浴室が広い事などがあげられます。必然的に部屋は大きめの1Kまたは2Kになり、そのような物件は大阪市内では皆無に近いのです。この点においては高齢者の方も同様と考えます。また、住宅改修の制度を活用しようとしても、家主が嫌がるケースも沢山ありました。家賃補助だけではとうてい無理です。持ち出しをするしかないのです。現在の家は築50年を過ぎたコーポです。住宅改修で何とか生活しているといっていい程あちらこちらが傷んでいます。地震がくるとどうしようと不安な日々です。また、ヘルパーさんの手を借りて生活していますから、光熱費も1人暮らしのそれとは異なり出費がかさみます。府営・市営住宅も、なかなか当たりません。当たったとしても、慣れしたしんだ地域から離れることになります。
 以上の事から、今回の「生活保護費削減」に対し憲法を無視した政策であると憤りを感じるとともに強く訴えます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年3月 2日 (日)

生きづらさと言うことについて、その2

薦められて小俣和一郎「精神医学の歴史」(レグレス文庫)「異常とは何か」(講談社現代新書)を立て続けに読んだ。フーコーにも言及があり(あまり評価していないようだが)、独自の視点から、狂気がかつては価値があることとされていた歴史があることを書いている。異常と正常は入れ替わり、ちょうど政権交代のようにその時の多数派の価値観を形成していること。中世から近世にかけての時期に価値観の転換があり、狂気が価値があるという考え方から、医療化の流れの中で狂気が再び異常に位置づけられるようになったことが描かれている。フーコーは評価しないと言いながら同じ結論に至っているのはそれが歴史的事実として確固として存在しているのだろう。精神医療史に詳しい小俣氏の言説は史実としての狂気の復権の道を開いたと言える。

医療の中の生きづらさは、脱権力化の中で脱却できないかと考えている。フィンランドで実践されているオープンダイアログ(開かれた対話)とか他国での医薬品を患者と共同管理に置く試みとかいろいろな医療における脱権力化の試みが行われている。社会における脱権力化を伴わないとマッチポンプに堕しかねないと思うのだが。医療者と言う権力者と支配される患者と言う関係性を脱却する試みとして面白いと思っている。私と主治医の関係性はそれとは別に権力関係を脱している。これは主治医の個性によるもので、たまたまそういう医者に巡り合ったという幸運なのだが。歴史的に患者会は医療の権力構造を打破する試みだった。そうではない「お医者様と下僕」の関係に堕した自称患者会も多くなった。政治的に振る舞う自称「キーさん」もいて話はややこしいのだが。

生きづらさは医療の枠内で起きることよりも社会で出会う人々の間で起きることの方が多い。クリニックと自宅を往復するだけの生活と言う人は少ないからだ。その意味では脱権力化だけでは生きづらさは脱せない。権力を持たない庶民の方が「病者」に敵対的であることは多い。、すべての庶民が敵対的であるわけではないが、あらかじめ味方に獲得している人でないと、「病者」と分かった時の対応はつらいものがある。味方が敵に転ずることもあろうが。たまたま偏見のないヘルパーに囲まれているが、自立支援法も偏見の多いヘルパー事業所だとそうはいかない。

生活上の苦しさも生きづらさを形成している。職を失うだけでも生きづらさは数倍化するが、「病者」は職を失うのはある種運命的だ。生活保護に対する偏見や、年金生活の経済的苦しさは確かに生きづらい。経済的実体としての生きづらさと、周囲の人間との関係、医療者との関係、この3つぐらいが生きづらさの実体なのだろうか。それぞれに解決方法を見出す必要があるテーマだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2014年2月 | トップページ | 2014年4月 »