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2014年3月16日 (日)

生きづらさと言うことについて、その3

生きづらさの実体が症状にあるとしてもそのことで悩む必要はないこと、症状を症状として受け入れたら、少なくとも気が楽になり、悩みは少しは軽減する。それができるのは患者会の役割ではないかと思う。役割があるとしたら社会的に価値があるとしたらそのことだろう。
 最近も、てんかんでありながら妄想に苦しんでいる人と接する。てんかんでも妄想が生じるのだ。させられ体験、監視体験が主なものだ。自分でも理屈に合わないという感覚はあるらしいが、すべてが妄想だとは思えない。統合失調症の薬が効くらしく、それでも症状は取れない。妄想ではないという確信がある部分もある。こういう症状の人に対してどう接すればよいのか。生きづらさはそこに現にあるのだ。
統合失調症真最中で妄想の激しかった人にも出会ったことがある。宇宙人妄想に関する激しい妄想の世界に生きていた。インプラントという宇宙人の命令を伝える通信用の針を頭に植え付けられていると信じていた。しかし、もっともらしい宇宙人に関する本を書いて飯のタネにしている人もいて、本に書いてあるから本当だとゆずらなかった。話しているとこちらの精神が崩壊しそうになった人だった。この人の場合は妄想そのものでは本人は悩んでおらず、周りがそれを否定することが悩みの種だった。
ある「病者」は激しい躁うつ病だが、躁の時には気が大きくなり金を使いまくる。障がい年金なのであまり金は無いのに。経済的に困るのはうつ転した時だ。当然にも口うるさく言う家族との関係も悩みの種だ。
ある統合失調症の人は発病時や子どもの頃のことにこだわりがある。そこまでこだわらなくてもいいのではないかと客観的には思えるが、細かなことまで解決がされていないという。

このような場合、症状をそのまま受け入れる開き直りということが通用するのか?妄想は取れないままに症状として受け入れるということが可能なのか?
少なくとも人としての価値にかわりはないこと、「病者」も人間であるということが救いになりうるか?
これら症状の複数の人と話をし、とくに妄想が激しい人と話をした。患者会が「ここでしか語れない」場としてあるということだった。症状のことを他のところで言っても相手にしてくれないがここでなら聞いてくれるという。もっと症状の軽い時から症状について語る場だったことが今の激しい症状の中で救いとなっている。主催する側としてもうれしいことだ。

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