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2014年3月 7日 (金)

生きづらさ・患者会

先日来の「生きづらさ」。複数の精神科医に話を伺った。一方は生きづらさの実態は経済的なことよりも、症状にあり、その中でも統合失調症の了解不能性にあるとおっしゃる。人との関係が築けないことが生きづらさの実体だというのだ。鬱のメランコリータイプは了解可能であるという。自分の規則にこだわり行き過ぎることだが、なぜそこにこだわるかが分かるという。分からないのは統合失調症だという。核の部分でのこだわりが人からは理解できず、人との交通関係を阻害すると。疎外でもいい。疎外の核が了解不能性にある。これだと救いはどこにあるのか。了解不能が実体だとしたら分かり合えることがないのではないか。救いは差別を乗り越えようと努力する人たちが了解不能な部分があっても了解しようとすることか。

もう一方も似たようなことをおっしゃた。経済的なことで悩む人はいる。しかしそれは症状が比較的軽い人。そういう人もたくさんいるので、差別をなくそうとする努力は必要なこと。経済的な差別も含まれる。しかし症状の重い人は症状そのもので悩み経済的なことまで思い至らないという。症状の実体は何かという話までは至らなかったが、それは前のドクターと共通するのであろう。

私は主に差別が生きづらくさせるという論理で考えていた。しかし症状そのもので生きづらいとすると論理構造を変える必要がある。確かに私も症状そのもので生きづらいという時期が長くあった。不眠症がひどかった時期が長くあったのだ。私の不眠症はどんなにきつい薬を飲んでも72時間眠れなかったことがあるなどひどいものだった。きつい薬でフラフラになりながら昼夜逆転で暮らしていた。眠れないから日中もイライラしていた。結婚してからも妻に当たり散らしたりしていた。漢方薬が劇的に効果があって不眠は薬で眠れるまでに改善している。一時は薬なしでも眠れていたほどだ。こういうのを回復者と言うのだろうか。回復者という言葉には「病者」差別の響きがあるし、薬を飲み続けているのだから立派な「病者」なのだが。しかし薬を飲んでいれば薬の副作用で苦しいのを除けば日中起きて夜寝るという生活が成立している。それ以外には症状としてやたら怒りっぽいというのも薬で抑えられている。たまに薬を飲み忘れているとイライラしてくるので症状が消えたわけではなく薬で抑えているのだとわかる。薬の副作用でやたら喉が渇く。1日10リッターくらい水分を取る。腎臓の数値は悪くないので水中毒で治療が必要と言うわけではないが、喉の渇きを抑える薬を飲んだら、やたらと怒りっぽくなり元の薬の作用そのものを消してしまうことが分かり、止めた。

私も不眠症で苦しんでいた時期には確かに経済的なことでは悩まなかった。昼間喫茶店で涼みながら書き物をしていて、小さな紙片にメモをしているものだから店員に怪しまれ、明らかに「病者」に対する対応をされていたのだが、それは後で気が付いたことであり、その当時は気にならないほど症状の方が重かった。差別には傷ついていたが、怒りよりは諦めが支配していた。自死衝動があったのもこのころだ。

このような時期に医者以外の誰が救いになりうるのだろうか?私は孤独な時期が長く、のちに患者会に入りそこのメンバーと結婚することで孤独からは抜け出せた。だからと言って症状は消えなかったし苦しいままだった。患者会や結婚が救いだったのは孤独の面であり、苦しみを少しでも共有するという立場の人に出会えたことだ。患者会だからいろいろな人がいて、皆がそういう立場だったわけではないが、リーダーが苦しい人の立場に立つべきだという考え方だった。今はその人と会うことはめったにないが、結婚を勧めてくれたのもその人だった。患者会が救いだとしたらそこに存在価値があるだろう。その人は職場や労働組合も差別的だから気を許してはならず糾弾の対象だという考えで、私もそれを共有した。行き過ぎて闘う労組の組合員にまで労組を糾弾すべきと言って、批判されたりしていたこともあった。私は闘う労組だからと言って気を許す気もなかったので批判に批判的だった。

今は私が患者会を主宰する立場だから「病者」本位を心掛けている。開き直りを勧めたいが、それは受け入れる立場に立たないと強制になっては良くないとも思う。私は開き直りで楽になった。不眠症でも人間としての価値に変わりはないと考えることが身に染みると、自死衝動はなくなったと思う。「病者」にとって楽な患者会を目指しているが、特定の思想を求めるものではない。開き直りも強いて求めているわけではない。来て楽になり、あるいは電話相談で楽になり、それで良いと思っている。

生きづらさの実体が症状にあるとしてもそのことで悩む必要はないこと、症状を症状として受け入れたら、少なくとも気が楽になり、悩みは少しは軽減すること。それができるのは患者会の役割ではないかと思う。役割があるとしたら社会的に価値があることだろう。

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