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2014年12月22日 (月)

「病者」の郷 岩倉村を歩いて

 2014年11月の半ば、北岩倉を訪ね昔の岩倉村だったところを歩いた。江戸時代から昭和の初期にかけて、「精神病者」が集う里だったところだ。もともとは眼病に効くという言い伝えのある大雲寺があり、それが精神病にも効くと言われるようになり「病者」が籠るようになったことから「病者」の里になった。古くは茶屋と呼ばれた宿屋や農家が町の「病者」を預かり暮らしていた。もっと古くから里子を預かる習慣があり、それが「病者」預かりにつながったと言われている。後には保養所と名乗り旧岩倉病院を中心とした医療圏を形成していた。医療は旧岩倉病院、日常暮らすのは保養所や農家というあり方だった。昭和の初期に一番多くの「病者」が暮らしていた。1945年に旧岩倉病院が陸軍に接収されて廃院になり、戦後1950年に精神衛生法ができるとそのような習慣はすたれていった。保養所の一つが岩倉病院を名乗り今の岩倉病院になった。また別の保養所が北山病院を名乗って今に至る。

 昭和の初期までそこに暮らす「病者」は村人から差別を受けなかったと言われている。このことは「病者」と日常に接する人にとっては差別感情とは違う親近感を持った感情が生まれることを示すものとして興味深い。1920年代に鉄道が通るなどして町との交通が容易になると、岩倉村全体が差別の対象であることを村人が知るようになり、そこから「病者」を嫌うようになったと言われている。後に今の岩倉病院が病院の外に作業所を作ろうとすると大きな反対運動が起きたそうだ。

思ったよりも狭い地域だった。直前に、たまたま妻が知り合いになった岩倉の住民から地図などを送っていただいたので、詳しくはどこにあるかわからなかったいわれのある閼伽井堂(あかいどう)などの場所が分かったのは幸いだった。

最初に今の岩倉病院を訪ね、新築の診察棟の3階にある喫茶室から紅葉を眺めた。地図を送っていただいた方が一般の人も入れて景色がいいと教えてくれていた。ちょうど正面に比叡山があり紅葉がきれいだった。紅い紅葉が見られない今季だったが、里の方に一本紅い木があった。外の客が入ってもいいことになっているが、他の客はとみると入院者を訪ねてきたらしい老夫婦、一見して「病者」らしい人など5~6人の病院関係者だった。この棟は新築されたばかりのようで、外観も内装もきれいだった。外来を重視していると言いたいのだろうか。入院病棟は道を挟んで隣接しているが少し古く見えた。30年ぐらい前に友人が入院したので見舞いに来たことがあるが、通路から丸見えの畳敷きの8人部屋で布団をビニールで覆い失禁対策をしていたのを思い出す。今は基準が変わっているからそのようなことはないであろう。喫茶で200円の紅茶を飲んだ後、あらかじめ聞いていた旧保養所跡などを見て回ることにした。

その前に、ちょうど紅葉の季節だったことがあり近くの実相院を見学した。徒歩1分のところにある。床紅葉(ゆかもみじ)といってピカピカに磨いた木の床に外の紅葉が写っていた。説明してくれたお坊さんはあと1週間後が一番きれいな時期だと言っていたが、床に写った様は見るに十分紅葉していた。小さな庭などを見て後にした。

近くにある建物が保養所跡らしかった。跡と書いたが厳密に言うと今はどう使われているのかはよく知らない。ひょっとすると今も保養所として使われているのだろうか。木造二階建てで古い民宿風の建物だ。同じ作りの小さな部屋が並んでいるらしいことが見て取れた。もう一軒保養所跡を教えてもらっていたがそちらは塀などで建物は見えず、この公園の建物でだいたいどのような様子だったのかが分かったのは良かった。保養所跡の前で保養所の話はするなと言われていた。微妙な感情があるのであろう。

公園の北に今の大雲寺があった。写真で見ていたが一見して寺とは見えない変哲のない建物だった。江戸期には大雲寺はもっと大きな勢力を持っていて実相院もその一部にしていたそうだ。明治維新で勢力が大きく削がれた。そこから西に行く道を北山病院の方へ少し歩くと閼伽井堂がある。どんどん行くと北山病院の敷地に入っていくのではないかと思えたが、少し抜けたところに不動の滝があった。二本の滝が落ちており昔はそこで滝修業をしたらしい。滝と言っても細いもので水道水を普通より少し多めに出している程度のものだった。苔の生えた石造りの構造物で二本の水の道が少し出ている。その奥に閼伽井堂があった。精神病に効くと言われ昔「病者」が祈りを込めて飲んだという井戸があり、そこから引いた水の道があって井戸水が出ていた。今でもこの水を飲む人がいるのであろう。閼伽井堂の井戸の上には竹でできた大きな蓋いがかけてあり直接井戸の中を見ることはできない。その手前には大きな菊の花を生けた小さな壺が二つ置いてあり、その周りにはペットボトルのお茶や、お菓子が供えてあった。今でも詣でる人が多いのであろうことを想像させた。

この地を訪ねることはだいぶん前から予定していたのだが、その間に古くからの友人が自殺して亡くなったことがあり、妻と共にその友のことを考えながら歩いた。地図を送ってくれた方が亡くなった友人と同姓なのも何かの縁を感じた。京阪電車の終点から叡山電鉄に乗り換え岩倉駅から少し歩きバスに乗ったのだが、岩倉駅からそのまま歩いてでも行ける距離にある。昔は農村だったのだろうが今は住宅も多い。季節がら実相院目当ての観光客や観光バスで混雑していたが普段ならもっと静かなところなのだろう。ちょうど紅葉の季節で山は色づいており、少しの遠出であったが程よい疲れがあった。亡くなった友人のことで、もしこのような地域が全国的にあり差別のない社会であったらどうだったろうかと考えた。もっと違う結果になっただろうと想像されるのだ。

「病者」の里とはどのようなところか見たくて行ったのだが、二つの精神科病院を挟んで広がる一帯が、昔は「病者」を差別しない人たちが暮らしていた場所だということが何か懐かしさを感じさせるものだった。精神科病院と観光地が徒歩1分の距離にあるのも興味深かった。短い訪問時間だったが、もう少し広い範囲が旧岩倉村なのであろう。地図にはもう少し広く載っていたがそこは歩かなかった。昔、「病者」が自由に歩き回っていたのはもっと広いのだろうなと思いながら歩いてみて、「病者」差別のない社会に思いを馳せるひと時だった。                    (2014.12.12記)

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