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2017年1月

2017年1月26日 (木)

革命と「精神病者」

イタリア精神医療改革

 

イタリアで、「精神病者」を解放した改革の実践者たちである精神科医バザリアとその弟子たちは、本質的にも実態的にもパリ5月革命を継承した人たちでした。彼らは精神医療の改革者にならなければテロリストになっていただろうと言われています。バザリアはサルトルの弟子を自称していました。当時イタリアには「赤い旅団」がいて首相暗殺などで暗躍していました。68年が生み出した膨大な革命者群のなかから、バザリアの改革に人生をかけた人たちが生まれたのです。

バザリア改革とはイタリアのトリエステ県から始めてイタリア全土で精神病院を廃止した闘いです。1978年のバザリア法で当時日本と同じように極めて拘禁的・拘束的だった精神病院が廃止されていきました。当時の日本では精神病院の建設ラッシュで全盛期を迎えるのと対照的です。

ただ、映画や本、イタリアからきた講演者などで紹介されているイタリアの精神医療改革の中では、「病者」は解放される客体と位置付けられていて、自己解放の主体だったのかという疑問がつきまといます。「精神病院はいらない」という本の中に出てくるのですが、私と同じ疑問を持った「病者」が日本で講演したイタリア人にその質問をしています。答えは「イタリアでは日本と違って、医療者と『病者』が対峙する必要がなかった。敵対的関係ではなかった」というようなものでした。しかしそれは本当でしょうか。イタリアでも精神医療は「病者」を「健常者」中心の社会の型にはめようとしているのではないでしょうか。(「ともに生きる№7」でフーコーの言葉を引用したように。)「病者」の自己解放は必要だったのではないでしょうか。それはイタリアでも「病者」自身によって創られ語られるべきことではないのでしょうか。

そういう疑問はあるのですが、バザリア改革を描いた映画「むかしmattoの街があった」の中で、バザリアが院長として赴任した精神病院で拘束衣と鎖で縛られた「病者」を解放していく過程で、「病者」が自己解放に目覚めていく描写は感動的でした。私が長い人生で映画を観て2度目に感じた感動でした。パリ5月革命の思想がそこには見えました。自己解放という言葉が浮かびました。私が人生をかけてきた人間解放の思想が、この改革の中にあると思えました。それは映像による感動ではなく、描かれた事実による感動でした。

バザリア改革は1970年代的だと書いている「病者」活動家もいて、過去の遺物だという意味なのかもしれません。68年革命が残した達成物ではあるのでしょう。前述のようにフーコーの言う新たな目に見えない鎖でつないだだけではないのかという疑問に、ぜひとも答えてほしいと思います。自己解放という契機をどう内包しているのか、解放の主体としての「精神病者」自らの言葉があるのでしょうか。

 

日本での「病者」解放と抑圧者

 

日本の「精神病者」は、まず抑圧者と闘わないといけません。精神医療は抑圧装置であることを「ともに生きる№7」で書きました。自己解放の組織はずの「反スターリン主義革命的共産主義の党」である革共同全国委が抑圧者になってきたことを「ともに生きる№8」で書きました。「精神病者」にとっては、医療者は抑圧者です。医療者は「病者」解放のために人生をかけるのでなければ、抑圧者たる自己を乗り越えられないと思います。党は抑圧しないことを絶えず意識してかからねばなりません。過去、自己解放を歪め、抑圧してきたのが「レーニン主義の党」でした。

私は、目指すべきはパリ・コミューンだと思っています。パリ5月革命も日大全共闘も私は理想としてきました。ロシア革命も当初は解放ですが、その内に抑圧装置を内包していました。革共同の差別的腐敗「指導部」だった武山=岩本を擁護していた元県委員長は「レーニン主義まで否定しなければならないのか」と総括不能になったという話を聞いたことがあります。「レーニンの言葉通りに実践するのがレーニン主義だ」とする訓詁学でやっていたのが革共同全国委でした。「レーニンを疑う」ことは当然です。「レーニンは正しかったがスターリンが歪めた」というのが革共同全国委のテーゼですが、レーニンの中に「歪み」は内包されていなかったのでしょうか。   

 

マルクスを否定すべきか

 

かつて私が支持していた革共同全国委の官僚主義は、全共闘の平等主義・自由主義の対極にあったものだと思います。革共同全国委では「自然発生性への拝跪・自由分散主義」を否定するというのが合言葉になっていました。労働者民衆が自由に革命運動を進めたら必ず敗北するから、組織的系統だった「党」が指令をする必要があるという思想です。やがてそれは、官僚主義、命令主義、軍令主義という疎外体となっていきました。

その後、革共同再建協議会が生まれ、ここは、党内民主主義を大事にしています。

スターリンや、革共同全国委のような官僚制的疎外体を生んだのがマルクス主義のレーニン的な解釈、またはレーニン主義の特殊的解釈だったのだとしたら、解釈の問題であり、マルクスによる全人間の解放の思想までを否定しなくてもいいのではないかという考えが浮かびます。レーニン主義の中に共産主義を歪める要素があるのだとしたら、マルクス主義にまだ赤光はあるのではないでしょうか。マルクスに戻り、そこからレーニンの中の革命的要素を引き出すことなのではないでしょうか。

 

パリ・コミューンを否定できるか

 

マルクスの時代の労働者革命であったのがパリ・コミューンです。これは否定しがたいでしょう。フランス史学者の柴田三千雄は、パリ・コミューンの理想は1968年五月革命で復権されたと書いています。「公務員の選挙とリコール制、政治警察と常備軍の廃止、労働者による仕事場の自主管理などのコミューンのプログラムは、一時の解放感に浸った民衆の願望を集約したものであり、実行する時間もないユートピアに終わった。このリベルテール(絶対自由主義)政治文化は、約一世紀後の『五月革命』に蘇生することになる。」(フランス史10講)

パリ・コミューンがどんな社会だったかはよく知らなくても、私の世代なら五月革命は知っています。世代が違えば知らないかもしれませんが、追体験はできます。

ちなみに、パリ・コミューンのことを知るには、柴田三千雄の「パリ・コミューン」(中公新書)が一番よく、次にアンリ・ルフェーブルの「パリ・コミューン」(岩波文庫)だと思います。これらを読めばパリ・コミューンがどんな革命・社会であったのか分かると思います。

直接民主主義を原理とし、代表を選ぶ時も「議員」ではなくいつでも解任できる「受任者」であったこと。官吏もいつでも解任できて、官僚主義を排したこと。上意下達と下意上達が組み合わされて、上から下への一方通行ではなかったことなどの制度的保障により、民主主義と平等な社会を実現しえたことなどが分かります。

なお、「レーニン主義の党」である革共同全国委でも「受任者網」というのがありましたが、これは上意下達のために上から下に向けて組織されたもので、パリ・コミューンの受任者が下から組織されていたことの真逆です。

 

パリ・コミューンの「可能性」

 

 マルクスは、パリ・コミューンが反動派のヴェルサイユを攻撃するのがもっと早ければ勝利した可能性があると書いています。また国民衛兵中央委員会がコミューンに権力を渡すのが早すぎたとも書いています。またアンリ・ルフェーブルはパリ・コミューンがフランス中央銀行を接収していれば情勢は変わっていたはずだと書いています。

私たちは、パリ・コミューンが勝利した世界を想像することができるのです。もちろん「たら・れば」や空想では何も生まないし、トロツキーのように、パリ・コミューンにマルクス主義の強力な党がなかったことに、その敗北の原因を求めることも、自分を正当とする議論にすぎません。

 しかし、今の帝国主義世界体制に対して、もう一つの可能性を対置することはできるのです。スターリン主義とも違う社会主義・共産主義というもう一つの社会の可能性です。その理想が、68年五月革命で再現されたように、現代にその理想を再現することができないといったい誰が言えるでしょうか。

 五月革命が矛盾を持っていたようにパリ・コミューンも矛盾を持っていました。プロレタリアートの権力の集中か、地域のコミューンの連合かという社会構成の根本問題など対立がありました。しかしそれはプロレタリアの民主主義によって解決されたに違いないのです。

 

対抗文化

 

対抗文化運動の一つとして資本主義を否定しながら、「共産主義も否定する」というものが流行っています。その一つとして、「富裕者課税論」という「税制を変えて、富裕者から税をより多く取ることによって、公正な税制にする」というものがあります。この世界には、貧困を是正するのに十分な富は既に存在しており、不公正な分配が問題なのだという考え方です。十分な富があるという発想は正しいし、過渡期にはそういう、不公正税制の是正は有効だと思います。でもそういう税制を可能にするためにも、資本家の権力を侵害する革命が必要なのではないでしょうか。

革命を、選挙を通じて実現するか、実力闘争の発展上に展望するかは、おそらく両方なのでしょう。アメリカにおける民主党大統領候補選挙でのサンダース氏の大躍進は選挙による社会民主主義革命という可能性を示したものでした。あくまで「社会民主主義」ですが。代表選敗北後もサンダース氏が様々な分野で活躍していることは、次の選挙での勝利の可能性を示しており、選挙を通じた社会民主主義革命の現実性を示しています。いずれにせよ革命の必要性と現実性は否定しがたいでしょう。

私たちには「レーニン主義」(レーニンの言質の訓詁学=革共同全国委的解釈)を否定しても共産主義を否定しない、パリ・コミューンという実物があるのです。コミューン原則に則った共産主義運動、革命党、というものがあり得るのではないかと思います。徹底した党内民主主義を原則とした革命党というものを実現できたら、次の革命という現実性を開くことができます。革共同再建協にはその責任があります。

グラムシが言うように陣地戦と機動戦の組み合わせがこれからの革命運動には必要だと思います。機動戦の空論的追求ではなく、着実に陣地を築いていくことが、今求められることでしょう。資本家階級を打倒し、差別と抑圧のない社会へ。それは一国に留まるものではないでしょうし、国境を越えた資本家への侵害でなければならないでしょう。アメリカ帝国主義との対決にならざるを得ないし、アメリカの労働者との連帯をめざすものでなければなりません。サンダース氏の前進は、アメリカ帝国主義の打倒の社会主義革命の現実的展望を開きました。

目指すところは大きいですが、現実の闘いは小さな私たちがより多くのしょうがい者・労働者民衆と結びつき一緒になって革命を目指すものでなければならないでしょう。小さなことからコツコツと陣地を築き、拡大していく闘い方です。

 

現代のパリ・コミューン=三里塚闘争

 

今年50年を迎えた成田空港反対の農民闘争である三里塚闘争は「パリ・コミューン」をめざす、真の意味での対抗文化なのではないでしょうか。我田引水ではないということを次の二人の言葉で示したいと思います。

「パリ・コミューンは72日だったが、三里塚はもう13年、農民は闘いながら見事に生きぬいている。日本をよくできるのは三里塚だ。」1978年 歴史学者・羽仁五郎

「1970年前後の全共闘運動は、革命の向こうのプログラムという点であいまいでしたが、ともかく変革、つまり断ち切ることを熱望するものだった。精神の課題としてはっきりした運動だったと思います。しかもその断ち切るという方向づけの運動が、今なお続いているという実例があります。僕としては記録を読むのみですが、三里塚、つまり成田空港建設反対闘争です。農民たちの連続性の運動から、変革を考えることのヒントが見え始めている。断ち切るというエモーショナルな運動が、歴史の連続性の中で形をとってくる。そういうところに農民的な生産性が浮かび上がってきています。」1995年1月1日朝日新聞、作家大江健三郎

パリ・コミューンが5月革命に続いたように、5月革命は国境を越えて全共闘に地続きでした。全共闘が求めた「革命」すなわち「断ち切ること」は、場所を変えて三里塚で永続しています。すなわち、「資本主義が農民の犠牲の上でしか延命できないなら、資本主義こそ死ぬべきだ」という思想です。そしてまたそれは「資本主義社会は死ぬべきだ」ということを示す実物として、資本家権力と実力で対決する中で、永続しているのです。パリ・コミューンによって始まった世界革命過程は、永続する革命として、ロシア革命、パリ5月革命、学生反乱、全共闘へと引き継がれ、今日、三里塚に陣地として永続していると言えないでしょうか。

沖縄の辺野古、高江の闘いも、三里塚闘争的発展を恐れていては勝利の展望があるでしょうか。辺野古の闘いは「沖縄コミューン」を展望したものとして、民衆の自治権要求として発展するでしょう。ポストコロニアルの脈絡において、その展望は開けるのではないでしょうか。

革命の現場はしょうがい者・労働者の自由を実現する小さな闘いの積み重ねです。大言壮語や、大局だけを追い求めても、小さな現場の積み重ねがなければ空疎です。人の繫がり、陣地を徐々に拡大させる中で、その一挙的拡大の展望も見えることでしょう。機動戦ばかりを追求し「政治的大言壮語」だけを追い求めることの弊害を私たちは、革共同全国委の中に見てきました。これからの革命運動はその轍を踏んではならないと思います。三里塚に「革命的武装闘争」の過去をノスタルジアするだけの革共同全国委には、三里塚闘争を勝利に向かって解き開く能力もありません。

コミューン原則に則り、パリ・コミューンの敗因を乗り越えるプロレタリア革命運動と、それと結びついたしょうがい者解放運動の陣地の拡大を追及していきたいと思います。

私が高校生解放運動を闘って以来、目指したのは抑圧のない社会です。自由を求める闘い、真の革命は、日々、昨日の自分を乗り越え、今日、自分を縛るものを脱ぎ捨てる過程であり、能動的な実存の革命でもあると思います。見えない鎖と拘束衣を断ち切る日々の積み重ねです。「私たち抜きに私たちのことを決めるな」というしょうがい者の原則は、主体の決起抜きには何も始まらないという原理を示す、極めて能動的な現代における革命運動の原理でもあると思います。

 

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2017年1月24日 (火)

革命と「精神病者」

(ファノン、パリ・コミューン)

「ともに生きる№8」で提起したこと     

16年2月に発行した「ともに生きる№8」は一部に衝撃を与えました。私の周りでは「かつて行われていた『黒ミサ』のような会議」に対する告発など、革共同(革命的共産主義者同盟:通称・中核派)メンバーが「自我を崩壊から守るために発病した」過程が語られました。いま私は革共同全国委員会とは袂を分かって、革共同再建協議会を支持しています。私とは直接の応答関係にない革共同メンバーの「病者」が全国委にも再建協にもいることを思うと、そういう「歪んだ党から自我を守るために発病した党員」はもっと多いことでしょう。

一方で、かつて「指導的」立場にあった人からの応答は実に少なかったのです。「病者」戦線の指導部だった人が、私を呼び出して「逃亡した武山=岩本(私を発病させた張本人)のことは、逃亡した以上党に関係ない」と告げたということがあったのみです。私は「武山=岩本の責任を取ること」を要求したのではなく、振り返って指導部であった自己の在り様はどうだったのかということを問題にしたかったのですが理解されなかったようでした。

「ともに生きる№8」で問題にした当時の指導部からは何の応答もありません。

 

「発病するのは個人の思想問題だ」という思想

 

かつて革共同全国委の「障害者」戦線指導部は、多くの「健常者」である指導部同様に「発病するのは本人に思想問題があるからだ」という立場をとっていました。この「革命運動は自己解放だからその中で精神病は解決する。革命党員である個人が精神病になるのはその人に思想的誤りがあるからだ」という立場は、「革命党」は絶対的に正しいという立場です。歴史的に革共同全国委は自己に歪みがあるのではないかと自己総括することは決してありませんでした。

これを、自らも「病者」である「指導部」が言う時、その内面は一体どうなっていたのでしょうか。「自らに思想的誤りがある」と総括していたのでしょうか。

革共同は「レーニンがいつどう言った」というような訓詁学をレーニン主義党組織論として採用したことを、どう総括するのでしょうか。

当時の「指導部」の立場は、革命家の精神科医の言葉にも表れていました。すなわち「精神科医であり革命家だったフランツ・ファノンがアルジェリア革命の中で精神病は解決していったと書いている。革命運動は『精神病者』を解放する」というテーゼです。私がその革命家の精神科医に出会った初期に聞いた言葉でした。おそらく彼はファノンの中に希望を込めて読んだのでしょう。しかし、その「アドバイス」には党自体が不可逆なまでに歪んでいるというとらえ返しはありませんでした。だから振り返って革共同を問うことはなかったのです。当時は私自身が「党を問う」ことをしていませんでしたから、彼の言葉をそのままに信じていました。今ではその精神科医とは信頼関係を築いていますが、それは一段階を経た後の話です。

 

フランツ・ファノン

 

ファノンは1950年代から60年代に活躍したフランス植民地生まれのアフリカ系黒人で、第2次世界大戦では自由フランス軍で闘いました。精神科医となり、アルジェリアで精神病院医師の職に就き、アルジェリア民族解放革命の戦士になりました。正体がばれて精神科病院を辞めざるを得なくなり、独立運動の専従革命家、思想的指導者となりましたが、白血病のためにアルジェリア独立を待たずに死に、今のアルジェリアにはその思想は残っていません。4部作の著作が翻訳されています。

問題になるのはファノンが実際にはどう書いていたのかです。ファノンの4部作を読みました。「時代の大変革期・激動期に精神病が減るという月並みな確認」あるいは「植民地性の精神病は植民地革命の中で減った」ということは確かに書いています。それは事実だったのでしょうし、大いに想像できることです。植民地主義を原因とする疎外はなくなっていったのであり、その疎外を原因とした発病が減るのは当たり前のことに思えます。このことに意味があるのは、精神病が遺伝などではなく社会的関係性の中で発病するという事実を示していることです。また「資本主義の打倒の中で資本主義的抑圧を原因とした精神病の発病は減る」という一般的テーゼは成立するでしょう。

だがファノンは同時に、「植民地解放戦争性の精神病」が多発したという重要な事実を書いています。それは、植民地解放戦争の戦士に対して加えられた拷問や性的暴行や、戦争下の抑圧、正義の戦闘そのものなどが原因となったものであり、革命戦士にも、拷問をくわえた側のフランス人抑圧者にも表れた新しいタイプの精神病でした。拷問や性的暴行を受けた革命戦士はもとより、このような非人間的仕打ちを行うコロン(植民者)や兵隊であるフランス人青年にも精神病の発病が見られました。

前述の革命家の精神科医が閉塞的な日本の精神医療の中で、ファノンに希望を見出すことは必然だったかもしれません。しかしこの一面的理解のために、当時の革共同「指導部」を正当化し、次々に生み出される発病者を新たに抑圧する役割を期待される側の、一つの抑圧装置となっていたのではないかとも思えるのです。党の抑圧は多くの「病者」メンバーを生んだし、彼らを党の外に追いやることで「解決して」きました。与田という革共同全国委政治局員(関西地方委員会議長)だった腐敗分子らによって、党内にとどまった「病者」メンバーを監視し抑圧する新たな「装置」として精神科医は役割を期待されたのではないでしょうか。革命的精神科医が「病者」解放の機関となるには、今一つの飛躍が必要だったはずです。

ファノンの時代に党が抑圧者となって精神病が生まれたという事実は紹介されていません。それは「レーニン主義の党」という新たな抑圧装置の問題が発生する中で生まれた精神病だったかもしれません。ファノンの時代のアルジェリアでも民族解放戦争主体の歪みもあったのかもしれませんがそれはファノンによっては捉えられていません。ファノンが書いた本の中では、民族解放戦争は楽天的なまでに抑圧のない自己解放的なものです。

 

「病者」自己解放の思想

 

「ともに生きる№7」で書きましたが、「『精神病者』自己解放」という思想は党の外で生まれました。故・吉田おさみ氏、NS氏らによって作られていった初期の全国「病者」解放運動を、新左翼諸党派は取り込もうとし、介入を試み自己の党の中の戦線構築を行いました。

私が1973年頃、革共同に出会った時には、革共同にはしょうがい者解放の戦線があり、後に私が発病する頃には「病者」の戦線がありました。前者は、創始者が対カクマル戦の過程で離脱していました。後者は、党員の「病者」を管理する意味合いを多く持ち、戦線を持っているということで自党の発言を正当化する目的で組織されたもののようでした。

しかし、それが一つの戦線を形成したことを通して「病者」自己解放の思想は革共同内の「病者」戦線に取り込まれていきました。「病者」が自己解放主体として自己確立する過程がありました。それは「病者」解放運動の先達に学ぶ中から生まれていった思想であり、革共同の内部に学ぶべきことは存在しませんでした。「ともに生きる№7」で紹介したように、私たちは吉田おさみ氏、NS氏らの思想と格闘しながら成長していきました。

革共同としては「管理機関」のつもりで作ったかもしれませんが、党内しょうがい者戦線は「ニワトリからアヒルへ」の飛躍を成し遂げたのです。

 

パリ・コミューンとパリ5月革命

 

「ともに生きる№8」では、自己解放が花開いた闘いとして、1871年3月から5月のパリ・コミューンと、1968年パリ5月革命を取り上げました。その自己解放性、ロシア革命当初の自己解放と、「レーニン主義の党」の抑圧性を革共同は総括すべきだと思います。革共同の「総括しない主義」は「レーニン主義党組織論」を総括しない中に典型的に表れています。過去の総括をしないでは誰からも信用されないことを自覚すべきです。

パリ5月革命を称揚し、日本では加藤登紀子が歌った「美しき5月のパリ」の替え歌が沖縄平和運動センター議長の山城博治氏によって作られて辺野古や高江の前線で歌われ、また同じ歌の別の替え歌が全国「精神病」者集団のYM氏によって作られて、しょうがい者解放運動の中で歌われています。5月革命の自己解放性が捉えられているからではないでしょうか。「レーニン主義」といわれるものが歪めたマルクスの考えた世界観を再評価することにつながるかもしれません。

ジョン・レノンの「イマジン」やパリ・コミューンの理想の中に、共産主義の将来の社会を見るのは、あながち間違った見方ではないと思えます。

 

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2017年1月 4日 (水)

新たな大政翼賛会作り=「地域力強化検討会」

「地域力強化検討会」=新たな「隣組」

 

161226日、厚労省の「地域における住民主体の課題解決力強化・相談支援体制の在り方に関する検討会(地域力強化検討会)」の「中間とりまとめ」が、27日には第1回から第3回の会議議事録が公開されました。

関西では「先進的な福祉」を実践していることで知られる豊中市の専門職も委員に出ています。全国各地から「先進的な取り組み」をしている自治体などが集められたようです。

「ニッポン一億総活躍プラン」(16年6月2日閣議決定)と「コミュニティソーシャルワーク」や「地域包括ケアシステム」「断らない福祉」「制度の隙間・谷間(を埋める)」「地域福祉」「包括的支援体制」「どんな町に住みたいか」をどうつなげていくかというのが国の問題意識のようです。

検討会の議論を読むと、住民自治の活性化をどう実現するかという議論がされています。一見すると、そう反対しなくてもいいことのようにも見えます。

しかしちょっと待ってほしい。国は社会保障全般を削減する方向を示しています。その中で、介護保険の要介護1。2や要支援切りをしたり、精神保健福祉法の改悪で精神医療を治安の道具にしたりという政策をやろうとしているわけです。「重度かつ慢性」の12万床の問題もあります。また、年金、生活保護の削減を進めています。

いくら自治体や役人が善意で住民主体の活性化を引き出そうとしても、国のやろうとしている方向性に棹差すのです。国の進める流れに流されるしかない。相模原事件を利用した新たな「T4作戦」の準備との一体性はないのでしょうか。

介護保険の要支援、要介護1、2切りと住民参加の方向性の関係は言うまでもありません。介護保険で国が手を引く代わりを住民が担わされるのです。「元気な高齢者などが担い手として活動する場の確保」「互助:費用負担が制度的に保障されていないボランティアなどの支援、地域住民の取組み」などと言われています。(15・5・19厚生労働省老健局「介護予防・日常生活支援総合事業と 生活支援体制整備事業について」)。従来の「自助、共助、公助」という言い方に加えて「互助」という新たな考え方を持ち込んでいます。福祉切り捨てのための都合のいい言葉です。旧来から存在する互助組織を体制内に取り込もうとしているのです。

精神医療を治安の道具とすることではどうでしょうか。「兵庫方式」では、ピア・サポーター(精神しょうがい者が入院中の別の精神しょうがい者に働きかけて、退院促進などをするもの)の動員が既に路線化されています。兵庫では行政は「兵庫方式」は「対象者のためにおせっかいを焼く」だけであり「監視や強制ではない」と強調しています。しかし精福法改悪で、患者が監視を拒否できないようになったらどうでしょうか。ピア・サポーターが監視と強制に動員されてしまう訳です。しかもこの場合のピア・サポーターには賃金が支払われるわけで「カポ」化することになります。「カポ」とはナチスによるユダヤ人強制収容所で、ちょっといい目を見ようと親衛隊の手先となったユダヤ人のことです。日本の初期の「病者」解放運動は「カポにはならない」ことを肝に銘じてきました。今その真価が問われています。

「重度かつ慢性」の場合はどうでしょうか。この12万人は「地域生活をしない」ことが前提化されているわけで、この場合もピアは8万人だけを対象とした活動しかできません。「カポ」化です。

 

大政翼賛会の末端組織

 

「一億総活躍」に動員されること自体が「カポ」化です。「向こう三軒両隣」という「隣組」が、日本帝国主義の中国・朝鮮への侵略戦争と第2次世界大戦を可能にした住民支配装置でした。物資不足への不満がある中で、住民同士を相互監視させ、反体制思想を持つ者や「お上に逆らう」者を「村八分」にすることで社会の抑圧装置になるものとして考え出されたものでした。江戸時代からの住民自治組織を改編したとも言われています。大政翼賛会の末端組織が「隣組」でした。安倍政権の「一億総活躍社会」は戦争を可能にする国内体制を作ることを目的にしています。福祉切り捨ての中で、不満が表面化しないように、「非国民」をあぶり出し「村八分」にする支配装置作りに乗り出したのが「地域力強化検討会」「中間とりまとめ」の一面ではないでしょうか。

「検討会・中間とりまとめ」が従来の地方自治組織と隔絶するものとして目指していることは何でしょうか。この検討会の言いたいことは、住民は「される側にいるな、する側に回れ」ということではないでしょうか。

だからしょうがい者福祉も意味が変わります。しょうがい者は福祉の受益者ではなく、福祉をする側に回れと。ピア・サポーターとしての動員等をしたいのでしょう。受益者としての面はどんどん削られていくわけですが、(例えば生活保護の障害者加算削減とか)、だからこそ「助け合い」の「隣組」に組織していくわけです。

これからの支配階級・国家には「福祉国家」を実現する力はなくなっています。選挙で不利になると分かっていながら年金を削減するしかないところに追い込まれています。高齢者介護からも「軽度者切り」という方向で手を引こうとしています。そこで「隣組」の「互助会」的側面が必要になっているのではないでしょうか。

福祉削減を行う監視装置としての「向こう三軒両隣」の「隣組」ができてしまわないように、決して軽視してはならないと思います。

 

「中間とりまとめ」を具体的に見る

 

 1226日に公開された、厚労省の「地域力強化検討会」「中間とりまとめ」を具体的に見て行きたいと思います。

そもそもの出発点である「ニッポン一億総活躍プラン」ではどういうことが閣議決定されたのでしょうか。「(地域共生社会の実現)子供・高齢者・障害者など全ての人々が地域、暮らし、生きがいを共に創り、高め合うことができる『地域共生社会』を実現する。このため、支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成し、福祉などの地域の公的サービスと協働して助け合いながら暮らすことのできる仕組みを構築する。また、寄附文化を醸成し、NPOとの連携や民間資金の活用を図る」と、その意図が「住民に役割を持たせ」「助け合わせる」ことであるとされています。

日本の資本家階級の新自由主義的支配が、もはや「ケインズ主義」時代のように「福祉国家化」することで被支配階級を慰撫して支配者として認めてもらおうとする力をなくし、剝き出しの力の支配を行うとともに、「住民の助け合い」を上から組織しようとしているのです。

さらに、「(具体的な施策)育児、介護、障害、貧困、さらには育児と介護に同時に直面する家庭など、世帯全体の複合化・複雑化した課題を受け止める、市町村における総合的な相談支援体制作りを進め、2020年~2025年を目途に全国展開を図る」と介護としょうがい、育児等における「助け合い」の「相談支援体制」を一体で、20年から25年までに全国展開するとされています、

 「中間とりまとめ」では「「具体的には、社会福祉法第4条(地域福祉の推進)では、『福祉サービスを必要とする地域住民』について、~介護、子育て、障害、病気等にとどまらず、住まい、就労を含む役割の場の確保、家計、教育、そして孤立などにまで及ぶ。それらの人たちは、あらゆる分野の活動に『参加する』だけではなく、『日本一億総活躍プラン』にあるとおり、『支え手側と受け手側に分かれるのではなく、地域のあらゆる住民が役割を持ち、支え合いながら、自分らしく活躍できる地域コミュニティを育成』する主体であるべきである」とされています。「一億総活躍」の対象が、子育て、しょうがい者、介護、病気にとどまらず、貧困や教育など生活の多くの分野に及ぶこと。それらを一体化させ、そこに住民を動員し、「支え合う地域コミュニティ化する」ことが狙いだとしています。しょうがい者も自分は「受け手」だと思うなという訳です。

「自治体は、(具体的な)体制をつくっていくことに、最終的な責任を持つとともに、地域の実情に応じた体制をつくるために関係者との間で必要な機能について共通認識を持てるような働きかけをすることが必要である」と従来福祉の担い手であった国や自治体は一歩引き、「体制づくり」へと、その役割を後退させます。

 「国においては、『我が事・丸ごと』を、平成29年の介護保険制度の改正以降の一連の福祉の制度改革を貫く基本コンセプトに位置づける、との考え方のもと、必要な措置を順次、早急に講じるべきである」と介護保険制度改悪の方向の延長に国の役割はあると、責任放棄を明確にしています。また「国においては、(具体的な)内容について、『地域で自由に決める』ことを強調し、自治体に委ねてしまうのではなく、なぜそのような機能が必要なのか、各自治体で丁寧に話し合うような支援をしていくことが必要である」と国が首根っこを押さえておくことを強調しています。国は福祉を実現する「プレイヤー」ではなく「アドバイザー」のようなものに変質してしまいます。

 では具体的な内容は何なのでしょうか。「『住民に身近な圏域』での『わがこと・丸ごと』=他人事を『わがこと』に変える働きかけをする機能」「福祉の領域だけではなく、商業・サービス業、工業、農林水産業、防犯・防災、環境、まちおこし、交通、都市計画なども含め、人・分野・世代を超えて、地域経済・社会全体の中で、『人』『もの』『お金』そして『思い』が循環し、相互に支える、支えられるという関係ができることが、地域共生社会の実現には不可欠である」と、社会の全分野にわたって「助け合い」が基本になるとしています。「自分や家族が暮らしたい地域を考える」「住民が主体的に地域課題を把握し解決を試みる体制づくり」などと「相互の支え合い」が新たな社会のイメージとして語られます。「元気な高齢者の力を生かした事業の展開や、各地で広がっている『こども食堂』もその一例ということができるかもしれない」と、既に住民が自発的に取り組んでいる「こども食堂」まで取り込もうと貪欲な意図を語ります。

「行政や専門機関は、そうした地域住民と連携り必要な後方支援をしていくことで、包括的な体制を作ってことが必要である」というのが行政の役割であるとされ、福祉の主体は行政ではなく、行政は「後方支援」に役割を限定します。これが一つの肝になっています。

「自治体が主導して単に有資格者を『配置する』という形ではなく、~自治体は支援する立場に回りつつ、地域で誰がその役割を担うのがふさわしいか、関係機関がどう連携してその機能を果たすのかなどを協議して決めていく過程が重要である。例えば、介護保険制度の地域支援事業における生活支援コーディネーターを活用し、活動の範囲を高齢者だけではなく、全ての世代の人を対象に拡大していくことも、方法の一つとして検討できる」と行政の役割「支援する立場」へと後退させるばかりではなく、介護保険を全世代に拡大する、すなわち、しょうがい者福祉や子育ても「保険化」してしまうという意図が語られます。既に高齢者福祉は「保険化」によって国や自治体の義務から外されています。育児も「保険化」が進んでいるといわれます。それをさらに進め、しょうがい者福祉も保険化する、すなわち国や自治体の義務ではなくすということです。

そればかりか「保険化」に留まらず、「助け合い」に転化してしまうのです。社協の役割が強調されています。「地域住民、福祉以外の分野に関わる団体や企業の幅広い活動につなげていくため、社会福祉協議会の役割は重要である。特に、ボランティアセンターは、ボランティアを通じたまちづくりのためのプラットフォームとなる『街づくりボランティアセンター』(仮称)へと機能を拡充させて、関係機関と協働していくことについて、検討する必要がある」と、「福祉の保険化」からさらに、「互助」によって住民が担い手になることを前提に、ボランティアの積極的活用を進めるといいます。これは、ボランティアを支配の道具に変えてしまうことであり、今のボランティアの原理であるボランタリズムを変質させます。現在、社協が果たしている役割を質的にも転換してしまうものです。

さらに「地域福祉計画は、社会福祉法では、策定は任意とされ~『我が事・丸ごと』の体制整備をすべての自治体で促進するためにも、任意から義務化するべきである」と社会福祉法の改悪によって体制整備すると、具体的プランが語られています。

私たちしょうがい者が恐れて阻止してきた、しょうがい者福祉と介護保険の統合がこのような形で準備され、子育ての保険化まで進められようとしているのです。単なる「保険化」にとどまらず、ボランティアの活用によって、「互助」に市民を動員することが狙われています。これはボランティアの質的転換です。

「ニッポン一億総活躍プラン」とはこういう具体的な攻撃であったことが明らかになりました。しょうがい者は早急に理論武装して、反撃の陣形を創る必要があると思います。

 

「住みたい町」「住みやすい町」

 

ところで、地域住民の活性化と「優しい町」「住みたい町」「住みやすい町」はどうしたら実現できるでしょうか。それは「一億総活躍プラン」という安倍政権を打倒することと一体です。パリ・コミューンの住民自治が理想の実物としてあります。すなわち、官吏は選挙で選ばれいつでも解任できること、議員は執行に責任を持ちいつでも解任できる「受任者」にとって変えること、労働者は職場の支配権を持つことなどを制度的保障として、下意上達と上意下達が組み合わされることによって、住民の自由闊達な自発性と主体性が保障されることです。

実際の「こども食堂」が、民衆の自発的互助組織として発展しているように、互助組織の社会的役割はあると思います。パレスチナの左派の宗教運動である「ハマス」が互助組織を基盤にして権力を掌握したような発展性を展望することができるかもしれません。ギリシャでは政府の破綻の中で政権をとった「急進左派連合」が互助会を組織して発展したということがあるそうです。私たちは、下からの民衆の互助会を積極的に推進する必要があるのでしょう。しかしそれはあくまで民衆の中から湧き上がってくる自主・自発的なコミューン的発展であって、「革命組織」による利用主義は排されなければなりません。コミューン的発展に従って「革命組織」は信頼を得るのであって、利用的関わりは百害あって一利なしです。私たちはこのことに厳しくなければなりません。

「地域力強化検討会」のように、支配階級が「互助会」を上から組織しようとすれば、自発性、民衆性はなくなります。支配階級が既存の「互助会」に介入し、支配の道具へと転換しようとしていることを許してはなりません。

 

相模原事件を利用した精神保健福祉法の改悪とこの「地域力強化検討会」は一体となって、片方で、精神保健福祉法を剥き出しの治安維持法として作り変え、その中で、精神しょうがい者を含む民衆を大政翼賛会の末端、治安維持の道具として動員するものです。私たちは「カポにならない」と強く決意した黎明期の「病者」解放運動にならい、新たな「T4作戦」の「カポ」として動員されることを拒否しよう。新たな大政翼賛会を作ろうとする、「ニッポン一億総活躍プラン」を許さず、「地域力強化検討会」路線に基づく、「隣組」作りの法・条例改悪を阻止しよう。

差別のない社会を作るのは私たち、精神しょうがい者自身の仕事です。しょうがい者政策の原則である「私たち抜きに私たちのことを決めるな」は、しょうがい者が能動的に働きかけること抜きには成立しえないのです。精福法改悪に反対する大きな流れを、精神しょうがい者民衆と一緒に創っていきましょう。

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