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2017年1月24日 (火)

革命と「精神病者」

(ファノン、パリ・コミューン)

「ともに生きる№8」で提起したこと     

16年2月に発行した「ともに生きる№8」は一部に衝撃を与えました。私の周りでは「かつて行われていた『黒ミサ』のような会議」に対する告発など、革共同(革命的共産主義者同盟:通称・中核派)メンバーが「自我を崩壊から守るために発病した」過程が語られました。いま私は革共同全国委員会とは袂を分かって、革共同再建協議会を支持しています。私とは直接の応答関係にない革共同メンバーの「病者」が全国委にも再建協にもいることを思うと、そういう「歪んだ党から自我を守るために発病した党員」はもっと多いことでしょう。

一方で、かつて「指導的」立場にあった人からの応答は実に少なかったのです。「病者」戦線の指導部だった人が、私を呼び出して「逃亡した武山=岩本(私を発病させた張本人)のことは、逃亡した以上党に関係ない」と告げたということがあったのみです。私は「武山=岩本の責任を取ること」を要求したのではなく、振り返って指導部であった自己の在り様はどうだったのかということを問題にしたかったのですが理解されなかったようでした。

「ともに生きる№8」で問題にした当時の指導部からは何の応答もありません。

 

「発病するのは個人の思想問題だ」という思想

 

かつて革共同全国委の「障害者」戦線指導部は、多くの「健常者」である指導部同様に「発病するのは本人に思想問題があるからだ」という立場をとっていました。この「革命運動は自己解放だからその中で精神病は解決する。革命党員である個人が精神病になるのはその人に思想的誤りがあるからだ」という立場は、「革命党」は絶対的に正しいという立場です。歴史的に革共同全国委は自己に歪みがあるのではないかと自己総括することは決してありませんでした。

これを、自らも「病者」である「指導部」が言う時、その内面は一体どうなっていたのでしょうか。「自らに思想的誤りがある」と総括していたのでしょうか。

革共同は「レーニンがいつどう言った」というような訓詁学をレーニン主義党組織論として採用したことを、どう総括するのでしょうか。

当時の「指導部」の立場は、革命家の精神科医の言葉にも表れていました。すなわち「精神科医であり革命家だったフランツ・ファノンがアルジェリア革命の中で精神病は解決していったと書いている。革命運動は『精神病者』を解放する」というテーゼです。私がその革命家の精神科医に出会った初期に聞いた言葉でした。おそらく彼はファノンの中に希望を込めて読んだのでしょう。しかし、その「アドバイス」には党自体が不可逆なまでに歪んでいるというとらえ返しはありませんでした。だから振り返って革共同を問うことはなかったのです。当時は私自身が「党を問う」ことをしていませんでしたから、彼の言葉をそのままに信じていました。今ではその精神科医とは信頼関係を築いていますが、それは一段階を経た後の話です。

 

フランツ・ファノン

 

ファノンは1950年代から60年代に活躍したフランス植民地生まれのアフリカ系黒人で、第2次世界大戦では自由フランス軍で闘いました。精神科医となり、アルジェリアで精神病院医師の職に就き、アルジェリア民族解放革命の戦士になりました。正体がばれて精神科病院を辞めざるを得なくなり、独立運動の専従革命家、思想的指導者となりましたが、白血病のためにアルジェリア独立を待たずに死に、今のアルジェリアにはその思想は残っていません。4部作の著作が翻訳されています。

問題になるのはファノンが実際にはどう書いていたのかです。ファノンの4部作を読みました。「時代の大変革期・激動期に精神病が減るという月並みな確認」あるいは「植民地性の精神病は植民地革命の中で減った」ということは確かに書いています。それは事実だったのでしょうし、大いに想像できることです。植民地主義を原因とする疎外はなくなっていったのであり、その疎外を原因とした発病が減るのは当たり前のことに思えます。このことに意味があるのは、精神病が遺伝などではなく社会的関係性の中で発病するという事実を示していることです。また「資本主義の打倒の中で資本主義的抑圧を原因とした精神病の発病は減る」という一般的テーゼは成立するでしょう。

だがファノンは同時に、「植民地解放戦争性の精神病」が多発したという重要な事実を書いています。それは、植民地解放戦争の戦士に対して加えられた拷問や性的暴行や、戦争下の抑圧、正義の戦闘そのものなどが原因となったものであり、革命戦士にも、拷問をくわえた側のフランス人抑圧者にも表れた新しいタイプの精神病でした。拷問や性的暴行を受けた革命戦士はもとより、このような非人間的仕打ちを行うコロン(植民者)や兵隊であるフランス人青年にも精神病の発病が見られました。

前述の革命家の精神科医が閉塞的な日本の精神医療の中で、ファノンに希望を見出すことは必然だったかもしれません。しかしこの一面的理解のために、当時の革共同「指導部」を正当化し、次々に生み出される発病者を新たに抑圧する役割を期待される側の、一つの抑圧装置となっていたのではないかとも思えるのです。党の抑圧は多くの「病者」メンバーを生んだし、彼らを党の外に追いやることで「解決して」きました。与田という革共同全国委政治局員(関西地方委員会議長)だった腐敗分子らによって、党内にとどまった「病者」メンバーを監視し抑圧する新たな「装置」として精神科医は役割を期待されたのではないでしょうか。革命的精神科医が「病者」解放の機関となるには、今一つの飛躍が必要だったはずです。

ファノンの時代に党が抑圧者となって精神病が生まれたという事実は紹介されていません。それは「レーニン主義の党」という新たな抑圧装置の問題が発生する中で生まれた精神病だったかもしれません。ファノンの時代のアルジェリアでも民族解放戦争主体の歪みもあったのかもしれませんがそれはファノンによっては捉えられていません。ファノンが書いた本の中では、民族解放戦争は楽天的なまでに抑圧のない自己解放的なものです。

 

「病者」自己解放の思想

 

「ともに生きる№7」で書きましたが、「『精神病者』自己解放」という思想は党の外で生まれました。故・吉田おさみ氏、NS氏らによって作られていった初期の全国「病者」解放運動を、新左翼諸党派は取り込もうとし、介入を試み自己の党の中の戦線構築を行いました。

私が1973年頃、革共同に出会った時には、革共同にはしょうがい者解放の戦線があり、後に私が発病する頃には「病者」の戦線がありました。前者は、創始者が対カクマル戦の過程で離脱していました。後者は、党員の「病者」を管理する意味合いを多く持ち、戦線を持っているということで自党の発言を正当化する目的で組織されたもののようでした。

しかし、それが一つの戦線を形成したことを通して「病者」自己解放の思想は革共同内の「病者」戦線に取り込まれていきました。「病者」が自己解放主体として自己確立する過程がありました。それは「病者」解放運動の先達に学ぶ中から生まれていった思想であり、革共同の内部に学ぶべきことは存在しませんでした。「ともに生きる№7」で紹介したように、私たちは吉田おさみ氏、NS氏らの思想と格闘しながら成長していきました。

革共同としては「管理機関」のつもりで作ったかもしれませんが、党内しょうがい者戦線は「ニワトリからアヒルへ」の飛躍を成し遂げたのです。

 

パリ・コミューンとパリ5月革命

 

「ともに生きる№8」では、自己解放が花開いた闘いとして、1871年3月から5月のパリ・コミューンと、1968年パリ5月革命を取り上げました。その自己解放性、ロシア革命当初の自己解放と、「レーニン主義の党」の抑圧性を革共同は総括すべきだと思います。革共同の「総括しない主義」は「レーニン主義党組織論」を総括しない中に典型的に表れています。過去の総括をしないでは誰からも信用されないことを自覚すべきです。

パリ5月革命を称揚し、日本では加藤登紀子が歌った「美しき5月のパリ」の替え歌が沖縄平和運動センター議長の山城博治氏によって作られて辺野古や高江の前線で歌われ、また同じ歌の別の替え歌が全国「精神病」者集団のYM氏によって作られて、しょうがい者解放運動の中で歌われています。5月革命の自己解放性が捉えられているからではないでしょうか。「レーニン主義」といわれるものが歪めたマルクスの考えた世界観を再評価することにつながるかもしれません。

ジョン・レノンの「イマジン」やパリ・コミューンの理想の中に、共産主義の将来の社会を見るのは、あながち間違った見方ではないと思えます。

 

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