-多事争論-

2017年7月19日 (水)

ひょうせいれん声明 7/19

精神保健福祉法改悪案参院通過を弾劾し廃案を求める声明

 

         2017年7月19日兵庫県精神障害者連絡会・フレンズ

 

精神保健福祉法改悪案は5月17日の参院本会議で自・公・維新・無所属の賛成、民進・共産・社民(自由)の反対で可決し衆院に送られました。修正案が賛成多数で可決しました。修正の内容は、警察が入る「精神障害者支援地域協議会」を措置入院だけでなく医療保護入院に拡大する等という実質改悪の内容です。措置入院は都道府県知事・政令指定都市市長の同意による強制入院で数千人が対象なのに比して、医療保護入院は親族や市町村長の同意による強制入院で対象者は十数万人になります。しかし、実現可能性が疑われる法案です。政府は措置入院を対象とした場合で専門職200人の増員が必要だとしていました。医療保護まで対象とするなら単純計算で専門職3千人~4千人の増員が必要になる計算です。今の福祉切り捨て予算の中でそのようなことが現実的とは思えません。増員なき福祉切り捨てになることは明白です。

法案は衆院では審議入りせずに継続審議となりました。私たちはあくまで廃案を求めます。

 

自見はなこ議員の差別暴言

 

5月11日の参院厚労委員会での審議の時の、日本医師会の組織内候補である自民党の自見はなこ議員の発言は驚くべきものでした。「監督されているという妄想は病気の症状だ」という、多くの精神しょうがい者にとって大きな衝撃を受けた差別暴言でした。

自見議員は、「議論に出ておりましたような、監督されているんじゃないかというような妄想もこれも一つの病気の症状でありますので、ここは一貫してみんなでサポートしているんだというメッセージを送っていただきたいと切に願っております」と発言しました。

これは、「監督されていると思うのは妄想だ」という以外の意味には採れません。精神しょうがい者が何を言おうが、何を叫ぼうが、みんな「妄想だ」と切って捨て、無意味化する、それが精神保健福祉法改悪を推し進める側の論理なのです。

「みんなでサポートしているというメッセージを送る」というのも精神しょうがい者は地域自立生活の主体ではなく、「福祉をしてあげる」だけの客体だという決め付けですから、駄目です。

精神しょうがい者を管理と監督の対象としか考えていない政府答弁を繰り返される中で出たのがこの発言です。「善意」を振りかざして人間を否定するというこの法案の本質を最もよく表しているのです。

 

パターナリズム批判

 

自見はなこ議員は差別発言をしたのみならず、改悪案は『措置入院時に精神医療審査会の審査を義務付ける良い制度改革だ』と言っています。精神医療審査会というのは、不当な強制入院を監視し是正する第三者機関というふれこみでつくられたものです。しかし、実際にその委員を務めるある弁護士は、審査会の内情は、極めて事務的に判子を押すだけの強制入院追認機関に過ぎないと実態を暴露しています。3時間に150通の書類に目を通し、事務局は承認の判子を押せと圧力をかける。おかしいと思い不承認と書けばその理由をただ働きで書くことを要求されたそうです。自見はなこ議員に顕著な「パターナリスティックな制約」こそが今回の改悪案の中身なのです。「パターナリスティックな制約」とは、「国家が個人の利益を保護するために課す、自己決定権に関する制約を意味する表現。特に、未成年が喫煙や飲酒を行うなどの、『自己加害』と見なされる行動に対する制約を指すことが多い。」(実用日本語表現辞典より)

 

パターナリズムとインフォームド・コンセント

 

パターナリズムは、強い立場にある者が、弱い立場にある者の利益になるようにと、本人の意志に反して行動に介入・干渉することです。日本語では家父長主義、父権主義と訳されます。

パターリズムの立場の人は「インフォームド・コンセントなど幻想だ」と主張します。また日本精神科救急学会ガイドライン(2015年版)では、「自発的入院と非自発的入院の分水嶺はインフォームド・コンセントが成立するか否かだ」としています。精神しょうがいの状態の人には事理を分別できない人がいるという前提に立っています。

しかし、一旦落ち着いた状態の時に話して分からない人はいないのです。障害者権利条約12条に提示されている、誰もが精神的「能力」と無関係に法的能力を持つことの確認、すなわち精神しょうがい者にはインフォームド・コンセントが成立しない場合があるという前提から考えるのではなく、誰に対してもインフォームド・コンセントを保障しなければならないという前提に立つべきなのです。

3月24日に行われた院内集会で内田博文九州大学教授は次のように発言しました。『警察と医療機関や福祉機関では行動規範が異なる。警察は対象者に不信で接し、医療機関や福祉機関などの本来の指導理念は信頼であり正反対である。支援策としては逆効果であり、対象者を監視する社会を作り出す。』

この発言は、法案の本質を突いていると思います。改悪案に特徴的なパターナリズムは、インフォームド・コンセントの原則に反し、支援にならないばかりか、国家による強制や監視社会をもたらします。

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2017年7月 9日 (日)

「組織論への道」を支持します

西山志郎さんの「組織論」に応えて、ネットで友人たちに呼びかけました。今必要な提起だと思います。いろいろとマイナスの反応もあるでしょうが、へこたれないで頑張って欲しい。良い反応も多いと思います。言われるように、色々な過程を経て10年でものになるものと覚悟して、ともに10年を歩んでいきましょう。
あまり密な「組織」ではなく緩やかな連合体がいいと思います。通信で繋がった緩やかなものがいいです。出入り自由、通信に投稿する権利を持った、精神しょうがい者の緩やかな連合体で通信で繋がっているというのがいい。かつて密な「組織体」ではろくなことがなかったので。
ネットで、規約もない緩やかな連合体がいいという意見がありました。「規約」などと言う前に、いかにしてつながるかが大事だと返しました。西山さんが個人的にステータスを求めない人だということが私がこの運動を支持する大きな理由です。かつて、全国連合体を求める運動は幾多ありましたが、個人的ステータスを追い求める「独裁者」が現れて、ろくな運動にはならなかった歴史があります。
西山さんが個人的ステータスを求めない人であることの上で、この連合体はステータスを追い求める人物を排除したものにする必要があると思います。それは規約によって作られるのではなく、相互の信頼に基づいて作られる、信頼を基礎とした連合体である必要があります。西山さんが手を挙げたことは、そのような相互の信頼に基づいた連合体を作にぴったりくる人物だと思います。
「独裁者」が現れないようにするためには、「旨み」のない運動であること、苦労はあっても利権はない運動であること、社会的ステータスを作らない運動であることが必要です。それは西山さんという人格によって保障されている面があります。組織ではない組織として、通信で繋がった緩やかな連合体と目指していきたいです。

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2017年6月24日 (土)

日本精神科救急学会ガイドライン抜粋

下は日本精神科救急学会ガイドラインの抜粋です。

これを見ると、三択になっていて、①自分の意志で病院に行った場合と②家族に連れられて行った場合以外の、③警察等に保護された場合では選択肢は措置入院しかないことになっています。なんかおかしいのでは。なぜ任意入院の選択肢がないのでしょうか。警察官等に保護された場合、精神保健福祉法29条すなわち措置入院を定めた条項の適用以外の選択肢が示されていない訳です。これが普通の運用なんでしょうか。東京では精神科救急で運ばれると全て措置入院になると言われていますが、この適用なんでしょうか。てんかん発作で救急車を呼んだら措置入院になったという例もあります。任意入院の選択肢がないからだったのでしょうか。東京では救急は措置にした上に拘束を全員にすると言われています。それもまた学会ガイドラインに書いてあるのでしょうか。

 

IV. 精神科救急医療におけるインフォームド・コンセント

2. 警察等に保護され、精神保健福祉法第 29 条、第 29 条の 2 に基づく精神保健診察が行われる場合 1) 精神保健指定は、精神保健診察における自らの職務、精神保健診察の目的などについて伝え、 診察を行う。その結果、措置入院となる場合には、知事等の代行吏員が精神保健福祉法に記載された告知義務を遂行する。

2) 精神保健指定医は、患者の病状等を勘案し、可能な範囲で病状と措置入院が必要である理由 について説明する。また、入院後も担当医によって治療方針、治療法、治療の見通し等について説明する機会が設けられ、患者の理解と同意が得られるよう配慮がなされることを明言する。

3) 以上の告知行為や説明行為を行ったときは、その内容と、それに対する患者の意見や態度等 について診療録に記載しておく。

 

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2017年6月23日 (金)

自見発言に抗議する共同声明

賛同者が増えたので再掲します。
賛同募集中

賛同していただける方(個人・団体含む)は以下へお送りください(今回は個人を含みます)
Eメール gen1951@nifty.com (件名に必ず「自見発言抗議賛同」とお書きの上、公表可か不可かを
明記して下さい。)  郵送の場合は〒661-0025兵庫県尼崎市立花町4-6-2-2D共生舎まで

共同声明

「監督されているというのは妄想だ、病気の症状だ」という自民党・自見はなこ議員の差別暴言を許さず、謝罪と撤回を求めます。また政府は見解を明らかにして下さい。
2017年6月22日


2月28日に閣議決定された精神保健福祉法改正案は4月冒頭からの審議の中で、精神しょうがいしゃを警察が監視する制度を新設するものであり、精神保健福祉法を国民監視の道具に作り替えるものであることが明らかになっています。
多くの精神しょうがいしゃが批判したのを始め多くの国会議員から追及された政府は法案の説明文の概要から法を作る目的を削除するという大恥をかいてまで、法案は一切書き換えずに国民監視の法案を押し通そうとしています。
その中で5月11日の審議のなか自民党の自見はなこ議員の発言は驚くべきものでした。「監督されていると思うのは妄想だ」という、多くの精神しょうがいしゃにとって頭をぶん殴られたかの思いのする暴言でした。
自見議員は「『多職種がみんなあなたのことを考えていますよ』という暖かいメッセージのもとにあるんだと、これを前面に打ち出していただきたい。」というようなことに続けて、「議論に出ておりましたような、監督されているんじゃないかというような妄想もこれも一つの病気の症状でありますので、ここは一貫してみんなでサポートしているんだというメッセージを送っていただきたいと切に願っております。」と発言しました。
「監督されているんじゃないかというような妄想」というのは「議論に出ていた」ことはなく、ここで初めて言われています。「議論に出ていた」のは「監視されている」ということだけです。だからこれは、「監督されていると思うのは妄想だ」という以外の意味には取れないのです。
「監督されているというのは妄想だ、病気の症状に過ぎない」というわけです。精神しょうがいしゃが何を言おうが、何を叫ぼうが、みんな「妄想だ」と切って捨てる考えが精神保健福祉法「改正」を推し進める側の立場なのです。精神しょうがいと妄想をことさらに結び付け、精神しょうがいしゃの言うことは妄想に基づいていると決めつけることは、精神しょうがいしゃの人権を否定し、人間ではないものと決めつける立場からなされた差別暴言です。
こんなひどい差別暴言を放置することはできません。
「みんなでサポートしている」というのも精神しょうがいしゃは地域自立生活の主体ではなく、「なされる」だけの客体だという決め付けですから、駄目です。

善意から出た誤解や思わぬ言葉を言ってしまったというようなものなどではなく、全く差別的、「健常者」的上から目線の確信に満ちた偏見から出た差別発言という他ありません。塩崎厚労大臣を始め、政府自身が精神しょうがいしゃの主体性を認めず、患者本人抜きで作られる「退院後支援計画」案を精神しょうがいしゃの多くの反対の声を無視して推し進め、精神しょうがいしゃを管理と監督の対象としか考えていない答弁を繰り返す中で出たのがこの発言です。決して、たまたま言ってしまったということではなく、精神しょうがいしゃを行為主体とは認めず、言っていることは妄想だという確信に満ちてなされた差別発言です。

私たちは以下求めるものです。
自民党・自見はなこ議員は心からの謝罪と発言の撤回をして下さい。
政府はこの発言についての政府見解を明らかにして下さい。

また野党議員には、この問題を軽視せず、国会で取り上げていただくことをお願いいたします。

以上

共同声明団体名(順不同)

「骨格提言」の完全実現を求める10・27大フォーラム実行委員会/全国「精神病」者集団/怒っているぞ!障害者切りすて!全国ネットワーク/全国一般労働組合東京南部トータルサポートたいとう分会/兵庫県精神障害者連絡会/医療保護入院制度を考える会/障害連(障害者の生活保障を要求する連絡会議)/難病をもつ人の地域自立生活を確立する会/Korean Alliance on Mental Illness(韓国)/国立武蔵病院(精神)強制・隔離入院施設問題を考える会/夜回り団体 みみず/リメンバー 7.26 神戸アクション/自立生活センターびんご/特定非営利活動法人 自立生活センター くれぱす/自立生活センター星空/一般社団法人  ONE MORE/おたすけclubぴあかん/プチ大阪兄弟姉妹の会/心神喪失者等医療観察法をなくす会/心神喪失者等医療観察法(予防拘禁法)を許すな!ネットワーク/刑法改悪阻止!保安処分粉砕!全都労働者実行委員会/部落解放同盟兵庫県連合会/特定非営利活動法人てんぐるま/リメンバー7.26東京アクション/さまりたんプログラム/神経筋疾患ネットワーク/自立生活センターリングリング/木村クリニック/八王子精神障害者ピアサポートセンター/障害者問題資料センターりぼん社/音楽集団 歩笑夢/自立生活センターアークスペクトラム/障害者生活支援センター・てごーす/cilもりおか/アイアンドユウ/関西合同労働組合/自立生活センター・昭島/北部自立生活センター希輝々/自立生活センターアシストミル/エンパワメントふちゅう/自立生活センターAJU車いすセンター/Consumer Action Network Mental Health Lanka(スリランカ)/Ubuntu South Africa(南アフリカ)/すべての人に尊厳と人権を!ヘイトクライムをなくそう!神戸連絡会/福祉・介護・医療労働者組合(ケアワーカーズユニオン)/自立生活支援センター フリーダム21/安心できる介護を!懇談会/特定非営利活動法人自立生活センター福岡/新空港反対東灘区住民の会/全国一般労働組合東京南部ケアワーカー連絡会/全国一般労働組合東京南部フットワーク新宿分会/CILくにたち援助為センター/泉州☆精神障害者俱楽部「青い鳥」/NPOこらーるたいとう/大阪精神障害者連絡会/「処遇困難者専門病棟」新設阻止共闘会議/劇団態変/人権平和高槻市民交流会アスφネット/世界精神医療ユーザーサバイバーネットワーク/自立生活センター スリーピース/尼崎伊丹三里塚実行委員会/障害当事者による人権研究所‘ja`/障害者が街で共に生きるみんなの麦の家/NPO法人 CILだんない

賛同(個人・敬称略・順不同到着順)

佐々木信夫/岩崎晶子/髙見元博(兵庫県精神障害者連絡会代表)/渡海優/吉川健明(医師・当事者)/白田幸治(こころのピアズ代表)/西山志郎(灯会代表)/宮﨑一(ガチャバンともに生きる会)/浦松祥子/弥永修/井上博之(看護師)/白石裕(東灘区住民の会)/柴田明(精神科医師)/佐々木伸良/府川政人/辻淳子(夜回り団体 みみず)/合田享史(当事者の家族)/宮野吉史/木村政紘(精神科医)/梶原義行/岩野政樹/坂内孝雄/金秀浩(医師)/木原和子/阪本林太郎/寺下眞治(個人)/辻田雄一(嘉飯山地区精神障害者家族会会員)/栃本一弥(NPO法人なゆたの会役員)/南守(ケアワーカーズユニオン執行委員長)/長谷川唯(研究員)/津端:叡/松原康彦/早坂智之/仙城真(リハビリテーション科医師)/野島美香(市民)/志賀直輝(ケアワーカーズユニオン、安心できる介護を!懇談会)/宮本博志/矢島由里子/猿渡達明/近藤基(知的障害者)/近藤英子(母)/高橋亮也(精神保健福祉士)/中川裕之/内藤美樹/後藤和佳子/永嶋靖久(弁護士)/たにぐちまゆ/池田宜弘/上野卓治/浜島恭子/吉田明彦(精神障害当事者)/石地かおる(身体障害当事者)/水野浩重/谷口健人(CILだんない)/藤井理嘉/三角忠(編集工房朔)/鈴木敬治(鈴木敬治さんと共に移動の自由をとりもどす会)/松田耕典/和泉健一/古賀滋/橋本利昭/菅原和之/和田孝雄(前高槻市議)/横田眞人/山本眞理(全国「精神病」者集団会員)/有馬秀雄/清水裕(精神保健福祉士)/盛田容子/古賀典夫/澤野治(夜回り団体みみず)/桜井まり子(自立生活センターグッドライフ)/瀧柳洋子(基準該当事業所「新しい空」代表)/船山良成/山本由美子/森律子/橋本成子/安原荘一(客員研究員)/石田勝啓(関西合同労働組合執行委員長)/大野ひろ子(介護労働者)/住田雅清
(公表不可2人)

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2017年5月 6日 (土)

「大山鳴動鼠一匹」で良いのだという政府

25日の議事録を中心に検討していますが、政府は繰り返しUが退院後孤立していたと言っています。それが法改正の理由だと。しかしUは退院後も通院していた時期があり決して医療から見捨てられたわけではありません。両親のもとに居たり、恋人?といたり、決して孤立したわけではありません。

Uが医療から離れたのは、自分の意志であり、もしこれを継続して医療につなげるとしたら、何らかの強制をするしかなかったでしょう。医療観察法の強制通院のようなやり方で。この法改正がもしUに対しても有効なものでありうるとしたら、退院後計画に従わなければ措置入院にするという脅し、脅しだけでなく実行を伴う、強制力が想定されているはずです。その狙いを隠すから、政府答弁は訳が分からなくなっている。

政府は自民党議員の質問に答えて、「立法事実は相模原事件だ」と言っています。政府が本気でしょうがい者殺害に対する対策をしようとしているとは思えないが同様の事件が起きないようにとは考えているのでしょう。殺害されるのがいつもしょうがい者とは限らないのですから。いったん医療が捕まえた人を逃さないようにしたいということが、立法を強行する理由でしょう。とすれば強制力を持っていったん精神医療が捕まえたら一生逃さない手段を確保することは、政府として譲れない点でしょう。だから警察を入れることにこだわるわけで、私たち精神しょうがい者とは相容れないのです。保健所には少しばかり増員しても、措置患者すべてに対応できる人員はいません。できるのは警察だけです。いったん措置入院になったら一生警察につきまとわれることになるわけです。措置患者が措置解除後に犯罪を犯す率が高いわけではないことは既に政府も認めています。「大山鳴動鼠一匹」とは大騒ぎしてたいしたことが起きなかったことのことわざですが、共謀罪といい、精神保健福祉法”改正”といい、大山を鳴動させてでも鼠一匹を逃さない、という政府の考えからくるのでしょう。

問題は一般市民がどちらの立場を支持するかです。

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2017年3月15日 (水)

フレンズ116号

編集人:兵庫県精神障害者連絡会

 ブログ http://ikari-net.cocolog-nifty.com/blog/

フレンズ・ニュース年間会費1000円

郵便振替 00960-1-140519加入者名共生舎

発行人:関西障害者定期刊行物協会

              大阪市天王寺区真田山町2―2東興ビル4階

 

事務も精神しょうがい者が行っているので、省力化のため、郵送ではなくEメールで受取っても良いという方は、gen1951@nifty.comにご連絡ください。                                    

 

2017年4月(№116)

 

 次回フレンズ例会は4月9日(日)午後2時にJR兵庫駅改札口で待ち合わせです。近くの兵庫勤労市民センターで行います。フレンズでは2カ月に一度定例会を開いています。私たち精神しょうがい者が社会へ向けて発信するためには何をしたらいいのか、少しでも良い生活を手に入れるためには何をしたらいいのかなど話し合いましょう。初めての人もぜひ参加してください。

 相模原事件の被告Uの精神鑑定が出て、事件と精神病は何の関係もないと判断されました。それにも拘らず事件を口実とした精神保健福祉法改悪が進められています。国会では何の議論もなく成立しそうな勢いです。精神しょうがい者に人権なしという時代に逆戻りするのでしょうか。議論を興していかねばなりません。

 

報道から

 

(相模原事件の被告Uは)「自分を特別な存在と思い込む『自己愛性パーソナリティ―障害』などと診断された。同障害は判例上、善悪の判断は可能で刑事責任能力があるとされており、検察側はこの鑑定結果を踏まえ、植松容疑者を勾留期限の24日までに起訴するとみられる。」(17.2.20読売オンライン)

「精神科医の香山リカさんの話「自己愛性パーソナリティー障害は、自分に対する果てしない万能感を持ったり、自分が選ばれた特権的人間だと思い他者と共感できなかったりする特徴がある。原因はよく分からない部分があるが、自ら軌道修正し自覚しながら社会生活を送っている人もいる。理性的判断ができないわけではなく、善悪の判断はできる。植松聖容疑者が衆院議長公邸に持参した手紙の内容や、周囲の証言などの報道を見る限り、論理性は保たれていて、刑事責任能力が問えないような深刻な精神的な病気だとは判断しづらいと思う」」(17..20サンスポ)

ネットニュースに紹介されていたツイッターより。「(ツイッター名)店番の黒猫――自己愛性パーソナリティ障害…すごい名前だが、障害者が障害者施設を襲ったってことか。寒いな。2017220 20:47

報道は以上。

結局社会防衛では一貫しているわけです。刑事責任問う片方で措置強化はやるわけです。「パーソナリティ障害」、旧名「精神病質」、69年だったかの精神神経学会金沢学会が紛糾した原因だったとか。「ナチスの再来か」と問題になった。精神科医もおとなしくなったのか。今回声を挙げる精神科医が何人いるか。「本人か社会が悩む」というのが診断基準。弁護側は別の鑑定を出すだろうけど、病名をどうつけるのか。裁判の判決は責任能力ありになるだろう。トランプを人格障害という人もいる。こういう概念で人を批難したくないが。

Uの犯行を防ぐには、告白されていた友人や、職場で問題発言した時に同僚や、措置入院した精神科医が、必死になって止めに入ることをしたのだろうか。やんやの議論をしたのだろうか。

措置解除が問題というのは話のすり替えです。他の措置患者の退院を難しくしたり、退院後も監視したり、保安処分じゃないですか。

 

 

相模原事件を利用した精神しょうがい者差別を許すな

髙見元博

 

「自己愛性パーソナリティ障害」は犯罪の原因ではない

 

 2月20日、しょうがい者19人を殺害27人に傷を負わせた相模原事件の被告Uは「自己愛性パーソナリティ障害」と鑑定されたと報じられました。病名が変わるのは6回目であり、精神医療の低水準さが表れています。

 A医師の意見

「自己愛性バーソナリティ障害ですか。それは、妄想や気分障害が観察されず、薬物の影響が消えると思われる期間を過ぎても、本人の主張や在り方に変化が見られなかったということですね。周囲が思う以上に本人の自己評価が高く、そのため、自分は不当な評価を受けているとの不満を抱きやすい人になります。そう言ってしまえば、それが障害なのかと思ってしまいます。Uのように自分は選ばれた人間で敢えて思いに基づいて行動に出る場合があり、迷惑か周囲に及んでしまいます。だから、優生思想を持つかというと、それは別ものです。中に自己愛に地位が重なって、社会的な地位と権力がともなってしまう場合があります。(A首相やT大統領のように。)自己愛傾向の強い人が社会で幅を効かすようになると厄介な人になります。私はアメリカ流になんでも障害としてしまって何か治療の対象と思わすよりは、そういう傾向のある人くらいの表現のほうが、誤解を広げずに済むのでないかと常々思っています。日本語で人格障害と訳すと、その人個人の問題というニュアンスになり、原語personal disorderの、周囲との関係の中で表面化のしてくるその人の行動パターンの問題というのとは、少し違って来るように感じています。」

今回の事件の場合、「自己愛性パーソナリティ障害」と起こした事件の因果関係は何も立証されていません。犯行動機である差別思想をなぜ持ったのかは説明されていません。そこの立証がないと、「『自己愛性パーソナリティ障害』を治せれば事件は防げた」という論証にはなりませんが、そのような立証をしようとはしません。「なんか『精神病者』がやった事件らしい」という雰囲気だけ煽られています。

「自己愛性パーソナリティ障害」の診断基準は「別表」の通りです。悪名高いDSMです。有名な指揮者のカラヤンがこれに該当するそうです。成功して社会的名声を受ける人も多いそうです。優生思想を持つこととは結び付きません。「自己愛性パーソナリティ障害」者は、「普通の人」ですし、それで悩んでいる人以外は治療の対象とはしないそうです。

「自己愛性パーソナリティ障害」と鑑定すること自体が、犯罪の時は理性を失っていなかったから完全責任能力があるという結論にもっていくものです。事件と精神しょうがいは関係ないが、何らかの病名はつけたかったということです。

 

(別表)診断基準 自己愛性人格障害 アメリカ精神医学会 DSM-IV

「誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

○自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

○限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

○自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

○過剰な賞賛を求める。

○特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

○対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

○共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

○しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

○尊大で傲慢な行勤 または態度。」        (別表終わり)

 

精神保健福祉法改悪

 

事件の原因は精神しょうがいではないと鑑定されているにもかかわらず、事件を口実にした精神保健福祉法の改悪が何の議論もなく国会を通過しそうです。精神医療=措置入院を「犯罪防止」に使うという今回の精福法改悪、しかも警察をかませるというやり方は、精神医療の根本的在り方にかかわる大改悪です。精福法は「建前」上も社会防衛が目的ということになるからです。「精神医療は本人のための治療を施すものだ」としてきたのが精福法です。医療観察法でさえ建前上は「本人のために医療を施す」とされています。それが今回の改悪では「犯罪予防に精神医療を使う」と明示されているのです。建前上も「社会防衛のために人権を侵害することが『精神医療』の目的だ」と言うに等しいのです。

精神医療が警察の手先に

「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会報告書」(17年2月8日)では、「都道府県や市町村、警察、精神科医療関係者が地域で定期的に協議する場を設置することにより、相互理解を図っていくことが必要」と警察と精神医療の相互浸透が公然と謳われています。

「精神保健福祉法改正案」は2月28日、閣議決定されました。厚労省文書の「精福法改正案の概要」では「二度と同様の事件が発生しないよう、法整備を行う」と精神医療の目的を犯罪防止に転換すると明記されています。さらに行政が退院後も監視を続けるための計画を作ることは強制であり患者は拒否できません。計画に従うか否かは患者が判断しますが、拒否すれば退院を認められないかもしれないし、退院後に医療を受けられないおそれがあるから、実質的な強制です。自治体間の情報共有は強制的に行われ本人は拒否できません。

「退院後支援」のための「精神障害者支援地域協議会・代表者会議」(上部組織)には警察の参加が明記され、計画の作成の為の「同・調整会議」(下部組織)では警察の介入は公然とは謳われていないものの、参加者の「等」に含意されています。「両会議における課題や結論を相互に反映」(厚労省文書)するとされており「精神医療は警察の手先になる」と事実上公然と宣言されているのです。

この2つの会議では情報交流することになっていますから個別の計画も警察に情報筒抜け、さらに確信犯である確固たる信念を持つ者(措置になった政治犯を含む)や薬物使用の通報まで規定されています。一生追っかけまわされるのですから、まさに現代の治安維持法保護観察処分です。

私たちは議論を興し、精福法改悪を止めねばなりません。

厚労省相模原事件検証チーム「最終報告」の文言

「措置入院中の段階から、地方自治体や措置入院先病院において、退院後に必要な医療等の支援の内容の検討等を行う必要がある。また、退院後においても、患者が支援を確実に受けられるようにする必要がある。」「入院中から措置解除後まで、患者が医療・保健・福祉・生活面での支援を継続的に受け、地域で孤立することなく安心して生活を送ることが可能となる仕組みが必要である。」「都道府県知事等が措置解除の判断を自ら適切に行えるようにするため、都道府県等の精神科医や精神保健福祉センターの精神科医などの意見を聴けるような体制を確保することが望ましい。精神科医や法曹関係者などの複数の専門家に聴く方式も考えられる」と措置解除の出口を狭め解除後も監視を続けることが提案されています。

「転出先の保健所設置自治体への情報提供に当たっては、(本人の)同意が得られない場合は、個人情報保護条例上の問題が生じないよう、制度的な対応を検討する必要がある。」と法改悪を行なうとしています。

 この最終報告が「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会」に出され、精福法改悪案がまとめられました。

 

 

三里塚闘争50年に際して2・12関西集会に参加して

 

IW

 

250人の参加者で会場は満杯でした。全日建関西生コン支部の人でしょうか、「おい、席譲った方がええんちゃうか」と、心配しておられました。

 メインの講演の菅野芳秀さん、とっても興味深いお話でした。お話も上手でした。21歳の時、三里塚闘争で凶器準備集合罪で逮捕され、33歳まで裁判を闘ったそうです。26歳から帰農し、地元で地域づくりに取り組んでこられたそうです。

 地域での取り組みを話されましたが、私たちの「生きる」ということに対して大変示唆があると思いました。たどり着く社会めざすものの拠点の6つの条件「循環、多様性、自立自給、参加民主主義、国際化、家族農業」の説明だけでも、ほんとうにいろいろなことを考えて練っておられるなと思いました。

 そこから生ごみサイクルを確立していかれます。事業は億単位の世界です。行政を動かすのも、住民参加も大変だったろうなと思います。しかし、5000軒から集まる生ごみに含まれている不純物はほんのわずか、住民の方々の意識の高さがうかがえました。

 ゴミの問題は、本当に深刻な問題です。その中から生ごみだけでも循環させて、自然の中にサイクルを作る。人工物はどうしようもないことですが、自然に還せるものだけでも還して、社会の成り立ちを考え直したいと思いました。

 私の住む尼崎では、生ごみにぬかを混ぜてたい肥作りをしよう、という取り組みがありますが、たい肥の消費は個人に任されていて、私のような土地を持たない生活では1か月分の生ごみで出来るたい肥で植木鉢何年分ものたい肥になりました。たい肥を作るモチベーションもなくなり、作るのをやめてしまいました。各戸のたい肥作りを市内の農家の方につなげられたら、生ごみは減るのではないか、と思いました。

 こども食堂をやっているので、こどもたちに農業体験をさせてあげたいな、と思っているのですが、その時には自分で作った生ごみたい肥を持って集まる、という風にしたいな、と思いました。

 今回の集会は、熱田派・北原派など過去の対立の枠を超えて、農民である市東さんの農地取り上げに反対する全ての人が集まるように取り組まれました。農業を守る、自然を守る、生きるということを守る、人間を守る、とても意義深い集会になったと思います。

 

(注)集会は全港湾労組、全日建運輸連帯労組関西生コン支部、全国金属機械港合同などの労働組合や労働者、空港敷地内農民の市東孝雄さん、萩原富夫さん、市東さんの農地取り上げの反対する会の山口さんや、市民、しょうがい者、「精神病者」、広島被爆者などが幅広く参加しました。

 

《俳句のコーナー》

 

俳句は季節を表す言葉=季語の入った五七五の十七文字の一番短い詩です。肩肘張らず、詩情と心もちが大事です。上手い下手は関係ないので、一度投句してみませんか。初心者歓迎です。

 

神となり誇大妄想朝が明け 志郎 

風呂あがり脈激しきや冴え返る 志郎

眼を病んで温もり気付く弥生かな  俊彦

横たわりみすずの詩読み春を知る  俊彦

百グラム肩に重たき小鳥LOVE 晶子

白水仙生きよと香る越前崎  晶子  

車窓には残雪の山椅子温し  元博

腱鞘炎思うようには進まぬ春  元博

 

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2017年3月 1日 (水)

精福法改悪案が閣議決定

「精神保健福祉法改正案」は2月28日、閣議決定されました。厚労省文書の「精福法改正案の概要」では「退院後支援」のために設けられる上部組織である「精神障害者支援地域協議会・代表者会議」には警察の参加が明記され、その下部組織である、計画の作成の為の「同・調整会議」では警察の介入は公然とは謳われていないものの、参加者の「等」に含意されています。「両会議における課題や結論を相互に反映」するとされており「精神医療は警察の手先になる」と事実上公然と宣言されているのです。
私たちは議論を興し、精福法改悪を止めねばなりません。

この2つの会議では情報交流することになっていますから個別の計画も警察に情報筒抜け、さらに確信犯である確固たる信念を持つものや薬物使用の通報まで規定されています。
一生追っかけまわされるのですから、まさに現代の治安維持法保護観察処分、しかも行政処分です。

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2017年2月27日 (月)

相模原事件を利用した精神しょうがい者差別を許すな

「自己愛性パーソナリティ障害」は犯罪の原因ではない

 

 2月20日、しょうがい者19人を殺害し、27人に傷を負わせた相模原事件の容疑者Uは「自己愛性パーソナリティ障害」と鑑定されたと報じられました。病名が変わるのは6回目であり、精神医療の低水準さが表れています。

 A医師の意見

「自己愛性バーソナリティー障害ですか。それは、妄想や気分障害が観察されず、薬物の影響が消えると思われる期間を過ぎても、本人の主張や在り方に変化が見られなかったということですね。周囲が思う以上に本人の自己評価が高く、そのため、自分は不当な評価を受けているとの不満を抱きやすい人になります。そう言ってしまえば、それが障害なのかと思ってしまいます。Uのように自分は選ばれた人間で敢えて思いに基づいて行動に出る場合があり、迷惑が周囲に及んでしまいます。だから、優生思想を持つかというと、それは別ものです。中に自己愛に地位が重なって、社会的な地位と権力がともなってしまう場合があります。(A首相やT大統領のように。)自己愛傾向の強い人が社会で幅を効かすようになると厄介な人になります。私はアメリカ流になんでも障害としてしまって何か治療の対象と思わすよりは、そういう傾向のある人くらいの表現のほうが、誤解を広げずに済むのでないかと常々思っています。日本語で人格障害と訳すと、その人個人の問題というニュアンスになり、原語personal disorderの、周囲との関係の中で表面化のしてくるその人の行動パターンの問題というのとは、少し違って来るように感じています。」

今回の事件の場合、「自己愛性パーソナリティ障害」と起こした事件の因果関係は何も立証されていません。犯行動機である差別思想をなぜ持ったのかは説明されていません。そこの立証がないと、「『自己愛性パーソナリティ障害』を治せれば事件は防げた」という論証にはなりませんが、そのような立証をしようとはしません。「なんか『精神病者』がやった事件らしい」という雰囲気だけ煽られています。

「自己愛性パーソナリティ障害」の診断基準は「別表」の通りです。悪名高いDSMです。有名な指揮者のカラヤンがこれに該当するそうです。成功して社会的名声を受ける人も多いそうです。優生思想を持つこととは結び付きません。「自己愛性パーソナリティ障害」者は、「普通の人」ですし、それで悩んでいる人以外は治療の対象とはしないそうです。

「自己愛性パーソナリティ障害」と鑑定すること自体が、犯罪の時は理性を失っていなかったから完全責任能力があるという結論にもっていくものです。事件と精神しょうがいは関係ないが、何らかの病名はつけたかったということです。

 

 

以下(別表)

診断基準

自己愛性人格障害

 アメリカ精神医学会 DSM-IV

 

 誇大性(空想または行動における)、賞賛されたいという欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期に始まり、種々の状況で明らかになる。

以下のうち5つ(またはそれ以上)で示される。

 

○自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績やオ能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)。

○限りない成功、権力、才気、美しき、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

○自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達に(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。

○過剰な賞賛を求める。

○特権意識つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。

○対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。

○共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

○しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

○尊大で傲慢な行勤 または態度。

 

別表終わり。

 

精神保健福祉法改悪

 

事件の原因は精神しょうがいではないと鑑定されているにもかかわらず、相模原事件を口実にした精神保健福祉法の改悪が何の議論もなく国会を通過しそうです。精神医療=措置入院を「犯罪防止」に使うという今回の精福法改悪、しかも警察をかませるというやり方は、精神医療の根本的在り方にかかわる大改悪です。精福法は「建前」上も社会防衛が目的ということになるからです。「精神医療は本人のための治療を施すものだ」としてきたのが精福法です。医療観察法でさえ建前上は「本人のために医療を施す」とされています。それが今回の改悪では「犯罪予防に精神医療を使う」と明示されているのです。建前上も「社会防衛のために人権を侵害することが『精神医療』の目的だ」と言うに等しいのです。

 

精神医療が警察の手先に

 

「これからの精神保健医療福祉のあり方に関する検討会報告書」(17年2月8日)では、「都道府県や市町村、警察、精神科医療関係者が地域で定期的に協議する場を設置することにより、相互理解を図っていくことが必要」と警察と精神医療の相互浸透が公然と謳われています。計画を作成するための「調整会議」では警察の介入は公然とは謳われていないものの、参加者の「等」に含意されており、否定されてはいません。「精神医療は警察の手先になる」と公然と宣言されたに等しいのです。

「あり方検討会」に提出された「精福法改正案の概要」では「二度と同様の事件が発生しないよう、法整備を行う」と措置入院=精神医療の目的を犯罪防止に転換すると明記されています。さらに行政が「患者の措置入院中から、通院先の医療機関等と協議の上、退院後支援計画を作成する」とされています。退院後も監視を続けるための計画を作ることは強制であり患者は拒否できません。計画に従うか否かは患者が判断しますが、拒否すれば退院を認められないかもしれないし、退院後に医療を受けられないおそれがあるから、簡単に拒否することはできず実質的な強制です。さらに自治体間の情報共有は強制的に行われ本人は拒否できません。

私たちは議論を興し、精福法改悪を止めねばなりません。

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2017年2月 3日 (金)

合理化と「精神病者」

「精神病者」の存在は資本主義の生みだした一つの側面です。資本の原理である「金儲け(企業主義)と合理化」が大量に生みだした者でありながら、そのイデオロギーに纏ろわぬ民である「精神病者」を体制内にいかに取り込み管理するかは常に政治の大きな課題でした。一系統は障害者総合支援法であり、しょうがい者を分断し、その上層を体制内に取り込もうとするものでした。「『骨格提言』の完全実現を求める大フォーラム実行委員会」はその分断を乗り越えるものとして発展しています。
もう一系統は保安処分としての管理強化です。精神病院における管理と一体で社会全体を覆う治安管理です。心神喪失者等医療観察法と精神保健福祉法がそれです。相模原事件の厚労省「検証・検討チーム」の最終報告は後者に位置づきます。

話は少し違いますが、私は「そんなに働いたら死んでしまう」という労働運動のスローガンが好きです。

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2017年1月26日 (木)

革命と「精神病者」

イタリア精神医療改革

 

イタリアで、「精神病者」を解放した改革の実践者たちである精神科医バザリアとその弟子たちは、本質的にも実態的にもパリ5月革命を継承した人たちでした。彼らは精神医療の改革者にならなければテロリストになっていただろうと言われています。バザリアはサルトルの弟子を自称していました。当時イタリアには「赤い旅団」がいて首相暗殺などで暗躍していました。68年が生み出した膨大な革命者群のなかから、バザリアの改革に人生をかけた人たちが生まれたのです。

バザリア改革とはイタリアのトリエステ県から始めてイタリア全土で精神病院を廃止した闘いです。1978年のバザリア法で当時日本と同じように極めて拘禁的・拘束的だった精神病院が廃止されていきました。当時の日本では精神病院の建設ラッシュで全盛期を迎えるのと対照的です。

ただ、映画や本、イタリアからきた講演者などで紹介されているイタリアの精神医療改革の中では、「病者」は解放される客体と位置付けられていて、自己解放の主体だったのかという疑問がつきまといます。「精神病院はいらない」という本の中に出てくるのですが、私と同じ疑問を持った「病者」が日本で講演したイタリア人にその質問をしています。答えは「イタリアでは日本と違って、医療者と『病者』が対峙する必要がなかった。敵対的関係ではなかった」というようなものでした。しかしそれは本当でしょうか。イタリアでも精神医療は「病者」を「健常者」中心の社会の型にはめようとしているのではないでしょうか。(「ともに生きる№7」でフーコーの言葉を引用したように。)「病者」の自己解放は必要だったのではないでしょうか。それはイタリアでも「病者」自身によって創られ語られるべきことではないのでしょうか。

そういう疑問はあるのですが、バザリア改革を描いた映画「むかしmattoの街があった」の中で、バザリアが院長として赴任した精神病院で拘束衣と鎖で縛られた「病者」を解放していく過程で、「病者」が自己解放に目覚めていく描写は感動的でした。私が長い人生で映画を観て2度目に感じた感動でした。パリ5月革命の思想がそこには見えました。自己解放という言葉が浮かびました。私が人生をかけてきた人間解放の思想が、この改革の中にあると思えました。それは映像による感動ではなく、描かれた事実による感動でした。

バザリア改革は1970年代的だと書いている「病者」活動家もいて、過去の遺物だという意味なのかもしれません。68年革命が残した達成物ではあるのでしょう。前述のようにフーコーの言う新たな目に見えない鎖でつないだだけではないのかという疑問に、ぜひとも答えてほしいと思います。自己解放という契機をどう内包しているのか、解放の主体としての「精神病者」自らの言葉があるのでしょうか。

 

日本での「病者」解放と抑圧者

 

日本の「精神病者」は、まず抑圧者と闘わないといけません。精神医療は抑圧装置であることを「ともに生きる№7」で書きました。自己解放の組織はずの「反スターリン主義革命的共産主義の党」である革共同全国委が抑圧者になってきたことを「ともに生きる№8」で書きました。「精神病者」にとっては、医療者は抑圧者です。医療者は「病者」解放のために人生をかけるのでなければ、抑圧者たる自己を乗り越えられないと思います。党は抑圧しないことを絶えず意識してかからねばなりません。過去、自己解放を歪め、抑圧してきたのが「レーニン主義の党」でした。

私は、目指すべきはパリ・コミューンだと思っています。パリ5月革命も日大全共闘も私は理想としてきました。ロシア革命も当初は解放ですが、その内に抑圧装置を内包していました。革共同の差別的腐敗「指導部」だった武山=岩本を擁護していた元県委員長は「レーニン主義まで否定しなければならないのか」と総括不能になったという話を聞いたことがあります。「レーニンの言葉通りに実践するのがレーニン主義だ」とする訓詁学でやっていたのが革共同全国委でした。「レーニンを疑う」ことは当然です。「レーニンは正しかったがスターリンが歪めた」というのが革共同全国委のテーゼですが、レーニンの中に「歪み」は内包されていなかったのでしょうか。   

 

マルクスを否定すべきか

 

かつて私が支持していた革共同全国委の官僚主義は、全共闘の平等主義・自由主義の対極にあったものだと思います。革共同全国委では「自然発生性への拝跪・自由分散主義」を否定するというのが合言葉になっていました。労働者民衆が自由に革命運動を進めたら必ず敗北するから、組織的系統だった「党」が指令をする必要があるという思想です。やがてそれは、官僚主義、命令主義、軍令主義という疎外体となっていきました。

その後、革共同再建協議会が生まれ、ここは、党内民主主義を大事にしています。

スターリンや、革共同全国委のような官僚制的疎外体を生んだのがマルクス主義のレーニン的な解釈、またはレーニン主義の特殊的解釈だったのだとしたら、解釈の問題であり、マルクスによる全人間の解放の思想までを否定しなくてもいいのではないかという考えが浮かびます。レーニン主義の中に共産主義を歪める要素があるのだとしたら、マルクス主義にまだ赤光はあるのではないでしょうか。マルクスに戻り、そこからレーニンの中の革命的要素を引き出すことなのではないでしょうか。

 

パリ・コミューンを否定できるか

 

マルクスの時代の労働者革命であったのがパリ・コミューンです。これは否定しがたいでしょう。フランス史学者の柴田三千雄は、パリ・コミューンの理想は1968年五月革命で復権されたと書いています。「公務員の選挙とリコール制、政治警察と常備軍の廃止、労働者による仕事場の自主管理などのコミューンのプログラムは、一時の解放感に浸った民衆の願望を集約したものであり、実行する時間もないユートピアに終わった。このリベルテール(絶対自由主義)政治文化は、約一世紀後の『五月革命』に蘇生することになる。」(フランス史10講)

パリ・コミューンがどんな社会だったかはよく知らなくても、私の世代なら五月革命は知っています。世代が違えば知らないかもしれませんが、追体験はできます。

ちなみに、パリ・コミューンのことを知るには、柴田三千雄の「パリ・コミューン」(中公新書)が一番よく、次にアンリ・ルフェーブルの「パリ・コミューン」(岩波文庫)だと思います。これらを読めばパリ・コミューンがどんな革命・社会であったのか分かると思います。

直接民主主義を原理とし、代表を選ぶ時も「議員」ではなくいつでも解任できる「受任者」であったこと。官吏もいつでも解任できて、官僚主義を排したこと。上意下達と下意上達が組み合わされて、上から下への一方通行ではなかったことなどの制度的保障により、民主主義と平等な社会を実現しえたことなどが分かります。

なお、「レーニン主義の党」である革共同全国委でも「受任者網」というのがありましたが、これは上意下達のために上から下に向けて組織されたもので、パリ・コミューンの受任者が下から組織されていたことの真逆です。

 

パリ・コミューンの「可能性」

 

 マルクスは、パリ・コミューンが反動派のヴェルサイユを攻撃するのがもっと早ければ勝利した可能性があると書いています。また国民衛兵中央委員会がコミューンに権力を渡すのが早すぎたとも書いています。またアンリ・ルフェーブルはパリ・コミューンがフランス中央銀行を接収していれば情勢は変わっていたはずだと書いています。

私たちは、パリ・コミューンが勝利した世界を想像することができるのです。もちろん「たら・れば」や空想では何も生まないし、トロツキーのように、パリ・コミューンにマルクス主義の強力な党がなかったことに、その敗北の原因を求めることも、自分を正当とする議論にすぎません。

 しかし、今の帝国主義世界体制に対して、もう一つの可能性を対置することはできるのです。スターリン主義とも違う社会主義・共産主義というもう一つの社会の可能性です。その理想が、68年五月革命で再現されたように、現代にその理想を再現することができないといったい誰が言えるでしょうか。

 五月革命が矛盾を持っていたようにパリ・コミューンも矛盾を持っていました。プロレタリアートの権力の集中か、地域のコミューンの連合かという社会構成の根本問題など対立がありました。しかしそれはプロレタリアの民主主義によって解決されたに違いないのです。

 

対抗文化

 

対抗文化運動の一つとして資本主義を否定しながら、「共産主義も否定する」というものが流行っています。その一つとして、「富裕者課税論」という「税制を変えて、富裕者から税をより多く取ることによって、公正な税制にする」というものがあります。この世界には、貧困を是正するのに十分な富は既に存在しており、不公正な分配が問題なのだという考え方です。十分な富があるという発想は正しいし、過渡期にはそういう、不公正税制の是正は有効だと思います。でもそういう税制を可能にするためにも、資本家の権力を侵害する革命が必要なのではないでしょうか。

革命を、選挙を通じて実現するか、実力闘争の発展上に展望するかは、おそらく両方なのでしょう。アメリカにおける民主党大統領候補選挙でのサンダース氏の大躍進は選挙による社会民主主義革命という可能性を示したものでした。あくまで「社会民主主義」ですが。代表選敗北後もサンダース氏が様々な分野で活躍していることは、次の選挙での勝利の可能性を示しており、選挙を通じた社会民主主義革命の現実性を示しています。いずれにせよ革命の必要性と現実性は否定しがたいでしょう。

私たちには「レーニン主義」(レーニンの言質の訓詁学=革共同全国委的解釈)を否定しても共産主義を否定しない、パリ・コミューンという実物があるのです。コミューン原則に則った共産主義運動、革命党、というものがあり得るのではないかと思います。徹底した党内民主主義を原則とした革命党というものを実現できたら、次の革命という現実性を開くことができます。革共同再建協にはその責任があります。

グラムシが言うように陣地戦と機動戦の組み合わせがこれからの革命運動には必要だと思います。機動戦の空論的追求ではなく、着実に陣地を築いていくことが、今求められることでしょう。資本家階級を打倒し、差別と抑圧のない社会へ。それは一国に留まるものではないでしょうし、国境を越えた資本家への侵害でなければならないでしょう。アメリカ帝国主義との対決にならざるを得ないし、アメリカの労働者との連帯をめざすものでなければなりません。サンダース氏の前進は、アメリカ帝国主義の打倒の社会主義革命の現実的展望を開きました。

目指すところは大きいですが、現実の闘いは小さな私たちがより多くのしょうがい者・労働者民衆と結びつき一緒になって革命を目指すものでなければならないでしょう。小さなことからコツコツと陣地を築き、拡大していく闘い方です。

 

現代のパリ・コミューン=三里塚闘争

 

今年50年を迎えた成田空港反対の農民闘争である三里塚闘争は「パリ・コミューン」をめざす、真の意味での対抗文化なのではないでしょうか。我田引水ではないということを次の二人の言葉で示したいと思います。

「パリ・コミューンは72日だったが、三里塚はもう13年、農民は闘いながら見事に生きぬいている。日本をよくできるのは三里塚だ。」1978年 歴史学者・羽仁五郎

「1970年前後の全共闘運動は、革命の向こうのプログラムという点であいまいでしたが、ともかく変革、つまり断ち切ることを熱望するものだった。精神の課題としてはっきりした運動だったと思います。しかもその断ち切るという方向づけの運動が、今なお続いているという実例があります。僕としては記録を読むのみですが、三里塚、つまり成田空港建設反対闘争です。農民たちの連続性の運動から、変革を考えることのヒントが見え始めている。断ち切るというエモーショナルな運動が、歴史の連続性の中で形をとってくる。そういうところに農民的な生産性が浮かび上がってきています。」1995年1月1日朝日新聞、作家大江健三郎

パリ・コミューンが5月革命に続いたように、5月革命は国境を越えて全共闘に地続きでした。全共闘が求めた「革命」すなわち「断ち切ること」は、場所を変えて三里塚で永続しています。すなわち、「資本主義が農民の犠牲の上でしか延命できないなら、資本主義こそ死ぬべきだ」という思想です。そしてまたそれは「資本主義社会は死ぬべきだ」ということを示す実物として、資本家権力と実力で対決する中で、永続しているのです。パリ・コミューンによって始まった世界革命過程は、永続する革命として、ロシア革命、パリ5月革命、学生反乱、全共闘へと引き継がれ、今日、三里塚に陣地として永続していると言えないでしょうか。

沖縄の辺野古、高江の闘いも、三里塚闘争的発展を恐れていては勝利の展望があるでしょうか。辺野古の闘いは「沖縄コミューン」を展望したものとして、民衆の自治権要求として発展するでしょう。ポストコロニアルの脈絡において、その展望は開けるのではないでしょうか。

革命の現場はしょうがい者・労働者の自由を実現する小さな闘いの積み重ねです。大言壮語や、大局だけを追い求めても、小さな現場の積み重ねがなければ空疎です。人の繫がり、陣地を徐々に拡大させる中で、その一挙的拡大の展望も見えることでしょう。機動戦ばかりを追求し「政治的大言壮語」だけを追い求めることの弊害を私たちは、革共同全国委の中に見てきました。これからの革命運動はその轍を踏んではならないと思います。三里塚に「革命的武装闘争」の過去をノスタルジアするだけの革共同全国委には、三里塚闘争を勝利に向かって解き開く能力もありません。

コミューン原則に則り、パリ・コミューンの敗因を乗り越えるプロレタリア革命運動と、それと結びついたしょうがい者解放運動の陣地の拡大を追及していきたいと思います。

私が高校生解放運動を闘って以来、目指したのは抑圧のない社会です。自由を求める闘い、真の革命は、日々、昨日の自分を乗り越え、今日、自分を縛るものを脱ぎ捨てる過程であり、能動的な実存の革命でもあると思います。見えない鎖と拘束衣を断ち切る日々の積み重ねです。「私たち抜きに私たちのことを決めるな」というしょうがい者の原則は、主体の決起抜きには何も始まらないという原理を示す、極めて能動的な現代における革命運動の原理でもあると思います。

 

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