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2021年6月25日 (金)

「困っていない」障害者

髙見元博(ひょうせいれん)

先日、大フォーラム実行委員会の「語る会」という障害者同士の座談会で、僕が「薬を飲んでいれば普通に暮らせるから困っていることはない」と言ったのが、みんなには意外だったらしい。厳密にいえば、介助は月に30時間受けているから少し言葉足らずだったと思う。「介助を受けているから困っていない」ということも言うべきだった。「薬は1日30錠飲んでいる。薬が悪いという思想はないから、別に困っていない」とも言った。

障害者イコール「困っている人」というありきたりな構図があるが、そんなものに縛られたくはない。「困っていない」障害者がいてもいいではないか。病者運動の先輩の理論家だった香川悟さんは「精神障害者には体験談だけさせて、理論は専門家・医者が喋る」講演会の在り方に異議を唱えていた。僕が理論を語るのは彼に続く意味もある。マルクス主義で精神障害者の解放の道を探ることも彼に続いている道だ。精神障害者が「困っている体験」を語り「同情を引く」なんて最低だ。

たしかに、僕も薬が合うまでは大いに困っていたが、合う薬の組み合わせが見つかり、普通に暮らしている。では、自己解放の必要がないかというとまったくそうではない。さまざまな精神障害者差別があるし、僕も差別視されている。差別からの解放はどうしても必要だ。障害者いこーる「困っている人」だから助けてやるというパターナリズム(父権主義)は差別の最たるものだ。

だからこそ、僕は困っていないと言う。差別者に対して「お前に差別されるいわれはない」という立場に立とうとするのだ。上から目線に対して、同等の立場の立とうとするものこそが、僕の開き直りなのだ。

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